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タイトル通り目からうろこの本を読んでいます。橋田寿賀子さん 脚本家であのテレビドラマの「渡る世間は鬼ばかり」が代表作。ご自身はお子さんがなく旦那さんにも先立たれて今は熱海の家で一人暮らしです。本の表紙のト書きの言葉「いざとなったら子供に見てもらおうなどということ自体が大間違いで、期待しすぎるから裏切られたと勘違いしてしまうのです。子供たちに取ってはそれは裏切っているのでもなんでもありません。これは10を期待して5しかもらえなかったからそう思ってしまったということではないでしょうか?だったらその考え方を改めればいいだけの事。最初からずっとゼロでいればいいのです」印象的でした。もちろん私も実母を見送って子供に最後は見てもらおうなどとは思っていません。でも心の隅では少しは期待していたかもしれません。子供に依存しないようにとは思っています。でも何かしてあげてもあまり感謝されなかったりしたらがっかりします。旅行のお土産を次女のところへもっていっても、次女の家族の旅行の時の私にお土産がおまんじゅう一個だったからがっかりしました(笑)同じだけ返ってくると期待してはいけないんですね。これだけしてあげたのにとか恩着せがましく思ってはいけないのですよね。でも孫ちゃんがお小遣いを貯めて私の誕生日プレゼントをくれたらうれしかった。自分の欲しいものを我慢して私のプレゼントを買ってくれるその気持ちがうれしかった。長女も次女も用がある時しかメールが来ないし、私がメールしても返事はなかなか来なかったり、そっけなかったりしてがっかりすることがある。寂しい気持ちになることもあるけど、私は私で毎日を楽しく送って、娘たちにあまり期待しないのがいいんでしょうね。成人した娘との距離は少し取ったほうがうるさがられないかもしれない。そして本当に付き合いたい人とだけ付き合う。いやなものはいや、いい格好をしようとは思わず、受け入れられるものは受け入れ、無理なものは受け流す。期待しなければ人との付き合いはもっと楽になると橋田さんはおっしゃっています。これは私も実践中です。長年の友達でも相手が変わったのか私が変わったのかだんだん付き合うのが無理になってきた人とは疎遠になりました。苦手な親戚とも疎遠にしています。帰って来て相手に言われたことを思い悩むあるいは過去に言われたことを思い出して嫌な気持ちなるような相手とは会わないようにするのが一番いいと気が付きました。私の交友関係はずいぶん変わってきた。わたしを心配したり、やさしい言葉をかけてくれる人と付き合いたい。私の気持ちにお構いなく言いたい放題言う人とは付き合いたくない。でも人生は面白い。いったんいろいろあって疎遠にした友達とまた復活したこともある。むしろ疎遠になった前より親しくなっている。不思議。人生にはいろんな出会いがある。最近知り合った友達と今度一緒に金沢に行くことになっているけど、誕生日を聞いたら何と母の命日。母が引き合わせてくれた友達かもしれない。不思議なご縁。年は少し上だけど努力家でよく気が付く優しい人。私は見習うべき点が多くて尊敬しています。楽しく付き合いを続けていくには気遣いと優しさでしょうね。私はあまり気が付くほうではないから、彼女と付き合って彼女のいい面を学びたい。これからも好奇心の赴くままいろんなところへ行ったり、いろんなことに挑戦して行って楽しい人生を自分で作って行きたい。
2025.08.31
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今回借りてきた本のタイトルは「くじけないで」作者は柴田トヨさん。これはトヨさんが百歳近くになってから初めて出版した詩集です。産経新聞「朝の詩」に掲載された35点と下野新聞に掲載された3点、未発表の4作品を記載しています。明治生まれのトヨさんは明治。大正、昭和、平成と生き抜いてこられました。奉公に行ってつらかったことや空襲で怖い目にあったこと、そんな色んなご苦労と共に楽しかった思い出もたくさんあり、大勢の人々に支えられて今があると感謝する毎日。そんなトヨさんの日々が詩になっています。一人暮らしを20年続けているトヨさん「人生いつだってこれから。誰にも朝は必ずやってくる」と自分に言い聞かせて。素晴らしい人生の先輩に出会った気持ちです。
2025.08.29
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音楽家でもあり吉本新喜劇でも活躍するミッシェルさんが子宮体ガンで亡くなられた記事より抜粋しました。主治医から子宮体がんステージIVのBと宣告されたことを公表。医師から「手術をしても5年生存率は20%です」と告げられた際、「この20%にあなたがなればいいんですよ」と言われ、「その言葉に目からウロコというか、感動しました。20%でも可能性があるのだったら、私は前を向いていきたい。だって、音楽家としても芸人としてもまだまだ成し遂げたいことがたくさんあるのだから」と力強く語っていた。余命宣告されて生存率20%に自分がなればいいという前向きな考え方を支持します。そこであきらめたら本当に終わりになる。またその余命で自分に何ができるかという考え方もある。日本人2人に一人はがんになる時代をどう生き抜いていくかという一つの答えを見た気がした。
2025.08.25
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新しく家電を買ったら取扱説明書がついてくるけど見ますか?わたしは一応しまっておいて困ったときとか故障かなという時しか見ない。以前実家の父が健在だったころ、父は電気のプロだったからおかしくなるとすぐに来てもらった。父は戦前今でいう工業高校を出ていて電気に詳しかった。その頃にはなかったテレビやビデオも修理してもらった。取説を見てちゃっちゃと直してくれたから私は取説さえ見なかった。最近は父も亡くなったから自分で取り説を見る。さて今日は洗濯機を洗浄しようと思って始めた。いつも洗濯する時みたいにボタンを押して市販の洗浄用の洗剤を入れた。いつものように終わるはずが、夫が洗濯層の中が汚れていると呼びに来た。見たら洗濯層の底の白いルーター?まわるところに黒い汚れが結構付いている。仕方ないからもう一度回した。それでもついていたからウエットテイッシュを落として孫の手で拭いてみた。少しは取れたけど完全には取れない。洗濯機のゴミ受けにはいつもと違う黒い汚れ?が一杯貯まっていたからゴミ受けを洗った。どこで手順を間違えたのかな?洗剤を入れるタイミング?取説を出してきてみたけどよくわからない。まだ取説のある家電はいい。プリンターもパソコンも詳しい説明書がなかった。ペラペラの細かい字で書いた説明書一枚がついていた。裏表に書いてあるからひっくり返してみているうちに破れてきた。仕方なくパソコンからダウンロードした。必要なところだけプリントした。なんでこれを製品につけてくれない?私のようなプリンター初心者にとっては接続から難問。昔のプリンターには懇切丁寧な絵本のような説明書がついていたと思うけど。ああいうのが欲しいお客もいると思う。パソコンも同じく、最初のころの説明書みたいなのはついていない。特にパソコンがおかしくなった時どうするか悩むところ。そういうの書いたのが欲しい。設定とかもプロに頼めば楽だけど当然有料。最初のパソコンはついていた説明書を長女に見てもらってお小遣いをあげて設定してもらった記憶がある。有料はもったいないと思うけど、できなければ困る。今使っているパソコンはWi-Fiだけ家で自分でつないだから一万だけ安くなった。そのうち家に来てもらって全部頼むようになるかも。出張料も取られるだろうから一体どれくらいとられるのだろう。脳活のため?パソコンを愛用したいけど何歳まで使えるかな?家電も操作がいろいろ難しくなってて。高齢者にはややこしい機能はない方がいいかもしれない。シンプルな機能だけで充分かも。文明の進化について行けない人間の愚痴でした(笑)
