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ACT・2
一郎の名を呼ぶ者がいた。
誰かは判らないが、呼んでいることは確かだ。
一郎はゆっくりと声の方向へ向いたが、思うように身体が動かない。周りがセピア色の非現実世界の中での行動である。
存在するすべての物がおぼろげで、不鮮明な中に、そいつは影のように立っていた。
不思議な浮遊感を感じ、全身が軽く感じるにもかかわらず、一郎はほとんど前進することができなかった。
通常の十分の一で、通常の十倍の重力を感じる、いいようのないじれったさに叫ぶ。
オレはここにいる、オレの名を呼ぶお前は誰だ!
影がゆれた。
その長い髪がそれ自体生き物のように動き出し、同時にそれは光を放った。
影の姿が段々と鮮明になっていく。
それを見て、一郎はため息のような声を出した。胸の中がなつかしさであふれていく。
『彼女』のやさしさに満ちた微笑みがはっきり確認できた時、十年来一郎が忘れていたものが一気によみがえる。
一郎はうれしさに満ちた顔で、少しためらい、一番口にしたい単語をつぶやいた。
『かあさん・・・・』
一郎の母は、金色に輝く髪をなびかせ、あの時と変わらない慈母の姿で立っていた。
いてもたってもいられず、一郎は彼女に駆け寄ろうとした。
その腕を、誰かがつかまえる。
きっとして、一郎は振り返った。その姿は五歳の時の一郎となっていた。
五歳の一郎は腕をつかんでいる男を見上げた。なんとかベルモントとかいう映画俳優にそっくりなこの男は、まぎれもない一郎の親父である。
一郎は、だだっ子のやるように、恥も外聞もなく腕を振りほどこうとした。
ふと、一郎はデジャブーを感じた。この光景は─────。
親父につかまれ、動くことのできないかわりに、母はどんどん遠くへ行ってしまう。
そして、その母と一緒に連れていかれるあいつがいた。悲しそうな瞳で離れていく。
一郎は声にならない叫びをあげた。母とあいつの姿が見えなくなっていった。
行ってしまった。
半狂乱になって、一郎は叫び続けた。まだ五歳の子供である。
泣きわめく一郎を親父は思いきりぶん殴った。五歳の子供にすることではなかった。
一郎の鼻から血がだらだら流れ出している。一郎は泣きやんだ。
炎を噴き出しそうな目で親父を見上げた。
男がメソメソするな。
親父は言った。
一郎は無言でにらんでいた。
強くなれ、一郎、強くなれ。
世界一強い男になれ。絶対負けない男にな・・・・
突然、景色が変わった。セピア色の町並みが緑一色に変化する。
飛行中のヘリコプターに一郎は乗っていた。
眼下には密林が広がっている。
開いたハッチから熱風がびゅうびゅう飛び込んで、下を見下ろす一郎に当たってはね返る。
一郎は後ろをちらっと見た。軍服を着こんだ親父がそこにいた。
親父は言った。 行け、 と。 このジャングルで生き延びてみろ。
それは、最後の試練であった。
今まで、さんざん一郎は鍛えられた。サバイバル技術、格闘技、エトセトラ・・・
そしてこの日に至った。
血反吐を吐く毎日だった。なぜそうまでしなければいけなかったのか?
一郎はパラシュートを背負い、宙へ飛んだ。
眼前に広がるはマットグロッソ、緑の魔境。
一郎はパラシュートのひもを引っ張った。それで布が傘状に広がるはずだった。
パラシュートが出ない!
一郎の目が、かっと見開かれた。 そんなバカな!
