全17件 (17件中 1-17件目)
1
まだ子供たちが幼稚園や小学生だったころのこと。週末夫の車で買い物に行くのに夫が私の実家に子供たちを預けて二人で行ってこようという。子供たちはちょろちょろして迷子になったり、あれ買ってこれ買ってとか言うのが夫は煩わしかったようだ。ほぼ毎週末実家に預けて買い物をしていた。当時はまだ母は平日はフルタイムで働いていてやっと週末になったら子守では悪いなと私は思った。夫に子供たちは預けないでたまには買い物に連れて行こうよと言ったら夫は、私の母が孫を見られて喜んでいるから任せたらいいんやという。私が預けに行ったら母は機嫌が悪い。また来たのか?と露骨に嫌な顔をする。そりゃいやだろう。預かるのは責任がある。休みだからと言ってのんびりできない。私は夫がこういっている。ごめんね。また預けに来てと謝る。すると母は「孫を見られて喜んでいると思うなら、たまには夫の方の実家に預けたらええのに」私はそれを夫に伝えた。夫無言。夫は姑に何かを頼むのをすごく遠慮する。忙しいし高齢だから悪いという。姑に子供たちを預けるのは悪いと思うのに、平日仕事で疲れている母に頼むのは悪いとは思わなかったらしい。お盆や正月に実家に行ってもお客様みたいに座っていて、私は昼寝をしたりほとんど手伝いもしなかった。途中から母もさすがに疲れてきたのか、食事は外食になったり、買ってきたものだったりするようになった。それでも若かった私は気がつかず(笑)どっぷり実家で甘えていた。今になって思う。母に甘えて頼り過ぎたなあと。帰れる実家がある幸せ。近くだからちょくちょく行ける幸せ。過ぎてみて初めてわかる。恵まれていたなあって。自分に孫ができて孫の世話するときが来たら初めてわかる。母に負担を掛け過ぎていたなあと。子育て時代を過ぎてみないとわからないのかもしれない。娘さん夫婦や孫ちゃんが来て大変という人の日記を読んで過去のことを思い出したので書いてみました。
2024.04.28
コメント(0)
阪神大震災で自宅が全壊した知人がこの歌が好きでよく口づさんでいる。自分たちの歌だと言って。こういう歌詞が心に沁みるお年頃に私もなってきました。ここ数日詳しくはかけませんがいろいろありまして。生きていくということはまさに楽しいことばかりでなくしんどいこと苦しいこともやってくる。それでも生きて行かないといけない。なんちゃって。まだまだ私は苦労の足りないひよっこです(^^♪
2024.04.27
コメント(0)
夫と車で買い物に出かけて三つ子ちゃんに遭遇した。いつも本を借りに行くスーパーの地下駐車場。夫に待っててもらってエレベーターで2階に行く。ちょうど同じころ駐車場に着いたバン?ちょっと大きめの車から旦那さんが大きいベビーカーをおろしていた。保育園にあるような大きなベビーカー。そして車から次々に赤ちゃんをおろす。3人いる!エレベーターに行くと遅れて3つごちゃんのパパママがベビーカーを押してきた。先にエレベーターに乗って開けるを押して上げながら何階ですか?と聞いたら二階お願いしますとパパが答えた。三つ子ちゃんを見たのは初めて。女の子二人と男の一人の三つ子ちゃん。思わず「三つ子ちゃんですか?」「何か月ですか?」と聞いたら「1歳8か月です」意外に小さい。うちの孫ちゃんなんて7か月で10キロもあるけど三つ子ちゃんたちはスリム。小さめに生まれたのかもしれない。大変ですねと言ったら苦笑いしていた。でも見ている方は見ているだけでとても幸せな気分。降りるときも開ボタンを押しててあげた。またパパがお礼を言って下りて行った。いえいえ幸せのお裾分けをもらった気分。こちらこそありがとう。みじかい時間だったけどとてもほっこりした。最近は買い物に行くと赤ちゃんを抱っこしたパパさんをよく見かける。それだけイクメンが増えたということだね。昔こんなイクメンがいて夫につめの垢をもらっていたら(笑)うちの夫はほとんど抱っこもしなかった。写真を撮るときだけ一瞬抱っこしてすぐに渡してくる。おしっこが手に着いたら困るからだそうだ。(笑)漏れることもあるけど手を洗えばいいだけ。夫はアルバムの中でだけイクメンふうに子供を抱っこした写真があるだけの偽イクメン。こんな風に子育てで大変なときは買い物とかは当然パパも子育て要員。パパが仕事でいない日はママが一人でどうやっているのかと思う。普段助っ人に来る人はいるのだろうか?子育ては協力してくれる人が絶対に必要。最近の若いパパは普通に子育てしている。今の若い夫婦を見ていたらうらやましくなる。3つごちゃんのパパママは当分大変だと思うけど、幸せも3人分と思って頑張ってほしい。
2024.04.24
コメント(2)
