彼方の足跡



彼方の足跡

・幼年期1
 母が弟の出産の為入院。その余波で自分は祖母宅(といっても自宅からすぐ近く)の方にある保育園へ。ここには同い年の従妹も一緒に通っていたが、自分はどうしても余所者意識が抜けなかったのか余りみんなで遊んだ記憶が無い。
 誕生日に手形を取るのは何処も一緒らしい。将来の夢は『スピルバンのお嫁さん』。当時大好きだった特撮のヒーローである。彼にはヒロインにあたる女性パートナーがいたが、確か恋人ではなかったと思う。確か。お遊戯会の記憶も薄っすらあるが、未だに自分は何をしたか思い出せない。そのうちお遊戯会の風景の記憶も薄れるのだろう。
 クラス担当先生の、眼鏡の奥の優しい表情や、何故か毎回おかわりしまくった給食のワンタンが強い記憶。食い意地張ってたのな、俺。
 そこに通ったのは確か一年くらい。よく父が単車で迎えに来たり、足の不自由な祖父が迎えに来たりしてくれていた。
 何にも知らなかった。

・幼年期2
 自宅近くの幼稚園に新たに入園。如何にして硬い泥団子を作るとか、砂場の底が見えるまで穴を掘るとか、レモン跳びとか、インディアンごっことか、お遊戯の時間の拍子木打ちとか。
 お絵かきの好きな友達の絵を真似てみたりする。この頃から真似ではなく自分の絵を描きたいと思っていた節がある。何しろ綺麗に真似て描いた絵は一枚も残っていない。その友達が今どうしているかは何一つ知らない。
 お気に入りはインディアンごっこだった。家に帰ってもごっこ遊びはいつまでも続いていた。紙で作った魚を割り箸に刺し、紙とセロファンで作った焚き火の周りに粘土で刺す。紙の魚の腹に紙を詰めて膨らませて立体感を出すなど、中々工夫もしていたらしい。
 お歌の時間と絵本の時間も好きだった。幼稚園で配られた(多分親の金で購入したものだったのだろうが)絵本は未だに全部ある。先生の伴奏で独唱するお歌の発表も実は大好きだった。緊張もするが、自分ひとりの声で何処まで巧く歌えるかというのが好きだった。
 強い記憶は園遊会(そんな名前だったかは忘れたが)。インディアンの領土の中に綺麗な泉がある。その泉には妖精がいて、妖精たちは泉の宝物を護っている。その宝を狙って海賊たちがやってくる。しかし泉の妖精や森のフクロウの知恵でインディアンたちは海賊を退ける……‥概ねそんなストーリー。演じるのは幼稚園児なので台本なども殆ど無い。ほぼアドリブである。私はその海賊の頭。祖母の造った衣装に身を包み、如何にインディアンどもを出し抜き、妖精を退けてお宝を手にするか……気分はフック船長。
 もうこの頃から今の私が出来上がっていた気がする。
 好きな男の子もいたが、そいつは同じ小学校へは行かず沖縄だかなんだか、遠くへ行ってしまった。ほっぺにちゅうを体験済み。

・小学校低学年
 髪は長かった。腰まで伸ばした髪を二つの三つ編みにしてもらって、黄色い帽子に赤いランドセル。
 なのに男子とはよく取っ組み合いの喧嘩をした。普通に女子の中でも遊んだが、時には対立する男子と派手に立ち回り、時には大怪我もした。漢字の書き取りの時間に何故か男子と取っ組み合いの喧嘩になり(勿論けしかける女子もいた)、持ったままだった鉛筆を自分の顔面(鼻の下)に刺すという怪我をしてみた。
 このとき保健室まで付き添ってくれた男子を好きになる。クラスでも問題の悪ガキだったが根は優しいし何より彼の知っている遊び場はどれも面白かった。木登り、追いかけっこ、戦争ごっこ(石を投げ合う危険な遊び)、カラス退治、秘密基地。まだまだ世界は輝いていた。夏の日差しも好きだった。冬は雪が降るのが楽しみだった。
 また、このとき音楽の先生に腹式呼吸を教わる。思い通りに声が伸びるようになる。しかし一人だけ声がでかいので合唱の時は邪魔者扱いだった気が。