2025.08.25
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私には娘が二人いて長女は未婚、隣の市で一人暮らし中。次女はうちのすぐ近くのマンションで旦那さんと子供たちと一緒に住んでいる。今日はなにも予定がないので孫の顔でも見に行こうかなと思ってメールした。持っていくものがあるからという口実。次女は仕事、家事、育児に忙しい(下の子は来月2歳)のでなかなか会うことがない。何か口実を作って2,3か月に一度くらい行く。以前はランチに誘ったりしていたけど、最近はそれもあんまりやらない。忙しいのはわかるけどなんだか次女と距離ができているようで寂しい。実家の父母が元気だったころはよく一緒にご飯に行ったり、旅行に行ったりした。普段でもよく実家に遊びに行ったり、母が何か持ってきてくれたりの行き来があった。でも次女とはそういう関係を作れていない。次女としては多分そんな関係を作る気はないのだろう。今どきの娘は結婚したらあんまり実家べったりでなく家族で行動するのだろうか?家庭がうまく行っていたら実家の事なんてあんまり考えないのだろうか?次女はお正月にも顔を見せない。もともと次女と夫はうまく行ってないので次女はたまに用事で来るときも夫がいないのを確認してから来る。よその家でお盆やお正月に息子家族や娘家族が着てにぎやかに過ごしているのを見たら寂しい気持ちもあるけど、あれはあれで親はしんどいに違いないとも思って自分を慰める。私が子離れしていないのだろうか?朝次女にメールをしたら別に今日でなくていい。上の子は塾でいないし(中三で受験生)下の子も午後からお昼寝するからという。じゃあまた今度と返事をしたけど。そんなに頻繁に会いたがってないのにつれない。次女は忙しいけどいい旦那さんに恵まれて幸せそうに見える。それはそれで親としてうれしいのだけど、私は少し寂しい気持ちもある。今もこれからもあんまり娘に依存しないようにしないとという気持ちはあるけど、あんまりかかわりのないのも寂しい。娘のところへ行くという用事はなくなったので、今日はパソコンの宿題をしようと思う。もうすぐ夏休み(8月は丸々一か月お休みで宿題が出ていた)も終わるのにまだできていない。ギリギリまで取り掛からないのは学生のころと同じ(笑)
2025.08.24
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今年は5月に倉敷一人旅で出かけた。来月には金沢へ最近知り合ったばかりの友人と出かける。来週旅行の切符を買いに行く約束をしているけど、早くも心は金沢の後へ。次にどこへ行こうかとプラン作成中。誰かと一緒でもまた一人でもいい。ツアーでなくても今は個人でもネットで宿も予約できるし、切符の手配もできる。私はアナログなので切符までネットで手配はできないけど,コパイロットに質問しながら、あるいは旅好きな人の旅日記とかを参考にしながら自分なりに私ならどこを見学しようかとかのプランを立てる。これが結構楽しい。プランだけなら京都の三千院、寂光院の旅(日帰りプラン)とか松江一泊旅行、あるいは下関門司の旅プランとかを立てて楽しんでいる。京都は秋が似合うと思うのでふらりと日帰りで出かけるのもいい。京都駅からいろいろバスツアーも出ているけど行くところが決められていたり、私の体力とかを考えると一人で気ままに行くのがいいかもだし、行きたいところに行ける。私は欲張ってここもあそこも見たいなどというプランでなく、行きたいところを絞ってのんびり見て回るのが好きだし。昔の私は方向音痴で(今も治っていないけど(笑))また時刻表の見方もわからなかったから旅のプランは誰かに立ててもらって誘ってもらってついていくだけだった。コロナ以降、友達を誘ってもなかなか行けない人が多くて仕方なく一人旅シリーズを始めた。シリーズと言ってもまだ行ったのは有馬温泉と倉敷だけだけど。一人旅の経験が少ないからちょっとしたトラブルやハプニングはあるけど、何とか無事に帰ってこられた。少しずつ自信をつけてゆくゆくは一泊でなく二泊三泊の旅行にも挑戦したいな。元気でないと旅行も楽しめない。行けるときに行かないと。今は分厚い時刻表を見なくてもネットでどこに行きたいか?何時ごろ最寄り駅を出て目的地に何時ごろ着くプランを教えてもらえる。所要時間とか料金もあらかじめ調べられる。混んでいなければ新幹線も自由席の方が安いし、私は障碍者手帳を持っているから割安になる。次回の金沢は一緒に行ける友達がいてそれはそれで楽しみ。彼女は旅のプランはお任せというので私がプランを立てて宿も取った。宿はネットで写真や条件を見ても行ってみないとあたりかどうかわからない。私は安くて部屋は狭くても駅に近くて(現地についたら荷物を預けて観光できる)大浴場完備がいい。ビジネスホテルでもいいけどトイレと一緒になっている狭いお風呂はパス。旅行に行ったときくらい広いお風呂にのびのび入りたい。でも温泉旅館は高いからパス。食事も食べきれないくらい大量に出されても困る。素泊まりでいい。素泊まりだともしキャンセルすることになってもキャンセル料がぎりぎりまで無料のところもある。私は去年骨折した時ホテルをキャンセルして、連絡をするのが遅くなり宿泊料金を払うことになった。その次に3月に倉敷に行こうと取っていたホテルは母が入院してキャンセル。でも素泊まりで早めにキャンセルを決めたからキャンセル料は要らなかった。色々いくたびにいろいろ経験して多少賢くなったかな?(笑)来月の金沢もけがもなくまた体調悪化もなく無事に帰ってこられますように。
2025.08.22