新聞に東北大震災に会った家族の13年の記事と写真があった。当時幼稚園だった男の子。地震と津波が来たのはちょうど幼稚園にいた時。先生たちと幼稚園の園舎の屋根で一晩を過ごした。自衛隊のボートで助け出されて、護衛艦で三日間を過ごした。その時点で家族がどうなっているかわからない。5歳の子には不安でたまらない三日間だったと思う。3日後母と再会。記者は偶然母が震災のがれきの中にたたずむ母の写真も撮っていた。まだ息子の生死がわからないときで母は不安げな表情で立ちすくんでいた。無事再会して一年後の親子の写真。つらいときもあったけどこの子がいたから生きてこられたと母が言う。息子を助けた護衛艦が入港してきたとき助けてくれた隊員に会いに行った。三日間面倒を見てくれた隊員に会ってお礼の手紙を渡している写真。息子が中学卒業した時の写真。背はもう母を越えていた。そして今春の写真。息子は自分を困っている人を助けたいと海上自衛隊に入隊がきまり制服姿の写真。数枚の写真で親子の13年間を速足で振り返る記事。もう震災から13年もたったんだなと感慨深い。被災した人たちはどうしているだろうか?今年はお正月に能登半島でも地震があった。家が全壊して避難所にいたり、不安な気持ちでたくさんの人がいることだろう。少しでも落ち着いて生活できる日が早く来ますようにと願っている。
2024.04.23
コメント(0)
知人の旦那さんが今まさに抗がん剤治療真っ最中。その旦那さんがぽつりと言ったという。「いい人生やったな」深い言葉。この旦那さんはうちの夫と同じ75歳。知人から旦那さんがそういったというのを聞いて私は返すことばがなかった。まだ人生を賭けた戦いの真っ最中なのにあきらめるのはまだ早いと思うのに。旦那さんは主治医にガンと告げられた時に何も治療しないと余命はどれくらい?と聞いた。それから家族とも相談の上抗がん剤治療が始まった。一般的ながん治療は手術と抗がん剤治療と放射線。私もそれくらいの知識しかない。手術を勧められるのは比較的若い元気な人だと思う。主治医も手術に耐えうる体力があると認めたら手術になると思う。亡くなった私の父も肺がんだったけど、父はマラソンが趣味で年齢の割に体力があったので主治医に手術を勧められた。父は自分は高齢者だからガンもゆっくり進むだろう。手術しないでも後2年くらいは生きられるだろうと勝手に思い込んだ。だから手術はしないと主治医に返答した。実際その時はがんという診断が誤診ではないかと思うくらい元気だったから父もまた私たち家族も信じられなかった。手術しないと余命は2か月と言われたけど何事もなく2か月を過ぎやがて夏になると父は急速に弱っていった。ようやくがんの診断を信じる気になった父は主治医に手術を受けますと話した。主治医はもう手術のタイミングではないと言われた。ガンが進んでもう何も治療ができないという。父は自宅で死にたいと言い退院を申し出た。結局亡くなる前の10日くらいを自宅で過ごしたけど、父は母に言いたい放題暴言を吐きやりたい放題で最後まで母を苦しめた。今になって父の気持ちが少しわかるようになった。もうすぐ死ぬと言われた父は錯乱し今まで家族にもみせたことがないような弱さを見せたということだろう。死を受け入れられなくて父は最後の最後まであがいていたと思う。それもまた普通の人間の死に際の姿だと思う。冷静でいられなくても不思議ではない。知人のご主人のように「いい人生だった」などという達観した気持ちにはなかなかなれない。抗がん剤治療をしてよくなって元気になった人も知っている。以前と同様の暮らしができている。抗がん剤治療で髪が抜けきつい治療だったようだ。でも乗り越えて数年たつ。1年治療のために仕事を休んだけど無事復帰した。人によっては抗がん剤治療は少しは効果があったとしても延命効果しかないかもしれない。死がだんだん現実味を帯びて迫ってくる。その時人は何を考え、どう行動するのか?神さまから人生の最後をどう生きるのか考えろという宿題をを出されているような気がする。どう自分の人生を締めくくるのか?悔いのない人生とはどういう人生なのか?その人にとっていい人生というのは一人ひとり答えが違うだろう。まだまだ生きたい、今死にたくはないと痛切に思うかもしれない。もう自分の寿命は十分な長さだと思うかもしれない。周りの人の生き方や自分の今後の生き方をいろいろ考えさせられる深い言葉だった。
2024.04.18
コメント(0)
