ACT・8-2



 同じ頃、弥生と省吾は別の階でジョニーと向かい合っていた。
「やあ、笑い猫。お久し振りですネ」
 相変わらずのプレイボーイスマイルで、ジョニーは言った。

「ジョニー・・・ジョニー・ハミルトンか?」
 見えない目で、省吾は見つめる。

「知ってる男? 今までのザコとはひと味違うみたいだけど」
 ここにたどりつくまでに、小競り合いを行ってきた保安部員たちとは違う雰囲気を、弥生は敏感に感じとっていた。
 剣士としてのカンが、ジョニーの愛想のいいハンサムな笑顔の裏にある、毒蛇のような危険性を見破ったのである。

「判るんですか?あなたもすごい人ですね。そう、この男は『ジョニー・ハミルトン』サイコキネシスを使うFOSのエスパーです。兵藤は、こいつが和美さんの誘拐作戦の指揮をとったと言っていました。通称は『壊し屋』」
「私を壊し屋と呼ぶのはやめて下さい」
 ジョニーの笑顔はそのまま、瞳の青い色だけが冷たく光った。
「スマートではないニックネームで、私としては不本意です」
 その口元がかすかにひきつるのを、弥生は見逃さなかった。

「どーやら、顔に似合わず性格は最低の男みたいね、違う?」
 小声で省吾はささやく。
「その通りですよ、見た目は愛想よくしてますが、その荒っぽさと残酷さはFOSの中でも指折りの殺し屋です」
「やーね、そういうのって大っきらい。やだやだ」
わざと聞こえるように弥生は言った。ジョニ─の顔が面白いようにひきつる。
「お、やるつもり?学園での騒ぎのお礼をしてあげるわよ」
 ぴたり、と修羅王を構えた弥生を見て、すぐにジョニーは我に返り、元のスマイルを浮かべたが、どこかぎこちない。

「生意気なメスガキですね。少しだまってていただけませんか?」
 今度は弥生がかちん、ときた。

「メスガキとはずいぶんな言い方ね。レディに対する接し方を教えてあげましょうか?」
「ほう、どうするんです?」
 ジョニーが聞いた途端、鋭い気合とともに弥生が突っ込んだ。
「いえええっ!」
 上段から振り下ろされる木刀が、見事にジョニーの脳天をとらえたと思った。
 しかし、その切っ先は金髪の頭上十センチの空間に止められていた。

「えっ!何で?」
 驚きの声をあげたのは、弥生本人であった。

 ジョニーの笑顔は変わらない。
 ただ、その青い瞳がいっそう青くなったようだった。何か強い精神集中を感じる。

「退がって弥生さん、こいつの能力はサイコキネシスです!」
「え?きゃあっ!」
 省吾の声と同時に、いきなり弥生の木刀が爆発した。
 予想外の出来事に、あわてて弥生が飛びすさる。見ると、手の中にあった木刀が、半ばから消し飛んでいた。
「これが──」
「そう、サイコキネシスです」

 そう言った省吾の身体が、何か見えない力に吹っ飛ばされて、背後の壁にそのまま押しつけられた。
 どれほどのパワーなのか、壁に押しつけられた省吾は、前に進むどころか壁から身を離すこともできずに、みりみりとコンクリートにめり込み始めた。

「どうしました笑い猫?手も足も出ませんか」
 きゅっ、と唇を吊り上げて、ジョニーが微笑む。

「く、・・・まあね、ジョニーの念動なかなか・・・けど、オレの能力はね」
 不意に省吾の身体が消失した。後には、コンクリートの壁に人型のへこみが残った。
「テレポートなんだよ」
 次の瞬間、いきなり背後に現れた省吾に蹴りを食らい、ジョニーは吹っ飛んだ。

「ぐう、このイエローモンキーめが、遊びは終わりだ」
 壁に顔から突っ込み、鼻血を流しながらジョニーは振り返った。何かの合図のように、ぱちん、と指を鳴らす。
 その時弥生は、何か耳なりのような音を聞いて顔をしかめた。

 異常は省吾に起こった。

 苦痛の叫びをあげ、省吾は床に膝をついてしまう。頭をかきむしり、汗がだらだらと流れ出る。
「くそっ、ジャマーか──」
 歯を食い縛りながら、省吾はうめいた。

「何?どうしたっての!」
 省吾の身に起こっていることが理解できずに、弥生は砕けた修羅王をジョニーに向けた。
「あんた、一体何したのよっ!」
 ニヤリ、と笑ってジョニーは横目で弥生を睨んだ。
「!」
 それだけで、弥生の身体が壁まで吹っ飛ばされる。

