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この2ヶ月で萩原遼さんの著書を4冊読みました。 前に日記に書いた「北朝鮮に消えた友と私の物語」を最初に読み、その後「平壌とソウル」「朝鮮戦争~金日成とマッカーサーの陰謀」などです。 非常に興味深く、また知識欲を掻き立てられる本ばかりでした。 萩原遼さんは、高知県に産まれ、親の事情で大阪に来て定時制の高校で学びます、そこで親友となる在日の友人と出逢います。 時は1960年代前半、日本から北朝鮮への帰国事業が真っ盛りの時でした。 萩原遼さんの親友は北朝鮮帰国事業で北朝鮮に行き、その後萩原さん自身も、赤旗の平壌特派員として北朝鮮に渡り親友の消息を探します。 しかし地上の楽園と言われていた北朝鮮は、嘘で塗り固められた国で、萩原さんは友人を探した事をスパイ行為と疑われ1年後北朝鮮を追放されてしまいます。 萩原さんはその後、赤旗を退職しアメリカに渡り、公文書図書館に通い2年間、朝鮮戦争の研究に没頭しました。 「朝鮮戦争~金日成とマッカーサーの陰謀」にその研究が書かれていました。 本の巻末に韓国人の大学教授が解説を載せて、こう言っています。 「本来なら韓国人の誰かがこの本を書かなければならなかった、この本を日本人に書かれたことを恥と思う。 まさに朝鮮戦争を研究している韓国人が書きたかった事が、この本には全て書かれている」 と絶賛されています。 mixi2009年4月の日記より転載・加筆
2011年01月19日
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昨日仕事から帰り、録画していた「野人時代」を見ました。 この中で、日本が盧溝橋事件から日中戦争に入っていくくだりから太平洋戦争に至るまでを、ドラマの中で説明していました。 低い声のナレーションで、資料映像のような戦闘シーンを流しています。 これがひどい! 中国に対し宣戦布告をしないで違法に一方的に不意打ちを食らわせた。 そして南京大虐殺をはじめ1,400万人の民間人を虐殺した。 (1,400万人ですよ、どうやって殺すのですか?オーバーにも程があると思いませんか?) それに怒った世界各国が日本を非難し、資源が入ってこなくなった日本はアジアを侵略する太平洋戦争を起こす。 (中国を除く、他のアジア各国は太平洋戦争は日本の侵略戦争ではない、アジア開放の戦争だったとの共通認識があります・インドネシアやパラオには日本軍が自分たちに変わって戦ってくれたという公式文書まで存在します) 大まかに書くとこういう説明です。 ドラマを見た韓国の視聴者は、資料映像と共にあたかも本当らしいナレーションで、どんどんどんどんウソを刷り込まれていきます。 こういう手法、他のドラマでも「英雄時代」などでも見られました。 当時の日本を、我々だけではなく中国やアジアの他の国でも、悪逆非道を繰り返した悪魔の国である、なので日本は朝鮮人にもひどいことをしたのだ。 という自分たちの歴史解釈に間接的な説得力を持たすようにドラマを作っています。 知らないうちにドラマを見た韓国人は、10中8,9はドラマのナレーションを信じ、日本とはこんなにひどいことをやっていたのだ、という間違った認識を植えつけられると言ったやり方です。 話は飛びますが、ベトナム戦争当時を扱った韓国ドラマでは、ベトナム戦争で韓国軍がベトナムの民間人にどのようなひどいことを繰り返しやったのか?と言う事には一切ふれません。 マスコミの力ってすごいですね~ 何千万人の国民を洗脳する力を持っているのですから。 韓国ドラマのお約束の部分ですが、いつの日にか「昔の韓国ドラマって日本のことはウソが多かったよね」と韓国のマスコミ人が公開の場で言える時代が来て欲しいと切に願います。 こんな事ばかり書いていると、サンキュウは右翼と言われそう~ 違いますからね(笑) ただ韓国に関する歴史の勉強をしているうちに、自分が子供の頃先生に教えてもらっていた、幾つかの日本の歴史も間違いが多かった事に気付いただけです。 特に戦争当時のアジアのことについて。 私が小学校の高学年の時には北朝鮮の事を「身分に上下の差がなく、教育も医療も無料の地上の楽園」と教えられていましたからねぇ~ 日本も他人の国の事を言えないくらいの、子供に対してひどい教育をしていましたよね。(反対の意味でです、日本国民であることが恥ずかしくなるような・・・) 最近の韓国ドラマは少しずつこういった手法は減って行っているかなぁ~とは思いますが・・・
2011年01月18日
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この映画、1980年に光州で起こった事件を民衆側から見た作品です。事前に公式ホームページを見ていて期待度100%で行きましたが・・・ こう書くと、察しが付くと思いますが・・・期待度が高すぎたのか、少々不満に感じました。 映画のテーマへの導入部分で、この事件を知らない人のためにもう少し説明が必要だったのではと思います。 もちろん韓国映画ですから、韓国の人は知っていると言う前提なのでしょうが、韓国でも当時は嘘八百の報道しかされず、いまだに光州で暴動が起きたから軍が出動したと誤解をしている韓国人さえ多い現状なので、この事件が勃発したきっかけや、なぜそれが光州で起こったのか?という説明が冒頭で必要だったように感じます。 もちろん事件の背景を知っている人間が見ると、映画としての完成度と言うか、捉え方はすばらしいと思います。 ある人の書き込みにありましたが、事前にこの事件に関する本や、別の映画などを見て、ある程度の知識があると、本当に考えさせられるいい映画だと思います。 韓国では元々、全羅道、済州島出身者への差別意識が根強くある事も一因でしょう。 日本からの解放後に、無辜の市民が大量に虐殺されたのは、この二つの地域しかありません。 韓国人の心の奥底にある、全羅道だから・・済州道だから・・という差別意識がこの事件を引き起こした理由にあると感じています。 では見終わってからの感想を・・・ この事件は1980年5月18日に勃発しました。 ほんの28年前です。 私はその当時19歳、もし韓国の光州に居たならば、必ずやこの事件に巻き込まれ、映画の中の光州の高校生・大学生のようにデモをやっていたでしょう。 そして、あの不条理な出来事・・・国民を守るはずの軍隊が、国民を虐殺すると言うひどい事件に遭遇していたはずです。 それもお隣の国、韓国で実際にあったことです。 当時日本でも新聞などで報道されていましたが、やはり暴動が勃発という表現しかされていなかったように思います。 全 斗換大統領には、特に印象を感じていませんでしたが、こいつが韓国史上最低の大統領だったと言うのは理解できました。 ある意味、ノムヒョン前大統領よりひどい。 事件の冒頭、軍が自分たちは重装備をしているのに、丸腰の無抵抗の市民を殺しまくる所は、これが近代国家か?と目を覆いたくなるような惨状でした。 韓国ドラマ「砂時計・モレシゲ」の中に、光州事件に巻き込まれた主人公の友人が、「俺達の国の軍隊が、俺達の税金で買った機関銃で、俺達を殺すわけが無いじゃないか!あいつらは俺達を守ってくれるはずだ!」と叫びながら、軍隊に撃ち殺されるシーンがありました。 また同じドラマで、主人公の1人が光州出身なのにこの事件に派遣され、作戦中に友人を見かけて、機関銃を打てなくなり上司に殴られているシーンもありました。 そのほか「ペパーミントキャンディ」にも光州事件にふれているシーンもありましたし、この「光州5.18」をしっかり理解するには、事前の知識が必要だろうと思ったわけです。 私は光州事件のわずか9年後、韓国にはじめて行った訳ですが、空港での軍隊の警備や、街のいたるところに機関銃を持った兵隊が居た事を思い出し、今更ながら怖い時代に韓国に何も知らずに行っていたんだなぁ~と思いました。 しかしこの映画も20数年前なら、国家反逆罪ものです・・これが堂々と韓国で作られるようになったと言う事を見ても、韓国の民主化が相当進んだんだなぁ~と言う事はわかります。 この映画の韓国での題名「華麗なる休暇」というのは、この虐殺劇に参加した軍の作戦名です。話は飛んで・・・ アン・ソンギやっぱり演技うまい! 私のmixi日記2008年5月よりの転載・加筆です。
2011年01月17日