上空二百メートル、つかむものは何もない。何もない空間を一郎は落ちていく。
加速した思考の中で一郎は考えた。
思い出した、これは十二年前のあの時だ。
眼前に密林がぐんぐん迫ってくる。風圧で目が痛い。
あの時、親父とおふくろは別れた、理由は知らない。
すでに風圧も感じない、音も聞こえない。
ただオレが知っているのは、将来ある人を守って戦うということ。
目は冷静に眼前に迫った密林の樹々を見ている。
そして、その守るべき人の名前は────。
そして緑、
視界一面に広がるマットグロッソの緑、緑、緑・・・・
「くをらっ相沢ぁ!授業中に居眠りするなっ!」
英語教師の声で、机につっ伏していた一郎は顔を上げた。
「んわ?」
どうやら、英語教師の自称『ハスキーボイス』による催眠効果で、すっかり眠りこけてしまったらしい。
「どした一郎、なんかうなされてたけど」
小声で明郎が聞く。その間に、英語教師はまたリーディングを始めた。
「ん・・夢見てたんだ。けど、どんな夢か覚えてねェんだよな」
「目が覚めたとたんに忘れる夢は、何かを暗示しているそうでござるぞ」
隣で、早弁にいそしんでいる陽平がささやいた。
何かを暗示ねえ・・・
「それよりさ、昨日のゴタゴタのこと、あたしまだ説明してもらってないんだけど」
一郎の背をつっついて弥生が口をはさんだ。麻酔弾を撃ち込まれたくせに一晩寝ただけで、もうなんともないらしい。この少女のタフさにも驚くものがある。
「そーだな、一応お前も知っといた方がいいかな」
一郎は昨日のことを一通り話した。『すくらっぷ』でのこと。マスター沢村のこと。並木道でのこと。FOSという組織のこと─────。
「と、いうわけだ」
説明が終わったところで、弥生はため息をついた。じろり、と一郎をにらむ。
「あんた、まさかからかってるんじゃないでしょうね」
「確かに信じられないよーな話でござるが、今の話は本当でござる」
「だけどねー、そんなへたくそなマンガみたいな話・・・」
「弥生、忘れたのかい?」
明郎が肩をすくめる。「ここは『斎木学園』だよ」
「そりゃ、そーだけど・・ねぇ」
弥生は窓の外を見た。
そう、ここは『斎木学園』、常識では考えられない事が起こりうる場所。
ここでは、常にトラブルが起こっているのだ。
ふと、一郎も窓の外を見上げた。
アブラゼミがやかましく鳴いている声に混ざって、何か規則的な音が聞こえてきた。
ヘリコプターだ。腹に響くローター音をたてて、かなりな低空を飛んでくる。
新聞社か何かの写真撮影でもやっているのだろうか。
やかましい音をたてて、そのヘリは校舎の上空を通過した。
そのまま、学園の上空を旋回し始める。
「何だ!?」
通り過ぎる一瞬に、ヘリの正体を見た一郎はガタッと立ち上がった。
今度は英語の教師も一郎を注意しなかった。すでに学校中がざわめき始めていたのである。クラスの連中も、何事かとばかりに窓際に群がった。
「ベルUH・1イロコイ・・・まさか、何だってあんなもんがこんな所を飛んでやがるんだ?」
一郎は茫然とつぶやいた。
「何でござるか、それは」
「軍用ヘリ、おい、ありゃあめったに見られる代物じゃないぜ、どっかで戦争でも始まったか?」
のんびりとつぶやいた一郎、はたと心にひっかかるものがあった。
「なあ弥生、和美ってのは一年の何組に転入した?」
「え、彼女?たしか・・・一年D組だと思う」
「じゃあ、あそこで体育やってる連中は何年何組だ?」
第二グラウンドで、バレーボールを中断して上空のヘリを見上げ、キャーキャー騒いでいる女子の集団を一郎は指さした。