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今日はつぶやきにも書いた通り乳がん検診で市内の病院に出向いた。少し家から離れているので夫に車で送ってもらった。夫は朝地図で病院の場所を確認。昔からある病院だけど久しぶりなので。ここは大学病院とは違ってあんまり混んでいない。予約の人数がゆったりなのかな?ほぼ時間通りに検査と受診。ただ再診受付機の場所とかがわかりにくくて。それにシステムも多少違ってて戸惑った。無事検査も異常なく終了。次は来年を予約する。覚えていられるかな?(笑)バスを乗り継いでお昼に自宅最寄り駅に着いた。夫に電話する。駅前でお弁当を買っていこうか?と聞いたらもう買ってきているという。夫珍しく(笑)気が利く。自分の弁当だけ買って来たんじゃないし(笑)夫は結婚したころは外食やお弁当を買うのを嫌がった。私が外食しようと言ったり、弁当を買ったら手抜きと非難していた。姑さんが外食をあまりしない人で家で食事をする(買ってくることもたまにあったけど)習慣だったからかもしれないが、手抜きといういい方ははひどいなと内心思っていた。その夫が私と結婚生活が長くなるにつれてお弁当を買おうとかいうようになり、最近は一人で近所にお弁当を買いに行けるようになった。まあ小さい子の初めてのお使いではないからいい大人ならお弁当を買ってくるくらいは出来て当たり前なんだけど。(笑)ただし夫が買ってくるのはいつも同じのり弁、一番安いやつ。そしてお弁当屋さんも家の周りに何軒もあるけど、決まって同じ店。たまには違う店のも食べたいし、のり弁でないのも食べたいじゃない?そう言ってもいつも夫が買ってくるのは同じのり弁(笑)夫の脳みそはいったんインプットされたら変更が聞かないらしい(笑)おかずは白身魚のフライとちくわの天ぷら、きんぴら、漬物。私も白身魚のフライは好きだけどさすがに飽きる。私が買ってきたお弁当に手抜きと文句を言う状態から自発的にお弁当を買ってくるようになったのは進歩?進化?かもしれないけど。出来れば次は違う種類を買ってきてほしいな。というわけでもう少ししたら整骨院に行きます。予約は16:40
2025.08.18
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私の母は今年3月91歳で永眠した。最後の方はグループホームでお世話になった。父が2015年に亡くなり母は一人暮らしになった。父は最後に母を頼むと言い残して亡くなった。でも当時は私も透析をしていたし、その後2017年に私は腎臓移植もして定期的に通院もしている。度々入院もした。私としてはできる限り母を看たつもりだったけど、結局ケアマネさんの意見を入れてグループホーム入居を決めた。私の周りの友達も親を介護中の人が多い。友達のNさんはお母さんのところとJRで一駅離れている。自転車で毎日のように通い、病院に付きそい、時には泊まり込む。お母さんの食事も用意したりとてもよくしている。ホーム入所を考えないではないけど、お母さんは断固拒否するからかわいそうになるという。Nさんは病気もなく健康だけどそんな生活が続くとだんだんしんどくなってきた。今はショートステイを利用して時々介護を休む日と作っているという。お母さんはショートステイで問題なく過ごせている。ショートステイ先には特別養護老人ホームも併設されていて、空きが出たらショートステイ利用者を優先的に入れてくれるそうだ。もう一人の友達、Kさん。彼女も実家にお母さんの介護に通っている。お母さんはほぼ寝たきりでデイサービスとかには通っていない。実家には独身の弟さんが住んでいて昼間は彼女が、もしくは妹さんが見に来てお昼ご飯も食べさせる。夜は弟さんが看てくれるという。兄弟がいてもうまくローテーションを組んでやっていければいいけど介護に積極的でない兄弟がいたり、また遠方に住んでいたらなかなかそうは行かない。一緒に住んでいるかもしくは近くに住んでいる子供に負担が偏ってしまう。そんな風に介護を頑張っている周りの人たちを見たら母をグループホームに入れてしまった私は複雑な気持ちがした。私は病気もあり定期的に通院もしている。場合によっては入院もある。そんな私が全責任を持って母の介護はやっぱりできない。私が母のところに行けない時ヘルパーさんが来てくれたとしても長時間はいてくれない。それでも朝晩来て(デイサービスの送迎とかで私の行けないときは来てもらっていた)母の薬を飲んだかの確認をしてもらってデイサービスで夕方まで診てもらえる。夜は母一人だ。心配だったけどそれ以上どうしようもない。ホームに入れたことで孤独死は防げたと思う。異常があればホームの主治医が診てくれて入院が必要なら入院させてくれる。母もほぼ一日一人でだれとも話さない生活だったのが一変してよく笑うようになり意外にもホームでの生活を楽しんでいる様子だったのでよかった。最初は帰りたがっていたけど、母の住んでいた県住は入居後引き払ってしまったので帰るところはなかった。母にはとても県住を引き払ったことを言えなくて最後まで言えないままだった。私も心苦しい思いや私が介護できない罪悪感とかもあったけど、ホームではいろんなイベントをやってくださって、晩年少しでも母が楽しく過ごせていたならよかったと今は思っている。コロナ禍だったけど、できるだけ面会にも行ったし、母が寂しくないように手紙も書いた。母はその手紙を擦り切れるまで見ていたとホームのスタッフさんに聞いた。最後まで家で子供に介護してもらえる人もいるけどそれはそれぞれの家庭の事情もありうちの場合は仕方なかったと思うほかない。私もやがてもっと高齢になり、人の世話にならないと生活できなくなればホームに行く日が来るかもしれない。でも私はぎりぎりまで家にいて、自分の足で歩けるなら友達に会いに行ったり、好きなイベントに行ったりしたい。そしてある日突然ぽっくりというのが私の理想だけどそんなにうまくいくかどうかはわからない。その日が来るまでできるだけ好きなことをして楽しみたい。同級生の訃報も聞くようになり身近な母も亡くなって、私のこれからはどうなるのか色々考えてしまう。夫は糖尿病と言われているのに一向に食事制限も守らず運動もしない。なるようにしかならないと楽観的過ぎる。これからのことをあまりに深刻に考えすぎたら何も手につかなくなるけど夫のように楽観的過ぎるのも困ったもんだ。出来るだけ糖尿病が進まないように、周りに負担を掛けないようにしようという気持ちは全くないようだ。義両親の介護もほとんど義姉がしてどれだけ大変だったかをあんまりみていないし、親せきに糖尿病の人もいなかったから深刻に考えてない。まあとにかく今の状態をできるだけ維持できるようにして毎日の生活を楽しもう。それに尽きる。
2025.08.17
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前から日記にも書いている通り夫はほぼ毎日パチンコに行く。雨だったり定休日だったりする以外は。多分一か月に20日以上は行っている。前はカレンダーにチェックを入れてどれだけ行っているのか自覚してもらおうとしたけどそういうのは全く気にしないから書くのはやめた。今は定年になって暇はあるから一度行って来てもまた二回戦に行くこともあるくらい相当な中毒だ。そして帰ってきたら毎晩私に同じことを聞く。「もうご飯食べた?食べてないよな?」私は答える。「食べたよ。いつ帰るかわからない人を待たないっていつも言ってるよね」何で「食べてない」という答えを期待するのか意味不明。新婚のころ、先に食べたら文句を言われたことがある。結婚してすぐに妊娠したからお腹が空いた。いつ帰るかわからないのに待っていられない。当時は普通に閉店までやってたから10時とか11時に帰ることもざら。それでも待っていろと?私は待たないことにした。