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「明成皇后」ミョンソンワンフと読みます。 全124話の大河ドラマで、1860年頃から1900年過ぎの朝鮮の激動の時代を描いているドラマです。 この頃の朝鮮は、外国からの干渉も多くなり(日本だけではありません、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、清、などなど)外交面で大きな岐路に立たされていました。 内政に関しては相変わらずの権力争いに終始し、国の存亡に関わる問題が目の前に迫っている状態で、大臣達は自己保身のみに走り、国としての機能は喪失している状態でした。 こういう状態の中、王様に直系の跡継ぎが誕生しないまま哲宗が亡くなり、大王大妃の趙氏が自己の権力を維持するため、傍系の王族から新しい王様を立てます。 この王様が、高宗です(後の大韓帝国皇帝) 高宗の治世の初期の頃は、高宗が幼かった事もあり大王大妃の趙氏が垂廉政治(摂政)を行っておりましたが、高宗が結婚したのを契機に摂政が高宗の実父である大院君に変わります。 大院君は政治的には改革派で、さまざまな改革を打ち出しました。 身分制度の見直しや、両班からの税金の取立て、都への通行税など景福宮再建のための施策も次々と打ち出しました。 しかし次第に高宗の妻である、閔氏(明成皇后)との対立が深まってきます。 これには理由があり、明成皇后が妊娠中に高宗の後宮の李氏の息子(完和君)を大院君が世子に指名しようとした事が、二人の間の亀裂を決定的にしました。 大院君は明成皇后の外戚が権力を持つことを警戒したのです。 この時代の直前まで、4代前の王様の皇后一族の、安東金氏(アンドンキムシ)一族が60年にわたって権力をむさぼっていたのです。 この60年間に安東金氏が蓄えた財物は、当時の一年間の国家予算の3倍と言われるほど、民衆から搾取していました。 大院君は親戚のいない李氏の息子を皇太子にする事により、閔氏一族が権力の中心に来る事を押さえようとしたのです。 ドラマは明成皇后と大院君の対立、明成皇后と大王大妃・趙氏との対立、明成皇后と日本との対立を中心に進んでいきます。 最後は明成皇后が日本の右翼勢力に暗殺されてしまい(これにはいろいろな説があり、大院君がかかわっていたという説もある)日本への併合につながっていくのです。 明成皇后はロシアに朝鮮をゆだねようと考えていました。 事実、高宗はロシア領事館に逃げ込んでいた時期があります。 高宗は優柔不断な人だったらしく、ロシアに保護を求めたかと思えば、明成皇后が亡くなった後日本へと急接近をしたり、結局大韓帝国の初代の皇帝になりました。 ドラマでは、明成皇后は日本の圧力に対抗したヒロインとして扱われているようですが(韓国ではこういうドラマの作りしか許されない部分があります)歴史的に見ると、朝鮮自体が清国の隷属から解かれたあと、ロシアや日本と協力してしか欧米の圧力から生き残れない状況だったわけです。 前にも書きましたが、ロシアに併合されていたら今の韓国はありません。 ロシアが独立を許すわけがありません。 韓国ドラマはこういった歴史的背景や、正確な朝鮮王朝の状態を無視して日本が全て悪いと言う描き方をさせています。 こういう作りをしないと世論が反発する、という情勢もあるのでしょうが、日本の植民地時代にこんないいこともあった、日本人と朝鮮人が協力して何かを成し遂げたというドラマが出来て、初めて韓国が反日と言う呪縛から解き放たれる時ではないかと思います。 韓国で田内千鶴子さんのドラマ、作らないのでしょうか? せめて韓国に人道的に大きな貢献をした、田内さんのドラマくらい作っても罰は当たらないと思うのですが・・・
2011年01月16日
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2年2ヶ月ほど前に韓国関連の小説を書きたいなぁ~と始めた楽天のブログ。 いままで小説や韓国関連の事をいろいろ書いてきましたが、もう800日になりました。 このブログを始めたおかげで、知り合いになれた方々も増えて実際にお会いした方もすでに8人になります。 最初に「韓国関連の小説を書く」という趣旨からは最近はずれつつあって、私自身の想像力や文章力、構成力の無さからなかなか書けていません、今では2本目の小説は更新が滞っています。 しかし、この800日間で81,000アクセスを越え、一日100人ほどの方がこのブログを見てくださっている(宣伝アクセスもあるので実数はもっと少ないと思いますが)ので、励みになって書き続けてこられたということもまた事実です。 ここを覗きに来てくださった皆さん、ありがとうございます。 小説の方もいずれ再開したいと思っていますが、今しばらくは韓国関連の四方山話での更新になるんじゃないかと思います。
2011年01月16日
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イ・ヨンエが大学生の頃の代表作です。 珍しくイ・ヨンエが厚化粧で麻浦の「美人村」という酒場のホステス役で出演しています。イ・ヨンエが初めて挑戦した汚れ役のドラマです。 脇役も多彩で、子役の頃から有名なチャン・ソンミンが恋人役。(この人、ジャッキーチェンの若い頃に似ています)この二人を中心としてドラマは展開して行きますが、サイドストーリーも秀逸でした。 韓国の母と言われているナ・ムニが頭のボケたおばあさん役(これは熱演でした、最後に記憶を取り戻しまともになるシーンは感動的です) そしてチャングムの義理のお母さん役でお馴染みのクム・ボラ。 1970年代のソウル・麻浦をドラマで楽しめます。路地裏の家並みや町の様子、当時の韓国人の服装など、なんか自分が子供の頃の日本の雰囲気がありました。 今は有名になった麻浦の眞味食堂が移転する前の路地裏にあった時、このドラマのデジャブを見ているようでした。 ドラマの中で麻浦警察署も出てきましたから… 涙あり笑いありの、いいドラマでした。過去の私のmixiの日記からの転載でした。
2011年01月15日
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10月12日から1月12日までの期間限定ショップでした、セントレア韓情館が昨日無事閉店しました。セントレアには多くの継続を希望されるお客様のメールが届いたそうですが、次に期間限定でオープンするショップが決まっていますので、また次の機会に…という事になります。一番近直ですと、3月1日から13日まで、セントレア4階のイベントスペースで「韓国イベント」が開催されますので、その機会にセントレア出店が決まっています。昨日まで出店していた、セントレア韓情館は2階の到着ロビーという悪条件のなか、韓国を好きなお客様に支持いただき、まずまずの結果でした。ご愛顧いただきました皆さんに感謝いたします、ありがとうございました。今日はこれからセントレア韓情館の撤収作業です。最後まで事故なく終われるよう頑張らねば!
2011年01月13日
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このドラマ面白いです・・・ 一言で言って、ありえないような設定のドラマなのですが、それも気にならないようなドラマのリズム感があり、視聴者を飽きさせない工夫がいろいろちりばめられています。そういえば・・・主人公の俳優、どこかで見たような・・・ あっ、そうだ。 「ユア・マイ・サンシャイン」だ! ファン・ジョンミン。 この人、味があっていいですね~ 嫁さんいわく、ファン・ジョンミンさん、映画しか出ない俳優なのに珍しいと。 映画でもそうでしたが、平凡な、でも明るく前向きな男を演じさせると最高ですね。 見終わった後に、こんなに爽快感を感じる韓国ドラマは久しぶりのような気がします。 ごく一握りの悪役以外は、キャストのほとんどが憎めないいい人・・・ このドラマのキャストはみんな好きになりました。 ファン・ジョンミン、キム・アジュン、イ・チョンア、ペク・ソンヒョン・・・ 郵便局のみんなも、秘密を暴こうとしていたチェ記者もいいヤツだった。 ソウルに行った時、明洞の中央郵便局見たら、このドラマを思い出すでしょうね(笑)お断り・・・最近小説の更新がまったくできておりません。忙しいということもありますが、私自身小説を考えながら書くという心のゆとりがない事も理由です。しばらくの間は小説の更新は出来ないと思います、大変申し訳ありません。
2011年01月10日
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SJCの会報に関連して、最近見ている韓国ドラマ「ソウル1945」についてです。 このドラマ、最初想像していた内容より相当骨太なドラマです。1945年の韓国解放前から、解放後の主に南朝鮮の右翼と左翼のせめぎ合いと、その混乱に乗じて他人を落としいれ自分だけが得をしようとする人々、そして家庭の中でも右左に分かれての仲たがい・・・ 右翼の西北青年団や、韓民党、南朝鮮労働党、自由党など実在した団体も多数出てきて、ドラマとは言いながら、ある程度史実に沿った内容になっていることが伺えます。しかもドラマに出てくる実写の映像や写真が頻繁に使われ、視聴者に事実であるような印象を与えるように構成されています。 大きなドラマの流れとしてラブストーリーも絡ませてありますが、やはりドラマのテーマは朝鮮解放後の混乱と、朝鮮の人々の”自分でもあわよくば権力を握れるかもしれない”という欲望が見事に描き出されています。 ライバルを共産党のスパイに仕立て上げ、陰謀にかけて落としいれ自分がその立場につこうとする事や、自分がのし上がるためには他人の命を奪う事など仕方がない・・・と言った考えの持ち主がいかに多かったか。 私の中では「ソウル1945」は文句なしのS級にランクされます。韓国ドラマ「野人時代」の朝鮮解放後から朝鮮戦争終結までを凝縮したようなドラマです。(特にイ・スンマン大統領役の役者さんと、キム・グ役の役者さんが、野人時代とまったくキャストがかぶっています) 余談ですが、パク・サンミョンの悪役はじめて見ましたが、なかなかのものでした。
2011年01月09日
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年が明けてからさまざまな懸案事項の処理に明け暮れ、なかなか気が休まる日がなかったのですが、そんななか一昨日の金曜日、韓国からSJC(ソウルジャパンクラブ)の会報が届きました。 この会報は韓国に赴任されている日本企業の駐在員の家族の方への会報なのです。それがなぜ日本に住む私の元にとどいたか・・・ 実はこの会報の12月号に「サンキュウの独断と偏見の韓国ドラマランキング(補訂版)」が掲載されたのです。 私の書いた文章が活字になって本に掲載される、なんか面映いような恥ずかしいような不思議な気分です。 今回の掲載のきっかけを下さった素浪人さん、ありがとうございました。 でもこうして活字になった文章を見ると、もっとうまく書けなかったか? 自分の文章力になさを痛感します。
