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『月光下の公園、ボクとアイツ。』
あれは、小学校のとき、6年2組でのことだったな。
先生が、一本のものさしを、みんなに見せて言ったんだ。
「これは1メートルのものさしです。そして、1メートルは100センチです」
次に、黒板にそれを当てて、一本の線を引いた。
さらに、1センチずつ区切っていく。
「今日は、みんなに『自分の人生の年表』を作ってもらいます」
つまり、1センチを一年と考えて、誕生から現在まで一年ごとにおおまかな出来事を書き込む作業をしなさいというのだ。
誕生、歯が生えた、保育園入園、はじめて自転車乗れた、はじめて逆上がりできた、小学校入学、各学年は何組だった・・・
他愛の無い、確実にあった過去を、淡々と書き込んでいく。
そして、
12センチ。
12歳。6年2組。・・・現在。
すると、先生が言った。
「さて、現在まで来たから、今度は、みんなの『これからの人生』を予想して書き込んでください」
自分の未来予想・・・
そこでボクの鉛筆は、ぴたりと止まってしまった・・・
100歳まで生きたとして、残り88センチ。
ボクは埋めることができずに、いた。
ボクハナニニナルンダロウ
ドウナッテイクンダロウ
1メートルのものさし。
1センチが1年。
100センチなら100年。
小学校6年生=12歳で12センチ。
空白の、
残り88センチ。
埋められなかった、自分・・・
(公園、ジャングルジムの上で)
少しだけ欠けた月が、空に。
青白い月光の降り注ぐ、夜の公園。
錆びたジャングルジムのてっぺんに、ボクは座っている。
右手の指先にタバコ。
左手には缶コーヒー。
ぼんやりと、ただぼんやりと、夜空の月を見上げていた。
中学2年の3学期。
中3になれば、受験生だ。
・・・いや、すでに受験戦争は始まっている。今だって、こんな遅くまで塾でベンキョウしてきて、その帰り道、ちょっとだけ寄り道して『一服』しているところなのだ。
100円で買える自動販売機があり、人がほとんど来ないため、こっそり一息つくには、ちょうどいい場所なのである。
ボクのお気に入りの場所であった。
それにしても・・・
『進路』
まだ、ピンとこない・・・
志望する高校は、近くの公立高校、普通科。
いたってフツー。
こないだの学力テストの結果は、中の上だったから、まぁ、これなら合格はできるだろう。
とびきり優秀ってわけじゃないけど、落ちはしないはず。
それなり、だ。
特別に不幸ってわけじゃなく、かといって特別に幸せってほどでもない。
ボクの人生、今のところ、すべてが『それなり』。
そして、
これからもそれなりに違いない・・・
では、『自分』とは何だろう?
最近、そればかり考える。
はぁ・・・
ため息をつくと、あの時の、『1mのものさし』が思い出される。
・・・あれから2センチちょっと、だな。
ちび、とコーヒーを飲み、タバコをひとくち、ふー。
細く細く、煙とため息。
と、
そのとき、
ボクひとりだった公園に、入ってくる人がいた。
スポーツバッグ片手に、トレーナーを着た、若い男の人だった。
どうやら、ジャングルジムの上に座っているボクに気付いていないようだ。
見るともなしに見ていると、彼はベンチにバッグを置き、その場で伸びをしたり屈伸をして、身体のあちこちをほぐし始めた。
そして、広場の真ん中まで移動し、『気をつけ』の姿勢になった。
・・・しばらく、動かなかった。
ゆっくりと、呼吸だけしている。
白い息だけが、闇の中に動いている。長い長い沈黙。
(いや、これは見ているボクの感覚だから、実際はそんなに長い時間ではなかったかもしれない。)
の、後、
彼は、すっ、と両手を胸の前に持ち上げ、動き始めた。
じっと見ていたはずだったけど、ボクには、その動き始めの瞬間が分からなかった。
ゆっくり持ち上げられた両手が、ゆっくり下ろされていく。
くるり、と両手が円を描き、同時に足が一歩前に踏み出され、次の瞬間、
ズシンッ!!、と不意に力強く彼が大地を踏みしめたので、その音に、
「ひゃっ!?」
と、ボクは思わず声をあげてしまった。
「おっ!?」
そこで初めて、ボクの存在に気が付いたらしく、男の人も、ジャングルジムの上のボクを見上げた。
(公園、アイツ)
「なんだ、人がいたのかよ」
ぽりぽりと、頭を掻きながら彼はつぶやいた。
「そーだよ、ボクの方が先客さ」
ボクは言ってやった。その声を聞いて、
