蹴球歳時記

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サイ3963

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2006/07/03
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97年の11月16日、イラン戦、得点者は中山と城と岡野だった。でも、この予選の中で最も印象に残った選手が中田英寿だった。存在自体はアトランタ五輪以前から知っていた。でも五輪では前園にばかり目がいっていた。この97年に行われたW杯フランス大会のアジア最終予選、この予選の初めまでの代表は、三浦和良がエースであり、代表の顔だった。さらに、代表といえば、柱谷、井原、ラモス、名波、秋田、山口、北澤、あげていけばきりがないが、チームを根底で支える屋台骨、駄目なものを駄目と言えるしっかりしたチームがそこにあった。そのエースの後を受け継いで、代表の誇り、当時のユニフォームにプリントされていた炎を、戦う姿勢をしっかりと継承したのが中田英寿だったと思う。この当時の代表選手たちが持っていた、当たり前の姿勢をいかにして伝えるかということ、その重要性を説くことができても、彼を中心にチームとして見ることは最後までなかったことになった。非常に残念である。

中田英寿の存在なしでは、カズがエースから退いてからの代表を、日本サッカーを語ることはできない。うまく言葉にできないが、彼ほど、自分が想像する、また、理想とする日本のサッカーを表現できる選手はいないと信じていた。それだけに、周りの選手に対して。何も言うまい。
引退は残念である。
これで、W杯初出場時から代表の持つ、戦う意識を同じ目線で伝えることのできる選手は川口能活ただ一人になった。ジョホールバル以後、日韓大会以後の、アウェーで戦うことの真意をなかなか試合で表現できない選手達の意識は変わるのか。ただただ見ていくだけである。

追記
中田英寿に初めて会ったのは97年の予選突破後のガンバ大阪との万博での試合の後のことである。そのときの印象は本当にやなやつだった。それ以降に会ったことはないが、サッカー選手として自分が見た中では最高の選手の一人だと思う。それはきっとこれからも自分が死ぬまで変わらないと思う。





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Last updated  2006/07/04 12:26:05 AM
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