2011年01月09日
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皆さん、明けましておめでとうございます。去年は秋口から立て続けにイベントがあり、なかなか小説の更新ができなくて申し訳ありませんでした。また、このブログを通じてお知り合いになれた方々、私の関係するイベントをいろいろな形で応援していただきまして感謝しております。会社は明日が仕事始め、今日は野暮用で一日が終わりそうです。今年もなかなか更新できないかもしれませんが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
2011年01月04日
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昨日26日、テレビ大阪さんとのイベント「OSAKA韓国クリスマスフェスタ」は無事終了しました。ご来場いただきました方々、いろんな形でご支援いただきました皆様、本当にありがとうございました。イベントは関西空港モイムの来客数が低調で、ハービスホール会場に移ってからは前半は好調、後半は天気の影響も受けて、全体的には反省点の多いイベントになりました。10日間のイベントを通しての来場者の総数は1万人弱でした。イベントを開催した側の立場としては、来場されたお客様に事故なく楽しんでいただけましたので、この点は良かったところですが、準備段階の様々な部分で課題や反省点が浮き彫りになったイベントでもありました。一年目のイベントで、実績がなく協賛機関や協賛企業の支援を、充分に取り付ける事が出来なかったところが大きな課題です。もし来年も開催するとなると、この部分が向上しないと難しいかな?…という印象です。私自身としてもいろんな反省点がありますが、本当にいい勉強をさせていただきました。今までの私が携わって来た小規模なイベントと違い、テレビ局さんの絡む大きなイベントは、個人的な情熱だけではなかなか成立しずらく、私自身も一皮むけないといけない、という事を実感しました。最後に、このイベントを開催するチャンスを与えてくださいました関係者各位、悪天候のなかイベントに足を運んで下さいましたお客様、イベントを応援して下さいましたすべての皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
2010年12月27日
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明日から「OSAKA韓国クリスマスフェスタ」の会場製作が始まります。まずは関西空港エアロプラザ2階会場の作り込みに立ち会います。そして明後日は販売業者の商品搬入とディスプレイです。全体の会場面積が500坪ほどありますので、まるまる2日間付きっきりになります。15日のイベントオープンの日は、朝7時前に関係者は会場に集合し、お客様の導線確認や、もしかしたら発生するかも知れない事態(怪我人、迷子、スリ、その他犯罪行為など)に対する対応を再確認します。昨日までにイベント開催を消防署・警察署・保健所などに事務的な届け出を済ませました。さあ、後はイベント開催中にどれだけのお客様が来ていただけるか?業界関係者からは注目を集めているのは間違いありません。日本中のテレビ局や商業施設の責任者、百貨店関係者、在日の韓国企業の責任者の方々からテレビ大阪や私の元へ、見学に来たいという話が10件以上舞い込んでいます。期待感は高まるばかりですが、当事者の私としては期待半分不安半分の気持ちです。6月から始めた「OSAKA韓国クリスマスフェスタ」の準備。やっとここまで無事に漕ぎ着けました。後は事故なく、来場されたお客様に楽しんでいただくため全力を尽くすだけになりました。イベント関係者が一人一人、与えられた仕事をしっかりやれば、結果おのずから付いてくるでしょう。ホント、カウントダウンの段階に突入です。今日は1日ゆっくり休んで、明日からの14日間に備えます。イベントが始まったら、イベントのエピソードを更新したいと思っています。(通常の小説の更新はしばらくお休みになります、ご了承ください)
2010年12月12日
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広島駅南口地下イベント広場の「韓国エンタメ2010」も盛況のうちに無事終了して、昨日から次のイベントの為に大阪に来ています。15日からの関西空港エアロプラザのイベントにも¨キム・ジェスンさんという若手男優が来日する事が正式決定しました。19日の日曜日にトークショー及びミニライブが開催されます。ロッテ免税店のスターアベニューや上映映画にちなんだDVD・CD・グッズも販売されますし、16社の韓国関連商品の出展、韓国観光公社、ソウル観光公社、オリオン製菓、旅行関連ブースなど、会場内すべてが韓国の雰囲気でお楽しみいただけます。もちろん「パジョン」「キムパ」「トッポギ」「ホルモン牛串」「韓国スナック菓子」など、会場内ですぐ食べられる物も販売します。今日はこれから両会場でのイベント開催の為の消防署、保健所回りです。
2010年12月08日
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帝国議会で話をした後、向井文次郎は新橋駅に向かっていた。 8年前に大阪まで開通した鉄道に乗って京都まで行くためである。 新橋駅に着いた文次郎は蒸気機関車が牽引する客車に乗り込み出発を待っていた。「向井さん!」 窓の外から文次郎を呼ぶ声がした。「向井さん、私です、岡本です」「あ~岡本さん、日本に帰っていらっしゃったんですね?」「はい、向井さんのおかげで朝鮮では何とか生き延びれました、ちゃんとお礼も言えず・・・」「いやいや、私は何もしていませんよ・・・岡本さんは忠清道の仲間と勇敢に戦ったじゃないですか、朝鮮人も日本人も仲間だということを身をもって示したじゃないですか・・・立派です」「みんなと戦えたのも復権の機会を与えてくれた向井さんのおかげです。あれがなかったら今の私はありません」「岡本さんは今日本で何を?」「朝鮮と日本を結ぶ仕事をやっています、小さな商いですが・・・」「貿易ですか?・・・それはいい、朝鮮語も話せる岡本さんならではの仕事ですね」「ありがとうございます、斉藤実さんから向井さんが日本滞在中と聞いて一目お会いしたくて」「なるほど・・・それでこの汽車に私が乗ることを知っていらっしゃったのですね。この汽車の切符は斉藤さんに頼みましたから・・・ハハハ」「これからふるさとの京都に向かわれるのですね、ではお気をつけて」「はい、ありがとうございます。わざわざ新橋まで来ていただいて・・・岡本さんもお元気で・・・また朝鮮でお会いしましょう」「では・・・」「では」 10日間の京都滞在を終えて東京に戻った文次郎は、朝鮮への再渡航の準備に掛かっていた。 文次郎のもとには次々と政府高官が訪ねてきていた。話は何とか新しい朝鮮半島に関する利権に関わろうとする、いわゆる政治屋ばかりであった。 文次郎はそんな連中の相手をすることに辟易としていたが、伊藤博文より再度の呼び出しがあり、朝鮮に戻って伊藤博文が考えている事を実行してほしいという依頼を受けた。「向井さん、向井さんを子爵にと天皇陛下に推薦しておいた。もちろん若狭さんもです」「はっ?子爵・・・ですか?」「向井さんは朝鮮半島の平穏を得るため目覚しい働きをした、当たり前でしょう・・・それにこれからは若狭さんと共に朝鮮皇帝である高宗と付き合っていただくことになります、子爵くらいの位がないと対外的にまずいでしょう。調べさせてもらいましたが向井さんの家柄も由緒正しい」「伊藤閣下、それだけは勘弁してください。子爵なんて柄ではありません。私以上に貴族にしなければいけない人は多いはずです、これだけは辞退させていただきたい」「ハハハ、向井さんは欲の無い方ですね。子爵になれば国から少なくないお金を毎月支給されますぞ」「朝鮮にいたらお金なんて必要ありません、朝鮮民族のいいところは助け合いの気持が強い事です。お金なんぞなくても何とかなります」「今まで子爵に・・・と話をして断られたのはあなたが初めてです・・・わかりました、この話は引っ込めますかな」 伊藤博文は満面の笑みをたたえながら向井文次郎を見つめていた。 朝鮮に戻る文次郎は伊藤博文より高宗に宛てた親書を携え、皇太子の日本留学と朝鮮各郡に学校建設を行うための資金援助というおみやげがあった。 文次郎は朝鮮に戻る船に乗り込むため横浜港に向かったが、その足取りは非常に軽やかであった。つづく
2010年11月29日