うちの夫は1月に誕生日が来て75歳になった。75歳になると後期高齢者の保険に入ることになっている。今までは夫婦二人とも国民保険。ということで後期高齢者の件の払込票が届いた。二期分で35000円余り。一か月あたり17000円余り。私の国民保険の支払いと会わせると一か月3万円を超える。そんなあー、これは痛い。もちろん国民の義務なので払わないという選択はないのは承知しているけどもしかしたら間違いではと淡い期待で市役所に電話した。電話に出た職員が間違いないから支払ってくださいという。仕方なく二期分何とか支払いを終えた。ところが今日届いた書類は払い過ぎだから返還しますという内容。やっぱり払い過ぎだった。電話で問い合わせた時には自信満々で答えていたのに。一期分17000円余りが返還される。届いた書類に印鑑を押して振込先の口座名を書いて返送してくださいってなんか上から目線。"(-""-)"おまけに今月中に手続しないと来月振り込まないよ。6月になるよ。出し忘れて2年たったら権利がなくなるよという内容。人間だからそれはミスもあるだろうけど、役所というところはこういうところかと腹立たしく思っている。問い合わせた時にちゃんと確認してくれていたらその時にわかったかもしれない。忙しいのかもしれないけどお詫びの電話一本もかかってこない"(-""-)"もしかしたらこの手のミスが多すぎていちいちお詫び電話を掛けていられないのかも(笑)いや笑っていられない。いくら事務が機械化されてもミスは起こるから何度も確認して仕事しないとね。17000円という金額は年金生活者にとっては結構な大金。それでなくても年金は減ることは合っても上がらないし、物価はどんどん値上がりするし。苦しい中やりくりして支払う保険料だからミスのないようこれからもよろしくお願いしますね。
2024.04.16
コメント(0)
母の入所するホームに午前中行ってきました。今日は母に面会するためではないです。運営会議というのをするのでよかったら来てくださいという案内をもらったからです。年に何度か今のホームはこういう感じですというまあいわばホームの生活報告会のようなもの。来ているのはホームに来ているお年寄りのご家族。息子さんや娘さんたち。ホーム内でこんなイベントをしたとか、こんなヒヤリハットみたいな事例がありましたとかの報告もあります。また最近もコロナが発生したり、ノロウイルス感染もあったらしい。いくら気を付けていても感染症が発生することを完全には防げない。でも最小限の被害に食い止めるようスタッフさんたちが頑張っておられる。幸い入院するような重症者はいなかったようで。ホームも人手不足で派遣の方に来てもらっているようです。募集を掛けてもなかなかずっと来てもらえる人が見つからない。ホーム長さんがこぼしていた。応募が11人あったからどなたかに決まると思いきや実際に面接の時間を決めて待っていても来られたのは3分の一。そして面接の結果採用が決定しましたということになっても当日来られない。書類とか準備万端整えていても何の連絡もなく来られない。連絡もしてこないままキャンセル。ありえない。最近はこんな人が多くて人を信じられなくなるとホーム長さん。私も昔こんな人に遭遇したことがあり。以前パートに行っていたころ、仕事を探していた知人にうちの会社に来る?と聞いたら行くというので総務の人に面接を仲介した。後日社内で総務の人に採用に決まりました。何日から出社しますと言われてよかったと思っていたら。前日に別の用事があって彼女に電話を掛けたらなんと言われたと思います?どう考えても4年制大学卒の私があんなところで働くのは納得できない。わたしに代りに断ってほしいというもの。はあ?と思った。お断りの連絡は自分でするのが当たり前。言いにくくても。前日まで何の連絡もしないで放置するのも無責任だし、入社の意思がないならなるべく早く連絡するのが常識だと思っていた。面接のときに会社内の見学もさせてもらってここでは働きたくないと思ったならなるべく早く断りの連絡をする。ああ、この人は大学を出ていてもこんな常識のない人だったのかとあきれました。私はそういう連絡は自分でするものだから自分でして。私は連絡はしないと言いました。人が働いている職場をあんなところ呼ばわりも失礼な言い方だし。わたしも過去に面接を受けて採用が決まっていたけどお断りをしたことはある。無理だと思ったら言いにくくてもちゃんと自分で連絡した。そんな人が今増えているんだなとびっくりした。介護の仕事の募集広告はよく見かけるけど、なかなか大変な仕事で続かない人も多いようだ。ホーム長さんは言われた。資格や経験は問わないで募集している。最初は人柄と意欲を面接で見る。資格は後から取れる。とりあえずは法律で決められたスタッフの人数を揃えないといけない。今はやむを得ず派遣の方に来てもらっている。色々問題もあるけど今は派遣の方を切ることは考えていないという。少ない人員で事故やミスのないように見守っていくのは大変だ。スタッフの方々の日頃のご苦労がよくわかった。帰りに食堂をのぞいたら母が昼食を食べている後ろ姿だけ見てきた。最近はほとんど部屋で寝ていて食事とおやつの時間だけは出てくるらしい。入所した時は手押し車で元気に移動していたのが、今は車いす。何があっても食事は完食していたのが食欲にもムラがあり、ほぼ一日中寝ている日もあれば気分が良ければ食堂に出てきて他の人と話す。今日は日向ぼっこをしていたらしい。母はそんな毎日らしい。今すぐどうのこうのということはなさそうだけどだんだん衰えてきているのは事実らしい。母のことをよろしくお願いしますと言ってホームを後にした。