やがて子供が生まれて子供も食べるようになると、子供にも夫を待たせるわけにはいかない。ご飯ができた時に夫がいないと、先に食べる、先にお風呂に入る、先に寝る。子供と一日格闘したら疲れて寝かしつけているうちに一緒に寝てしまうこともある。透析をしていたときは透析の日の夜は疲れて早く寝たいので9時ごろ寝ることもあった。私は夫に起きているのは9時まででそれ以降は私は二階で休むと宣言した。早朝から起きていたらそれが限界だった。普通の人の体力ではないし。それでも寝るのが早すぎるとか夫が話を聞いてほしいとか言って起こされる。話したいなら早く帰ればいいだけ、夫の自分勝手に振り回されたら私の体調が持たない。最近は二階に行ってから起こされることはなくなった。夫にパチンコを控えさせるとかやめさせるのは無理とわかっている。私は私のペースで生活すると決めている。夫は夜遅くなっても平気かもしれないけど私は違うから。夫の夜更かしに付き合ったら自分がしんどくなる。それなのに夫はいまだに帰ってきたら同じことを繰り返す。「晩御飯食べた?まだやろ?」待っててほしいならパチンコを切り上げて早く帰ればいいだけ。子供たちも夫が晩御飯にいないのが当たり前になった。一緒に食卓を囲むのは我が家ではめったにない。たまに早く帰って来て一緒に食べれるかと思えばパチンコに負けた八つ当たりとかお小遣いがなくなってできないからイライラして当たることもある。何て言うか夫はお子様のまま成長していない人だと思っている。子供たちと言っていた。「おっさんの着ぐるみを着た幼児」パチンコから足を洗う気も減らす気もないから夫婦二人になってもいまだに一人ずつの晩御飯が多い。そして私と同じ時間に食べないときは自分のお茶碗や皿は自分で洗うことと夫に言った。私が寝た後流しに放置していて朝それを見るのが嫌だったから。今のところそれは守られている。また遅くに帰って来ても、私が洗った食器を伏せているところから食器を拭いて食器棚にしまう家事は夫がする約束になっているけどそれはきちんとやっている。以前はやってなくてもめることはあったけど、夫は約束したことをきちんとやって文句を言われないでパチンコに行けるならちゃんとしようと思っているらしい。逆に私が嫌味を言ったら「僕はやることはきちんとやっている」と開き直る。もうつける薬がない。こんな中毒者になった一因は姑にあると思う。結婚する前はお小遣いをなくなるたびに渡していた様子。結婚後も少ないお小遣いでパチンコができなくてかわいそうと姑は思っていたのかこっそりお小遣いを渡していたし。いや、決まったお小遣いを渡して使ってしまえばあきらめて家に帰ると言う習慣をつけてほしかった。無責任な姑の甘やかしで更生することもなく今に至る。毎日のようにパチンコに行っていたら嫁がどう思うか、子供たちがどう思うかなんてまったく考えたこともないようだ。パチンコだけでなくお店でお酒を飲む人も家庭を持ったら行く程度を考えるだろう?そういう感覚は夫にはまるでない。夫の様な人の気持ちを考えられない人は結婚には向いていないと思う。結婚40年を過ぎてから結婚に向いていない人と結婚してしまったと思っても遅すぎるけど。
2025.08.16
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今日は毎週金曜日の体操。お盆なのでお休みが多かった。メンバーは5人くらい。あらかじめ少ないのはわかっていたのか助っ人が同じくらいの人数来ていた。助っ人メンバーは先生の主催するダンスグループの人たち。先生はダンスグループをいくつも作っている。その人たちは私たちの体操が終わった後入れ違いに来て1時間ほど練習をする。先生も高齢なのにぶっ通しでレッスンをする。すごい体力。だから顔は知っているけど親しく話したことはないその人たちはうちのグループより平均年齢がかなり若い。今日休んででいる人たちはお盆行事のお墓参りとかあるいは普段一緒に住んでいない息子家族や娘家族が来るからお休みの人が多かった。お盆だから当たり前のようにお墓参りをして親のところを訪問するというのは段々当たり前ではなくなってきている。お墓参りと言ってもお墓のない家もあるし、合っても継ぐ人がいなくて墓じまいも増えている。長時間満員の新幹線に乗ってあるいは大渋滞の高速道路を長時間は走って親のところへお盆だから帰るというのもだんだん廃れてきている。親が若いと子供や孫が来てうれしいというところだろうけど、うちの体操は70代メンバーが主流。今日来ていたメンバーの一人は家はお盆もお正月も息子一家は来ないという。もう年だからこの暑い中布団を出したり仕舞ったりするのが大変だから来なくていいと断ったという。お正月も来ないという。その代り気候のいいころに突然ふらりと来たりするらしい。一人息子さんだそうだけど息子さんは親にべったりというタイプでなく普段もほとんど電話もしてこないし、お母さんもそれが普通だと思っていてさばさばしている。電話もないのは元気でやっている証拠だからとその人は言う。割り切っているなあ。お嫁さんにしたらありがたい姑さんかもしれない。今どきお盆やお正月に帰ってくるのが当たり前のように思っていて帰れないと言ったら怒り狂うような義両親もいるらしい。友達のところがそうだった。ある年の年末にご主人の会社の業績が悪くてほとんどボーナスがなかったという。それで恒例の帰省をやめると夫の実家に連絡をしたら舅さんに怒られたという。帰省というのは当たり前に盆正月には黙っていてもするもの、しないということはあり得ないそうだ。田舎では息子や娘が帰省しないと近所の手前具合が悪いとか世間体がという人もいるらしい。息子宅の経済事情が大変で交通費もかかるというのに帰省を強制するような人もいるんだ。仕方なくしぶしぶ帰ることにしたらお姑さんは年末の掃除やお正月準備ををすべてお嫁さんに丸投げ、おまけに洗濯物も帰省の前の1週間分くらい貯めていて嫁が来たらやらせるつもりだったらしい。こんな姑いまだにいるんだと驚いた。息子や孫と会えるのが楽しみなのはわかるけど毎年盆と正月の帰省は息子夫婦に負担だろうにそれを考えられない人もいるんだ。でも時代の流れで夫婦別々に自分の実家に帰省するという新しい流れもあるらしい。お嫁さんの立場としては義実家で舅姑に気を使ったり親せきを接待するとかいうのはあんまり楽しいとは言えないだろうしそれもありかな?働くお嫁さんなら玉の連休はゆっくりしたいという気持ちもあるだろうし。嫁姑の仲が良くないと今どきのお嫁さんなら私はパスとかいう人もいそう。うちの場合は同じ市内に実家があって泊りはなかったけどお盆お正月は必ず行っていた。今は舅姑も亡くなり、親せきも亡くなってくる人もなく義姉一人が義実家に住む。義姉は一人になって寂しいという気持ちはあまりないのか、私たちが行くと「何しに来た?」などというので思い切っていかないことにした。夫はときどき月命日とかに呼ばれて行くけど私はずっと行ってない。だから私的には義実家訪問が亡くなって快適だ。雪国などでは車で帰省するのが大雪で危ないからお正月はいいよという姑さんもいる。帰省するにしてもしないにしても老夫婦、若夫婦お互いに相手を思い合って気持ちのいいやり取りをおぼんのさなかのたいそう !