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斉藤実から伊藤博文との階段を要請された向井文次郎は、渋々ながら伊藤博文の屋敷に向かった。 伊藤博文は7年前まで総理大臣を勤めていたが、今は政界の長老として日本の行く末を見る立場になっていた。 伊藤の屋敷には常に政界や財界から相談や陳情の来客があったが、今日は向井文次郎がやって来るということで一切の来客を断っていた。「やあ、君が向井文次郎君か」「はい閣下、初めてお目にかかります」「向井さん、あなたのほうが私より2歳年上です。敬語は堅苦しくていかんです、ざっくばらんに朝鮮情勢を教えてくださらんか?」「いや伊藤閣下、伊藤閣下は国家の重鎮、私は京都で食いはぐれて朝鮮に渡ったいわば朝鮮浪人のような者です、いくら年上でも・・・」「何をおっしゃる、向井さんのことは井上馨からも秋山好古将軍からも聞いています。朝鮮での我が国のための働き、誠実で献身的で朝鮮人民に溶け込んでいるとも・・・して、ご子息の健一郎君は元気でやっていますか?」「健一郎の事までご存知なのですか?」「彼もあなた同様、朝鮮に溶け込んで目覚しい働きをしているとか、頼もしい親子ですなぁ~」「健一郎はもう朝鮮人として暮らしているような物です、妻も朝鮮人ですし日本を離れた時7歳でしたが、今はもう45歳になります、子供もおりますので私もおじいさんです」「健一郎君は向こうではどんな仕事を?」「はい、朝鮮国民学校の教師をしております」「ほう、教師を・・・どうだね朝鮮の教育事情は?」「まだまだ学校自体数が少ないので、なかなか後進を育てるというところまでは行っておりません。健一郎は朝鮮の混乱期に共に戦った友人たちと田舎で暮らしたいなどと常々言っておりますが、実現するのはまだ先のようです」「そうか、なるほど・・・時に向井さん」「はい?」「朝鮮は一本立ちできるかね?率直な意見を聞かせてくれ」「時間はかかりますが必ず」「時間がかかる?」「はい、10年か・・・もしかすると20年か・・・」「そんなにかかると?」「この10年の日本からの支援で医療面や民生面では目覚しい進歩があり、昔3~4年ごとに発生していたコレラや赤痢などの疫病は、ほぼ流行しなくなりつつあります。しかし治山治水の土木工事、学校教育面はかなり時間が掛かります」「政治的にはどうかね?」「今の皇帝の高宗は我々に対して友好的です、これは身近に若狭重伍総隊長がいるおかげでもあります。そして皇太子も日本に対して好意を持っております」「そうか」「はい、皇太子は高宗からロシアに幽閉されていた時の話を聞いて、また長く若狭さんが教育係りをしていたので、日本の急激な発展に興味を持っているようです」「なるほど、では日本にご招待しよう、東京帝国大学の聴講生という形でよかろう。住まいはここを使えばよろしい」「それは喜ばれますよ、朝鮮と日本はこれからしっかり協力していかないと諸外国の餌食になります。日本と朝鮮・・・この二つの国が強く結びついてこそ列強の欧米諸国が手出しを出来ない地域になって行くと思います」 伊藤博文はわが意を得たりという表情になり、持論を文次郎に語り意見を求めた。「今日の向井さんとの出会いは非常に有意義であった。5日後に帝国議会がある。斉藤君に指示を出しておくから特別立会人の資格で出席して欲しい」「私に何をお求めですか?」「正直に今の気持を語ってくれればいい。朝鮮半島で暮らす日本人の生の意見を言ってくれればいいんです」「本当にそれだけで?」 はじめは帝国議会などに出席するのは真っ平ゴメンだと思っていた文次郎であったが、伊藤博文の真面目な人柄と誠意にほだされ、伊藤博文の邸宅を辞する時には帝国議会に出席する気持ちになっていた。つづく
2010年11月28日
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バルチック艦隊を破った日本軍は、旅順攻略に児玉源太郎を参謀総長として第3軍に送り多くの犠牲者を出しながらやっと旅順を落とした。 日本陸軍は奉天での決戦が最後の大勝負と位置づけ、主力の第1・2・4軍と後備師団、それに旅順を落としたばかりの第3軍まで投入し大勝負に出た。 ロシア軍31万名と日本軍25万名の激突である。 結果は膠着状態だった戦況の中、日本陸軍がとった陽動作戦にロシア軍があわて、またクロパトキン将軍の判断ミスも重なり日本軍が薄氷の勝利を得た。 そのころ向井文次郎は日本に呼びかえされ、明治政府の朝鮮半島担当者の斉藤実と向かい合っていた。「向井殿、貴殿は朝鮮半島に40年近く在住し、彼の地のことは一番詳しいであろう」「はい、彼らとは長く苦楽を共にしてまいりました」「今政府では朝鮮半島をどのように管理していくのがいいのか、意見が分かれておる」「管理・・・ですか?」「うむ、この度の日露戦争で得た、満州や遼東半島、樺太の南半分を含めて、大日本帝国としてどういうように管理し、また発展させていくのかということについてだ」「意見が分かれているとは?」「予断を与えてはいかん、向井殿の意見をまず聞こう」「それでは・・・」 向井文次郎は白髪まじりのひげを撫でながら少し考えて話し始めた。「朝鮮は私が行った頃に比べ民心は安定し、日本の援助でインフラ整備も進み、特に医療衛生面で特段の進化を遂げております」「ふむ」「農業面でも河川や治山の効果が現れ、洪水や日照り対策も大きく進化しております。このまま朝鮮人に自治を任せ、今まで通り我が国は足りない所にそっと手を差し伸べるという姿勢でいいのではと思います」「このままか?」「はい」「では、日本はどこまで関わればいい?」「朝鮮人の本格的な政府を築き、日本人は政府顧問の立場で助言していけばいいと考えます。まだまだ教育面での整備が遅れておりますので、学校建設や教師の派遣、教師養成などが急務です」「軍事面は?」「今の体制を維持しながら朝鮮人を日本に派遣し、朝鮮人士官の養成を行うべきだと考えます」「今のままと言うと、黒木大佐に任せると言う事か?」「はい、その通りです。彼の朝鮮兵に対する軍事教練は定評があります、日本兵朝鮮兵分け隔て無く接する態度も朝鮮兵の士気を高めて教練の習熟度が効率的に進んでいる理由でもあります」「そうか、なるほどな」 斉藤実は机から書類を取り出し、向井文次郎に示した。「これは政府が第一案として考えている事である。伊藤博文閣下のお考えといってもいい。しかしこの案に反対しておるものも多い」「ちょっと拝見します」 向井文次郎は30ページ渡る文章をじっくり読み始めた。 書類には朝鮮半島を自主独立の国とし、日本との同盟国として支援しながら交通の自由などを担保し、満州への陸路を確保していく案であった。 伊藤博文の計画には朝鮮半島の工業化への支援を行う事は書かれていたが、植民地化することには反対していた。 理由として一番大きな物は資金面である。 日本国内のインフラ整備や工業化や効率的な農業を行うための治山治水なども完全に出来ていない現状の中、朝鮮半島に必要な整備の資金を投入する事は不可能である、との結論になっていた。「私も伊藤博文閣下のお考えに賛成です・・・と言いますか、伊藤閣下の慧眼に敬服いたします」「そうか?」「はい、彼の国は今まで長い間清の属国でありました。やっと大朝鮮国として国としての体裁を整えたばかりです。500年以上にわたって放置され続けてきた山や川、野放図に木が伐採され禿山だらけです。ここの植林して山を甦らせるだけでも長い年月と莫大な費用がかかります・・・それに朝鮮人全体への教育も必要です、まず身分制度を完全撤廃し朝鮮人全体の文盲率を下げる事から始めないと、何を始めても無駄です」「私もそう思う、ところがだ・・・そう考える役人ばかりではないのだ」「といいますと?」「うむ、以前あった征韓論を持ち出し、朝鮮半島を日本にしてしまえと言う話も出てきている、主に薩摩出身者に多いのだがな」「というと大久保閣下ですか?」「・・・いや、誰とは言わん。伊藤閣下と同等の力を持っている方が中心になって朝鮮半島を日本の植民地にして満州につなげ、混乱している中国をも手に入れる足がかりにしたいと考えているのじゃ」「そうですか?・・・」「そこでだ、向井殿」「はい」「お主の考えはよく分かった、これから伊藤閣下にお会いして帝国議会で意見を言ってくれんか?」「えっ?帝国議会ですか?・・・そして伊藤閣下と会う?・・・いやいや私には無理です」「いや、お主のような朝鮮半島に詳しい者が説明する必要がある」つづく
2010年11月28日
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http://www.tv-osaka.co.jp/event/koreafesta/テレビ大阪さんのイベントホームページです。いろいろな内容で皆さんをお待ちしております・・・一部ご紹介いたしますと・・・「関西空港・韓情館」が出店。最新の韓国K-POPのCDやドラマ映画のOSTCDの大量放出。SPOの韓国映画、韓国ドラマの日本語字幕つきDVD、今話題の「イケメンですよ」「宮」のメイキングDVDなど、韓流ファンには答えられない品揃えです。演歌が好きな方には韓国トロットや、一昔前のダンスミュージックCDなどもできる限り品揃えします(すでに廃盤になっているCDも、いくつか品揃えできると思います)さらにライセンス物の韓国タレントグッズ、東大門の新作アクセサリー、梨泰院皮革製品、東大門平和市場紳士雑貨、韓国の食品・お菓子、婦人雑貨などの販売。協力業者からは、螺鈿家具、螺鈿小物、東大門市場婦人服、キムチ・チャンジャ、クレタレ実演(竜のひげ)、小公洞宝飾品、南大門市場生活雑貨、化粧品、韓方製品、チジミやトッポギ、ホットク、キンパ(韓国風海苔巻き)の実演販売、ビビンパ用ナムル販売など。韓国紹介ブースでは、オリオン製菓のブース(関空のみ)、韓国観光公社のブース(ハービスのみ)、韓国からソウル観光公社、アイマップ、化粧品紹介ブース、HIS(ハービスのみ)、テレビ大阪さんの韓国ドラマブースなど盛りだくさん。さらに会場内で3,000円お買い上げにつき1回、ロッテホテルの無料宿泊券や韓国にちなんだ賞品があたる、空クジなしの抽選会に参加できます。そして・・・ロッテ免税店さんの「スター・アベニュー」が大阪初上陸。韓国からスターアベニュー契約タレントの、JYJ,ビックバン、ピ、カン・ジファン、ソン・スンホン、チェ・ジウなどの等身大パネルが登場。スターと一緒に写真が撮れます・・・もちろん無料です、カメラは必携ですね。最新情報は一番上に表示してある、テレビ大阪さんのホームページで随時更新されます。ぜひ、ぜひお楽しみに!