「ははは、たいしたことじゃありません、ちょっとESPを封じているだけです。まあかなり苦しいはずですけどね」
 壁に押しつけられたまま、弥生は首をめぐらせて天井の端にカモフラージュされた装置を見つけた。
 しかし、彼女には無論どんな仕組みかは判らない。ただ、常人には何の効果も示さないが、エスパーに対しては何らかの作用を及ぼすらしいということは理解できた。

「くっ」
 弥生を押さえつける念動に、さらに力がこもった。
 歯を食い縛って耐える弥生を、にこにこしながらジョニーは見つめる。
「苦しいですか?ふふ、このまま殺してもいいんですが──それじゃ面白味がないですね。せっかくですから、オトモダチと一緒に殺してあげましょうか?」
「やめろ、ジョニー」
 足元で省吾がうめく。

 それを無視して、ジョニーのパンチが身動きできない弥生のみぞおちにめり込んだ。
 意識が薄れていく寸前、弥生はジョニーをにらみつけた。

“友達と一緒に殺す?冗談じゃない、明郎・陽平はともかくあの一郎があんたたちなんかに負けるものか!”
 その目は、それだけのことを語っていた。

    ☆         ☆         ☆

「このバケモンが!」
 さっくり切られた肩をかばって、右手のみの片手撃ちで一郎はM60のありったけの弾丸をアルコンに浴びせた。
 数十発の特製スタン弾を受け、黒い巨体がのけ反りながら吹っ飛んだ。

 スタン弾は実弾と違い、殺傷を目的としたものではない。とはいうものの、一郎の使っている弾丸はヘビ-級のボクサーのパンチ並のパワーを秘めており、当たり所によっては死にかねない威力なのである。
 ところがこのアルコンという黒人は、すぐさま起き上がり、平気な顔をして攻撃を仕掛けてきた。

「とんでもねえヤロウだな」
 弾丸の尽きたM60を投げ捨て、左肩をハンカチで縛りつつ一郎はつぶやいた。
 そんなに深い傷ではない。それより、精神的ショックの方が大きかった。

「だめだと言ってるだろう!オレを連れて早く逃げてくれっ」
 四つんばいになった男が、一郎の足にしがみついてくる。

「ばかいえ、いくらなんでもあれだけの連射を食らったんだぜ、ヒグマだって再起不能に・・・何ィ!」
 一郎は思わず後ろへ飛んだ。
 むっくりと、アルコンはまたも立ち上がってきたのである。

 その分厚い胸から、ぽろぽろぽろっと弾丸がこぼれ落ち、ニタリとアルコンが笑みを浮かべる。
 それを見た足元の男が、ひいい、とかすれた悲鳴をあげて何とか逃げだそうとして、折れた足を引きずりながらもがいた。

「マジかよ」
 一郎は、そんな男の様子も目に入らず、アルコンを見つめた。
 今まで出会ったことのない超人が、目の前に立ちふさがっているのだ。
「面白え──」

 だが、一郎は不敵に笑った。“相手にとって不足はない”どころか、恐ろしいほどの強敵なのだが、戦いの中で興奮している今の彼にとっては、相手が手強いほどうれしいのであろう。
 ケンカ好きの血が騒いだ。

「来やがれ、黒んぼ!」
 一郎が雄叫びをあげると、アルコンはチェ-ン・ソウを頭上に振り上げた。しかし、弾丸が当たったためか、エンジンは急に停止してしまった。
 かまわず、一郎に向かって投げつけてくる。
 重さ20kgのチェ-ン・ソウが、時速百kmで飛んできた。身を沈めた一郎の頭上を、うなりをあげてかすめていく。

「うおおおっ」
 そのまま、一郎は低い体勢でアルコンにぶつかっていった。
 アルコンの長い足を両手でからめ取り、頭を下腹の部分に押しつけて、一気にひっくり返す。
 地響きをたてて、アルコンの巨体が仰向けに倒れ込んだ。
 素早く一郎は馬乗りになった。

