私が学校を出て初めて勤めた会社が黒田化学というプラスチック工場でした。ここで3年半、主に生産管理課で出荷担当をしていた訳ですが、この時鈴鹿富士ゼロックス行きの荷物のトラックの運転手さんだった人がIさんでした。
新潟県柏崎市の出身で独特の訛りがある人でしたが大変人情味のある方で、どんなに荷物の完成が遅れても「お前が悪いんじゃないからそんなに謝らなくていいよ」などと逆に慰められたものです。
私はこの後黒田化学を退社し税理士試験の道に入っていきました。Iさんにはその間、一度だけ鈴鹿にトラックで連れて行ってもらいましたがその後は次第に連絡も途絶えていきました。
私が税理士となり勤務していた頃、Iさんから突然自宅に電話がかかります。「俺と何人かで今の会社辞めて新しく会社作ることになった。ちょっと相談したいことがあるから来てくんねえか?」5年前の夏のことでした。
それ以来私の初めてのお客様として今日に至る訳ですが、社長としてドライバーにはいつも気を遣い、ときには怒鳴ったり諭したり、ここにはとても書けないようなご苦労をたくさん見てきました。でもやはりIさんの根底にあるのは人に対する愛だったのだと思います。
昨日の昼過ぎIさんが社長を務める会社の事務の方から一本の電話がありました。「あのー、社長が亡くなられたんです。」言ってる意味が分からず「え、どこの社長ですか?」とお聞きしますと「ウチの会社の社長です。」・・・・・。
急いで午後の予定をキャンセルしIさんのアパートへ駆けつけると従業員のドライバーの方とIさんと親しくしていらした別の会社の社長(この方も私のお客様)がいらしており、ちょうど今警察の検死が終わり部屋に入れるようになったとのこと。そこにはIさんの変わり果てた姿がありました。
午前4時半頃急性心不全で亡くなったとのことでした。苦しくていろんな方に助けを求めたかったのでしょう、携帯電話を手に息を引き取っておられたということでした。
夕方頃柏崎から奥様や息子さん達が到着され、柏崎で葬儀などを行いたいとのことでIさんを搬送されました。
私も感じていたのですが、Iさんは自分の命が長くないことを知っておられたのだと思います。私が毎月会社を訪問する度に「おい、坂野上。俺が死んだら会社はお前が面倒みるんだぞ。頼むよ。」などと冗談交じりにおっしゃっていました。どうやらご家族にもそのようなことは最近しょっちゅうおっしゃっていたそうで何とも言い表すことのできない気持ちでいっぱいになりました。
先週末にも柏崎の実家に行ってくるということでお電話を頂いたのですが、私にとっては最後のIさんの声となりました。
あれだけ人の苦労を一人でしょいこんで全速力で駆け抜けてこられたIさん、享年58歳。こんなに早く柏崎ではなく富山で、しかも一人寂しくお亡くなりになることはないじゃないか、と声をお掛けしたのですが本当にこの世の無情を感じずにはいられませんでした。
これからIさんの言いつけ通りに会社の新しい体制作りにご協力させて頂きます。Iさんに笑われないよう立派に恩返しをしていきますからね。
Iさんのご冥福をお祈り致します。
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