2010年11月21日
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12月15日~20日まで関西空港エアロプラザ、23日~26日まで梅田ハービスホールにて開催されます。すでに何度かご紹介していますが、先日イベントPR番組のソウルロケも無事終了し、招聘タレントさんもほぼ固まり、あとは開催するための事務的な届け出を各機関に行う、というところまでこぎつけました。テレビ大阪さんのホームページにはイベント独自のホームページも立ち上げられ、視聴者からの反響も多く寄せられているそうです。イベント開催まであと1か月を切りました。私たちの会社は大阪イベントの前に、12月2日からの広島駅南口地下広場の韓国イベントもあります。年末に向けての2本の韓国イベント。どちらも規模の大きなイベントなので、事故なく無事成功させて来年につなげたいと思っています。そして昨日、セントレアの韓情館へ来年3月のイベント開催依頼が飛び込んで来ました。こちらも年内から道筋を着けなくてはいけません。また忙しくなって来ました。
2010年11月20日
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長く続いた出張もいよいよ明後日で終了し自宅へ帰ります。この間、セントレアからソウル、山口と移動でした。今回のソウルはテレビ局の方々と、イベントPRの為の番組ソウルロケでした。初めてのロケ同行でしたが、いろんな人達との出会いがあり、いつものソウルとは違う楽しさがありました。ソウルはG20の開催中という事で、様々な場所で、様々なハプニングもありましたが、なんとか無難に切り抜ける事ができ、無事日本に帰国し山口県のイベントに来ています。おかげ様で山口県のイベントは初日から大盛況をいただき、たくさんのお客様にご来場いただきました。小説の方は2~3日後から更新する予定です。今後ともよろしくお付き合いください。
2010年11月14日
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高宗の肝いりで始まった日本人農民の受け入れは、ほんの数ヶ月で驚くべき効果を発揮した。 朝鮮人農民の考え方を根本から変えたのだ。これまでの朝鮮の農法は自然任せで農地の手入れなどで汗を流すということがなかったが、農閑期には内職をしたり農地に手を加え田んぼや畑を育てていくという日本人農民の生活が朝鮮人農民に大きな刺激を与えた。 「若狭殿、最近の農地改革は目覚しい効果だぞ!やはりそなたが提案してくれた日本人農民の受け入れが大きな効果を発揮しておるな」「いえいえ、決断された皇帝陛下の功績です」「ところで・・・若狭殿、ロシアの動きはどうなっておる?」「我が軍が優勢に動いております」「我々が手助けすることは無いのか?」「はい、今までのように内政が発展するように、それだけを皇帝陛下は考えてください、ロシアとの戦いは朝鮮には迷惑が掛からない形で終わらせるように動いております」 ロシアと日本の戦いは旅順港の争奪戦が激烈になっていたが、先日の日本海海戦で日本海軍がバルチック艦隊を撃破し制海権を得、旅順港を制圧する事も、もはや時間の問題といえた。 ロシアのバルチック艦隊はヨーロッパ各国に嫌われていたため、またユダヤ人に弾圧を加えていたためスエズ運河を通過できなかった。 なのでヨーロッパからアフリカの喜望峰を迂回し長い航海を経て朝鮮半島近くにたどり着いた。 すでに戦う前から勝敗はついていた。 万全の体制で迎え撃った日本海軍は、疲れ切ったバルチック艦隊をT字戦法という戦法でバルチック艦隊を葬り去った。 あとは陸軍力の戦いである。 ロシアはシベリヤ鉄道を急ピッチで建設し、ヨーロッパ方面の兵力をアジアに投入しようと考えていた。 長引くと日本が不利になる。 制海権を握った日本は朝鮮半島ではなく清の大連に大量の兵力を送り込んだ。 騎馬部隊の秋山好古少将が奉天で鉄道を制圧した段階で、旅順のロシア兵は孤立し補給線を切られた格好になった。 もう勝敗は時間の問題となっていた。「若狭殿、シベリヤに取り残された民をどうやって取り戻せばいいだろうか?」「皇帝陛下、今我が国は講和に向けて準備を進めています」「講和?なぜだ?今の日本軍の働きならこのまま押し切れるだろう、なぜ講和など・・・」「皇帝陛下、ロシアを侮ってはなりません、底力はすごいものがあります・・・今回の我が軍の有利な状況はロシア国内が揺れている事も理由です。決して我が国の実力だけで有利になったのではありません」「うむ・・・そういうものか?」「はい、その講和の条件に朝鮮人民のシベリヤからの無条件での返還も含まれております」「なんと!我が国の事も講和の条件に入っておるのか?」「はい、朝鮮半島の繁栄、すなわち我が国にとっての利益になります」「・・・???・・・なぜ我が国の繁栄が日本にとっての利益になるんだ?」「それはこういうことです」 若狭は高宗に日本の考え方を話した。 朝鮮半島が独自の発展をしてくれれば日本にとって軍事的に非常に助かることや、アジア全体で経済的にも軍事的にも欧米各国の植民地政策に対抗できるようになれることなど、わかりやすく説明した。つづく
2010年11月01日
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急遽決まり、今日から月曜日まで行きます。今回は仕事です。そして予定通り11月8日から11日まで、テレビ局のソウルロケに同行します。立場的にはアドバイザーのような感じでしょうか・・・初めてのロケ同行ですので、ヤジ馬的に興味シンシンです(笑)11月23日からは、久しぶりに嫁さんと一緒に韓国へ。韓国に3泊した後、帰りに嫁さんの里の愛媛県によって、27日の土曜日に帰宅する予定。この韓国行きは、まったくのプライベートです。9月に続いて11月も3回の韓国行きになります。11月に23日からの韓国行きが、今年になって15回目の韓国になり、通算ですと21年で322回目の韓国訪問になります。最近ソウルは非常に寒いそうです、ちょっと厚着をしていかないといけませんね。冬の韓国、中は薄着、外は厚着が快適に過ごすコツですね。外の寒さはすごいのですが、室内の暖房の利かせ方はハンパじゃありませんからね。日本のように外でも建物の中でも同じ服装だと、建物の中では汗だくになってしまいます(笑 )小説の更新は月曜日の夜に頑張ります。では、行って来ます。
2010年10月30日
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いよいよ出来ました。12月の「大阪・韓国クリスマスフェスタ」の公式ホームページです。まだ第一弾ですので、新しい内容が決まり次第どんどん更新されていきます。http://www.tv-osaka.co.jp/event/koreafesta/招聘タレントの方も大筋は決まってきていますが、正式に決定したら発表されます。さすが”テレビ局”という人と交渉中、どんな方が来るのかはお楽しみに・・・ロッテ免税店さん提供の韓流スター等身大パネルでの写真撮影コーナーもあり、ほかにもまだ発表できない企画も目白押しです。いよいよイベントが近づいて来ました。
2010年10月27日
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大朝鮮国には皇帝である高宗が頭を悩ます大きな問題が2つ存在している。 まず一番大きな問題は食糧問題であった。 朝鮮では長く農民から両班たちが無謀な搾取を続けていたため、農民たちに向上心というものがまったく育たず、行き当たりばったりの農業を続けていた。その為日照りや長雨など天候不順がある年には農作物の収穫が低下したが両班の搾取は過酷を極めたため農地を放棄し流民になり、放棄され荒れ果てた農地が多くある。 さらにその農地ですぐに作物を作ろうとする流民になった別の農民たちが焼き畑農業を多く行ったため、農地が荒れ果て生産量が著しく低下していた。 高宗が農地の実態を調査してみると、李王朝の頃課していた農民への課税は生産量の4割、しかも天候不順などで生産量が低い年には2割まで税金を下げていたが、実際には地方の政務官が8割もの税金を農民から搾取し、暮らしていけない農民たちに米を高利で貸付け、返せない農民には婦女子を奪い売らせるというような、非人道的行為が跋扈していたのである。 こうなってしまったのには理由があった。 李王朝の悪癖である売官である。 高額な値段で、役人としての地位を買った者が、当然の権利として払ったお金に見合う搾取を勝手に行う行為が当たり前になっていた。 またそういった行為を李王朝は黙認していた。 そして、もうひとつの大きな問題が財政不足である。 これは一つ目の問題と大きく関連しているが、トドメになったのが李王朝最後の王妃の閔王妃の散財と王妃一族のやりたい放題の国庫からの税金の横取りで、外国からの借金が莫大な金額になっていたことである。 高宗は若狭重伍と連日この二つの問題をどう改善するのか相談していた。