2024.04.14
コメント(0)
NHKの朝の連ドラ「虎に翼」を毎朝楽しみに見ている。戦前の女性の地位の低さにおどろかされている。私は戦後生まれだけど思い返せば私の若かったころはそんな風潮はまだまだ残っていた。私は高校進学後大学進学を希望していた。通っていた高校は普通科で就職する子はほとんどいなかった。結局家庭の事情もあり、父の強い反対があって進学はあきらめざるを得なかった。父は女は高卒で十分といい、高学歴だと嫁の貰い手がないという。親せきで大学院に進学した女性がいたけど父は彼女の両親は何を考えているのかと自分には関係ないのに怒っていた。男性は高学歴の女性とは結婚したがらないという。父の古い価値観に反発したい気持ちもあったけど、結局就職することにした。今思えば昼間働きながら学ぶ道もあったと思うけど当時の私にはそこまでしてという気持ちもあった。親が快く進学を認めて費用を出してくれないと進学はできない。ご両親に理解があって、大学に進学した友達をうらやましいと思う気持ちはあったけどどうしようもなかった。そして結婚、出産、子育てを経て長い月日がたち、今は私は高齢者大学に通っている。もちろん当時進学したかったような大学とは違っているけど、それなりに楽しんで通っている。ここはうちの市がやっている60歳以上のための大学。勿論普通の大学とは違って入学試験もなく、また用意されている講座の中から自分で受けたい講座を選んで受けられる。費用も年間千円で年金生活でも無理なく払える。大体週一度くらいなので体力がなくても高齢者でも無理なく通える。そこでは今まで会ったこともないような講師の方や、同じく学びたい人たちとの出会いがあった。大学には行けなかったけどそれでも今私は十分楽しみながら学べている。同じ地域に住みながら今まであまり関係がなく、知り合えなかった人たちとの出会いも楽しい。いろんな人の影響を受けて少しずつ私の生き方、考え方が変わって来て、今年は移植の会の役員を引き受けることになった。それまでの私は同窓会でもまた習っているパソコンや体操の会でも誰かが引っ張ってくれるのを待ってついて行く私だったけど一歩前に出ることができたと思う。積極的に人と関わっていく気持ちになってきた。これもどこのどなたともわからない私に腎臓を提供してくださった方のおかげだ。週3回の透析に縛られてやりたいことがなかなかできなかった日々が大きく変わって忙しくけど今毎日を楽しく過ごせている。虎に翼を
2024.04.13
コメント(0)
先ほど疲れて帰ってきました。今日は午前中、体操、お昼ご飯の後電車で大学病院に行く。予約時間は3時だけど早い目に行って長女と待ち合わせることになっていた。一応長女には2時といった。それだと40分くらいしか時間がないので少しでも長くしゃべりたいなと思って、私は一時20分くらいに大学病院最寄り駅についた。ついたよと長女にメールをしたら、長女が「まだ家に居る」という衝撃的な返信。長女はこの駅から4つ目が最寄り駅。駅まで歩いて電車に乗って30分で着けるのか?長女は言う。まさか私が勝手に早めに来たのに時間に遅れてきたなんていわないよね?いやそれだとギリギリじゃない?駅まで10分として電車がすぐ来るのか?そして各駅停車で4つ目の駅で降りる。彼女が来たのは57分くらい。途中電車が行った後だったり、また遅れていたりしたらアウトじゃない?私は電車一本や二本遅れても大丈夫なように早めの電車に乗るし、時には待ち合わせの30分や1時間前に着いちゃうこともあるけど、自分が先に来て待つのは平気なので。どこかで時間をつぶすし。ちなみに夫は結婚前、デートに毎回遅刻してきた。本当に毎回ですよ。それで謝りもしないで平気な顔をしていた。こちらがもしかしたら時間を間違えたのかなと思うくらい。遅れているのに洗車してから来てみたり。夫の平気で遅れるDNAを長女が引き継いでいるのかも。今日は何とか間に合ったけどいつも出勤とかあんなぎりぎりで大丈夫かなと心配になった。でも長女ももうアラフォー女子だからそんなことはいちいち注意はしないけど。
2024.04.12
コメント(0)