「えっとこの時間は・・・一年D組の体育よ、それがどうか───」
したの。と聞く前に、一郎は教室を飛び出していた。
「あ、一郎!どこへ行くのよ」
「あのヘリ、ひょっとしたらFOSじゃねえのか!」
そう言った時、すでに一郎は廊下を曲がり、階段を駆け降りていた。
まるで疾風である。弥生は頭をぽりぽりかいた。
「まっさかー、たかが高校生さらうのに、あんなハデなことする訳ないじゃない」
「けどね・・・あながち、そうとばかりも言えないみたいだよ」
肩をすくめた明郎、ため息をつきながら上を指差した。
と、ヘリが校舎上空から、屋上とのすきまを一メートルと開けずに急降下していった。 ヘリの操縦士はとびきりの腕と度胸を持っているようだ。
おそらく世界でもトップクラス。
そのヘリが今、土煙をあげつつ、バレーコートに向かって獲物を狙う鳥さながらに不気味に飛んでいく。
☆ ☆ ☆
斎木学園の正門前に、沢村はダークトーンで統一されたサイドカーを止めた。フルフェイスのヘルメットのシールドを上げ、大きく息を吐き出す。
「ぷはあ、ここか、あの娘がいる高校っていうのは」
「そう、それとあの相沢一郎ってヤツも・・・」
サイドカーから軽い身のこなしで地に降り、省吾はヘルメットを脱いだ。
苦笑して沢村もヘルメットを脱ぎ、煙草に火をつけた。
「やれやれ、だな。あの学生と同じ学校か、おかしな事にならなきゃいいんだが」
と言う沢村に、相変わらず省吾は笑顔のまま指で鼻の頭をかいた。
「ま、いいじゃないですか、そういう変な連中がいれば、FOSもかえって手を出せないかもしれませんよ」
「そうだといいんだがな・・・しかし」
何かを言いかけて沢村、言葉を切った。
“相沢・・・ね”
「沢村さん!」
省吾の緊張した声が、沢村の考えを中断させた。
その時、省吾は空を、ずっと遠くを見ていた。その瞳の色が不思議な色彩を帯びているのを沢村は見てとった。
「沢村さん・・・来たよ、あれはベルUH・1イロコイ・・・戦闘ヘリだ!」
「何だと?」
沢村はバイクの計器のひとつに目をやる。横についたボタンを押すと、文字盤が変わりレーダーに早変わりした。敵機接近を知らせる点が、チカチカ点滅している。
「さすがだな、まだ敵さん五キロメートルも近づいていないんだぜ」
「たいしたもんでしょう。さて、迎え撃つ準備をしないと・・・」
「待てよ?省吾、あいつらFOSじゃないぞ!」
ふいに、沢村の表情がひきしまった。アタッシュケースをごそごそやり出した省吾が、顔を上げる。
「・・・と、いうことは、CIAかそこらですね。だとすると戦闘ヘリはハッタリじゃないということですか」
「ああ、『ティンカーベル』をFOSに渡すぐらいなら、いっそ消す、か」
沢村は煙草を揉み消した。上着の内側に手を入れ、三五七マグナムを抜き出し、全弾装填されていることを確かめる。
「問題は今、手持ちの武器で、軍用ヘリとまともにやり合えるかどうか、だな」
そう言うと沢村は、ケースから出したライフルを手際よく組立て始めた。
「大丈夫ですよ。沢村さんの腕と、オレの能力があれば充分です」
にっこり、と省吾は笑った。
ヘリが飛んできた。
そのことは、眼で見ることのできない遠くにいるうちから、和美には判っていた。
ただ、もしあのヘリが“やつら”だとしても、これだけ人目があればめったなことはできないだろうという考えがあった。
甘かった。
周囲の無関係な人にかまわずに、真正面から向かってくる。
そのヘリコプターから、あからさまな殺気を和美は感じとっていた。
“いつもの人たちじゃない?”