「なんだ、ガキか? もう夜も遅いぞ、早く家に帰ンな」
どうやらけっこうまじめな青年らしい、意外とカタいことを言った。
「一服したら、ね」
「はン、勝手にしな」
言いながら、肩を上下に動かしたりして、関節をほぐし直している。
「ね、今の、なに?」
「んー・・・何に見えた?」
「えーとね、ヘンなおどり」
ボクは率直に言った。
すると彼はクスッ、と鼻で笑った。
「なんだよ、おかしいこと言ったかよ」
ボクはむっとして、口をとがらせた。
彼は答えずに、
「興味あったら最後まで見てていいぜ、そしたら帰りな」
再び、気をつけの姿勢になった。
直立不動。
立ってるだけ、
夜の闇と、静寂に包まれた公園内の広場に、ただ彼は立っている。
そして・・・
す、
と、彼の両手が動き始めた。
またも、彼の動き始めた瞬間が、ボクには認識できなかった。
素早くて目にもとまらない早さだったからではない。
動きはゆっくりだ。
けれど、あまりにも柔らかく自然な動きは、けっこう把握し難いのかもしれなかった。
胸の前まで、ゆっくりと両手が上がり、ゆっくりと下ろされていく。
くるり、と両手が円を描き、同時に足が一歩前に踏み出され、次の瞬間、
ズシンッ!!
不意に力強く大地を踏みしめ、次は柔らかく両腕が広がっていく・・・
『円』
すべての動作が『円』であった。
目に見えない球体を、腕の中に抱えるような、
なぞるような、
圧縮していくような・・・
そんな柔らかな動きの中に、ときおり鋭い動きが混ざる。
圧縮された球が、一瞬にして広がりはじけ、稲妻のはげしさを帯びた手足の動き。
なんだ?
なんだコレ?
初めて目にするモノであった。
優雅な舞いのような・・・
でも、重厚な激しさをもった動き。
ボクは、見とれた。
気が付いたら、彼の動きが収まっていた。
静かなピアノの演奏が、ゆるやかな余韻を残して終わったように、彼の『それ』も、動きが止まってからもまだ何か、その場の空間に余韻を残しているような印象を持った。
ボクは、ジャングルジムの上から、ぽかんと口を開けて見ていたかもしれない。
吸うのを忘れたタバコの灰が、手の甲に落ちた熱さで、ようやく我に返った。
「あちーっ!?」
反射的に、大声をあげながら両手を振り回したせいで、今度は逆の手に持っていたコーヒーがジーンズの上にこぼれてしまった。
「あち、あち、あわわわわ」
「にぎやかなヤツだなぁ、あわててそこから落っこちるなよ?」
腕組みをした彼が、あきれた様子で笑いをかみ殺しているのが分かる。
「うっさいなぁ」
ボクはくわっと歯を剥いてやった。
しかし、まぁ、たしかに足を滑らしそうだったので、気をつけてジャングルジムからボクは降りた。
こぼした瞬間は熱かったコーヒーも、夜の冷気にみるみる温度を失っていく。
「あー、つめて、どーしてくれるのさ、あんたのせいだからねっ!!」
恥ずかしさのため、ボクは八つ当たりをしてしまった。
「なんだよ、オレのせいかよ?」
「そうさ、あんたのヘンテコなおどりに気をとられてこうなったんだよ!?」
「ヘンテコはひでぇなぁ」
彼は、苦笑しながらぽりぽりと、頭を掻く。
「ね、あれ、何なのさ?」
「何に見えた?」
「分からないけど・・・キレイだね」
ボクが言うと、彼はにっこりと嬉しそうに笑った。
「キレイとはうれしいね。アレは、『太極拳』てやつさ」
そう言った彼の目が、無邪気に輝いていた。
(太極拳とアイツ)
「・・・太極拳? 前に公民館でおばちゃんたちがやってるのを見たけど、あれと今のじゃ全然違う気がするけど?」
ボクは聞いた。
「色々あるのさ、ジブンが見たってのは、多分『簡化太極拳』だな。一番世間に広まっているヤツだ」
「へぇ、あんたのとどう違うの?」
「オレが今やったのは、『陳氏太極拳・老架式』。・・・太極拳に伝わる、古い型のひとつだ」
そう言って、彼は太極拳についての説明を始めた。
18世紀に、中国の河南省という所で生まれた拳法であること。
陳一族の間に伝わる秘密の技だったこと。
やがて、一族以外にも伝承され、世間に広まり、
『楊氏太極拳』
『呉氏太極拳』
『武氏太極拳』
『孫氏太極拳』
などの、様々な流派が発生したこと。
拳法の中でも、特に内面的な『気』の運用とかを重要視するので、『内家拳』と呼ばれる系統に属しているということ。
その、『気功』の功能に着目して、武術としてよりも『健康目的の体操』として型を組み直したものが、『簡化太極拳』。
現在もっとも世間に広まり定着している太極拳であること。
では、陳氏と簡化とでは、どれだけ違うのか?