 一方が一方を殴りつけるのに、最も有利な体勢と言われる『マウント・ポジション』の形になっていた。
 この形にいったんなってしまえば、下になっている人間は身動きが取れないまま、上に馬乗りになっている相手の攻撃を無限に受け続けることになるのだ。必勝の体勢と言える。
 一郎の顔に、強烈な笑みが浮かんだ。
 遠慮なく、押さえつけたアルコンの顔面に向けて両手の拳を叩きつけていった。

ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、なな・・・

 その時、猛烈なパワ-が一郎の尻の下から膨れ上がってきた。
「ちっ!」
 なんと、一郎の全体重を乗せたまま、アルコンの上半身が床から一気に起き上がってきたのである。

 あり得ない事であった。
 アルコンの巨体に秘められたパワ-は、一郎ですら舌を巻く程の凄まじさであった。ケタが違う。
「痛ェッ!」
 アルコンは上半身のバネだけで馬乗りになった一郎を跳ね飛ばし、すごい音をさせて一郎の頭が天井に激突していた。
 無様な恰好で、一郎の身体が床に落ちてくる。
 休む間はなかった。アルコンが巨大な掌を伸ばして、襲いかかってきたのである。

 片足をつかまれた。
 と、思った瞬間には、ふわっと一郎の身体が床から持ち上がっていく。
 アルコンは、片手で一郎を振り回し始めたのだ。
 二度三度と回転するたびにスピ-ドが増していき、強烈な遠心力によって、頭に全身の血が逆流していきそうであった。
 充分スピ-ドが乗ったところで、アルコンは思い切り一郎の身体をコンクリ-トの壁に投げつけた。

「ぐうっ!」
 あわてて頭を両手で抱え込み、上半身を丸めたおかげでダメ-ジを最小限に留めることができた。さもなければ、後頭部をまともに叩きつけてしまい、屋上から落としたスイカのようになっていただろう。
 ゆっくりと、舌なめずりをしながらアルコンが迫ってくる。
「このォ、調子に乗るんじゃねえっ!」

 素早く起き上がり、一郎は背中に背負っていたミサイルランチャ-を構えた。
 こいつの直撃を食らえば、いくらなんでも動きを止めるだろう。気づいたアルコンが、目をつり上げて走りだした。
「遅いっ」
 言いざま、一郎はミサイルを発射させた。煙を吹き出しながら、一直線にアルコンへ向かっていく。

 ものすごい炸裂音とともに、ミサイルが爆発した。火薬の量を減らしてあるというにもかかわらず、熱さを伴った爆風が、一郎の髪をむしりそうな勢いで、廊下を吹き抜けていった。
 もうもうとした煙と埃が、廊下に充満してしまった。

「ざまあみやがれ」
 咳き込みながら、一郎は笑った。
 だが、すぐに不審そうに目を細めた。
 煙と埃が収まってきたが、アルコンの姿が見当たらないのだ。
「まさか──」
 呆然とつぶやいた時、いきなり横の壁をぶち破って黒い腕が一郎のシャツをつかんだ。

「うおっ?」
 予想外の場所からの攻撃に、叫び声をあげながら一郎は身をひねった。音をたててシャツが裂けてしまったが、気にする暇もない。

 どうやら、アルコンはミサイルの直撃を避けるためにコンクリ-トの壁をぶち破り、隣室へ避難していたらしい。

 今また、壁越しに一郎に向かって攻撃を仕掛けてきているのだ。続けて、巨大な足がコンクリ-トを突き破り、次いでアルコンの全身がコンクリ-トの破片を撒き散らしつつ現れた。
 ちいいっ、と舌を鳴らしつつ、一郎は全身の力を込めた蹴りをアルコンの腹にぶち込んだ。
 ブロックすら粉砕する一撃であった。常人相手だったら、内臓が口からはみ出るほどの力がその蹴りには込められていた。
 だが、その会心の攻撃ですらアルコンは受け止めてしまった!

