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厳冬期だというのに2階の灯油ファンヒーターが壊れた。使って15年、修理しようにも部品もない。同じような機種を買おうと思って行った家電量販店で見つけたのが富士通ゼネラルのホットマン。小さめのボイラーを戸外に置く。温水が室内機に送られ、温風が出るというしくみ。工事費を入れて13万と、ストーブを買う場合の倍くらいかかったが、室内機は増設もできるので、2台以上で使うなら、少し割高という程度。何でも、北海道ではあまり売れていないが、東北地方では売れているものらしい。北海道人は、赤々と炎が燃えているのが見えるストーブを好む。これはもう子どものころから刷り込まれたもので、炎が見えないと暖かい感じがしないと思うほど。だからファンヒーターは人気がないのだろう。しかし、室内で何かが燃えている、という状態は安全ではない。石油ストーブにしても、理論的には排気はすべて室外にされるはずなのに、掃除をしてみると室内にススがついていることがよくある。完全にクリーンとはいえない。しかし、この「ホットマン」はクリーン。石油ストーブ特有の匂いもないし、比べるとファンの音もかなり静か。これはいい買い物をしたと思った。あとは耐用年数がどれくらいかだが、こればかりは長年使ってみないとわからない。冬の本州に行くと、室内の寒さに震えることがある。エアコンしか暖房がない家も多い。しかしこのホットマンなら、エアコンをつけるのと同じ感覚で設置できるし、電気を使って暖房するよりははるかに暖房効率はよくランニングコストはかからないと思う。この商品は1988年に開発されている。もっと早く知っていればよかった。
February 18, 2009
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リゲティのオペラ「ル・グラン・マカーブル」の日本初演を聴きにきたのに、ソールドアウトで入場できなかった。そこで、隣のホールでやっていた東京交響楽団のコンサートを聴いてきた。たびたび上京して音楽会に通っていたのは30年ほど前。それから30年、団塊世代がリタイアする時期を迎え、日本のオーケストラも大きく変わってきている。その変化を知りたくて、ここらあたりで日本のオーケストラを聴いてみたいと思い、年末には読売日本交響楽団で「第九」を聴いたりした。昔は、東京フィルと東京交響楽団は個性がなく存在感のないオーケストラだった。東京フィルはその後バレエを得意とするようになり、東京交響楽団はオペラで柔軟性を身につけた。どちらも迫力はないが、きれいな音のするオーケストラになったと思う。しかし東京交響楽団を数年ぶりに聴いて、やはり個性のつかみにくいオーケストラだと思った。このオーケストラはきっとこういう音楽に向くだろう、というものが何も見当たらない。どんな音楽でもそつなくこなす一方、ある水準以上には絶対にならないだろうという気がしてしまう。それでも、秋山和慶の指揮によるブラームス「交響曲第1番」は熱演だった。早めのテンポで作られる筋肉質の音楽。緩徐楽章などもう少し牧歌的で天国的な演奏の方が好きだが、こういう演奏も悪くはない。どうしてもビジネスライクなところを感じてしまうことの多い東京のオーケストラだが、この日のアマチュアリズムさえ感じさせる熱演に、世代交代がプラスに作用しているのかどうかは即断できない。前半はナージャ・サレルノ=ソネンバーグのソロでブルッフのバイオリン協奏曲第1番。このソネンバーグのソロが圧巻。情熱的でありながらスケール感もあり、あざとさはないのにケレンも不足がない。いつかソロリサイタルを聴いてみたいソリストである。サントリーホールは音響もアクセスも悪く、コンサート後のロケーションも良くない。それに比べると、オペラシティや芸術劇場はずっといい。全国の音楽専用ホールを訪れて、いろいろ聞き比べてみたいと思う。
February 7, 2009
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プロコフィエフのバイオリン協奏曲第2番とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」という「重い」プログラム。ソリストはコンサートマスターの伊藤亮太郎。札響の2代目指揮者、ペーター・シュバルツはブルックナーを得意としていた。有名な4番、7番、8番はこの人の指揮で聴いたことがある。9番はこの日の指揮者、尾高忠明の指揮で聴いたことがあるが、他の5曲はまだ聴いたことがない。9曲あるブルックナーの交響曲を全部聴きたいものだと思っているが、チクルスでもない限り、全曲制覇は難しいかもしれない。凡庸な指揮者だと繰り返しばかりで退屈にきこえる「ロマンティック」だが、何と流麗で美しく、退屈どころか短い曲に思えた演奏だった。何よりの美点はテンポ設定のうまさ。フィナーレのコーダ部分を除き、まったく違和感がない。残念なのはそのコーダ。この数分こそ、ブルックナーの音楽の中でも最も美しく感動的な部分なのだが、もう少しテンポを落とした方がスケール感が出たと思う。こういう山場で魔術的な時間を作り出すことができるのが、巨匠というものなのだが、尾高忠明はどうもその一歩手前で足踏みしているような気がしてならない。プロコフィエフは無難な演奏。緻密でていねいで決して悪くはないのだが、よく言えば室内楽的、悪く言えば協奏曲の華を欠く演奏。ソリストにはオーケストラを挑発したりワガママを言って指揮者を困らせたり、といった「あくどさ」も必要。シュバルツ指揮の札響で「ロマンティック」を聴いたのは40年近く前になる。あのころとは比べものにならないほど成長した札響で、シュバルツの指揮でこの曲を聴けたらと叶わぬことをつい思ってしまう。どんな演奏になるかは想像するしかないが、尾高忠明のブルックナーは、シュバルツを超えているとは思えないのだ。
February 6, 2009
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