2025.08.15
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最近友達の訃報や周りの人の訃報を聞くことが増えた。今元気でいたとしても明日はどうなっているかわからない。増して私はいろんな病気を持っているからなおさらそう思う。友達は家計のことを旦那さん任せにしていたら、旦那さんが亡くなった。銀行預金の暗証番号もわからなくて大変だった。子供もいないけど何とか相続が終わった。それを見て私ももし私が亡くなったらあとに残る夫と娘が困るだろうと思った。そこで昨日覚書を作成した。法律的には遺言状ではないけどこれがあれば多分私の言うとおりにしてくれると思う。預金の金額、種類、暗証番号。通帳の置き場所。私が入っている保険の内容、書類の置き場所。私が亡くなったら保険やさんに連絡すること。預貯金の分け方。死後の手続き。死んだら連絡してほしい人たち。どういう風にお葬式や納骨をしてほしいか?何とか書き終えたら少し悲しくなった。出来ればまだまだ生きたいと思う。でも明日はどうなっているかわからない。元気な人も事故もあるし、わたしも別の病気が発生するかもしれない。私が亡くなった後、夫が認知症だったりしたら娘二人は困るだろうし一応A4二枚にまとめたけどまだまだ書くことがあるかもしれない。でも備えあれば憂いなし。できるだけ残された家族が困らないようにしておきたい。そして近いうちに夫の分も作るつもり。夫が亡くなったとき私が認知症で何もわからなかったら困るから。もしくは私もその時はいないかもしれないし。夫は夫名義の預貯金がいくらあるかも多分知らない。そして義父母の遺産をいくらかもらった私の知らない通帳を持っている。相続が大変そうだと思う。持ち家だから家の時価?今の値段も調べなくちゃだろうし。売るとか名義変更とか不動産はいろいろあるだろうし。人が亡くなった後の手続きって本当に大変だから、少しでも娘たちが困らないようにしたい。
2025.08.14
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昨日久しぶりにOL時代の後輩ちゃんとランチした。彼女は地元を離れて結婚したから会えるのはお墓参りのシーズンだけ。ご両親もすでにいない空き家になった実家の管理とお墓まいりのために年に数回帰ってくる。もう付き合いは40年以上。懐かしい昔話から結婚後しばらく会えていなかったころの話。年金の話。彼女もわたしもすでに両親はいないから相続の話とか墓じまいのはなしとか話題は尽きない。気が付くと私はつい亡き姑の愚痴というか過去話をしていた。彼女は嫌な顔もせず聞いてくれて、「亡くなっていてもそんなにいろいろ話すくらい大変だったんですね。うちの姑はまだましかな?」と笑って言った。そうだ、私いつまで言ってるんだろう。相手はすでに亡くなって墓の下。それがなかなか水に流せない。思い出しては腹立たしい。当時は姑に言い分に納得できなくても言い返すなんて思いもしなかった。皆言われたこともされたことも飲み込んできた。だから今こうやって話せる機会があればどんどん出てくる。私はいつまで過去にとらわれているんだろう。今もし姑が目の前にいたら貯めここんだ思いをはきだせるけどもうその相手はいない。いい加減忘れて前に進みたい。いつまでも過去に縛られたくない。義両親がなくなった今、義実家には独身の義姉が一人住んでいる。義両親の3周忌の後、私は一切義実家に足を向けていない。義両親の遺影を見ても過去のいろいろ思い出して苦しくなるだけだし、義姉にも言いたいことはたくさんあるけどそれをぶちまけてもめるより会わないのがいちばん私の心を穏やかに保てると思って疎遠にしている。今日もお盆でお墓参りに夫は出かけた。義姉たち(2人います)と一緒に墓参りして家でお経をあげるそうだ。もちろん以前からお墓まいりにも月命日にも私は不参加。言いたい放題言いっぱなしで私がどう思うなんて多分考えたこともないだろう義姉は最近ようやく私の顔を長く見ていないことに気づいたらしい。夫を通じて遠慮しないで遊びに来て、顔を見せてと言われた。行きませんよ。せっかくあなたに会わないで心安らかに暮らせているのに心を乱すような相手と会うのは嫌です。とはっきり言うわけにはいかないけど。私的には今後もし義姉に会うとしたら誰かのお葬式だけと心に決めている。それも義両親のおじおばは全員すでに亡くなっているから義姉たちか一人の義姉の旦那さんか、もしくは夫のお葬式限定だけど。さすがにお葬式には嫌いな人が来ているからと言って行かないわけにはいかない。一応大人なので。今日からいやな思い出は捨てて前を向いて進んでいこう。いつまでも過去の話を引きずらないで。どうして今日はこんなことを考えたのだろう?昨日後輩ちゃんに散々過去の嫌なことを言われた話、された話をしたせいか?それとも夫が朝から墓参りに行ったからか?どちらにしても過去の話は封印して思い出さないようにしよう。今更何度繰り返してもどうにもならない。苦しくなるだけ。いい加減割り切らないと前に進めない。うちの母も生前よく姑である祖母の話をしていたっけ。お盆になると母は意地悪く、生前祖母は当時の家に来たことがないからいくら迎え火を焚いても来られないだろうと笑っていた。それを見て嫁姑の関係は一方が亡くなっても悪い思い出だけを覚えていて永遠に続くんだなと思ってぞっとした。気が付けば私も同じように過去を引きずっている。いい加減おしまいにしよう。
2025.08.13
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ネットで見た記事、旦那さんの通帳を姑さんが管理すると宣言された新婚の奥さんの記事。令和の時代になってもこういうことを言う姑さんいるんだとびっくりした。私たち夫婦が結婚したのは昭和だったけどうちもそういう感じだったことを思い出した。うちの夫も結婚前姑さんが通帳を管理していてお小遣いは姑さんにもらっていた。記事の奥さんは旦那さんを説得して通帳を返してもらった。うちは結婚後新婚旅行から帰ってきたタイミングで通帳を夫からもらった。残金は500円で新しく作った通帳。夫と姑の間でどういう話が行われたのかは聞いていなkが新しく通帳を作ることで話が着いたのだろう。給料の振込先を新しい通帳に替えたから次のお給料からここに振り込まれる。お給料日までの家計費は現金で別に渡された。古い通帳は相変わらず姑の手元、結婚しても渡されず家を買ったときも渡されなかった。やがて結婚後わかった事実。姑は私にも貯金をするなら舅の名義でというからびっくりした。結婚後は別居していたし、何かお金がいるたびに義実家に行ってこれこれでいくらいいりますと理由を言わないともらえない?そんなのは嫌だと私は思って結婚後の貯金はこちらでやりますと、きっぱり断った。そういうことをはっきり言ったからあれではとても同居できないと言われたのかもしれないが何もかも姑の言いなりにはなれない。当時はマル優というのがあって高齢の舅の名義にしたら利息が有利だというのがその理由。夫も自分の通帳は見たことがないというので多分舅の年金の通帳にまとめられて金額がまとまったら定期とかにしていたのではないだろうか?