「な──」
 一郎の顔が驚愕に歪む。蹴りにいった足に、異様な感触を感じたのだ。
 まるで、巨大なトラックのタイヤを蹴りつけたように衝撃が吸収され、次いでぐうっ、と腹筋がうねり一郎の足をはね返していた。
「うそだろ?」

 平気な顔で、アルコンは反撃の回し蹴りを仕掛けてきた。
 電信柱を振り回したようなものだった、かわしたものの、風圧により小さなつむじ風が起こった程である。
 改めて、眼前の敵がとてつもない強敵であることを認識し、一郎の背中に冷たい汗が流れた。

 長引いたら不利になる。

 直観的に一郎は判断し、腰からウ-ジ-サブマシンガンを抜いて構えた。
「ウオオッ」
 アルコンが雄叫びをあげつつ、その右手を蹴り、ウ-ジ-を跳ね飛ばす。
 だが、

「甘いぜ!」
 笑みを浮かべながら、一郎はいつの間にか左手に握っていたグリズリ-四五マグナムをぶっ放した。
 右手でサブマシンガンを構えたのは、フェイントだったのだ。
 顔面に強烈な一撃を食らい、アルコンは吹っ飛んだ。

 今度こそ一郎は勝負をかけた。
 起き上がる前に、アルコンの顔面に立て続けにグリズリ-を撃ち込んだ。

 ぴっ、と返り血が一郎の頬に飛んでくる。
 全弾を撃ち尽くして、静かになった廊下に銃声の余韻が響く。
 顔面をグシャグシャの肉塊にされ、今度こそアルコンは動かなくなった。

「──ふうう」
 一郎、大きくため息をつく。
「・・・殺しちまったか」
 そうつぶやくと、左手で構えたグリズリ-を床に落とした。

 その時、ある情景が脳裏に浮かんだ。
 一郎の前に乱十郎が立っている。
 一郎はこの親父から、小さいころから色々なことを仕込まれた。

 将来必要になること。

 戦うこと。

 生き抜くために。
 守るべきもののために、戦うこと。

 子供が身につけるには、あまりに過激で、過酷な内容だった。

 教え込まれたそれらは、一郎の潜在意識に封じられた。本当に必要になる時まで、その封印は解かれない。

 幼い一郎に背負わせるには、重すぎる運命が待っているのだ。

 親父は言う。
「自分の行く手をさえぎるものは、その手で倒せ」
「戦場で生き残りたいなら、敵に情けをかけるな」
「敗北を自分で選ぶな。負けとは自分の心が砕けることを言うのだそうなったら、二度と立ち直れないぞ」

 そして、

「自分の生き方は自分で決めろ。オレはお前にある重荷を背負わせて、それを取り除いてやることができなかった。しかし、束縛される必要はない。お前の人生だ、やりたいように生き、後悔だけはするな」
 ぎゅっと一度だけ、この時だけ親父は幼い一郎を抱きしめた。

 一郎の頭の中を、一瞬それだけの情景が閃いた。
 記憶を封じられたため、ガキの頃の思い出など何もなく。また、それらを思い浮かべようとすることすらできない一郎だが、彼は別に気にしていないようだ。
 現在さえ確かならそれでいい。

 そう、一郎は考えていた。

「とはいうものの、自分の頭の中が誰かにいじくられてるってのはやっぱ、気に入らねえなあ」
 頭をぼりぼり掻きながら、一郎は次に親父に会ったとき、問答無用でぶん殴ることを決意した。
 この時、
 一郎は完全に油断していたため、背後にぬうっと巨大な気配が出現してもすぐに反応できなかった。

 まさかアルコンが立ち上がれるとは思わなかったし、その上岩のようなパンチを振るって、反撃してくるとは考えてもみなかった。
 うなりをあげて巨大な拳が脇腹にめり込み、一郎の身体がトラックにでもはねられたように吹き飛んだ。
 思い切り壁に叩きつけられ、跳ね返って床を転がる。

「ぐぶっ」
 うめいて床にのびた一郎を、アルコンは無造作に蹴り飛ばした。
 プロのサッカ-選手のシュ-トを見るようだった。軽々と一郎は吹っ飛んで、また壁に激突した。
 アバラが何本折れたか判らない。「ごぼっ」と嫌な音をさせて、一郎は血を吐いた。
 立ち上がろうとしたが、力が入らない。仰向けに床に転がり、アルコンを見上げる。

 一郎の背筋が凍りついた。

 顔面はぐずぐずに潰れているのだ。
 片目はどろりとはみ出ているのだ。

 それなのに、こいつはダメ-ジを受けていないのか!
 潰れた顔の下半分で、それだけは無傷だった唇が笑いの形に歪んだ。
 そして、その巨大な足が一郎を踏み潰すべく、ゆっくり持ち上がった。