「若狭殿、これほどわが国が腐っているとは・・・知らなかった私は皇帝失格であるな」「皇帝陛下、今は昔の出来事をどうこう言っても仕方ありません、これからどうしていくかです。時間はかかるかもしれませんが、まず地方役人たちの教育を行い、国の体制が変わり今までとおりの事を行うと罪に問われるということを教えなければなりません」「そんな悠長なことで大丈夫だろうか?」「ひとつづつ確実に解決していかないと・・・それに農民たちの意識改革を」「意識改革?」「そうです、意識改革です。農業は国の基幹事業です、まず農業をしっかりやれば安心して食べていけるんだということを自覚してもらうんです」「なるほど・・・そのためには私はどうすればいいのだ?」「清廉な地方役人の入れ替えと、荒れ果てた農地の復旧、そして効率的な農作業の手順の教育です」「・・・・・」「皇帝陛下、思い切って日本から農民を受け入れてみませんか?」「日本から?」「そうです・・・こういう言い方がいいかどうかわかりませんが・・・・」「言ってみてくれ」「はい、日本の農民たちは勤勉です、辛抱強いのです、きっと朝鮮の農民たちの良いお手本になると思います。やってみませんか?」「うむ・・・日本をお手本にか?」「はい、そして出来れば役人たちを指導する立場の補佐官も必要です、これは日本人でなくてかまいません、朝鮮の農民たちが心を無にして指導を仰げる精神的支柱が必要です」「それは朝鮮人ではだめなのか?」「・・・朝鮮人でもいいのです、しかし人材がいません、そして効果を早く求めるなら外国人のほうが良いでしょう・・・・そうですね・・・・清が以前連れて来たドイツ人のメンドルフさんが適任だと思いますが」「あいつはだめだ、王妃と組んで悪政の手助けをした人間だ」「能力はあります、適材適所で人材を使っていなかったのでしょう、彼も合理的な考えを持った優秀な官僚タイプの人材です」「・・・・・気に入らんな・・・・」「ではもう少し考えてみてください」「日本人ではだめなのか?」「何から何まで日本人だといろいろ反発も出るでしょう」「うむ・・・では日本の農民の受け入れはすぐ行おう、若狭殿から日本に依頼しておいてほしい」「ありがとうございます、きっと朝鮮の農業は飛躍的な発展を遂げることが出来るでしょう、日本の農民たちをすぐ呼びましょう」 大朝鮮国を改革して行こうとする高宗は、生みの苦しみにもがき続けていた。 簡単に改革が進むような国情ではなかった。 しかしこの努力が、信じられないような短時間での発展につながっていく。つづく
2010年10月18日
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健一郎や趙本起、河鐘文は仲間たちと手分けをして、日本へ留学させる若者を集める立て札を朝鮮各地に立てていっていた。 大朝鮮国皇帝の高宗の直接の指示であったが、朝鮮国民は立て札を見て戸惑いがあった。「なぁ、これなんて書いてあるんだ?」「いや、わかんないなぁ~」 立て札は、漢文とハングルで書かれてあったが、一般の国民は文字を読める人が100人に一人くらいであったため、田舎では村の長老や引退した両班などがみんなに話したが、そういった人がいない地域では役人に教えてもらうために村人たちが役所に殺到していた。 この時代、朝鮮国民の文盲率は95%を超えていたのである。 ハングルは1500年代初頭に作られたが、女子供の文字として一般的にはまったく普及していなかった。 ハングルを作った役人たち自身が、明や清に固有の文字を作ったことをひた隠しにして、恭順の意を示すため一般国民に教育することもなかったのである。「なぁ本起、このままじゃぁ誰も応募できないよ、何かいい方法はないかなぁ~?」「ゴン(健一郎のあだな)、広く一般から留学生を集めるって、理想はいいけど、実際はなかなかそうはいかなんじゃないのかな?」「僕はこれでいいと思う」 河鐘文が言った。「なぜだい?」「あのね、意味がわからなくても人伝に今回の募集のことはみんなに広まる、そしたら国が変わったことをみんなが分かるんじゃないのかな?」「なるほどね・・・ゴン、俺たちが心配しなくてもちゃんと伝わると思うよ・・・そうか~鐘文の言うとおりだ、両班中心の世の中から僕らの世の中に変わったことは分かるよね」 実際、立て札が各地に立てられてから国民の間では、能力さえあれば日本に行けるようにになるといううわさが広がり、いままでの科挙に失敗した没落両班の子弟や書堂で勉強していた一部の一般民からの留学生応募が相次いでいた。 そして景福宮では高宗が次々と仕事をこなしていた。「陸軍大臣を呼べ」 と、内官に指示を出し日本軍との協調する計画を相談する一方、国内の整備に向けアメリカ公使やイギリス公使と精力的に会談し、日本との関係を深める手を打っていた。 欧米諸国もはるか極東の地域に膨大な資金を投入するわけにもいかず、極東地域で一番に近代化を果たした日本にロシアの盾になってもらいたいという思惑の中、技術力を持った人材の援助で、朝鮮半島発展のために協力する方向で動いていた。「若狭殿、向井殿、さっきイギリス公使が来て、鉄道敷設に協力してくれると言ってきたぞ」「そうですか?それは朗報です」「うむ、とりあえず京城に物資を運ぶため、チェムルポ(今の仁川)からノリャンジンまで測量を開始するそうだ」「それはすごい、我が日本でも10年前に新橋から横浜まで開業して、今、大阪まで建設中ですからね、朝鮮でも鉄道は出来るのはすばらしいことですよ」「そうだろう、私もワクワクしてきておる。日本からも技術者がどんどん来てくれているしな・・・あとは我が国の国民が自力で国の繁栄のために働ける場所や、勉強する場所を作ってやることが私の仕事だな」 高宗はロシア幽閉から帰ってきて、国を愛する気持ちがより強くなったのである。それまでの高宗は父親の大院君と嫁の閔王妃の間に挟まれ、両者から責められ続けたため政治に対する気持ちや国を思う気持ちを持てずにいたのである。 酒におぼれ、政治をないがしろにし、面倒なことは他人任せで名ばかりの王様であった。 これは事情が違えど何代も前の王様からの朝鮮王朝の悪しき伝統で、王様の権力を手に入れるため大臣たちや後宮たちが権力争いを繰り返し、権力を握った後は王様を利用し自己の家門の繁栄のため、王様が政治に関与できないようにし続けてきた。 高宗が王様になる前は、安東金氏が60年以上にわたり権力を握ってきた。 王様以上の権力を持ち、60年の朝廷支配によって築き上げた資産は、朝鮮の国家予算の3年分に相当すると言われたほどの金銭を溜め込んでいたのである。 そういった中で、ロシアから帰ってきた高宗のリーダーシップは今まで数代の王様にはないものであった。つづく
2010年10月17日
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先日からお知らせしておりました「セントレア・韓情館」本日無事開店を向かえ、大きなトラブルもなく一日を終えました。今日一日セントレアの職員の方がショップを気にしてくださり、何度も来ていただきました。その中の立ち話で、空港内での物販店での四方山話が・・・今度開業する羽田空港の新国際線ターミナルに出来る江戸小路の話しが出てきました。一番初めにあのやり方を実行したのはセントレアです。いろいろな苦労話も聞けましたし、セントレアのやり方が認められていろいろな空港がセントレアを模倣しているということもよくわかりました。さて、われわれのショップもありがたいことに、今はあちらこちらから声がかかり、需要が増えていることを実感していますが、反面告知の仕方によって集客に影響があることも最近実感しています。私は明日一日セントレアのショップでがんばった後、大阪に寄って、神戸に向かいます。神戸阪急百貨店の「SOFF」写真展に併催する、韓国CD・DVD、韓国アクセサリーの販売に行きます。20日から26日までの開催です。セントレアの韓情館とともに、神戸阪急百貨店のほうにも是非お越しください。
2010年10月16日
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なんとかほぼ準備おわりました。相変わらず韓国らしく、まだ届いていない注文商品もありますが、何とか明日の開店には支障がない程度に売り場作りができました。今回は急遽開店が決まったため、告知の面でうまくできなかった部分があり、正直言って不安な開店ですが、がんばらなければなりません。今日はセントレアの社長さんもショップの準備を見に来てくださり、我々も驚きました。(↑期待されているんでしょうかね?・笑)22日にはセントレアのチラシに大きく載せていただけるのですが、それまでは通常のプレスリリースとセントレアのホームページと我が社のホームページだけでの告知です。明日から10時から21時まで、セントレア旅客ターミナル2階到着ロビーのほぼ中央部分の「セントレア・韓情館」で、皆さんのお越しをお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。
2010年10月15日