考えているうちにも、ヘリは迫ってきた。不気味にローター音を響かせて、和美たちのいるバレーコートの頭上を通り過ぎる。しばらく行って、旋回して戻ってきた。
“とりあえず、この場から離れよう”
ぱっと、はじかれたように和美は走り出した。素晴らしい程のダッシュ力であった。
そのおとなしそうな顔からは、とても信じられないスピードで走る。
その後を、土煙をあげつつヘリが追う。
この『ベルUH・1イロコイ』というヘリは、時速二百六十キロメートルのスピードで飛ぶことができる。いくらNOE飛行のせいで本来のスピードが出せないとはいっても、人間の走るスピードに較べたら、まだまだずっと速い。
走って逃げきるなど不可能だ。
そのぐらい和美にも判ってはいたが、黙って捕まる訳にもいかない。
とにかく走る、逃げる。
と、その足がもつれた。叫び声も出せずに転ぶ。
四つん這いになったまま、和美は背後に迫ったヘリを見た。バルカンがこちらを向いている。
撃たれたら、一度の斉射で人間の身体などあっさりとハチの巣のようになってしまう。それこそボロボロになってしまうのだ。
想像して、和美はぞっとした。首筋が総毛立つ。
しゃがみこんで立てなくなった和美に向かって、今まさにバルカンが火を吹かんとした時、どこかで銃声が聞こえた。
ぽつん、とヘリの側面に穴が開く。
ぼん!といってそこから煙を吹き出し、ヘリは再び上昇した。
「え?」
和美は、きょとんとしてしまった。
その時、上昇するヘリの下を、沢村のサイドカーが黒い弾丸のように駆け抜け、座り込んでいる和美の目の前で急停止、左手一本で和美を持ち上げ、半ば無理矢理シートに座らせた。
「大丈夫かい?和美ちゃん」
沢村が聞くが、返事はない。ま、仕方ないか。
苦笑した時、サイドカーの周りの地面がはじけた。
バレーコートから見ている女子生徒たちが、悲鳴をあげる。
「くそっ、ついに撃ってきやがった・・・お前らも逃げろっ!」
ブルマー姿の女の子たちに叫びざま、いきなりサイドカーのアクセルを全開にする。
「きゃっ!」
サイドの和美が、悲鳴をあげて身をこわばらせる。
吹っ飛ばされたような勢いで、サイドカーは走り出した。
その後を煙を出しながらイロコイが追う。電動バルカンが斉射され、サイドカーの周りの地面が、びしっびしっとはじける。
「ええい、無茶しやがる」
沢村はかすかに頭痛を感じた。「なんちゅうやつらだ、まったく」
ぼやきつつ、沢村はサイドカーを左右に操り、巧みにバルカンの直撃を逃れていた。
☆ ☆ ☆
「なんなんだあいつら、誘拐じゃなくて暗殺か!」
玄関から飛び出してきた一郎、バルカンを連射するイロコイを見て思わず叫ぶ。
「学校にいきなり軍用ヘリで現れて、バルカン撃ちまくりか、いちいちハデな連中だな」 つぶやくと、横手から銃声が聞こえ、再びイロコイが煙を吹いた。
多少ヘリはバランスを崩したが、すぐに持ち直す。
操縦士は、腕と度胸の他に「根性」も兼ねそなえているらしい。
イロコイは自分を撃ったライフル男の方へ方向転換した。
「あん?」 一郎はその男を見た。「誰だ、ありゃ」
ライフルを構えた『沖田 省吾』が、そこにいた。
この時、省吾に狙いをつけたイロコイの操縦士は、ニヤリと笑っただろう。
軍用ヘリの真正面にライフル一丁でつっ立っていて、逃げ出す素振りも見せない。
格好の獲物だ。操縦士はそう思ったに違いない。
「おい!逃げろっ!」
一郎があわてて声をかける。その声が届いたのか、省吾はちらりとこちらを向いた。
その時の表情を、一郎は見た。
ヘリの操縦士はすっかり落ち着いていた。
ゆっくりと余裕を持って、目標をターゲットスコープの中心に持ってくる。
あとは引き金を引けばいい。
ギリギリまで引きつけて、一発で仕留めてやる。
べろり、と舌なめずりをした。
その操縦士の表情がこわばった。
省吾は、にっこり笑っていたのだ。
操縦士には、その笑顔が妙に大きく見えた。実に楽しそうな笑顔である。
「ガッデム!」
指先に力が込もった。電動バルカンの斉射!
────その瞬間の省吾の笑顔が操縦士の脳裏に焼きついた。
そして、操縦士は今度こそ驚きの声をあげた。
省吾の姿が消えてしまったのだ。
バルカンの斉射によって、四散した訳じゃない。消えた!
と、思った次の瞬間。
コクピットの風防ガラスに、省吾はへばりついていた。
「ひっ!」
ライフルを向けられた操縦士は、目玉がこぼれ落ちそうになるぐらい、大きく目を見開いた。
省吾はためらわずに、引き金を引いた。
その動作の瞬間の中で、操縦士は思い出した。
FOSに敵対する『黒い風』という組織に、常に笑顔を絶やさないやつがいる。しかもそいつは瞬間移動・・・テレポート能力を持つエスパーであること。 それらのトレードマークを総合してできた通り名は『笑い猫』──チェシャキャット──・・・・
そこまでで、思考は断たれた。
もっとも、ライフルで頭を吹っ飛ばされれば、誰ものんびりと考え事などできないだろう。永久に。
イロコイのコクピットは一面赤に染まった。
首なしの操縦士に省吾は、にっこり笑ってウインクし、また瞬間移動した。
とたんにイロコイがバランスを失い、ふらつき始める。
その様子を見て、一郎はあっけにとられてしまった。
“何だ・・・今のは?”