夫が以前タコ焼きを家で焼いて食べたいと言い出した。わが家にはタコ焼き器はない。以前子供たちが小さかったころは会ったけど使わないから、実家の母が欲しがったから上げた。そして子供たちが巣立って今は夫婦二人。突然タコ焼きを食べたくなった夫、それ?誰が焼くの?面倒だから聞こえないふり(笑)夫,タコ焼き器を買ってきた。僕が焼くからという。それならまあいいかと思ったのでタコ焼き粉。ひっくり返す道具。油引き。一通りそろえた。夫、タコを買ってきて2,3回やってみた。なかなか難しい。毎日焼いているプロの様にはなかなかできない。それに9個では足りないから何度か焼かないと。夫、スーパーでタコを見かけても、私が買わないの?と聞いても今日は高いと言って買わなくなった。タコ焼き器は邪魔になるからしまった。先日台所の食品を整理していたら賞味期限切れのタコ焼き粉を二袋見つけた。去年で期限切れ、さすがに虫でも湧いていそうだしゴミ袋へ。ゴミ集め担当の夫が、まだ残っているのに捨てるの?と聞いて来た。いや半年以上期限が切れているのは無理でしょう?そもそもあんたがたこ焼きをするからと言って買ったけど最近ちっともしないからと私が言うと夫、沈黙(笑)多分もう二度とタコ焼きブームは来ない予感。(笑)うちの夫は飽きっぽい。飽きっぽいのに将棋とパチンコだけは続いている不思議(笑)
2024.04.12
コメント(0)
私は透析を15年して、腎臓移植を受け今年で7年目になる。腎移植には生体移植と献腎移植の2種類がある。生体移植は自分の親や兄弟、最近は配偶者などからの移植。以前は血のつながった肉親から出ないと移植はできなかったけど、医学の進歩で血縁関係はなくても配偶者からでも移植ができるようになった。献腎移植は自分にもしものことがあったら腎臓を必要としている誰かにあげてくださいというカードを持っている人が亡くなったら、腎臓移植を希望する人のリストから適合性を審査して選ばれた人が腎臓をいただける。移植を希望する人の数に対して実際に移植が叶うのは宝くじに当たるようなものと言われていた。私の周りには献腎移植を受けた人はほとんど聞かなかった。移植してから移植の会に入会したらいろんな方がいた。親から移植を受けた人、兄弟から移植を受けた人、ご夫婦間で移植をした人。中には最初の親からの移植がうまく行かず、再移植は残った親からもらった人。ちなみに機能を失った自分の腎臓と移植される腎臓を取り換えるのでなくてもともとの腎臓はそのままにして新しく腎臓を移植して元の腎臓から血管をつなぐのが腎移植。だから一回移植した人は腎臓が3個、二回移植した人は4個持っていることになる。生体移植にもいろいろと問題がある。健康な体の人なら二個ある腎臓のうち一個を移植しても残りの一個で十分機能する。でもドクターの中には健康な人の体にメスを入れることにあまり賛成でない人もいると聞く。姉からもらうという約束を取り付けたのに、親が猛反対したり。健康なお姉ちゃんからもらってお姉ちゃんにもしものことがあればどうするの?と親が反対する。夫婦間移植で夫から妻に移植しようというときに夫の親が息子にそんなことをさせたくないとばかりに反対する。親族の適合を検査して診て合うとなった人にもちろん移植してくれるよね?的なプレッシャーがかかったり。夫婦間移植の人でも配偶者が二つ返事でいいよと移植に同意してもらった人。逆に配偶者から無理ですと言われた人。腎不全の配偶者にもしものことがあった場合、残された子供を育てていく責任がもう一方の親にあるから二つ返事で移植オッケーとはならないかもしれない。私の場合は親からもらうのも高齢だったからもしものことを考えて断ったし、弟とは不仲なので考えても見なかった。そしてわたしは献腎移植を登録、移植まで15年待った。透析を始めたころたまたま隣のベッドで透析をしていた方に勧められて移植を登録した。その方に勧められていなかったら今もずっと透析をしていたかもしれない。その時初めて透析以外に移植という方法があるのを知った。透析患者会の役員の方だったけどその方が私にとっては恩人だと思っている。15年というのは腎移植の平均待機年数とちょうど同じ。これ以上の期間を待つ人もあるいはもっと早く移植が実現した人もいる。亡くなる縁もゆかりもない人から腎臓をいただく。なかなか順番が回ってこないときは早く回ってこないかなと思うことにわたしは人の死を願っているような罪悪感を感じたりした。移植の際、その方がどういう方でどういう亡くなり方だったかとかの情報は一切教えてもらえない。でもご遺族の方が移植に同意しないと移植はできない。移植後移植された側からご遺族の方へ手紙を書いてはどうかと提案された。ご遺族の方の理解で移植が叶ったわけだから、こんなに元気になって感謝しておりますという手紙をもらった遺族は役に立ててよかった。故人の遺志が実現できたと喜ぶそうだ。いわば亡くなられた方から命のバトンをもらったわけだからありがたい気持ちと大事にしないとという思いがこみ上げる。