・小学校中学年
 担任教師(ジジィ)の仇名は『アル中』。とてつもなく倫理的によろしくない小学生どもだ。この教師は習字が巧みで悪い先生ではなかったのだが、何をするときにも手が震えていたので先の様な仇名がついた。実際はどうだったのか知らない。
 給食のおかわりを、先生が寸胴を持って回る。溢れんばかりに注がれたザーサイスープ。きっと忘れないぞオイ(爆笑)
 不条理な事にはとことんキレる先生だった。良い人だったが学校側の風当たりは冷たいような気がした。あんまり記憶に無い。
 四年になるとまた担任が変わった。今度は打って変わってやたらと干渉したがるおばさんだった。強制的に日記を書かされ、更にそれを提出させられていた。
ねぇ、日記ってその日にあった事や感じた事や思った事を書いて自分を振り返るために使うものでしょう?どうして一教師であるあんたに見せてやらなきゃいけなかったんでしょうね?何でいちいちあんたのご意見書き込まれなきゃいけなかったんでしょうね?
 この時から世の中年女性全てに対して不信感を持つ。何故こんな女が小学校の教師になれたのだ。日本の教育界はそこまで人手不足だったのか。
 大人に反抗する事を覚える。
 嫌いなクラスメイトと一緒の学校に行くのが厭で中学受験を考え始める。絵画教室に行かせてもらっていたので最初は美術系の学校を志望していた。
小学四年の夏から、塾へ通い始める。四谷大塚進学練成会。日曜テストも受けに行っていたが、結局a会員(一番下のランク)から動く事は無かった。

・小学校高学年
 某有名RPGの小説に感化され、自分でも小説を書き始める。400字詰め原稿用紙40枚程度書いた所で自分で読んで面白くない事に気付き、破棄。最早キャラの名前も覚えていないというのに、主人公の顔と設定だけは覚えている。いつか使ってやろう。
 『詩とメルヘン』という雑誌を担任教師の勧めで購読し始める。世の名だたる詩人たちの詩に混じって投稿作品が山ほど載っている。しかし私の感想は「ふぅん、こんな考え方もあるのね」どうやら普通に図書館で詩集を読んでいた方が良さそうだった。その雑誌は何冊か読んだが、すぐに飽きて止めた。
 作文は得意だが感想文は苦手だという奇怪な事実に気付く。また、国語の時間に物語を書く、という課題が出され、一人で延々ファンタジーを書いて皆に呆れられた。当時つるんでいた友人が一人ゲームブックを作っていた。彼女の話が一番面白かった。
 美術的な絵を書く才能は無いと分かり、美大付属の中学の受験をやめる。かわりに文系の盛んな学校を探し、絞り始める。
 ゲームブックを書いた友人に影響され、暫くまともに描いていなかったイラストを描き始める。今になって発掘したそれは見るも無残にデッサンが狂っていたが、情熱だけはあった事が伺える。
 塾では国語と理科が得意で算数と社会は苦手という珍妙な生徒だった。文系か理系かはっきりしろ、自分。
 自分で言い出した受験だが、教師の指導法と自分の相性が見事に悪く、後半は半分くらいサボった。教会幼稚園の近くの木に登り、塾の終わる時間までいつもボーっと座っていた。問題児で、学校でも塾でも教師との諍いが絶えなかった。
 自分の嫌な事を嫌だと云ってはいけないのが社会の決まりなのかと文句を垂れながらも受験は成功。私立校は金がかかるといって某女子高(当時偏差値60近かった)を切り、滑り止めは発表を見にも行かず、第二志望の国立に決定する。思えがここが私の一番大きな転機だった。

・中学1~2年
 通学が決まったのは中野区にある某国立中学。中高一貫教育と、双子の実験で有名らしい。とってもとっても可愛くない制服に身を包み、先ず友人作りから始める。
何もかもが新しく、期待と失望が常に交互にあった。まだ幸せだった頃の記憶も今は遠い。生物部、料理部に所属していた。
 このころ、従妹に連れられて某巨大ゲームセンターに行き、サイキと出会う。

・中学3年~高校1年
 ソリの合わない教師の見分けがつき始める。元来苦手だった数学に端を発し、社会科系、古文、果ては化学と物理までもが教師のおかげで余計苦手になる。
 友人は沢山出来たが、その友人に会う為だと理由付けて学校へ行くのも嫌になる。遅刻が重なり、保健室登校になり、部活だけに出るようになり、ついには朝学校に行くフリをして近所のファーストフードで寝るようになる。漫研に属していたが程なくやめる。
 しかしこの頃には同人活動も始める。知り合いのツテで子守りのバイトをし、イベント資金に当てる。日給7~8千円。15・6の小娘には大金だった。
 たまに学校へ行けば教科とは別のノートに小説や詩を書き散らしたり、原稿にペン入れをしていた。保健室でマシンガンのように点描を打っていたときもあった。中3の春コミをきっかけにイベントへ行く回数は増え、イベント仲間も出来たが成績は下がる一方。出席日数も足りていない。それでも止まる所を知らず、幽白、るろ剣、サイキ、超人とイベントで本を買いあさり、自分はサイキで活動をする。
 高校1年の夏、マクドでアルバイトを始める。エミリオの誕生日に開催されたサイキオンリーで旦那(彼氏)と初めて名詞を交換し、仲良くなる。
 春休み、初めて煙草を吸う。
 一番自分勝手に過ごしていた時期だった。