 恐怖のため、ざわざわっ、と一郎の髪が逆立つ。
「くおおっ!」
 踏み下ろされてきたアルコンの足を、一郎は両手で受け止めた。さすがの彼も、これを食らったらマジでやばい。

 しかし、恐ろしいことにアルコンのパワ-は、髪の毛の逆立った一郎よりも上回っている。
 じりじりと足が下がってきた。
『殺られるっ!』
 いいようのない恐怖が、一郎の全身を駆け抜けていった。

    ☆         ☆         ☆

 その瞬間。

 地下の研究室のベッドの上で、和美はかっと目を見開いた。
 途端に、周囲に設置してあったESPセンサ-などの機械類が火を噴く。
「お兄ちゃん」
 ざあっ、と和美の髪の毛が青く輝いた。

「おおっ!」
 その様子を見ていた田崎とダニ-は、和美から放たれた無形のエネルギ-を全身で感じ、思わず叫んでいた。


    ☆         ☆         ☆

「くそおっ」
 一郎の腕から力が抜ける寸前、アルコンの巨体がふわっと持ち上がった。
 空中に浮かんでいる。

「?」
 そして次の瞬間には、空気穴を閉じていない風船のように、目まぐるしく飛び回り始めた。

 右の壁に激突し、右腕がおかしな方に曲がる。
 左の壁に激突し、壁が砕けて隣の部屋が見える。
 天井と床の間を、ス-パ-ボ-ルのように何回も往復し、手足はもう、ぶらぶらと頼り無く揺れている。
 その黒い身体が、ひときわ激しく床に叩きつけられた。
 びしっ、と三十センチもコンクリ-トにめり込んで、ようやく動きが止まる。

「ウオオオオオ──」
 アルコンは吼えた。まだ生きているのだ。
 無形の力が、アルコンをひょいっと持ち上げる。

 地下では、和美の髪が青さを増した。

 くしゃっ!

 まるで、空き箱を踏み潰したようにあっさりと、アルコンの身体が縦に潰れてしまった。
 あまりにも、一瞬の出来事であった。

    ☆         ☆         ☆

「目覚めたぞ!何をしとる、早くジャマ-を使えっ」
 田崎が機械類の操作をしているオペレ-タ-に命じた。
 すぐに防弾ガラスで仕切られた向こう側で、和美が頭を抱え込んで苦しみ始める。
 だらだらと汗を流しながら、目をきつく閉じて苦痛に耐えるが、

「いやあっ」
 思わずあげた悲鳴と同時に、天井に設置されたESPジャマ-が火を噴き、ダニ-と田崎の目前の防弾ガラスが砕け散った。

「むう、何という念力だ、まさかジャマ-が破壊されるとは・・・」
 青い顔をして、田崎が後退った。化け物を見る目つきで和美を見る。

 それもそのはず、FOSが開発した対エスパ-制圧装置であるESPジャマ-を破壊してのける超能力者など、まずいないはずなのだ。
 それだけ和美の能力が、常軌を逸していることが判る。
 それに、ジャマ-が通じないとなれば、常人にはESPに対抗する有効な手段がないのだ。
 怯えているのは田崎だけではない。周囲のオペレ-タ-や医師たちも同じである。

「なんの、わしに任せておけ」
 その中で、ダニ-のみが前へ進み出た。
 くわっ、と目が見開かれている。普通でない異様な光と力が宿っている瞳であった。

「こっちを向け」
 ベッドの上で頭を抱え込み、肩で息をしていた和美がびくっと全身を硬直させる。
「こっちを向け」
 もう一度、ダニ-が声をかける。
 和美の目が、おそるおそるダニ-を見た。

「さあ、わしの目を見ろ、ようく見ろ」
 ダニ-の目を見た瞬間、和美の目が虚ろになり、全身から力が抜けていく。
 それを見て、一層ダニ-の目が輝く。

「そうだ、お前はもうFOSのモノじゃぞ。じたばたしてもムダじゃわい、おとなしくわしらの言うなりになれい」
 和美は目の端から涙をひとしずく流して、何かを言おうと唇を動かしたが、しかしそれは言葉にならなかった。
和美は再び、ベッドにうずくまってしまった・・・。

    ☆         ☆         ☆

 一郎は床に寝そべったまま、状況を理解しようとした。
 一体、今起こったことは何であったのか?

