VIVA!育児生活

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出産記録



出産記録



2003.10.2 18:28生まれ
鉗子分娩
体重3262g 身長52cm



2003.10.1
前日

38週6日目。午前中、定期健診に行く。
予定日は10月9日で、出産まであと1週間。この頃になると、いつ産まれてもおかしくないので、検診は週1回になる。
先生は「まだ子宮口閉じてるねー。産道もまだ開いてないから、予定日くらいに出産になるかな」と言っていた。
午後は銀行に行って振込をしたり、昼寝をしたりといつも通り過ごす。
用事があって、会社に電話をした時に、2004年2月に出産予定の妊婦さんが出た。当時、同じ部内に私を含め、 3人も妊婦さんがいた。「全然、(出産の)兆候がないんですよー」と近況報告をする。

2003.10.2
A.M 1:00 陣痛?

臨月に入り、睡眠時間がすっかり狂ってしまい、。昼間に眠くて昼寝をしてしまうと、夜には全然眠れなかった。
最初は昼間の眠気を我慢して、夜に寝ようと努力していたけれど、結局、夜も胎動があると目が覚めてしまい、 熟睡した感じがしないのと、睡眠にバラツキがあるのは「出産後の授乳のタイミングに体を合わせようとしている」
という友人の説を聞き、眠い時に寝るようにしていた。
この日も眠れないので本を読んで過ごす。
A.M1:00に何となく下っ腹が痛いような気が・・。少し気になる痛み。
しかし2週間ほど前にも急に下っ腹が痛くなって「陣痛かー」と騒いでいたら、それはただの腹痛だった(トイレ行ったら治った)。 「また腹痛かなー」と思いつつも、様子を見ることに。

A.M 3:00 病院に電話
相変わらず腹痛が続く。時間を計ってみることにした。
痛くなる間隔は6分、8分、12分、10分・・とマチマチ。しかし、1時間に6回痛みがあり「これはやっぱり陣痛なのかな 」と思い、病院へ電話してみる。
名前、予定日を告げたあと、10分間隔ではないけれど、1時間に6回、陣痛らしき痛みがあることを伝えると「それくらいならまだ来院は早いかもね。眠れるようなら寝て、朝になったら来て下さい」と言われた。
横になってみたものの、気になって眠れず、ついつい時計を見ながら間隔を計ってしまう。

A.M5:00  もう一度、病院に電話
横になったまま、2時間経過。ウトウトすると生理痛のような痛みがして、全然眠れなーい。「こりゃダメだ」と思い、 もう一度、病院へ電話をした。
「じゃあ、来て見る?」ということになり、熟睡していた夫を起こして車で連れて行ってもらうことに。シャワーを浴びて、 入院の荷物を持っA.M6:00頃、家を出て病院へGO!
この時の間隔は、まだ1時間に6回ほどの痛み。

A.M6:30 入院
病院に到着し、裏口から入る。既に連絡してあったので、看護士の方がお迎えに来てくれていた。
病棟へ行き、内診をしました。この時、初めて「おしるし」を確認。
「子宮口が1cmほど開いてるわね。このまま入院しましょう」
9月末に出産ラッシュだったらしく、産後入院している人で病室がいっぱいだったので、陣痛室に入れられる。
夫が入院手続きを済ませてくれ、A.M7:30入院。「絶対、たいしたことないから家に返されると思ってたのにねー」などと話す。
早速、朝食が出て、おいしく完食。

A.M 9:00 助っ人到着
ベットでダラダラしていたら、担当の先生が来てくれました。
「昨日は兆候なかったのにねー。陣痛、早かったね。じゃあ、頑張ってねー」
・・・オイ!帰るんかい!!まあ夜勤明けで、今日は担当曜日ではないので、仕方ないけど。アッサリしていてちょっと寂しいぞ。
しばらくすると、助産婦学校の私を担当している生徒さんが駆けつけてくれた。
彼女は実習中で、7ヶ月の頃から私に付いて、妊娠中や出産時の心配事をいろいろ聞いてくれ、わからない時は調べてくれた。
検診ごとに、「オッパイマッサージの仕方」や「食事のとり方」など、かわいい小冊子を作ってくれていた。
なんか、専属の助産婦さんが付いているようで、他の妊婦さんに比べて恵まれていたかも。
「泊まる準備して来ました!頑張りましょう」
ありがとう(泣)心強い助っ人です。