頭のすみで、一郎は考えた。
“まさか、あれはテレポーテーションかよ”
イロコイから地上へテレポートした省吾を、放心状態で見つめる。
はっきりいって、スキだらけであった。
その一郎に向かって、よたよたとイロコイが落っこちてきた。
気づくのが遅れたものの、そこは一郎、素早く横へ走り・・・・
走れなかった。
「一郎、どーでござるか」「ヘリはどうしたのよ?」「和美ちゃんは?」
一郎の背後、玄関から陽平、弥生、明郎らが出てきたのだ。
一郎が逃げれば、その三人にヘリは落っこちてくることになる!
「バカ野郎!お前ら早く逃げろっ!」
いきなり一郎に怒鳴られて、三人は目をぱちくりさせた。
「何よ一郎、なーにそんなにあわててるの・・・よ」
弥生もようやく落ちてくるヘリに気がついたらしい。
指差して、口をぱくぱくさせ始めた。
「ぶ・・・ぶ・・・」
「ぶつかるでござる!」
明郎と陽平が、ひしと抱き合い叫び声をあげる。
少し離れた所で、沢村もその様子を見て、サイドカーを急停止させた。
「省吾のバカめ、ヘリの墜落するところまで考えてから行動しろっての」
つぶやいて、ふと、サイドに座っている和美に目をやる。
「む?」
沢村は小さくうなった。和美の身に、何かが起こりつつあるのに気づいたのである。
おびえて、かすかに震えている少女に何が起きるのか。
ごくり、と沢村は息をのんだ。
「こーなりゃヤケクソだ!あのヘリ受け止めてやる!」
決死の覚悟で、一郎は腰を抜かしてしまった弥生たちをかばい、ヘリとの間に立つ。
ざわわっ、と一郎の髪が逆立った。
一郎は、この『髪の毛逆立ち現象』が起きると異常なパワーを出す。
しかし、降ってくるヘリコプターが相手では・・・・
一郎は、迫りくるヘリを真正面から見据えた。
「やってやるぜ!んの野郎ォ!」
と、一郎が雄叫びを上げた時だ。
びくっ。
はっきりそれと判るほど、和美が身体を震わせた。
「う・・・」
沢村は見た。和美の黒髪が青い髪に変わるのを。髪がなびくのを。
それは何という変化だろう。
髪の色が変わっただけでなく、今にも泣きそうに震えていた少女と、同一人物とは思えないほどの変わり様である。
“妖精のようだ・・・”
沢村は思った。
「黒髪の弱々しい和美」から「青い髪の自信に満ちた和美」へと変身は行われたのだ。 和美の中で、解放されるものがあった。いつもは無理に抑えている『もの』。
“彼らを救うために”
和美は目をつぶった。
つぶっていても見える。一郎たちに向かってヘリが墜ちていくのが。
“はじきとばさなきゃ”
和美は力を解放した。ざあっと髪の青い光が光量を増し、逆巻く。
そして和美は『力』をふるった。
その一瞬、ぴいんと空間が張りつめた感じがした。
そして、
突然、落下中のヘリがありえない方向へはじき飛ばされた。
それは物理の法則を無視した、奇怪な運動であった。
まるで一郎の目の前の空間に、見えない壁でもあったかのようだ。
ヘリは、落下する時のスピードよりずっと速いスピードで地面に叩きつけられ、バウンドし、そのまま数十メートルを地上を転がりまくって、ようやく止まった。
すごいありさまだった。
地面に、ヘリの作った深い溝がえぐられ、その機体は見るも無残なスクラップと化してグチャグチャになっていた。
土煙がおさまりかけた時、大地をゆるがす大音響をたて、ヘリは爆発した。
「うわっ!」
ばらばらと空から破片が降りそそぐ。
それが校舎にまで届き、開いている窓から教室にも飛び込んだ。
女子生徒のキャーキャー騒ぐ声と、それを落ちつかせようとする教師の声が、かすかに聞こえてくる中で、一郎は呆然と立ち尽くしていた。
その目は沢村のサイドカーと、それに乗り込んでいる、青い髪の少女を見つめていた。 和美もまた、一郎を見ている。