わたしという人間に透析のころは国庫から月に30万、かかっている。30万×12か月×15年で莫大なお金をかけて透析を受けて生かされてきた。もちろん移植にも莫大なお金がかかっているけど、それもほとんど税金で賄われている。私一人を生かせるためにこれだけのお金がかかっていると思うと、申し訳ない気持ちになる。今の時代、今の日本に生まれてよかったとつくづく思う。時代が違っていたり、違う国に生まれていたら私はとっくになくなっているだろう。と言ってこれから私に何ができるわけでもないし、大したことはできないけど。わたしに腎臓をくださった方はどんな方だろう?と時々考える。もっと生きてやりたいこともたくさんあったに違いない。その人の無念を思うと私がやりたいことをどんどん実現して楽しい人生にするのがせめて供養になるのかな?と勝手に思っている。一日でも長く生きて人生を楽しんで悔いのない人生にしたい。せっかく命のバトンをいただいたわけだから。大事にしていきたい。
2024.04.10
コメント(0)
私が通う高齢者大学のオリエンテーションに行ってきました。ここは市の施設の中でいろんな講座を受けられて費用は年間千円です。60歳以上で何歳までという制限もなく何年でも好きなだけ通えます。私は3年目。オリエンテーションって本当の大学か会社見たいでしょう?講座の受け方とかを説明してもらいました。知ってるけど(笑)初めての方もいるから毎年これを受けるのが義務になっています。講座は多岐にわたり、興味のあるのだけ受ければいい。何なら家でオンラインで受講してもいい。ここでいろんな人と知り合いました。中でもKさんとはラインで会わないときも連絡を取っています。80代かな?とても若々しくて多趣味。いつも着物生地を使ったおしゃれな洋服を着ています。先日私がコロナにかかって受講の予定をキャンセルした時もお見舞い代わりに楽しい川柳をたくさんメールしてくださって笑えました。おまけに返信は気にしなくていいから既読が付いたらメールを読めるくらい元気なんだなと安心するからと言われて、お言葉通りに返信しないで読み逃げしました。(笑)年代は違うけどお友達です。今日も終わってからおしゃべりをしました。Kさんもまたそれ以外のお友達も私が高齢者大学を受講しようと思い立ったから知り合えたわけで、同じ地域に住んでいてもそれまではまるで接点がなかった方たちです。こういう風に人と人の縁がつながってまさに一期一会、楽しいひと時を共有できる。大学と言ってもテストもなく成績とかも気にすることもなく気軽に受講して友達までできる。これからもいろいろ新しい知識を得ながら楽しんで続けようと思います。(^^♪
2024.04.09
コメント(0)
方向音痴の私が去年迷った会場。今度は迷わないで行けました。ナーんだ、わかりやすい場所じゃない。前回はJRの降り口を間違えたから迷ったんだ。今回は間違わずに降りたら後はまっすぐ。少しは方向音痴克服できそう(笑)移植の会総会+親睦会+第一回役員会。私は今回役員デビューです。と言っても役員の方々は何年もやっていらっしゃって私は黙ってみていただけ。役員紹介の時自己紹介をしただけでしたが。初めて会った会長さん。団体や組織では年長の人が会長に推されるイメージだったので多分高齢の方かなと思ったら意外にお若い。40代くらい?娘と同じくらいかな?役員の方々は多分ほとんど年下みたい。でも移植してから十年二十年たっている人もいて移植では皆さんほぼ先輩。私は7年目だからまだまだひよっこです。皆さんお元気そうで移植後の生活を楽しんでいらっしゃる。私も10年20年目指して頑張ろう。残念なことに移植した腎臓が拒否反応でだめになって透析に戻る方も少しですがおられます。移植後どう生活するのかというのが元に戻らないポイントの様です。定着率90何パーセントだったか、忘れたけど、その中にぜひ入りたい。とりあえず私のテーマは先日の受診で指摘された塩分が多すぎるのを改善しないと。塩分が多いと血圧が上がったり腎臓にダメージになる。マイミクの皆様もお気をつけて、若い人も熟年の人も塩分に気を付けるのが元気に長生きの秘訣のようです。昨日駅から十分くらいのところを往復し、最寄り駅に帰ってからも歩いて家に帰ったらそれでも4000歩くらいだったのに、朝方は足がつった。これからも無理をしないで少しは歩いて足腰鍛えて行こう。ところで去年から体重が増加気味の私、去年春の体重までようやくあと1.4キロまで減ってきました。もう一息だ。まずは去年春の体重に戻そう。そしてそれを維持しよう。本当はもっと痩せたいけど無理をしないでぼちぼちと。明日は友達とランチ。細身の友達につられて食べ過ぎないようにしないと。楽しんできます!