P.M 12:00 まだ余裕
子宮口が3cmに。
出された昼食も完食。病院食ってマズくて嫌いなものばかりだと思ってたけど、ここの病院食はおいしい。
学生さんが度々来てくれて、足を暖めてくれたり、マッサージしてくれたりしてくれる。
「3cmの時間が一番長いんですよ。もう少し開けば早いですよ」と教えてくれた。陣痛も朝よりは痛みが強い。お腹も陣痛が来ると石のように硬くなるのがわかる。
昼食後、病棟を散歩することになり、立ち上がって2~3歩歩いたら、急に吐き気がして「オエッ」となった。慌てて夫が洗面器を持ってきてくれたが、吐かずに済んだ。

P.M 3:00 痛い
子宮口が8cmに。エコーでお腹の中の我が子をチェック。
「元気いいねー」と先生。それにしても、かわいー♪モニター越しでしか会えなかったけど、もうすぐ対面できるのかー。
陣痛と陣痛の間は、まだ夫と会話をする余裕があるけれど、陣痛が来ると、収まるまで口が利けない。お腹に心拍数を計る装置を付けて、子供の心拍をモニターでチェック。
気を抜くと息を止めてしまい「赤ちゃんに酸素が届かないわよ」と注意される。だってスゲー痛いんですけど。
呼吸は自分が一番楽な「スーハー」に。

P.M 4:00 違ーう!
まだ子宮口は8cm。
陣痛の間隔は4分に1回くらいだったと思う。このころから時計を計る余裕はなくなる。
学生さんがいる時は、私の呼吸のタイミングに合わせて「スー・・・・ハー・・・・・」と言ってくれる。それに合わせて呼吸をすると、少し楽になるような気がするから不思議。
学生さんがいない時に私が辛そうにしていると、夫が背中をさすってくれました。呼吸も「スーハー」と言ってくれるけど、タイミングが違い、それが妙に気になってしまって、思わず「違ーう」と怒ってしまった。
あとで聞いたら、たいそう傷ついたそう。ごめんね。必死だったのよ。

P.M 5:00頃 急変
もう時計を見る余裕はなし。陣痛の間隔も1~2分おきくらいになっていたと思う。
助産婦さんが慌しくやってきて心拍のモニターを見に来た。
「赤ちゃんの心拍が落ちている」とのこと。ナースセンターのモニターでも見られるようになっていて、心拍が落ちてきたので様子を見に来たらしい。
それがどういうことなのか、考える余裕がなかった。先生が来て、もう一度内診をし、「分娩室に」という言葉が聞こえた。
助産婦「じゃあ、用意するから、少し待っててね。このままだとアレだから、四つんばいになって」
私「すげー痛いので、陣痛が収まったら・・・」
助産婦「赤ちゃんのためよ!!」
この一言で死ぬ思いで四つんばいになる。
しかし、数分後にまた内診をするといい、元に戻れと言う。
私「痛いんですけど(泣)」
助「赤ちゃんのためよ!!」
もうマジ無理と思っていたのに、またまたこの一言で元に戻る。魔法の言葉です。
夫は家族に連絡するため退室。

P.M 6:00 分娩室へダッシュ
用意が整い分娩室に行くことに。先生が車椅子を持ってきた。
先生「ハイ。乗って」
私「・・・ハイ?」
自力で乗れってことかい?頭の中で「赤ちゃんのために」と思いながら、力を振り絞って車椅子に乗りました。
先生は車椅子をすごいスピードで押しながら分娩室に走りました。大げさではなく、風をきる勢いのスピードでした。

・分娩室
助「分娩台に乗って」
・・赤ちゃんのためですね。頑張ります(泣)
やっとのことで分娩台に上がり、ふと見渡すと、先生3人、助産婦さん約3人、学生さん2人の計8人くらいいた。
母親学級の時の説明では「先生1人、助産婦1人、看護婦1人、多くて3人かな」って言ってたのに、なんでこんなにいるの?
しかも、戦場のような慌しさで、女の先生が誰かに何かを怒鳴っていた。せっかく刺した点滴の針を、その先生が
ぶつかったおかげで飛んでいってしまい、もう一度打ち直した。
おかげで左手の肘から下は内出血してしまい、跡が消えるのに2週間かかった。エーン。
「へその緒が首に巻き付いてて、心拍が落ちて危険だから、鉗子分娩にします」と言われ、酸素マスクを付ける。