校庭を、不気味な静けさが包み込んでいた。
「お前が・・・」
一郎が、つぶやいた。
「・・・お前は一体・・・」
聞くと、和美はかすかに微笑んだ。
悲しみにあふれた、さびしい笑みであった────。
それを見た者は、きゅん、と胸をしめつけられる感じを覚えた。
一郎は何も言えなくなった。
と、和美は目を伏せ、サイドカーから降りると、くるりときびすを返してどこかへ走り去っていった。
「あ・・・」
一郎はそれを制止できなかった。いや、追えば捕まえることはできる。
いくら和美がスプリンター並の足の速さでも、一郎には到底かなわない。
しかし、一郎は追う気になれなかった。
青い髪をなびかせて走り去っていく和美。
ため息ひとつで一郎は見送った。
「あれがティンカーベルか・・・」
つぶやいて、沢村は煙草に火をつける。その横にライフルを持った省吾が来ていた。
「話には聞いていても、実際に目にするとやはり驚きですね」
言いながら省吾は、感動したように目を輝かせる。
沢村は、ゆっくりと煙草の煙を吐き出した。
「あれだけの能力だ、FOSが欲しがるのも判るぜ・・・・ま、しかし、だからといってあの娘を渡す訳にはいかないな。たとえCIAを敵に回すことになっても」
「それでしたら大丈夫でしょう。“黒い風”とやり合ってもCIAには何の得にもならないんですし、もうこの一件は放っておくと思いますよ」
カチャカチャとライフルを分解しながら、省吾が言う。
「ただ問題は・・・」
ライフルをアタッシュケースにしまいこんで、省吾は肩をすくめた。
「FOSの連中は、これよりもっと派手な動きを見せるんでしょうね、多分」
本気とも冗談ともつかない言い方で、省吾は笑った。
「ああ、何せFOSはこの一件に“兵藤”を送り込んでいるらしいからな」
沢村は、くわえ煙草でぼそっとつぶやいた。
省吾の笑いがひきつる。
思わず、沢村の顔をのぞき込んだ。
「兵藤って、あの兵藤・・・ですか?」
「その通り、『山猫の兵藤』だ。『笑い猫』としちゃ相手にとって不足はないだろ?」
沢村と省吾は、どちらからともなく顔を見合せ、苦笑した。
ヘリの残骸から出ている煙が、かすかな風にゆらめいていた。
☆ ☆ ☆
結局、このヘリ騒動により、その後の授業はカット。各自寮に戻り自室学習となった。 もちろん、こんな時にまじめに勉強する奴などいやしない。
このときとばかり、いきなり寝てしまう者。談笑して時をすごす者。こっそり、彼氏や彼女と街へ遊びに出掛けてしまう者などがほとんどである。
女子寮は、特にキャピキャピと騒がしかった。
が、その中に約一名、部屋に閉じ籠もり勉強をするでもなく、寝るでもなく、ひっそりと息をひそめて窓の外を見つめている少女がいた。
相沢和美である。
髪の色が変化し、謎の組織らしきものに追われる不思議な少女。
何を想い、空を見つめているのか。
静まり返った部屋の中に、一人ぼっちであった。
男子寮は、同じくギャーギャーとやかましかった。
ここ三百二十号室にて、一郎はぼんやりと空を見つめていた。
さっきの出来事や、昨日の事を思い出していたのである。
青い髪をなびかせていた少女の顔が脳裏に浮かぶ。
小柄でくりっとした瞳の、可愛い娘だ。
何か、とても大切な事が思い出されそうになっているのだが、今ひとつのところで思い出せずにいる。
相沢和美。
自分と同じ姓を持つ少女。
彼女を見た時、確かに何かを感じたのだが・・・・
「う・・・」
ふと、一郎は額に手を当て、つぶやいた。
「くっそォ、知恵熱がでてやんの」
☆ ☆ ☆
部屋は暗かった。
照明を消しているせいでもあるが、部屋自体が寒々しく、独房を思わせるコンクリートの箱であった。