姑は投資信託とかもやっていたようで時々満期になったからハンコを持ってくるようにと姑から連絡が来る。なんとハンコも結婚後も義実家の預貯金と同じだった。それも嫌だった。夫は結婚後実印とか銀行印を作った。別に住んでいる以上ハンコが一緒だと不便というのもある。最初にもらった通帳の印鑑も新しい印鑑に替えた。夫は自分が独身の時家に入れていたお金は姑が通帳を作って管理していると言ったけど夫もその通帳を見たことがない。夫が一度姑に通帳を渡してくれるか、もしくは見せてくれと言ったら姑が切れて親を信用しないのかと言って見せてもくれなかった。そこで私は夫名義の通帳は作ってない。すべて舅の通帳にまとめられていると思った。夫は最後まで自分の通帳があると信じていたけど。当時は親が給料を管理しているというのは他にも聞いたことがありそれ自体はそんなに珍しい話ではなかったと思う。でも結婚した時に通帳を嫁に渡されるのが普通ではないかと思う。夫の生命保険も友達は何も言わなくても旦那さんが姑受取人を嫁に変えてくれたというけどうちは姑受取人のまま。夫はぼくにもしものことがあったらおふくろは半分お前にくれるから大丈夫と言ったけど、そんなことを夫の死後に交渉できるだろうか?そんなことは聞いてないと言われればそれまでだし。生命保険の件は夫がその後保険の営業さんに言われて保険を変えた時に名義は私になった。その時も夫は私と姑の二人を受取人にしたがったけど営業さんが普通は皆さん奥さん100%ですよ。子供さんの養育にもお金がいりますしねと説得されて無事私の単独受取になった。夫は独身時代お小遣いの金額が決まってなくてなくなったら姑にもらうという生活。自分が月にいくらくらい使っているのか全く把握していなかった。結婚した時お小遣いを決めようと言ったら夫はいるときにもらうから決めなくていいと言った。それで一万円ずつ渡していた。最後の月に家計簿を閉めたら月に5万も使っていた。当時はお給料も安く5万円も毎月使われてはたまらないと思った。夫に家計簿を見せて5万も使っていると夫は信じなかった。夫は当時からパチンコが好きで姑からなくなったらもらう生活だったので自分が月にいくら使っているかもわかっていなかった。そしてお小遣いの金額を決めたけど、夫は甘い考えが抜けないくて使ってしまっても追加でもらえると思っていて度々もめた。でもホイホイ渡していたらやっていけない。結婚後すぐに妊娠して私は専業主婦になったから当然家計も引き締めないとやっていけない。私から追加のお小遣いを引き出せなくなると夫は姑に借りた。結婚後も姑にお小遣いをもらう夫ってあり得ない。しかも次のお給料が入ると私に家計から返すように言うからまたもめる。どうして夫が借りたパチンコ代を私が返すのか?私は返さないと夫に言った。姑には貸さないでくれと頼んだけどハイハイというだけで変わらなかった。もう二人で勝手にやってくれ、借りたかもらったかわからないお金は私はノータッチで行くと決めた。こういうお金にだらしない夫になったのは姑の甘さのせいだと思う。姑は息子は嫁に少ないお小遣いしかもらえなくてかわいそうとか思っていたのだろう。舅にも外で恥をかかないようにお小遣いはこれくらいはやってくれと言われた。夫にお金を持たせると全部パチンコに使ってしまうから、職場の飲み会や冠婚葬祭の費用はその都度渡していた。それでも夫はすました顔で同じ人の結婚祝いを二回請求して来たりする。そこは詰めが甘い(笑)一度請求した人はメモするなりしないようにしないと。夫はマザコンで姑さんをお金の管理がうまいと尊敬していた。私がやりくりするとあまり貯金ができないから姑に任せようと言われたこともある。夫は私がいちいちいるお金を姑さんにもらいに行ってもらってきたお金でやりくりするようにといわれたので私はそれなら子供たちを連れて実家に帰ると言って大げんかになったこともある。姑の節約生活を私は真似できない。夏でもガス代の節約のために毎日風呂を沸かさない。義実家では夏でもお風呂、シャワー、お風呂もシャワーもなしのローテーションだった。食生活もほとんど畑から取れた野菜中心、肉は月に一度と決めていた。食卓に並ぶのは白菜や大根ばかり。そういう生活をしてお金を残すのは私の価値観と違いすぎる。夫婦のお財布事情はそれぞれ夫婦によって違うだろう。共働きで奥さんも稼いでいたら家計も夫が払うもの、奥さんが払うものという風にやっている家庭もあるだろう。でも家計は基本夫婦で話し合うものだと思っている。姑に財布や貯金を預ける、任せるというのは違うと思う。少なくても私はそういうのは耐えられない。姑にはいろいろ言われてきたけど、確かに他の事では言い返すのはなかなかできなかったけどお金のことに関しては私は譲らなかった。私のやりくりは決して上手とは言えなかったかもしれないけど、何とか家のローンも払ってこられたし、老後のための貯金もある程度はできた。姑に全財産を預けていたら舅姑も亡くなった今相続の時どうなっていたことか。家のローンを払っていたころやりくりが大変なこともあったけど、それでも自分の家の家計は自分で管理したい。わたしはそれが当たり前だと思うけど、姑の方がお金の管理は上手だったかもしれないけど、姑はわたしがいうとおりにしなかったのが気に入らなかったようだ。知人で80代の人も結婚後ご主人のお給料も姑さん管理だった。お給料を任せる任せないで大げんかした末実家に帰った。ご主人が姑さんと別居して家計もお前に任せるから帰って来てと頭を下げて別居と奥さんが家計を管理することが決まった。もしご主人が姑さんの肩を持っていたら離婚になっていたかも。お金が絡むと嫁姑関係はますますややこしくなる。同居でも別居でも家計は別がもめない秘訣かもしれない。
2025.08.12
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日航ジャンボ機墜落事故から40年!あの事故で大勢の人の運命が変わってしまった。9歳の初めての一人旅で亡くなった健さん。健さんのお母さんは一人で飛行機になんて乗せなければよかったと深く後悔して今はあの事故の教訓を生かして安全をみんなで作って行こうと講演している。ご両親を事故で亡くしてお兄さんと二人生き残って奇跡の少女と言われてマスコミに追い掛け回された川上恵子さん。祖父と叔父に見守られて3今は児の母に。お兄さんも家族ができた。国民的歌手の坂本九さんもマネージャーと共に亡くなった。奥様の柏木由紀子さんはマネージャーの奥様と励まし合って必死に子供たちを育ててきた。この飛行機に乗り遅れて事故を免れた人もいれば、逆にキャンセル待ちで乗り込んで事故に遭遇した人もいる。亡くなった方のご冥福を祈るとともに生き残った方々の幸せを祈りたい。こんなにたくさんの方が亡くなった航空機事故は世界に類を見ないという。二度とこんな事故が起こりませんように。
2025.08.11