「たとえばホラ、陳氏にはこういう動きがあるんだけどよ」
彼がぐぅっと腰を落とし、す、す、と腕を回し、動く。
深く膝を曲げたその動作は、下半身に相当な負荷がかかっているはずなのに、彼の動きは柔らかくなめらかであった。
「これが、簡化だとこんな形になる」
今度はほとんど膝を曲げず、重心の高い姿勢で、上半身だけが似た様な動きになった。
「な? ちがうだろ?」
実に楽しそうに、太極拳について語る彼の表情は、こんな寒い夜の闇の中であっても、とても明るく、生き生きとしていた。
「・・・なんか、いいな」
そんな彼の顔を見つめて、ボクは思わずつぶやいてしまった。
「ん? 何が?」
ボクのひとりごとの意味がわからないらしく、彼はきょとんと聞き返してきた。
「いや、あんたがすごく太極拳に熱心なのが分かるからさぁ。そんなに一生懸命になれるものがあるって、うらやましいな、って思ったから・・・」
「なんだとぉ、ガキのくせに年寄りくせえなジブン。やりたいことぐらいいっぱいあるだろーがっ!?」
「それが・・・、ないンだよね、これといってさ」
それを聞いて、彼は天を仰いでしまった。
「かーっ、ガキめ!! 何にもわかってねぇやっ!!」
「・・・何だよそれ?」
さすがにボクはむっとした。
「そのまんまの意味さ、人生これからだってのによ。何もかもわかったつもりになってねぇか? お前?」
「人生これからっていったってさ、これといってフツーな人生だし。これからも、こんなもんだろ?」
ちっちっちっ、と男は指を振る。
「そこがいけねぇ」
「そうかな」
「そうさ、お前がわかってるようで何にもわかってねぇってことを証明してやろうか?」
「はン。どうやるのさ?」
ヘンな男であった。いきなり何を言い出すのかと思う。もし、あまりにもマヌケなことを言い出したら、速攻でバカにしてやろうとボクは思った。
「『分からない』ってことを自覚するのは大事だぜ? 無自覚じゃ、進歩しねぇモンだ」
頭をぽりぽり掻いて、男は片方の眉を上げて、ボクの顔を見下ろした。
「まず・・・、そうだな、てめぇ、自分の手は思い通りに動かせるか?」
「当たり前じゃん」
「全身を、自由自在に動かせるか?」
「できるって!!、何がいいたいのさ」
ボクが口を尖らせると、彼はにやっと笑みを浮かべた。
「それが既に思い込みなんだよ。自分の手足が思い通りに動くわけねーだろ」
「???」
何を言い出すのかこの男。
ボクは動かせない手足は持っていないゾ?
すると彼は、右手の人差し指を、ぐるぐる回してみせた。
「右手でマルを描いてみな」
「こう?」
トンボを捕まえる時のように、ボクもぐるぐると宙に円を描いた。
「よし、左手では?」
「・・・」
右手を下ろして、左手の指で同じことをした。
ぐるぐる。ぐるぐる。
「じゃ、今度は、三角形が描けるか?」
言われるまま、今度は左右それぞれの人差し指で、三角形を試された。
「よっし、じゃ、右手で円。左手で三角。同時に!!」
「う・・・」
難しい。
左右それぞれでだったら出来たことが、両方の手で同時にやろうとすると、なんでできなくなるのさ!?
