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雲ひとつなくよく晴れた朝、母が死んだ。やっと新緑が萌え始め、梅や桜も開き始めたというのに母は死んだ。母が植えたレンギョウやスミレも咲いたというのに、母は死んでしまった。朝食にはおかゆとアイスクリームを少し食べたというのに、母は死んだ。朝7時、おはようと言ったら「おはよう」と言ったのに、10時には死んでしまった。もうすぐ母の日だというのに、その日を待たずに母は死んでしまった。まだ79歳、人生これからというときに母は死んだ。闘病生活とそのサポートに悔いはない。わたし以上にサポートできる人間などいなかったろう。しかし、悔やんでも悔やみきれないことは山ほどある。いちばん恐れていたことが起きたのに、不思議と平静だ。自分でも気がつかないうちに、ある程度、覚悟ができていたのだろう。大急ぎでハガキを作った。・・・・・・・わたしたちの母が5月6日午前9時56分、入院先の東札幌病院で亡くなりました。故人の遺志により告別式等は行わず、9日の出棺まで自宅にて母と暮らすことにしました。不便な場所ですが、平服にて母の思い出などを語りに来ていただければ幸いです。なお献花以外の志、香典等は辞退させていただきます。生前のご厚情やご友誼に感謝し、ここに慎んでお知らせいたします。・・・・・・・
May 6, 2006
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「この2週間の悪化のペースは速く、きびしい状況です。このペースが続くと余命は2週間、長くても数ヶ月でしょう」 最近替わった、緩和ケアが専門の医師がこう言った。 痛み止めの投薬のせいで、この数日は母に認知障害が現れていた。食事も全くとらなくなったため、頼みの綱の抗がん剤ゼローダも使えなくなった。やはり、緩和ケアと治療とは両立しないものなのかもしれない。母は、飼い猫のサクラを可愛がっていた。夜中に、痛みを訴えながらも「猫、猫、早く、早く」と言った。名前を聞くと、ちゃんと覚えていた。いずれにしても母に残された時間は少ない。告別式も含めて形式的なことはいっさいするつもりがない。そうすると、事前に準備しておくべきことはむしろ多い。 再発・転移がわかってから1年が過ぎた。せめて母の80歳の誕生日である8月8日まで生きてくれたらと思う。
May 2, 2006
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