神への信頼を第一とし続けられますように





親交の深い人一倍元気な叔父が 突然 脊髄の梗塞で入院し 見舞いに行った私は 平安と癒しを求めながらも 祈れず 不安でいた。 その矢先 カテーテルの検査以後 心筋梗塞を起こしてしまった。元の身体には戻れない、いつ 急変するかわからない、叔母の悲しみと不安は 見ている私に痛く重く迫ってきた。





実は数年前 しばらく同居していた弟のようないとこが 事故で入院し すぐさま病院へ駆けつけた私は、お互いに涙ながらに 生きていられたことを感謝して 癒しを祈って帰り、教会へも癒しを願うメールを送り、祈り続けた。

ところが その直後 急変し 帰らぬ人となってしまった。

このことが 非常にトラウマとなり 人の前で祈ることが怖くなっていた。



祈っても 主はどう働かれるかわからない 死んでしまったら どうしようもないじゃない 私の祈りを聞いた他人は主を信頼しなくなるんじゃないか





あなたは神よりも人のことを思っている サタンよひきさがれ 



確かに私は 主よりも人のことを第一に思ってしまっている

だから苦しいんだろう



「あなただけは、と 信頼していたのに」

信頼していた友人に裏切られ(うそをつかれ)、その友人にそれ以来憎悪をもってしまう。



人は普遍なものではない もともと神様にそう作られてしまっているから そう思うと 攻めることは出来ない 裏切られることがあっても 仕方のないこと それなりにいろんな事情があったりする。

主を第一のよりどころと考えると そう思え 許す気持ちが開かれてくる。





トラブルや不安があるたび 主に祈りながらも まず人の顔を思い浮かべ どうしよう 誰に相談しよう などと 結局は人を頼りすぐに行動していた。

私を落ち込ませる ブスコンプレックスや 社会へのコンプレックスも サタンが与えたもので 主は 私に 「私だけを見よ」と かけがえのない平安と癒しを与え続けてくださっている。





まず 主を第一とし祈り求めるなら、祈って静かに待つ、と言う事。

今の私に必要なのは、最後の最後まで主にすべてをゆだね、信頼するということ。



どんな状況にあったとしても、主だけを待つ。ひたすら主だけを待つ。



自分の力で切り開いてきた と 信じて生きてきた苦しい孤独な過去よりも、主に出会ってからの、安らかに待つ 今の人生の方が、私はとてもシアワセを感じる。





叔父さんやおばさんの人生が 主の平安で守られますように。



そばに私が置かれているということが 主からのメッセージ 祈り続けよ ということですね。



結果や形にとらわれず 最後まで主を信頼し続けることが出来ますように





主よ ありがとうございます



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