ちらっと目だけ動かして、床にわだかまったアルコンを・・・アルコンだったものを見た。
 そこに転がっているのは血にまみれた肉の塊と、くしゃくしゃにプレスされた鉄クズであった。
 戦闘サイボ-グ。
 アルコンの、あの凄まじい不死身ぶりの理由がようやく判った。彼は、肉体のほとんどを電子部品などの人工物で置き換えた半機械人間だったのだ。
 恐るべき敵であった、まさに危機一髪である。

それにしても───

「もしかすると、和美か?」
 一郎は天井を見上げ、情けなくなってため息をついた。
「これじゃ、どっちが助けに来たんだか判らねえな」
 そう言って、立ち上がろうとする。
 途端に、身体中のあちこちの骨が音をたてて、一郎は声も出せずにのたうった。その動きが、別の部分の痛みを呼び、全身くまなく激痛が走り回る。
「お・・・おおお、お──」
 地の底から響くような声で、呻きつづけること数分間。
 一郎は立ち上がることに成功した。

「あと一階、階段を登れば最上階だ・・・そこに和美がいるはず」
 的外れだが確固たる信念を持って、一郎はよろよろ歩きだした。

「どこへ行く?ティンカ-ベルなら地下にいるんだぞ」
 聞き覚えのある声がして、一郎は振り返った。

 兵藤が、そこに立っていた。

「兵藤か!」
「ティンカ-ベルは地下に捕らえられている。貴様一体どこへ向かっているんだ?」
 唇の端がつり上がる。
「もっとも、今の貴様では到底たどり着けないがな」

「うるせえ」
 弱り目にたたり目であった。今の状態では、目の前の兵藤を相手にする事は難しい。
 だが次に兵藤が口にしたのは、一郎の意表をつくセリフだった。

「安心しろ、オレがそこまで案内してやる」
「何だとお?」
 油断なく、一郎は兵藤の顔をにらんだ。

「兵藤、何を企んでる」
「信じるか信じないかは自由だ。オレを信じるなら、一番楽な道のりでティンカ-ベルの所へたどり着けるぞ」
 そう言う兵藤の瞳を、一郎はのぞき込んだ。
 相変わらず冷たい光しか放っていない目だ。無表情な顔からは、ウソか本当か見破ることはできない。

 信用できない。

 しかしこの状態では、とても力ずくで強行突破しての和美の救出など不可能である。
 一郎の決断は早かった。

「判った、信じよう。和美の所へ案内してくれ」
「よし、こっちだ」
 兵藤の後をついていこうと、数歩歩いたところで、一郎は壁にもたれかかった。
 それを見た兵藤は無表情に近づき、手を差し延べた。
「肩を貸してやる、つかまれ」
 一郎はいらん、と言ったが、兵藤は構わず抱え込んで引きずるようにして歩きだした。

 ふと、一郎の心がゆるむ。
 この男、根っからの悪人ではないのではないか。

「兵藤、なぜオレを助けるんだ?」

 兵藤は一郎の顔をのぞき込んだ。
「相沢、何か勘違いしているようだな」
「何だと?」
 とっさに兵藤から離れようとしたが、がっちり腕を掴まれ、みぞおちに当て身を食らった。

「誰も助けてやるなどとは言っていない。貴様は捕虜としてティンカ-ベルに会うだけだ。もしくは──」
 一郎の後頭部を鷲掴みにして、壁に叩きつけ床に倒す。

「面会は死体とでもできるぞ」
 ぶっ、と血を吐いてのたうつ一郎を見下し冷たく言い捨てると、一郎の頭を思い切り踏みつけた。

 やっとおとなしくなった一郎を、ごりごりと踏みしだく。
「──失神したか、しぶとい男だったな」
 薄暗い廊下に、低い笑い声が響いた。

☆ ☆ ☆

 その頃、FOSのビルをやや離れた所から見つめる男がいた。
 胸ポケットから煙草を出し、火をつける。
 ふう、とため息とともに煙を吐き出した。

「どうやら静かになったようだな、奴ら捕まったか?」
 煙草の煙が風に揺れる。
「全く、正攻法でホントに片がつくと思っていたのかよ。つくづくガキだな」
 男はサングラスを外し、髪の乱れを整えた。

「とはいえ、シロ-トのくせに組織相手によくやったよな」
 よし、とつぶやいて、男は煙草をもみ消した。




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