白家猫吉の部屋

白家猫吉の部屋

March 22, 2016
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すっかり春めいてきました。

今年は梅を愛でるのを逃しました。雨降って散ってしまった。
さすがに桜は見なきゃあ。

春分とイースター。意味合いが「お彼岸」と「復活祭」。
洋問わず、魂は永遠なんだろうか。

今年の3月11日、私は何もしなかったけれど、
買い出し帰りの坂の上から東北に向かってお祈りをしました。


大震災から5年。



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当時、結婚した翌年すぐの事。私は在宅で無事でした。


思わずアパートの外に出ると、下の階のおじさんと隣のお家の奥様が話してる。。

「避難しなくていいんですか?」
と思わず話しかけるとケタケタ笑いながら
「東京は大丈夫よ」「ガス止まってるから開けた方がいいよ」割にみんなライト。

旦那さんは通常30分の通勤路がその日は帰宅に3時間はかかり。近所のバス通りには歩く人並みが連なり異様。。

彼の実家は福島で義妹が仙台の近くで一人暮らし中でした。
これはまずいんでは。。と連絡するも繋がらない。災害伝言板に伝言を残したけれど。。。

彼らは地震への防災意識は高く「防災グッズ」は常備。
海から離れてるので大丈夫と思いながらも、繋がらない電話に不安を煽られます。

三日後、舅から電話がかかり無事を確認できました。
舅は地元は静岡でしたが、終の住処は奥さんの地元に建ててあげたんですね。



と思ってはいたけど声を聞いたら、思わずホッとして込みあげそうになりました。

電気、ガスは3日止まったと。
姑も「卓上コンロで料理したりキャンプ気分だよ。近所にも振る舞ってるの」、と予想以上に元気そうでひと安心。

最後に「大変だけど頑張ってね」と言ったら
「もう頑張ってるから
と大きな声で素早く切り返されました。


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宮城の義妹(私より2つ年上)は地震当日、
何とディズニーランドに来てた

一緒にランドに行った千葉の友達のお家に避難してると。不幸中の幸い。
その家も水道が出なくて大変だったので彼女をピックアップし、我が家へ。

小さなアパートのごちゃごちゃした我が部屋に、義妹辟易してました。
悪いね〜。私自身も狭くて嫌やもん。掃除下手だし。今も同じだけど。

とにかく、ニュースで被害状況がわかってくると、
スマホを握りしめ、地元と連絡を取ろうと必死な彼女。

義実家で会うときはいつも堂々とゆったりしている人です。
繋がった電話向こうの会社の上司(♀)は普通に「何してるの、早く帰ってきなさい!」と強い声。「すみません」と頭を下げながら電話に謝る彼女。

すぐに帰って来いなんて無理に決まってんじゃん、
聞くことないよ。状況すごいよ?

「でも、私は正社員だから。」
関係ないと思う、今。。


地震翌々日の夜に、彼女の職場は死体安置所になりました。

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青ざめて、やはりスマホを握りしめていた。
ちょっと複雑な心持ちでご飯作る私。うちの母が電話してきて言います。
「心に思ったことは止めておけよ」

うちの旦那は少々変わってて、つましい生活を一向に変えようとしない。
むしろロマンを感じちゃってる人間です。

諸々の状況で動けない彼女はもううんざり。

「せめて福島(の実家)で待機したい」
と本音をポツリ。でも今そこに辿り着けるかどうか。

結局、その翌日、彼女はドンキで大量の救援物資を買い、山形空港経由で宮城へ行くことを決めたのです。
物資代は8万円。ウェットティッシュ、カロリーメイト、ホッカイロ、胃薬、、
諸々入れるキャリーバッグ。
助けれることはしてあげたい、と思ってたら、後日全額にプラスして返してきた。


物資は空港で荷物過重で手続きが必要でしたが、
搭乗時間が迫っていたので、すぐ通してくれた。。

半泣きで背中を向け振り切るようにゲートをくぐる彼女

を黙って見送る旦那。

その後、山形経由で無事宮城に入り、仲間と合流出来、
物資によりフォロー体制に入れたと連絡がありました。
彼女のアパートの玄関は歪み、壁は一面外れてた、と。

というように、うちはちょっとしょっぱいドタバタ劇がありました。

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現地の被災した方々の苦労を思うと、もちろん胸をつまされます。

テレビで放送される被災した方々の前向きに生きる姿はまっとうで、
まっとうすぎて、美しすぎて涙が止まりません。



私も昔は福島に縁づくとは到底想像もしていませんでした。
が、地震前の現地の景色を知ってしまうと、今のあの景色には打たれる。
その後、原発問題も発生し。 義実家にもガイガーカウンターがあります。

手術経験もあり、人一倍、健康に気を使っていた人たちです。
気苦労は大変なものと思います。
福島の地元から上京して居を構えた親戚たちも多く
福島の親なり家族を東京に呼び寄せてあげてた様子。

うちもしたかったけど。
自分が不甲斐なかったけど、旦那はそこは気にしてなかった。

ただ、どこかで内心辛かったんだと思います。





海外のボランティアの方が震災があったすぐ次の日に、
現地に駆けつけ炊き出ししている映像がありました。

本当にすごいこと。

 なぜ、どうして、あの状況で外国人の彼らはあそこに行けるのか。


私は彼に問いました。

滅多に涙を見せないうちの旦那が、涙を滲ませながら言ってました。

「彼らはそこに辿り着くようになっているんだ」


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あれから5年。

私の「嫁と義理実家の仲」は震災前と特に変っていません。


「東京の政府の中心を移動させて、実際にこっちで住んでみればいいんだよ」
と言う義両親。普段おとなしい(底意地悪いけど)姑が声を荒げる様子は
本当に腹が立っているのだろう、と思う。

怒る元気がある内は大丈夫、と思う自分も含め、皆人間だなと、つくづく思います。
私も今の自分の生活を守ること、生きることにに必死だしね。


ただ、旦那は3.11が近づくと津波の夢を見るといいます。

義妹と言い、少しスピリチュアルなところがある様子。
彼女も震災当日、現地にいたらどうなっていたか。


今、生きてるってことが奇跡なんだと改めて気付かされます。
そして本当に家族って学ぶことが多いです。








シンディローパーは震災の当年、外国人退去命令の中、来日ライブをしていました。

通信動画で生中継してくれてたんだっけか。
この歌を聴いた時、プチンと何かが切れました。
涙が溢れて。 猫吉はこう言ったところでよく泣きます。ドラマとかね?


私は、やはり辛い時こそ
「無理しなくていいから、でも頑張って」、と言いたいし、言われたい。


怠ける時、怠ければいいから。







長文、最後まで読んでくれてありがとうございました。


猫





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Last updated  March 24, 2016 07:34:34 PM
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