もたもたしてると、間髪いれずに、
「ほい、左手で円。右手で三角!! 左右入れ替える!!」
ぽん、
と手を鳴らせて男が言う。
もう、全然ダメだった。
円も三角も、ぐちゃぐちゃになって、ワケが分からなくなってしまった。
「うう~!!」
焦れた声を出したボクを見つめて、彼はにっこり笑った。
「な? 自分の手って、自由に動かせないだろ?」
「う・・・ん・・・」
「でもお前は、動かせて当然と、『思い込んでいた』」
「・・・うん」
「それは思い込みであって、事実と違った」
「うん」
彼は腰に手をあてて、ボクの顔を覗き込んだ。
「今のことにはよ。色々と、学ぶことが含まれているんだぜ? 分かるか?」
「・・・よく、わからない」
ボクは正直に言った。
すると、彼がにこっ、と笑う。
「いいね、その素直さ。・・・そう、『自分が知らない・分からない状態にある』ってことを、そのまま認めることは大事だぜ。さて、分からなかったら、次はどうしたい?」
「え? ・・・分かりたい」
「ベリィィグッド!!」
言いながら、彼は、ぱちりと指を鳴らした。
(『自分』探し)
「そうとも、分かりたい事がある。だったら、分かりたい。知らない事は、知りたい。当然の欲求だよな? でもよ、意外と多いのが、自分の経験から情報を引っ張ってきてさ、『あれはきっとこうだろう』とか、勝手に答えを『想像』しちまうことだ。
もちろんその想像が正しい事もあるけど、事実はその想像とは違う事が多いんだよな。」
そう言って、彼は肩をすくめた。
「たとえばホラ、今試した、自分の手を動かす実験だってそうだろ? 『やってみもしない』のに、お前は答えを想像したけど、『やってみたら』答えは思ってた事と違った。
これが、現実ってモンだ。そして、人生ってのは、そんな発見の繰り返しだよ」
「そっか、・・・そういうモンかな」
ボクは、素直に、彼の言葉に聞き入ってしまっていた。
ボクはこれまで、やりもしないのに色々と余計な事を考えすぎていたのかな?
やりもしないうちに、何かをやることをサボっていたのかな?
考え込むと、彼が言葉を続けた。
「さっきてめえは、『やりたいことが何もない』って言ってたな? そいつは、自分で自分を知らないだけだぜ」
「どうしたらいいのかな?」
「自分の事は、自分に聞くのが一番さ」
「またそういう言い方をする・・・」
口を尖らせて、ボクは彼をにらみつけた。彼はウインクして、
「いやホントだって、・・・お前な、自分の『好きなもの』を、すべて口に出して言ってみな」
「どんなもの?」
好きなものっていったって、イロイロあるからね。
「ジャンルは関係ねぇよ。人でも、色でも、食い物でも、何でも思い浮かぶものはすべて、すべてだよ。ホラッ!!」
言いながら、ぱん、と両手を打ち鳴らす。
反射的に、ボクは呪文のように好きなものを数え上げていた。
「本を読むのが好き。小説が好き。マンガが好き。テレビが好き。お笑いが好き。映画が好き。家族が好き。母さん父さんおばあちゃんが好き。友達が好き。夜の公園が好き。青い色が好き。赤い色も好き。カレーが好き。とんかつが好き。焼肉が好き。コーヒーが好き。イチゴが好き。みかんが好き。・・・えー・・・」
そこまではスムースに羅列できたのだが、それ以上は、なかなか言葉にできないで詰まってしまった。
その瞬間に、
ぱん!!
「はい終了。すらすらと、すぐ出てくるのはそんなモンだろ」
両手をまた打ち鳴らして、彼がボクの思考を中断した。
きょとんとして、ボクは彼の顔を見上げた。
驚いた。
何に驚いたって?
自分の好きなものが、たったこれだけしか言えなかったコトに対して、である。
こんなものだろうか? ボクの好きなモノって・・・?