・高校2年
 危ぶまれた進学も何とか果たしたが、絶望的にソリの合わない教師が担任になる。もうこれはだめだ、と、導入されたばかりのカウンセリングルームに入り浸りになる。アコギを購入し、不器用な手先で一生懸命練習する。
 旦那と付き合い始める。三十路だと思っていたら20代前半でした。ごめんなさい(ヲイ)。
 しかし遂に学校、親、そして俺と、三者の意向がかみ合わなくなる。精神的にも追い詰められ、バイトをやめる。リストカットが始まる。病院に一時通ったが、余りの薬の合わなさと医者の態度の悪さにブチきれ、やめる。煙草の本数が一ヶ月に一箱、二週間に一箱、一週間に一箱と、徐々に増える。煙草に関連したことや、自分の中の鬱憤を詩にしてノートに書き散らす。
 小説もイラストも続けていたが、読み返すと自分の破綻ぶりが良く分かる。
 風呂場で泣きながら剃刀で左腕を滅茶苦茶に切り刻んだりした。
 文藝部に所属し、サイコな小説や詩ばかり書き散らす。
 友人の勧めでギルティにはまる。

・高校2年12月~
 遂に破綻。実家近くの都立高校定時制に編入する。喫茶店でバイトを始める。学費は安いが親がもう学校関係以外に金は出さんと断言してくれやがったので結構必死に働く。月5万程度の小遣い稼ぎだが自分の自由になる金があるのは嬉しかった。
 しかしこの頃から更に鬱、リストカット、不眠症が悪化。やがて友人の紹介で再び病院へ通う。この病院が結構当たりで、家から遠い事を除けば見事に理想だった。
 文芸部、演劇部、音楽部を掛け持ちし、新たな友人を作り、学園生活は非常に充実していたように思う。アウトドア部に乱入して茸狩りへ行ったりもした。

・高校4年
 喫茶店をやめる。チラシ配りのバイトを始める。卒業したら実家を出ると宣言し、友人(現在の同居人)と部屋を探し始める。
 11月、紆余曲折を経て部屋も決まり、友人は先に新居へ。終末メシスタントな日々を送る。

・社会人1年目
 3月、高校を卒業。チラシ配りも止め、同居人の紹介で業務請負に登録。新居へ移るが実は仕事先が新居から一時間半もかかる罠。ついでに云うと実家からならその半分くらいで通える罠。現場監督は良い人だったが会社と様々対立して一ヶ月で自ら首クビ。
 チラシ配りと業務請負の間の繋ぎで三日間だけやってみたキャバクラというものを本業にする。
 2003年9月。そろそろ精神的に疲れたところで昔の友人に紹介されて実家近くの喫茶店へ勤務し始める。遠いが仕方ない。
 しょっぱなから鬱により二回連続で遅刻するという大チョンボをし、その後色々あって結局クビになる。紹介してくれた友人Wごめんなさい。お店で短い間一緒に働いてくれた皆さんごめんなさい。
 キャバはまだやめていない。今年中にやめるのは無理なようだ。一応求職中。

 追記。
 2003年5月。アニメ化に危惧を抱き、同居人と共に「鋼の錬金術師」オリジナルver.としてドラマテープ作成。コーネロの声とか安定しないままOK出しちゃったり(時間無かったし)なんか付け焼き刃な感じで一人10役以上とかとんでもないことやってみたけど、同人で作ったにしてはなかなかの出来だと自負出来る位のモノにはには仕上がった。
 後日(10月4日)本当にアニメ放映が始まる。恐いモノ見たさで取り敢えずケーブルで放映されるまで待ち、ビデオに撮って同居人と穴が開くほど見てアラ探しをする(ヲイ)。色々ツッコミ&笑い&狙い所満載だった。冬はきっとガン●ンの辺りが凄いことになるだろうと予想。あまり行きたくない。






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