2024.04.09
コメント(0)
コロナ以来一か月余り。夫はまだ洗濯物を干してくれている。夫はゴミ出しにしてもお風呂掃除にしても新婚の時は全くやってなかった。何かの理由でいったん始めたらそのまま自分の仕事として受け入れるようだ。そして洗濯物干しは続いている。ただ不思議なことに晴れてベランダに干せる日だけしか干さない。雨で室内干しはやらないで洗濯物のかごを持ってきてくれるだけ。あれ?もう終わりになるのかな?と思っていると晴れたらまた再開する。それでも新婚当時のことをおも言えば変わったな。結婚してしばらくして妊娠した私は切迫流産になり家で絶対安静と言われたことがあった。仕事も休みトイレ以外は布団で安静にしていた。家事は当然夫がやることになった。当時仕事をしていた夫は家事など実家では全くやったことがない。仕事から帰って夜遅くに晩御飯を作ってくれたけど、味噌汁には煮干しが浮いていて実家では姑がだしをとった煮干しをそのまま引き上げないで食べていたと夫は主張した。そんなことはなかった。実家で姑の料理を食べたことがあったけど夫はそうだったと言い切る。また外で洗濯物を干すのは誰かに見られたら格好が悪いと言って天気が良くても室内で干していた。それが今ベランダに出て洗濯物を干している。ものすごい変わりよう。うちのベランダはよその家に囲まれていて洗濯物を干していてもあまり誰かに見られることはない。晴れた日だけの洗濯物干しでも続いていたら私から見てうれしい変化だ。これで入院しても洗濯物を貯められないで済む。私の出産とその後の里帰りの間の一か月洗濯物を貯めたまま、へらへらしてお前の仕事を置いておいてやったと言っていた夫とはまるで別人だ。一か月分の洗濯物は臭いし、里帰りから帰ってきたら赤ちゃんの洗濯物も増える。2月で一年で一番洗濯物が乾きにくい季節。それをへらへら笑って洗濯物を貯めていたことを謝りもしない夫にがっかりした。私のいない間夫は毎日義実家に行って晩御飯を食べ、お風呂に入れてもらい、姑には洗濯物があれば出して、一緒に洗濯してあげるとまで言われていたのに、おふくろに洗濯を頼むのは悪いと一度も持って行かないで貯めていた。おふくろに洗濯を貯めるのは悪くて産後の嫁に一か月分の洗濯物をやらせるのはいいのか?このことは一生忘れられない。しかも下の子が生まれた時も洗濯物を毎日でなくても私の里帰り中何度かでもやっておいてと言ったにもかかわらず同じことを繰り返した。そんな夫が毎日のように洗濯物を干してくれている。年を取ってくるとあんまり嫁に頼りっぱなしだと嫁の入院や最悪先に逝かれることになるとたちまち困る。男性も家事をやるべきだと思う。家族である以上嫁の入院や入院しなくても体調が悪いとき家事をだれがやる?ということになる。家事は男はしないものというのは今ではもう通用しない。食べることにしても毎日お総菜やお弁当というわけにもいかないけど、夫に料理までは多分できないと思う。理想は家事すべてをやれるようになることだけどそれはなかなかできないとおもうので洗濯だけでも貯めないでやってくれたら大助かりだ。これで安心して入院できる(笑)いや入院はしないほうがいいけど。
2024.04.04
コメント(0)
最近は大学病院は整形が多かったけど今日はに二か月に一度の泌尿器科、腎臓内科。ここで7年前に腎臓移植ししてそれから定期的に検尿、血液検査、と受診がある。今年2月以来の受診。さっき帰ってきました。腎機能は異常なし良好。けれど塩分を取り過ぎているとしっかり注意が入りました。冬の間鍋とか煮物とか温かいものが多かった、自然に塩分を取り過ぎていたみたいです。これからは温かくなるから炒め物、サラダとかも増やして塩分を気をつけよう。せっかく移植してもらった腎臓を末永く使わせてもらうには塩分の取り過ぎはダメダメだから。最近はお昼にうどんかラーメンが多かった(反省"(-""-)")夫は最近ラーメンにはまっている。私が出かけていてちょっとお昼が遅くなると夫はラーメンで済ませている。ラーメンは唯一夫が作れる料理?(白)料理ではないかも。私は一人分だけお昼を作るのが面倒だからつい私もラーメンが増えて。塩分が増えたのは夫のせいだ(笑)人のせいにしてはだめですよね。夫は夫注意しても勝手にポテトチップス一袋とか食べている。私はポテトチップスは付き合わないけどラーメンのお付き合いは今後はやめておこう。暖かくなってきたからうどんもしばらくやめておこう。塩分の取り過ぎは血圧も上げるし、むくみも出てくる。腎臓に悪影響があるから減らしていかないと。献立の見直しをしなくては。いつものように病院内のコンビニから処方箋をファックスで送る。二か月に一度だけどよく間違う。機械が変わることもあるし、私がぼけていることもある(笑)今回はスムーズに送れた。けれどあまりに量が多くて一包化してもらうので時間がかかると言われて、明日取りに行くと言って待ってないで帰ってきた。待っていたらもっと遅くなってた。明日散歩がてら取りに行こう。明日は駅前の方に車の任意保険を払いに行って、薬をもらって、来週の母の誕プレを買いに行こう。金曜日は3月いっぱいお休みしていた体操に久しぶりに行きます。7日の日曜日は移植の会の総会、8日は友達とランチ、9日は高齢者大学のオリエンテーション。高齢者大学は3年目だけど毎年オリエンテーションは受けないといけないことになっている。講義の内容もだけど高齢者大学は多くの人と出会いがあって楽しい。11日は母の誕生日、10日か11日にプレゼントを持っていく。だんだん忙しくなってくる。体調に気を付けて乗り越えよう。(^^♪