窓はひとつだけある。が、厚さ数センチの防弾ガラスがはめこんであり、開閉は不可能になっている。
ロッキングチェアとセミダブルのベッド以外は家具もみられない。
その部屋に、少年は一人立っていた。立って、窓から夜空を見上げてた。
長身で、しなやかな身体をしている。
気になるのは目つきである、何か病的なものを感じさせる瞳だ。
その少年の表情からは、感情というものが欠落していた。
氷のように冷たい無表情で、月齢十三日のほぼ丸くなった月を見つめる。
ふと、その上部のとがった耳が動いた。少年は目を細め、ぎりっと歯をかみしめる。
小さく舌打ちすると、少年は足早に廊下に出ていった。
鋼鉄製のドアが、閉じた時、重い響きを部屋に残した。
☆ ☆ ☆
「何をしていたのだ、山猫?」
ばかでかいデスクの向こうで、軍服を着た中年男は、部屋に入ってきた少年に問いかけた。
それには答えず、少年はデスクに歩み寄ると、小さな金属の笛をつまみ上げた。
───犬笛だ。
「こいつで、オレを犬ころみたいに呼ぶな」
その声は、表情同様に感情の無い、ぞっとするほど冷たい響きだった。
「お前が犬だったら、もっと気が楽になるのだがな」
軍服の男はポケットからハンカチを出し、額の汗をぬぐって、リモコンの様な物を壁に向けた。すると、そこがスクリーンになる。
「これを見ろ、今日の昼に得られたデータだ」
ぱっと画面に和美の顔が現れた。その上に重なって、彼女のデータが英文で流れ出る。 画面が変わった。黒いスカイラインが、内側から加わった何らかの圧力により、デコボコに隆起していた。ガラスは全て内側から外側へ吹っとび、車内は一面べっとりと血の朱に染まっている。
また画面が変わった。今度はイロコイが飛んでいるシーンだ。
「このヘリは、CIAの送り込んだものらしい。奴らめ、ティンカーベルを消しにかかったのだ」
軍服は言った。 その時、画面の中のヘリに、何かがへばりついた。
「よく見ろ山猫、こいつらを」
「こいつは沖田省吾・・・『笑い猫』か?すると沢村もいるな」
少年が無感動な声で言ったとき、サイドカーに乗った沢村が画面に映った。
「その通りだ、今回の我々の動きを知って、奴らも動き始めたのだ。これでティンカーベルのキッドナップはずいぶんやりにくくなったぞ、山猫!大体貴様が昨日の作戦のとき、確実に彼女を捕らえてくれば問題はなかったのだ!それを・・・・」
「オレに説教をするな」
ぞっとするような冷たい声で、少年は言った。
黒目の異常に小さいその瞳でにらまれて、軍服は言葉につまった。
グビリ、と喉を鳴らし、金縛りにあってしまう。
「オレは自由にやる」
無表情に少年はつぶやいた。
「オレは山猫だ、従順な犬じゃない。間違っても鎖でつながれたりしない。・・・・安心しろ、任務は果たす。だが、生け捕りにできなければ───沢村も、省吾も、ティンカーベルも───ズタズタに引き裂いてやる。いいな?」
次の瞬間、少年の右手刀が、ぶんとうなって巨大なデスクを叩き壊していた。ものすごい音と、破片が飛び散った。 みるみる軍服は青くなる。
がたがた震えて声も出ない軍服を無視して、少年は部屋を出ていこうとしたが、その時画面に少しだけ映った高校生に目を止める。
「ど・・・どうした?」
震えた軍服の声に耳も貸さず、少年はさっさと部屋を出ていった。
画面に現れた高校生に、少年は見覚えがあったのだ。
昨日、相沢和美をさらおうとした時、邪魔をした男だ。
それを思い出して、少年は不気味に赤い、とがった舌でぺろりと唇をなめた。
───これがFOSの『山猫』兵藤 ユウであった。
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