彼はくっくっくっと笑っていた。
「おもしろいだろ? 自分に自分の事を聞いてみるとさ?」
「意外と・・・出てこないんだよね・・・」
「だけど、その口に出すことができたキーワードが重要なのさ。意識を振り絞って並べあげた今の言葉の中に、普段気づいていない『自分の気持ち』が隠されているンだぜ」
そう言う彼の顔を、ボクはぽかんと見つめた。
「あんたさ、初対面だってのに、よくボクの内面のことをすらすらと見通せるもんだね」
すると彼は、あごをさすりながら、
「んー? これも太極拳のおかげかもしれねぇなぁ。『聴勁』といってよ? 感覚で相手の動きを予測する練習をするからな。他人の心を読み取れるようになるのさ」
「へええ・・・」
それはすごい。超能力みたいだ。
と、ボクが心底、感心したら。
「なんて、な」
と言い出したので、がっくりきた。人をおちょくるのが好きな男だなぁ。
「オレは大学で、『教育心理学』って講義を受けてるんだよ。今のは、その内容の受け売りさ」
「きょういくしんりがく?」
彼は大学生らしい。
それで、教育心理学をベンキョウしてるってことは・・・
「おう、目下、教員になるための勉強中さ」
「なりたいこと、決まってるんだね」
そこがうらやましい。
「おっと、話を戻そうか。さて、次はやりたいことを挙げてみな・・・ってストレートにいったって、今のお前にゃムリかもな」
腕組みをして、すぐに人差し指をぴんと立てる。
「よし、それじゃ『面白そうだと思う仕事』って何かないか? この質問に答えてみろ」
「・・・『面白そうな仕事』?」
ボクは本が好き。
瞬間的にその言葉が閃いた。
さっき羅列した中でも、真っ先に出てきた、ボクの好きなこと。
ならば・・・
「『本を作る』なんて、いいな」
少し恥ずかしかったけど、ボクは、そろり、と口に出した。
生まれて初めて、ボクは自分の将来の夢を語ったのだ。
(はじめの一歩)
「いいじゃねぇか!! 言ったな!?」
にっこり笑って、彼はウインクしてみせた。
「じゃ、どんな本? ってコトになるよなぁ、・・・やっぱマンガか?」
ボクは少し考えて、
「ううん、あのね。小説をさ、書けたら、いいなぁ・・・なーんて、ね」
漠然と。
ホントに漠然とだが、自分のやりたいことが、形になりつつある瞬間だった。
ウソみたいだ。
このボクが、自分の夢を具体的に語りはじめてる!?
今まで・・・、
いいや、ついさっきまで、ジャングルジムのてっぺんで、ぼけっとして月を見上げてただけの空っぽの自分がウソみたいである。
なんとも言いがたい、形容しがたい高揚した気分。
こんな気持ちになったのは、生まれて初めてかもしれない。
ボクは、ボク自身を、今夜初めて再認識したのだ。
他人より家族より、誰よりも一番近い存在である『自分』に、今夜、『出逢った』のだ。
こんなこと感じるのは、世界中でボクだけかもしれない。
こんなことで嬉しく思うのは、恥ずかしいことかもしれない。
だけど、
生まれて14年とちょっとのボクは、このことに、はっきり言って、感動していた。
「ベリイイグッド!!」
高い声を上げて、彼が拍手をしてくれた。
「口にできたじゃねぇか、やりたいこと」
その表情は、満面の笑みを浮かべていた。
ボクのことなのに、まるで自分のことのように彼も喜んでくれているのだ。
すごく嬉しそうだった。
ボクは、真っ赤になった。
「いや、でも・・・」
テキトーに、思いつきで口にしてしまっただけなのだ。
落ち着いてくると、自分で自分が恥ずかしい。
小説書きたい・・・だなんてさ・・・
「いいさ、言うだけならタダじゃねーか!! でも、口にするコトすらお前は控えてたんだ、もったいないコトだぜ?」
「えへへ」
ボクは照れくさくって、鼻の頭を指で掻いた。