2024.04.03
コメント(0)
高校を卒業して就職したころのエイプリルフールの思い出。入社したのは地元で結構大手の会社。そこには幼馴染の子も入社していて懐かしい再会があった。皆小中学校が同じで、高校は違っていたけど同期も大勢いた中でその子たちとは特に仲良くしてきた。当時はまだワープロもない時代だったので、事務社員は大量に新卒採用されていた。書類は手書きの時代だった、主な仕事は書類の清書とかコピー取りだった。その幼なじみの中の一人のA子。4月1日の朝会社の最寄り駅で電車を降りて会社に向かう途中で言う。共通の幼馴染のB子(会社は違ってた)のお父さんが亡くなった!という。私がびっくりすると、彼女は「びっくりした?エイプリルフールの嘘だよ」という。私は朝からいやな気持になった。いくらエイプリルフールだと言っても朝から人が亡くなった話をするなんてと気分が悪くなった。A子にはエイプリルフールだからと言っても人が亡くなったなどという話をしたらだめだよと私は言った。それもよそのお父さんが亡くなったなんて嘘にしても最悪なウソ。嘘とわかって笑い飛ばせないような嘘はエイプリルフールの嘘にはふさわしくないと思う。誰も傷つかない、楽しいウソをうまくつくのは結構難しいかもしれない。そういえば夫にも一緒に実家の父にうそをつこうと提案されたことがある。3人目を妊娠したと言って驚かそうというのだ。私は夫にそういう嘘はだめだよ、父はきっとそういうことを言うと激怒するのはわかっていたし、当時私はすでに透析中でそのことで両親にも一杯心配をかけているのにそんなことはとてもできない。やるなら一人でやれというと結局夫はやらなかった。なぜうちの父を選んだ?やるなら自分の親にやればいいのに。多分義両親も激怒すると思う。大多数の人にはにはそんな嘘は受け入れられないと思う。エイプリルフールの習慣は日本ではまだまだ受け入れられてないと思うし、日本人にはスマートなウソをつくのは難しいと思う。
2024.04.01
コメント(0)
うちは娘たちは保育園にはいかないで幼稚園に入れた。近所に住む知人は保育園に子供を入れていたのでいくらくらいするものか聞いてみたら一人3万円近くいることが分かった。二人を預けたら6万?当時のパートに時給から考えてパートで働いた給料を全部保育園代に消えるくらいの費用が掛かることが分かった。それじゃあ家で内職でもしたほうが収入アップすると私は思った。うちは当時ローンを組んで家を買っていて、義母からいつから働くのかというプレッシャーを掛けられていた。義母は夫と姉二人3人の子供がいたけど保育園に預けてずっと働いてきた人。義母から見たら夫に家を買わせて自分はのうのうと家で遊んでいる嫁と思って苦々しく思っていたようだ。でもしばらくは家で内職をしていたほうがいいと私は思って娘たちを幼稚園に入れた。当時幼稚園は保育園よりずっと安く一人1万くらいだった。今はその幼稚園も3歳保育も始まっていて、幼稚園が終わった後希望者には別料金だけど延長保育もやっている。時代はだんだん変わってきていたけど当時は4歳児保育も抽選で入れないこともあった。だから保育園の事情は友達とかにたまに聞くくらい。以前保育園では、持っていく着替えはもちろん紙おしめにまで名前を書いて持って行って、汚れたものも持って帰るとか週末にはお昼ね用の布団を持って帰って干したり、シーツを洗ったりするとか聞いていた。保育園も結構大変だなと思っていた。ところが4月から孫2ちゃんが保育園デビューして次女が復職することになった。最近の保育園事情を聴いてみて驚くことばかりだった。まず子供が保育園で使う紙おしめは持って行かない。名前も書かない。月決めでいくらか紙おしめ代を払って向こうで使う紙おしめは何枚使っても料金は変わらない。サブスクというシステムだそうだ。保育園は最近できたばかりだから色々新しいらしい。地元には戦後すぐにできた古い保育園もあるけど保育園に寄ってやり方はいろいろ違う用だ。布団も一人一人専用の布団を保育園に用意していちいち持って帰ることはない。布団の上に薄いマットを引いて寝かせるのだけどマットは週末に持って帰って自宅で洗濯するという。色々と新しい。慣らし保育と言って最初は一時間から慣らしていって夕方までいられるようになったらいよいよママの職場復帰になる。これは以前と同じようだ。最近孫2ちゃんは人見知りが始まっていて、私やあまり知らない人に抱っこされると泣くようになってきた。パパ、ママと孫1ちゃん(お姉ちゃん)に抱っこされたら泣かないけどそれ以外の人と区別がつくようになってきた。人見知りは成長のあかしなんだろう。当然保育園の保母さんに抱かれてもなくだろうけど、向こうはプロだからそういうことは慣れているだろう。大きくなってからだと登園時に大泣きしてもっと大変だろうし。幼稚園の入園当初は泣いて母親と別れるのをいやがって柱にしがみついて泣いている子もいた。ずっと家でママと一緒にいるのが当たり前だと思って育つとなかなか幼稚園デビューも大変な様子。まあ慣れて来たら逆にママが迎えに来ても帰りたくないというくらいになるんだけど。赤ちゃんのうちだと最初は大泣きしても物心つく頃には幼稚園で友達と遊んだりするのを自然に受け入れられるようになっていると思う。ママも職場復帰頑張れ、孫2ちゃんも保育園デビュー頑張れ。今日から4月。新しい年度が始まる。旅立ちの季節だね、(^^♪
2024.04.01
コメント(0)
全17件 (17件中 1-17件目)
1