・会陰切開
この時点でまだ破水はしていなかったが、急に暖かい感じがしたので、人口的に開けたんだと思う。
先生「切開するから麻酔するねー」
出産に際し、私は会陰切開が一番怖かった。ハサミで切るんですよ。ハサミで。陣痛で痛さなんかわからないって言うけど、 本当なのかなーと思っていたら
バツンッ!
「痛テー!」
バツンッ!
「痛テーー!!」
バツンッ!
「痛テーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
思わず体を起こしてしまうほど痛かった。それより、何箇所切ってんだ!?
後で聞いたら、切った箇所は1箇所だけど、鉗子を入れるために、より深く切ったんだとか。しかも、早く子供を出さないと命にかかわるため、子宮口が伸びきる前に切ったんだとか(ちゃんと伸びていれば痛くない)。
そりゃ、痛いはずだよ(号泣)
でも、鉗子分娩ができる先生は少ないらしく、この先生はベテラン中のベテランなんだそう。
もし、私の担当の先生だったら、陣痛で苦しんだ挙句、帝王切開になっていたかも。

※鉗子分娩について
http://www.dear-mom.net/os.kans.htm


・いきみ
先生に「お腹が張ったら”息む”時だから言って」と言われたけど、もう「お腹が張る」なんて感覚はわからないよー。
「お腹張った?」と聞かれ、思わず「わかりません!」と言ってしまう。
それでも何とか「張った気がする」と言うと、「じゃあ、息んで!」と言われました。
私の息みに合わせて、先生の1人が上から押し、もう1人の先生が鉗子を使って、子供を引っ張り出すという、こうやって文章にすると、すごい連携プレーを行った。
先生に「声を出さないで息みなさい!」と言われ、ハッとする。「ウーン」とか声を出してしまうと、力が逃げてしまう。
わかっていたはずなのに・・・。
声を出さないように、いきんでみる。3回くらい息んだら出てきた。
2003年10月2日 P.M 6:28だった。
ずっと私の横にいて、私が呼吸しやすいように「スーハー」と言ってくれていた学生さんが「男の子ですよ」と教えてくれた。
2人で涙ぐんでしまった。
分娩室に入って約30分。もっともっと長い時間のような気がした。

・お疲れさま
産まれてから、すぐには泣き声をあげなかった。
横にある新生児用の診察台をみると、いた。
口に細いチューブらしきものを突っ込まれ、その後、酸素マスクをつけた。
泣け。
ここまで頑張って出てきたんだから、こんなところで死ぬなよと、息子の姿を見ながら考えていたと思う。
「おぎゃー」
フー。良かった。
夫と私の母が分娩室に入ってきた。母は朝、入院したという知らせを受け、仕事を早めに切り上げて駆けつけてくれていた。
母の顔を見た途端、号泣してしまった。母も目を潤ませながら「頑張ったね。頑張ったね」と言ってくれた。
夫は「大変だったね。お疲れさま」と言ってくれた。
幸い、子供は無事だったが、念のため、保育器に移される。

・痛みは続く
後産で胎盤が出た。陣痛に比べれば軽いが、やはり痛い。
「立派な胎盤でしたよ」と胎盤を見せられた。何これ?私の想像していた胎盤はソフトボール大くらいだったのに。デカすぎ。
こんなのに入ってたんだー。
その後、会陰切開の縫合も痛さに逃げ腰になってしまい、先生に「動かない!」と怒られた。だって痛いんですけど。
導尿も痛かった。
出産前に助産婦さんに「赤ちゃんの肩まで出てしまえば、あとはスルッと出るだけだから、 痛みもスーッと消えますよ」言われたが、ウソばっかり(泣)
出産後も充分痛かった。

・初めまして。
しばらく分娩室で過ごした。体を拭いてもらってキレイにしてもらった。すごく寒かった。
母と夫も一緒に居てくれて、出産体験を話していたら、助産婦さんが我が子を抱いて連れてきてくれた。
胸の上に、そっと乗せてみる。起きていれば、まだ目が見えないのに、匂いで母のオッパイを探す 仕草をするらしいが、疲れたのか、グッスリ眠っていた。
へその緒が首に巻き付いていたせいか、少し顔がむくんで見える。
「キレイにしてもらったね。良かったね」と言ったような気がする。
あんなに痛かったのに、我が子の顔を見たら、全く気にならなくなった。こんな寝顔が見られるなら、もう1回くらい出産を経験してもいいと思った。
女は強いですね。

・ありがとう。
こうやって元気に産まれてこられたのは、
お産しやすいようにマッサージをしてくれた学生さん(今は立派な助産婦さん)
適切な処置で、迅速に出産をさせてくれた先生方と助産婦さん方
ずっとつきっきりで支えてくれたダンナ様
駆けつけてくれた母と妹(会えなかったけど)
無事の出産を祈ってくれていた義父母
頑張って出てきてくれた息子
みんなのおかげです。みんなの励ましや支えのおかげで、無事に出産できました。
本当にありがとうございました。


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