「まずは、一歩」
「え?」
彼は、まっすぐにボクの目を見つめて言った。
「口にしたことを、やるかやらないかってのは、また別の話ってこと」
「そう・・・だね。言ってみただけ、さ。ボクが小説家になるなんて、ムリだよね・・・」
ふう。
嬉しい気持ちになった分だけ、なんだかさみしくなって、ボクは月を見上げた。
そうそう、
現実を見つめなくっちゃ、ねぇ。
「おっとと!! なんでそこで再び暗くなるかな!? やってみもしないうちに色々考えるなよな。やってみたいことがあったらよ、とりあえず『やれ』、やりゃぁいいンだよ。そうでなきゃあ、自分自身、納得いかねぇだろうがよ?」
ボクが沈んだ顔になったので、彼は慌てた。
「また、たとえ話をしてやろうか?」
「今度は何さ?」
ボクは、ニットの帽子のはじっこを指でつまんで、引き下げた。
冷たくなってきた耳にかぶせたのだ。
さっきは、一瞬、かぁっと暖かかったけど。
彼のたとえ話は、いつまでも続きそうだから、寒さに備えよう。
「お前、自分の手をこうやって目の前まで持ち上げるとき、どうやって動かす?」
「え? 頭の中で『動け』って念じると動く・・・」
すー、と右手を上げてみた。
「ぶー、それ間違い」
「なんだよ、またかよ」
即座に否定されて、またもやボクは口を尖らせた。
「頭で思っただけじゃ、手は動かないだろ」
「???」
「『手、動け』って口で言ってみな、それだけじゃ動かないよな?」、
「う・・・」
「そう、『思ってるだけ』じゃダメだ。実際に手を動かす『何か』が働きかけて、手を動かしてるんじゃねえか?」
手をグーパーしてみる。
たしかに、『思ってるだけ』じゃ、動かない。
「そうだね・・・何が手を動かしてるんだろ・・・」
ボクが真面目な顔でつぶやいたら、彼はけらけら笑いだした。
「難しい顔するなよ、答えは簡単さ、『動かしてる』から『動いてる』だけの話じゃねえか?」
「・・・」
わかるような、わからないような・・・
「行動する、しないってのは、コレに似てると思うね、オレは」
はっとして、ボクは両手から彼に視線を上げた。
「バーチャじゃねぇんだよ、この世は。リアルなんだよ、って・・・わかるかなぁ?」
「うーん・・・いまいち」
今、一瞬、ボクは彼の言葉から何かを感じ取った気がしたのだが、やっぱり、わからないや。
何かを伝えようとしてる彼自身も、上手くソコのところが説明できないようで、ばりばりと頭を掻いている。
「ま、いいや、すぐわからない方がいいかもな。悩め、悩めよ? 青少年? 今、色々と考えをめぐらせるのは大事だぜ。
『我思うゆえに我あり』っていうだろ、そうやって人は自分を確立していくモンだ。まず自分、そして他人とのかかわり。その位置関係や、人間関係を見出していくこと。
その中でさ、『自分のイミ』ってモンが見えてくるぜ? そしてそのときにわかるはずさ、『人生』ってモンが、な」
「『自分の意味』・・・、ボクって存在にも、意味、あるのかな?」
小さな声で、ボクはつぶやいた。
そんなボクに、
「あるさ」
彼は、きっぱりと断言してくれた。
不意に、彼は両手を上げて、下げた。
それは、さっきの太極拳の、始まりの部分だった。
「この動作にだってイミがある」
(太極拳とボクとカレ)
「どんな?」
両手をそろえて持ち上げて、そのままゆっくり下ろしていく。
その動作に、なにが?
「オレの両手をしっかり掴んでみな」
彼が言うので、ボクは両手でがっちりと押さえつけた。
とたんに、
彼がそのままの状態で、すぅっ、と両手を上げる。
「わっ」
すぅっ、と下ろす。
「わわわっ」
しっかり押さえていたはずのボクの両手は、その動きによって上に下に揺さぶられ、ボクはバランスを崩して前につんのめってしまった。
何が起きてるのだ!?