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10月16日午前10時、セントレア(中部国際空港)2階到着ロビーにセントレア・韓情館がオープンします。急遽、出店が決まりバタバタ開店準備に追われています。来年1月12日までの期間限定での出店です。私は17日までセントレアのショップで売り場に立ち、その後20日からの神戸阪急百貨店のイベントの為、セントレアを離れますが、近くにお立ち寄りの際は是非ともショップを覗いてみてください。取り扱い商品は、韓国の最新CD・タレントグッズ・韓国の食品・お菓子などです。
2010年10月14日
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明日から2泊もしくは3泊の予定でソウルに行きます。今回は仕入れが中心で、結構バタバタする事になりそうです。これから年末までのイベント予定は・・・10月9日から11日 福井放送「韓流ウィーク」出店10月20日から26日 神戸阪急百貨店「F4」イベント出店11月13日から21日 山口県・小野田サンパーク「韓国エンターティメントフェスティバル」出店12月1日から1月10日 新今宮ワールドスパ「韓国月間」出店12月2日から6日 広島駅南口イベント広場「韓国エンターティメント特集」主催12月15日から26日 大阪・韓国クリスマスフェスタ 運営その他、10月16日(予定)から来年1月15日まで、中部国際空港(セントレア)2階に期間限定で「韓情館」が出店します。こんな感じです。ちょっと殺人的なスケジュールになってきていて、なかなかPCの前に落ち着いて座る時間が取れなくなってきました。小説の方も頑張って時間を作って更新していきますので、よろしくお願いいたします。
2010年10月04日
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高宗が強力なリーダーシップを発揮しながら大朝鮮国の改革を始動させた。 もう以前のひ弱な王様ではなかった。もちろん若狭重伍が後ろに控え的確なアドバイスを送っている。「若狭殿、日本からの借款の目処が付いたし、次の手を打とうかと思うんだが」「皇帝陛下、病院と学校建設は日本からの技術者が来月来ますから、朝鮮から上下水道やダム建設の技術を学ぶための日本への留学生を選抜しなければなりません」「そうだなぁ~・・・若狭殿は留学生に関してはどう考えている?」「選抜試験を行いましょう」「選抜試験?」「はい、選抜試験です。いいですか皇帝陛下、皇帝陛下は先日身分制度の撤廃を宣言されました」「うむ、たしかに」「それが本当のことだと国民に知らせるチャンスです。なぜなら今まで両班の子弟にしか認められていなかった留学を一般から広く募集することで、平等な世の中になったことを示すのです」「なるほど、若狭殿の言うとおりだ・・・では、さっそく公示をしよう」「皇帝陛下、それより緊急を要する事があります」「なんだ?」 若狭重伍は振り返ると内侍に黒田大佐を呼ぶように告げた。「皇帝陛下、これから大日本帝国を代表して黒田大佐が皇帝陛下にお話がございます・・・黒田大佐、入れ!」「大日本帝国陸軍、黒田大佐、入ります」 黒田は高宗の前に出ると深く一礼をして姿勢を正した。「皇帝陛下、私が天皇陛下から預かってまいりました書簡をお受け取りください」「なに?天皇陛下から?」「はい、この度の我が軍の対ロシア戦線についての貴国への要望書でございます」「なに?貴国と言ったのか?今?」 高宗は満面の笑みを浮かべると、若狭重伍に向かって言った。「大日本帝国の天皇陛下から、貴国と言って来たぞ・・・我が国が初めて他国から正式に認められた・・・こんなうれしい日があるか!」「皇帝陛下、おめでとうございます。これからどんどん大朝鮮国を認める国が現れますよ・・・そのためには国際的に認められるような国の体制作りを進めていかなければなりません」「うむ、わかっている・・・ところで、書簡は?」「はっ、こちらに」 高宗は内侍から書簡を受け取り読み終わると、微笑を湛えながらうなずいた。「うむ、天皇陛下には、しかと承ったとお伝えください・・・いや、返書をしたためよう・・・硯と筆を持ってまいれ」 日本の天皇からの書簡は、大朝鮮国の独立を祝う文章から始まり、必要な支援は惜しげもなく行うことを約束し、全面的に現政権を支持するとしたためてあった。 その上で、ロシアとの戦いに向けて朝鮮にも一緒に戦っていこう、という檄文であった。つづく
2010年09月20日
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この件についてはいつもコメントを付けていただいている素浪人さんが専門家ですが、少々関わりのある私も感想を書きたいと思います。 ここ2~3日でいろいろと動きがあった東方神起の3人。 ○イベックスから契約の停止を宣告され、それに反論した3人。いろいろな考え方がありますが、韓国事務所の件は○イベックスも知っていたはずだと思います。 なぜなら彼ら(○イベックス)は、東方神起をK-POPではなくJ-POPであると定義し日本でのプロデュースのすべてを請け負っていたのです。 逆にJYJの3人の韓国での動きを把握していなかったとしたら(そんなことありえませんが)管理が甘かったといわれても仕方がありません。 韓国の芸能界は昔の日本と一緒で(一部は日本にも残っているが)興行師が事務所経営に関わっている事が多く、JYJの契約した事務所もクォン・サンウへの恐喝事件で事前に分っていたはずです。 と言う事は・・・・ ○イベックス側が何らかの事情でJYJの3人を見放さなければならないような事情が発生したと考えるのが自然です。 ○イベックスは日本の音楽界では絶大な勢力で、外部からの圧力では簡単には屈服しないと思います。 そうなると・・・この1年間で起こった5人の分裂劇。 これに○イベックスが裏で絡んでいたと言う噂が信憑性を増してきます。 一旦3人を引き離し、日本で5人を復活させる・・・と言う目論見が計算通り行かず、担当者レベルでは何とか復活させる努力をしてきたが、いよいよ出来ない事が確定的となり、○イベックスの上層部が、このままズルズル今の状態を続けても利益がないと判断し、今回の発表になったのではないかと思います。 今、韓国の音楽産業はテレビの出演料や写真集などの収入の他は、他国へのタレントの売込みが中心になっています。 もう知られた事ですが韓国ではCDやDVDが売れません。違法ダウンロードが蔓延り今や音楽はただで手に入れられる物・・・と言う考えが普通になっています。 笑い話ですが、韓国のCD売上のベスト10にドラマのOSTが入っていたりします。その原動力が日本からの観光客が韓国でCDを買っていくので、外国人観光客の需要がそのままベスト10になってしまうのです。 なので今の韓国音楽事務所は始めから日本デビューさせる事を前提としたタレントの育成を目指します。 そうしないと新人に投資した費用の回収の見込みが立たないのです。 それが今の日本での韓国人歌手グループのデビューが続いている原因です。 今、日本ではアイドルに対しての一人ひとりの努力をあまり求めていません、かわいければいい・・・みたいな傾向があり、仕掛け次第でロクにレッスンを受けていないようなアイドルがもてはやされています。 しかし、韓国のアイドル予備軍は違います。 文字通り血のにじむような努力をし、青春(古い表現ですが)の大部分を犠牲にしながら長い期間、歌や踊りのレッスンを受けて数年かけてデビューします。 それだけの努力をしても大勢のアイドル予備軍の中から有名になれるのはほんの一握りです、日本のアイドル達が束になってかかっても勝てないのは当たり前と言えますね。
2010年09月19日
