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ケーキのことを研究しています。
というと、たいがいの人は怪訝な顔をします。好意的な人は、「美味しそうだね」とか「楽しそうだね」といってくれます。
「楽しそうだね」には、学問になるのかい。という懐疑的な思いが見え隠れすることもあります。
楽しそうなことは、学問にはならないのだろうか。
そんなことはありません。
学問をやっている人は、多かれ少なかれ、自分のテーマを楽しい、すごく興味深いと思っています。その昔、ある教授はいいました。「暗いテーマは選んじゃいけない、鬱になる」
私が「食文化に(変更)しました」といったら、彼は真剣な顔で、それはいい、暗い歴史を追っていると、鬱になるよといいました。確かに。
いえ、誰でもが、重たいテーマを扱っていると病気になるわけではありません。それでも、希望のもてるテーマを扱うかどうかは、四六時中そのことと接している精神状態に少なからず影響を与えます。ただ、私は、精神的に不安定な人はそういうテーマを扱えない。ということではなく、そのテーマに取り組むことで得られる興味の充足感、達成感や「楽しさ」が、その重さを越えていなければならないだろうと思います。
お金にもならない研究を成し遂げる原動力は、自身の興味。楽しいの中身は人によって異なりますが、自分が面白くなくて、楽しくなくて、それでも続ける研究は、お金のためか名誉のためか、とにかく、現在のケーキ研究では手に入らないものがあるからでしょうね。
それはおいといて。
ケーキに対する「楽しいね」は、単に「楽しいね」だけではなく
「そんな単純な、サルでも扱えそうなこと」という意味も含まれると思った方が正解。
そんなの、学問になるのかいと。
そんな、日常的なこと。といった方がいいのかもしれません。
これは、うちの学科のテーマが繰り返しいわれることです。
それもそのはず、うちの研究科は、
日常文化をよく観察することで、現代社会における問題点を明らかにし、
更にその観察/調査/分析を通じて自己の文化や歴史を知り、
その問題点を解く鍵を見つけることを一つの目的とする
(そしてそれにより社会に貢献する)学問をするところ。
ただ、日常の事物の中でも、研究対象になりやすいものとなりにくいものはあります。
それは、その事物が何を体現しているかによって異なります。
地域的な特性をみたいのか、国家としての変容を知りたいのか、
家族社会を研究したいのか、労働における人間関係をおいたいのか。
追いかけるテーマに合う日常の事物を探すか、
一つの事物を見つめて、そこから分かるテーマを追うかはそれぞれですが
ケーキ文化に関していえば、私は、私的な人間関係の特徴を明らかにしたいと思ったのでケーキ文化を選びました。
私的な人間関係がケーキ文化とどう結びつくのかは
まず、ドイツでケーキがどんな扱いを受けているのかを知る必要があります。
というより、プライベートな人間関係をよく体現しているものは何かなと探してみたら
ケーキ文化があったというのが近いです。
続く
穴埋め 博士号の大学総合学位授与式 2012年06月28日
穴埋め テキスト校正 2012年06月21日
穴埋め 御大へのお手紙 2012年06月19日
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convientoさん