彼の動きは、いくらも力を込めていない。太極拳のはじめの動きそのままだ。
ゆっくりなその動き。しかし、押さえつけていられないのだ。
「こいつは、腕を上げ下げしてるだけの動きだけど、ちゃんと意識を込めれば、今のようにイミのある動きになる」
彼は、にっ、と笑った。
「今の、太極拳の技?」
「見た目じゃ、わからないだろ? この動きが技になる、だなんてさ?」
「うん、面白いね」
「見た目じゃ、わからないもんさ。お前自身のことだってな。まだまだ自分探しが始まったばかりだろ?」
「そうだね」
答えながら、ボクは、今の動作を真似てみた。
両手を上げて、下げる。
「興味わいたかい?」
「うん、もともとボク、格闘技って好きな方なんだよね、スッキリするから」
ボクがそう言うと、
「お前、細いけど背ぇ高いじゃん? 何かやったら強くなるかもな」
自分の得意分野の話になったからか、彼の目が輝いた。
「うーん、実際にやるとなると、ねぇ」
実は、小学校のころ、見様見真似で柔道の技を使い、クラスで一番体格の大きい男を投げてしまったことがある。
我ながら、ちょっと才能あるのかも? なんて思ったけど、その後ものすごい勢いでいじめにあった。
ま、それも一時期のことで、すぐにいじめは収まったのだけれども、それから、ボクは一人でいる方が気がラクになって、一匹狼的な性格になったのだった。
(どうでもいいか、こんな話。)
「なんでもやってみるといいぜ? ホラ、小説にはネタ、話題が必要だろ? そういったイミでもな」
「そうだね、・・・ね、太極拳やったらさ、触らなくても相手をやっつけたりできるんだよね? 『気』とかでさ?」
ボクが聞くと、彼が笑った。
「ドアホゥ、『気』と超能力をいっしょにすんな!! 触りもしないのに、相手を痛めつけたり投げ飛ばしたりなんてできっこねぇだろ!? 太極拳で行う『気功』はな、自分自身の肉体を、イメージ通りに動かすための意識の運用の訓練だ。外側じゃなくて内側に向かう性質のモンさ」
そういうと、彼は一本の木に歩み寄っていった。
そして、右掌を、その幹に押し付ける。
「見てろよ?」
そういうと、
フン!!
いきなり強く息を吐く。
すると、木の幹がズシン、と音を立てた。
ほとんど動いた様子のない彼の掌から、なにか重い衝撃が加えられたらしい。
ドングリが、いくつか頭上からぱらぱらと落ちてきた。
「見た目じゃわかりづらいけど、今のは、身体の内側で、全力を振り絞って『打った』んだぜ。『気』の練習は、こういう動きのためのモンだな」
専門分野になって、彼の目が一味違う輝きを増した。
「筋力に頼らない身体の使い方や、力の出し方ができるようになるための、技術だな」
すごく得意げな表情で、彼は説明してくれた。
「ふーん」
そんな彼を見て、ボクまでウキウキしてきた。
痛そうなコトに興味はないけど、『何かをやりたい』って気持ちがあふれてくる感じ?
ホント、今夜は、面白い人に出会えた。ラッキーだったと、心底、思う。
「けどよ」
こっちに戻ってきながら、何か思いついたらしく、彼はいたずらっぽい表情になった。
ボクの前で立ち止まる。
そして、両手の掌を向かい合わせて、じっとそこを見つめる。
「?」
ボクは、黙っていた。今度は何をはじめたのだろう?
彼は、無言で向かい合わせた掌を見つめている。
そして、掌と掌の間の空間に、見えない球があるように、それをなぞるような動きをした。
「ちょっと、ココに指を入れてみな」
彼が、あごでそこの空間を示した。
「こう?」
言われるまま、ボクは彼の掌と掌の間の空間に指を入れた。すると・・・
「あれ?」
「感じるか?」
「・・・温度が・・・」
不思議だった。
何も見えていないのに、そこに、明らかに気温と違う温度をもった空間がある!!
そう、
見えない何かが、そこに、『ある』!!
「な、何コレ!?」
びっくりしたボクは、何度も指を入れたり引っ込めたりした。
「さぁ、何だろーなぁ」
うれしそうに、彼は笑った。
(夜の公園、月下の公園)
面白い。
面白い人に出会ってしまった!!
本当に、本当に、本当になんて人だろう、この人!?
「あんた、何者?」
「なんて訊ね方だよまったく、誰かに名前を聞くとき、しかも年上の人間と接するときの話し方ってモンをもう少し学んだ方がいいなジブン」
ぶつぶつ言いながら、彼はボクに改めて向き直った。
「オレの名は、前北 昇だ。大学3年生、お前は?」
「ボク? ボクはね、竹下まゆみ、中学2年生」
すると、彼が妙な表情になった。
「まゆみィ? 女みてぇな名前だなあ。 ・・・って、ジブン、『女子』かっ!?」
ひときわ高い声を上げて、彼が目を見開いた。
「今さら何言ってるンだあんた、いくら暗いからって、こんだけ長く会話してる相手の性別もワカらないのかよっ!?」
失礼なっ!?