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夕べ長女が仕事帰りに来て泊まって今日は母の初盆でお坊さんが来ました。一泊の短い滞在でしたが、なんだか疲れたな。普段は夫と二人で静かに過ごしている。長女が帰った後夫が言う。長女が帰ったら急に静かに寂しくなったな。いやいや長女がいる間ずっと夫がテンション爆上がりで一人ではしゃいで歌を歌ったりしていてとうとう長女にうるさいから黙ってと言われていた(笑)でも私は正直疲れた。孫は来てうれし、帰ってうれしという言葉があるけど娘の場合もそうだと思う。普段別に暮らしていて生活のリズムが違うから疲れるのかもしれない。うちにいたころとは違うから気を使うのもある。うちに人が来ることはめったにない。泊まるのは長女だけ。それでも布団や座布団を出して干したり仕舞ったり。食事やいろいろの準備、それと並行して初盆の準備。普段やらないことをしたからか疲れた。でも来てくれたのはうれしい。長女は母のお葬式の時、初七日の時、49日の時にも来てくれた。長女の休みはシフト制でお葬式の時は祖母でも忌引き休暇が取れたし、初七日と49日はたまたま休みだった。でもわざわざ市外から来てくれたのはうれしい。母の孫は3人いて弟の息子のT君とうちの長女と次女。でも母はT君と次女を特にかわいがっているように見えて長女はよくぼやいていた。母はどういうわけかT君と次女の誕生日は覚えていて、プレゼントをくれた。長女にはくれないわけではなかったけど間違って覚えている日にくれたりしていた。それでも孫が一人くらいは行った方がいいかなと思い直してきてくれたのだろう。いまT君は遠くに住んでいて諸事情で私からは連絡が取れない。次女は今来月2歳なる孫ちゃんの育児と仕事と家事で忙しくしている。一応8日にお坊さんが来てくれることは伝えたけどたぶん来られないだろうなと思った。孫ちゃんの体調や予防注射、検診などで有休が足りないくらいだから休みにくいのだろう。一度だけ旦那さんと孫ちゃんと一緒にお線香を上げに来てくれた。それで十分だと思っている。母の生前、次女とホームに面会に行ってひ孫も見てもらえたし。母はひ孫と言ってもきょとんとしていて誰だかわからない様子だったけど、かわいい、かわいいと喜んでいた。お盆の間母は目には見えないけど、うちにいるのだろうか?お盆の風習、迎え火を炊いたり、キュウリや馬を作ったりというのは欧米では多分ない習慣だと思う。残念ながら、古き良き時代の風習はだんだん廃れつつあるけど。迎え火や灯篭流しは都会では難しくなっているし、そう言う習慣を知る人もだんだん少なくなっているし。でも亡くなった人を思う習慣はなくならないでほしい。いつでも何度でも思い出して上げるのが一番の供養らしい。どんな小さなことでも思い出して母を偲ぶ初盆ですね。
2025.08.09
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今日は長女が泊りに来る。明日の母の初盆に参加するために。仕事終わりで来るので長女が泊まる部屋を掃除して片付けた。仏壇を置いている部屋だけどいろんなものを置いている。母の荷物の残りとか次女が出て行ったときの荷物の残りとか。見たら次女の荷物に紛れて空の段ボール箱がある。夫の仕業だ。麦茶の空き箱を持ってきて置いている。ここには置かないでと行ったのに聞いてない。私が少しずつ片づけているのに荷物を増やすとはと腹立たしい。リビングに持って行って夫に段ボールをつぶしてという。4箱あった。ちょうど来週の土曜日に廃品回収だから古新聞と一緒に段ボールも縛って出そう。私は手が痛いので(手根管症候群で治療中)ようやく痛みも取れてきたのに掃除機を持ったらまた痛み出した。夫はのんきにテレビを見て笑う声がする。手伝おうという気にならないのか!はっきり言わないと空気を読むなんてできない人だった。和室に置いてある長女用の布団をのけて掃除機をかける。荷物の奥からこたつを出す。今は使わないので立てかけてあるのを夫に言って出してもらう。大体の掃除が終わったのでリビングに来た。夫がのんきそうにお昼は何?というから掃除機をかけてから、あんたはのんきでいいねと嫌味を言っても全く通じない。掃除はあんたの仕事やろ?とへらへら笑うから「亡くなったあんたのお父さん.大正生まれだけどたまには掃除機をかけてたけどね」言ってみた。「そんなことあったかな?」とまるで動じない。掃除機をかける邪魔になるからとマッサージ機に移動しようとするからもうはっきり言った。手が痛いから掃除機をかけてくれる?ようやく掃除機をもってリビングと台所にかけてもらった。大体家事は女の仕事何て何時代の人だ。男性も子供を産む以外のことはできるはず。夫は末っ子長男で上に姉二人そしてお母さんもいたから家事は何もしないで、させられないで育った。結婚当初よりは少しは動くようにはなったけど。掃除機をかけ終わると「しまっておいて」と掃除機を渡す。だから掃除機が重くて手が痛いんだってば。ぶつぶつ言いながら掃除機をしまう。そこで思い出した話。子供会で順番に公民館の掃除当番が年一度あった。その時公民館を開けたらめちゃめちゃ汚かった。ビールの空き缶が転がっていて、吸い殻もそこに入っていたり、窓を開けっぱなしにしていたのか窓から鳩が入ってきたらしく、テーブルが糞まみれ。せめてゴミを分別してまとめて置いてくれればいいのに。どうせ女性たちがやるからと思って戸締りもちゃんとせず、ごみも散らかして帰ったらしい。この地域に婦人会はすでに解散してない。子供会以外でここを使うのは自治会の役員さんたちとか消防団の人たち。いつだったか自治会の役員さんに「女性は掃除が得意だから」と言われたことを思い出した。ほめているつもりの様だったけど、掃除は女性にしかできないって?そんなことはないし。出産以外の家事や育児も男性でもできるはず。やろうとしないだけ。女性の仕事という思い込みがあるのだろう。この地域の男性陣の意識は昭和か大正あたりで止まっているな。令和の時代にそんなことを言っているのはうちの夫も同じだけど。まだ機嫌がよければ頼んだことはやってくれるだけましか?夫は産後のしんどかったときも、子育ての大変だった時も家事や育児にはほとんどノータッチだったけど。ということで何とか掃除は終わった。後は晩御飯の用意まで自由時間(^^♪晩御飯は長女の希望でウナギを買っている。私たちは土用に食べたから一匹だけ買ってきた。私たちは豚丼にしようと思っている。夫は僕のウナギは?とか言いそう(笑)お盆休みもなく仕事ばかりの長女が土用にウナギを食べそこなったというので食べさそう。
2025.08.07
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先ほど物置から明日長女が来るから布団を出そうとしてピンチに!先日も日記に書いた通り物置は夫が色々とほりこむので訳が分からないくらいになってる。布団袋を探すけど出てくるのは毛布や上の布団ばかり。敷布団はどこだ?ようやく見つけたけど重くて引っ張り出せない。力尽きてしりもちをついた。下は毛布。立ち上がろうとしても力が入らない。持つところも見当たらない。やっぱり夫に頼んだらよかったと後悔した。ポケットに携帯電話があるのを思い出して自宅の家電に電話を掛ける。一階にいるはずの夫は電話に出ない。もう、何やってるんだ!何とか立ち上がり一階へ。夫お風呂掃除をしていて気づかなかった模様。なんてことだ!夫は先にお風呂掃除を済ませてから行くという。仕方ないのでリビングで待つ。夫を動員してようやく敷布団を出す。夫にそのままベランダに運んでもらって干す。これだけ暑いのだから1,2時間でいいと思う。夫が午後出かけるならその前に取り込んで一階の和室に運んでもらおう。布団を出すだけで大騒ぎ、普段はうるさくていないほうが静かでいいと思っているけど(笑)久々に夫の存在価値を確認した(笑)涼しくなったら物置を片付けないと何がどこにあるのかさっぱりわからない。これではだめだな。ちゃんと片づけよう。