こいつ、ボクボクってセリフだけで、ボクのことを『男子』だと思い込んでいやがった!?
ホント色々な意味で、ビックリさせてくれる人だよ、この人。
今まで、こんな人に出会ったことなかったなぁ。
「こ・・・こんな時間に、こんなとこで、ひとりでタバコくわえて月を見上げてるような不良が、女だなんて思わなかったンだよっ。
ったく、こんなことしてる間に、さっさと帰れ!! 補導対象だぜ?」
気付かなかった自分のドジに、彼は耳を赤くしていた。
ボクはくすくす笑ってやった。
「なーに、カタいこと言っちゃってるのさ。・・・でも、まぁ、たしかに遅くなっちゃった。
そろそろ帰るね、ズボンも冷たいし」
「おう、気をつけて帰れよ、おじょうちゃん」
そう言って、彼はまた太極拳の練習を再開した。
ゆっくり手を上げ、ゆっくりと下ろす。
目に見えない球を抱き、転がし、なぞっていく・・・
いつまでも見ていたかったが、ボクはその場を離れた。
じゃましたらいけないよね。
公園から一歩出たとき、背後から「おい」と、声をかけられた。
「小説がんばれよ、いつか見せてくれよな」
太極拳の動作を止めずに、彼はそう言ってくれた。
「うん、・・・でも、何書こうかな」
ホント、思いつきで口に出しただけだから、書く内容なんて全然決まってない。
恋愛?
推理モノ?
アクション?
SF?
「書くことに迷ったらな、『自分の人生』を書けばいいんだってよ」
「『自分の人生』!?」
「ダチが言ってたんだよ、『人は誰でも小説が書ける、人生を文章にすれば、誰でも一本の物語を書ける』ってさ」
「・・・そっかぁ」
「オレもそう思う。だから、お前もがんばりな」
「ありがとう、私、書いてみるね」
知らず知らず、拳を握りしめながら、宣言していた。
その言葉を聞いて、彼の太極拳の動きが止まった。
「お、『ボク』じゃなくなったな」
こちらに向き直り、頭をばりばり掻きながら、
「かわいいなぁ、おまえ」
そういって、にっこり笑った。
「えええええええっ!?」
彼にしてみれば、それは『何気ない一言』だったのかもしれない。
けれど、ボクにとっては、その言葉はとても衝撃的であった。
面と向かって「かわいい」だなんて、異性から言われたのは、生まれて初めて、だ。
舞い上がってしまって、
動揺して、
ボクはその場を全速力で逃げ出してしまった・・・
(我思ウ)
今でも、あの夜のことは鮮やかに思い出される。
ボクがボクであるために、
ほんのひととき、その場かぎりの出会いだったけれど、その後のボクの人生に、とてつもない影響を与えた夜だった。
彼が与えてくれたもの。
それは『自分探しのヒント』だったと思う。
今なら、『1メートルのものさし』を埋め尽くす事ができるようになった。
改めて、彼に感謝する。
しかし、彼って無責任な男だな。とも思う。
ボクが書いた小説、どこに持っていけば、あんたに読んでもらうコトができるっていうのさ?
互いに自己紹介はしたものの、はっきりいって正体不明。
あの後、何回か公園に行ったけど、会う事は出来なかった。
あの晩、ボクたちが出会ったことは偶然だったのかな?
互いの人生の、たった一瞬に、それぞれの一瞬がたまたま重なったってだけの偶然。
あとは離れて行くだけ。
二度と重なる事のない二本の線。
ま、
それでもいいさ、ボクはあの時宣言したとおり、小説を書いている。
これまでに、何本か書きあげた作品もある。
拙くとも、自分の手で書き上げた作品だ。
周囲の人に見せた。
恥ずかしかったけど、皆が言ってくれた。
「面白いよ」
「続きは?」
「もっと書いてよ、今度はこんなヤツ」
とても、
嬉しかった。
しかし、いつかは、あなたに見せたい。
もし、それが叶ったら、あなたはどんな顔するだろうか・・・?
それを想像しながら、今も、小説を書いている。
いつか、
どこかで。
ってね?
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