2025.08.06
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今日は大学病院。今月は二回行くうちの一回め。形成外科、ここは血液検査もないから朝ご飯は食べて行きます。9時の予約で家を8時に出たらさすがに少し遅れました。でも待つこと5分くらいで呼ばれて会計、売店で買い物をして帰ってきたら11時過ぎでした。今日は割合電車もバスもすぐ来てスムーズに行きました。電車では新快速なので座れないかなと思ったら席を譲ってくれる人がいて助かりました。それもわざわざ離れたところにいたのに、空いた席に誰か座らないように荷物を置いて呼びにに来てくれた若いお姉さん。お礼を言って座らせてもらいました。形成外科で足のむくみを診てもらう。原因は服用している免疫抑制剤の影響ということでこれはやめられないので,弾性包帯でむくみを押さえる治療。2回目。前回は看護師さんがロール状の包帯を切ってくれて特に包帯代は取られなかったのですが、今日は二回目。下の売店でそれを買って家で私が切って使うとのこと。売店で買ったら4000円もする。ロール状の弾性包帯、5メートル。自由診療ということでこの包帯代は自分が払う。足首からひざ下まで約40センチ、5メートルから何本とれる?500÷40=12本、で6回分。でも1週間くらいで伸びてくるから取り換える。洗い替えの分を含めて4本切り出す。1週間4本だとこれは3週間分。月末にも通院があるからまた一本買ってこなくちゃ。伸びた包帯はもう使えないから捨てるって。もったいないなあ。短めに30センチにしてみたら500÷30=16本これだと1週間4本として一か月分使える。今一か月一回行っている骨粗しょう症の注射は来月で終わる予定なので終わったらまた2か月に一度の通院に戻る。だから二か月に一回なら二か月分2本は買ってこないと。4000円×2=8000円。これに交通費約2000円と医療費を足したら一万出る"(-""-)"二か月に一度とはいえ痛いなあ。続けたらむくみに効果があるのだろうか?効果が出るまでどれくらいかかるのだろうか?半年?一年?二か月おきの通院ごとに4000円×2×6=48000円?馬鹿にならない出費だな."(-""-)"
2025.08.05
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今日は夫の実家でお坊さんがお盆でお参りに来てくれる日。義姉からは8時半に来るように言われている。もちろん夫だけ行くんだけど(^^♪それ以外にも毎月月命日に集合がかかる。月命日にもう一人の義姉と3人で墓参り、墓掃除に行った後義実家でお経をあげる。月命日にはお坊さんは来ないけど夫は昔から時間にはルーズな人。夫はほぼ毎回遅刻。というのは時間を見て行動するのができないから。何時に集合と言われたら、行くのにどれくらい時間がかかるか?家を何時に出るか?何時に起きて用意すればいいか?という計算がまるでできない。だから毎回義姉から催促の電話がかかる。私は出て夫の代わりにもう出ました。とか遅れてすみませんとかいうのが嫌だから電話は無視する。私が7時半ごろ起きて下に行くと珍しく夫は起きていて朝食中。普段着のよれよれTシャツと半ズボンで「まさかそれでいくつもり?」とわたしが言ったら「これで行く」という返事。お坊さんも来るのにそれはない。私は夫に言ってポロシャツ長ズボンに着替えさせた。行こうとするのを見たら髪がぼさぼさ、「ちゃんとといたの?」夫、櫛を取って整える。ようやく支度が整った。玄関まで来たら夫は車のカギでなくじょうろを取る。出かける前に朝のルーチンの庭の水やりをするつもりらしい。「もうそんな時間はないからあとにしたら?」夫はようやくじょうろを置いて出かける。お供えもちゃんと持ったのを確認して。やれやれこれくらい言わないと夫は着替えも用意もできないのか?小学生並み。いや小学生でも自分で自分の用意をして登校するのはできるだろう。これからもずっとこうなのかと思うと頭が痛い。
2025.08.03
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今日体操に行ったとき、来週の金曜日は母の初盆なので休みますと代表さんに話してきた。今日から8月だけどお休みの人が多い、全体の3分の1くらいしか来てなくて、中には3回目のコロナに掛かってお休みの人もいた。3回もかかるかとびっくりした。一度もかかっていないという人もいるのに。その時の体調とか免疫力によるのかもしれないけど、今のウイルスは症状は軽いけど非常に移りやすいそうで気を付けないとね。今月はお盆もあるし、先生の都合で休みもあるから変則的。休む人も多い。来週休む話をしていたら、それを聞いた別のメンバーが話しかけてきた。「来週休むの?」「母の初盆なので」「お母さんはいつ亡くなったの?」「今年の3月です」「それなら初盆やな。いくつで亡くなったの?」「91です」と答えたらその人はなんと「ひゃあ」と大声をあげた。何でひゃあなんだ。ちょっと不愉快。私はもっと長生きしてほしかったと思うのに世間的には十分生きたとか寿命だとかあんまり長生きしても周りが迷惑だとか言うような思いがあるようだ。母を知らない人にそこまで言われたらいやな気分だ。体操の主なメンバーは70代、80代も数人いて後は私と一人が60代、50代が一人という年齢構成。これだけの人が集まるといろんな人がいて正直苦手な人もいるし、入った当初からやさしくしてくれる人もいる。まあ少々嫌なことを言われてもスルーしますが。いやなことを言われたからと言っていちいちやめていたらきりがない。確かに気分はよくないがそういう人もいるからと自分で自分に言い聞かせる。いろんな人と交流して楽しいだけでないし、時には嫌な思いもするけど、それでも人と関わって行きたい。家に引きこもっているよりはずっといいから。
2025.08.01
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今朝夢を見た。亡くなったはずの母が迎えに来て父に会いに行こうという。父も亡くなったはずじゃあと思ったけど、母とバスに乗って出かけた。母がここで降りてというので一緒にバスを降りた。見覚えのない街を歩いていたら母とはぐれた。母を探していたら父がいた。父が母は自分のところにいるから安心して帰れという。そこで目が覚めた。お盆が近いから父と母が会いに来てくれたのかな?父の夢も母の夢も初めて。私なりにこれからの人生を生きていくからそちらで見ていてね。
2025.08.01
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