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「お~い、鉄圭~!」 文次郎は景福宮の勤政殿の前を歩いていた朴鉄圭に声をかけた。「お~、文基さんじゃないですか・・・いやもう日本名でいいのですね、文次郎さん」「どうだい、役人としての宮使えは?」「文次郎さん、聞いてください、正直いままでの悪癖が残っていて、真っ当に職務を果たすと言うより、いかにして自分の立場を利用して金儲けが出来るか?ということを考えている連中が多くてイヤになります」「鉄圭よ、こういうことは充分に想像できた筈だ、それを正すために役人になったんじゃないのか?・・・それにこんな事で意気消沈していたら、もっと大きなそなたの夢である平等な世の中など、いつまでたっても出来ないぞ!・・・いいか、何百年もかかって腐った世の中になったんだ、半年やそこいらでいい国になるはずがなかろう」「では、何から手をつければいいんでしょうか?」「まずは金承宣と協力して、小さな不正でもきちんと摘発して、不正を働いた者には罰則を与えるんだ。そして今までとは違う世の中になったんだと言う事をまず役人達に教えるんだ・・・ところで、仲間たちの人数は増えたのかい?」「ええ、半年前の10人から35人に増えました」「上出来だよ・・・それに鉄圭と承宣に、そろそろ良い知らせが届くよ、もう少し仕事がしやすくなるかな?」 若狭重伍が手を回し、朴鉄圭たちを役人達の人事を担当する部署の責任者として移動させる事が決まっていた。 未だ政治体制の改革半ばではあったが、少しづつ体制が整いつつあった。 一方、高宗はより国力を上げるため日本からの借款を若狭を通じて依頼し、ソウルの上下水道の整備や学校建設、病院建設のための手を打っていた。 日本は港湾建設、鉄道建設、ダム建設では大朝鮮国へ技術者を派遣し、大朝鮮国の国力アップにつながる政策に積極的に関わっていった。 日本にとってもロシアとの戦いのため、朝鮮半島の発展は必須であり積極的に関わっていく方針だったことも大朝鮮国には幸いした。 文次郎は鉄圭と承宣を誘い、若狭重伍の元にやってきた。「向井君、久しぶりだなぁ~」「若狭総隊長・・・いや、もう朝鮮の財政顧問ですね」「ワハハ、自分の出来る事をやっているだけだよ・・・そろそろそなたも役職が必要だな」「やめて下さい、私は自由に動ける立場の方が向いております・・・立場を与えるなら鉄圭や承宣、趙本起に与えてやってください」 それを聞いた趙本起はあわてて言った。「おじさん!それこそやめて下さい、私は何も出来ません、なんの力もありません」「いや、お前はちゃんと勉強して新しい朝鮮を作る中心にならなくてはならん、そのためには均成館に入って給料をもらいながら勉強するんだ・・・お前は何の勉強がしたいんだ?」「僕は・・・おじさん、本当にお金をもらって勉強できるの?」「ああ、お母さんも安心だろう」「ゴンは?」「健一郎は土木の勉強をする」「土木?」「そうだ、国創りの一番大事な勉強だ・・・健一郎は自分は政治家にも軍人にも向かないと言ってな・・・自分は国民に喜ばれる仕事がしたいと言っているんだ」「土木って、国民の為になるの?」「もちろんだ!土木とは国民の生活をよくするためにある学問だ、アメリカではシビル・エンジニアリング・・・つまり市民工学と言われている」「僕も土木を勉強したい、朝鮮の人たちの役に立ちたんだ、いい?・・・鐘文も誘うよ」「鐘文は算学を勉強したいと言っているそうだ」「算学ってなんですか?」「これも大事な学問だな・・・今まで朝鮮の民は勉強する機会さえなかった、これからは学校が増えて誰でも勉強できるようになるぞ」「学校?学校って勉強できる所?」「そうだ」「やった~みんな喜ぶよ!・・・でも学校って勉強だけするの?遊べないの皆と?」「何言ってるんだ・・・ハハハ!」つづく
2010年09月19日
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「父上、では鉄圭さんの所に行きましょう」「そうだ、趙本起はどこにいるか知っているか?」「あいつは・・・なぜですか?本起がなにか?」「いや、これからはあいつらのような朝鮮の若い力が必要になってくる、健一郎はどう感じているかわからないが、あいつは鍛えれば物になる、朝鮮をいい国にするために一生懸命働く男になると思っているんだ」「でも、あいつはお姉さんの事で国に恨みを持っていますよ」「いつまでも誤解をしているほどの馬鹿ではないはずだ、誰が悪かったのか?朝鮮の国自体が病気だったのだ、あいつは賢いからとっくに気がついているはずだ」「友人としてはいいやつですが・・・あいつは今、河鐘文と一緒に良才に戻っているはずです」「よし、では良才に寄って趙本起を誘って、一緒に鉄圭に会いに行こう。鉄圭は景福宮にいるんだ」 向井文次郎は息子の健一郎を連れて、趙本起を誘い景福宮に向かった。 景福宮では高宗の政策顧問として若狭が任命されていたが、守旧派の反発が強く、特に若狭が打ち出した両班制度廃止が、既得権を主張する勢力に強い反感を持たれていた。 折から景福宮では閣議が開かれていた。「皇帝陛下」「文部大臣、何か意見でもあるのか?」「子供たちへの教育のための学校建設の事ですが・・・」「どうかしたか?」「若狭大臣が提案された事には無理があります、しかも足りない教育者として教師が日本から派遣されるとは・・・朝鮮人の教育は朝鮮人の手で」「馬鹿者!今の朝鮮でまともな見識を持って子供たちの教育が出来る人材がどれほどいるのだ?」「そもそも、愚民に教育なんて必要なんでしょうか?」「そなたは文部大臣としての素養がないようだな?任命した私が馬鹿だったよ、今までこうだったから朝鮮は長く清の属国だったのだ・・・・・これからの国づくりは国民一人ひとりがきちんとした教育を受け、国民一人ひとりの教育水準を上げる事によって国力を上げていくのだ。そのためには考える力を養う教育をしなければならん・・・そうだな若狭殿」「その通りです皇帝陛下、まず身分制度の撤廃をして国民に平等に教育を受ける権利を与え、向学心のあるものには高等教育を受けられるような体制を造らねばなりません、それが十数年後の朝鮮国を担う人材を作ることになるのです。・・・目先の利益だけを追うようなことをしていると再び他国に侵略されます・・・世界的な流れをご覧下さい、日本だけではありません欧米諸国はすでに身分制度を撤廃し国民に平等に教育を受ける機会を与えています、それが将来の国の繁栄につがなることを知っているのです」「聞いたか?・・・これからの大朝鮮国を担う人材を育成するのだ、それが国民の幸せにつながり、ひいては我々の幸せにもつながるのだ」「皇帝陛下、しかし我々のように高等教育を国民に受けさせても無駄でしょう、若狭殿の言う事は理想論にすぎません。国民に教育を与えるとかえって国が混乱します」「なぜ混乱するのだ?兵部大臣・・・自分たちが国民から搾取する事ができなくなるからか?」「皇帝陛下、はっきり言います。皇帝陛下は若狭殿に騙されているのです。身分制度を廃止する事に理由がありません、我々が白丁と同じになるなんてありえない話です、この話は大朝鮮国を日本が支配するための布石です。朝鮮には朝鮮のやり方があります、国民に教育を施していいことなど一つもありません。高い教育があるのは我々だけでいいのです。そして我々が国民が幸せに暮らせるように導いていってやればいいと思います」「なぜそう思うのだ?」「それは・・・今の国民に教育を与えても使いこなせないと思うからであります、皇帝陛下は国民の暮らしを知っておられますか?・・・その日暮らしで、人を騙してでも自分さえ良ければ良いという国民ばかりです、そういう国民になまじ教育などして知恵を与えると益々悪知恵がつくだけでございます」「馬鹿者!それは両班であるお前達が国民がそうなるように何百年もかけて仕向けたのであろう、そういう風潮を無くすためにも教育は必要なのだ。まして若狭殿を疑うとは・・・いいか、若狭殿とは4年以上の長い間、生死をともにした仲だ。その間若狭殿の見識の広さに私は驚いた、しかも日本には若狭殿のような知識を持ったものが五万と存在すると言う・・・それがどういうことかわかるか?・・・国が窮地に陥った時、国のために知恵を絞れる人間がそれだけいるということだ、今の朝鮮にそういう人材がどれくらいいるんだ?」 このように大臣たちは既得権を守る事に汲々とし、両班同士の抗争の相手を若狭に求めているだけであった。 まだまだ世界を感じて物事を考えると言う事ができず、ロシアの影が弱くなったとたん、自分の欲をむき出しにしている大臣が多いのであった。つづく
2010年09月18日
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朝鮮半島への上陸を果たした日本陸軍であったが、海軍の方は遼東半島の攻略がなかなか進まず苦戦していた。 ウラジオストックの艦隊が旅順へ派遣され、バルチック艦隊もアジアへ向けて再び回頭されている。日本海軍は坪井航三が参謀長秋山真之の意見を入れ、旅順港封鎖作戦に出ていたが封鎖するための囮船が潮流の関係で斜めに沈んでしまい、完全に港をふさぐことが出来なかったのだ。 一方、黒海からスエズ運河を通過してインド洋に出ようとしていたバルチック艦隊も、ヨーロッパ諸国やアメリカ、エジプト、イスラム諸国からの反発を受けスエズ運河を通過できず、大きく喜望峰を回るルートを余儀なくされ、黄海への到着が当初の予定より1ヶ月以上後れるという事態に直面していた。「坪井少将殿、今本国から至急電が入りました」「秋山参謀長、内容は?」「はい、ロシア艦隊本隊の到着が来月末になる模様であります」「よし!では朝鮮からの陸軍が間に合うな」「はい、1ヶ月半の時間の余裕ができました」「了解した、では秋山参謀長の発案の通り旅順港の入口に機雷設置を準備、かかれ!」「はっ!」 秋山真之参謀長の発案で行われる事になった旅順港封鎖作戦だったが、ロシア側も日本船が近づいてくると旅順港の高台から砲撃を加えてくる。 なかなか港の入口に近づけないままいたずらに日が過ぎていく。 その頃朝鮮半島ではロシアの影響力を排除できた大朝鮮帝国は、日本軍に訓練を受けながら武器の提供も受け、徐々に近代軍隊に近いような装備と指揮系統を構築し、自国を守るため朝鮮半島各地に基地を築いていった。 朝鮮半島各地に上陸した日本陸軍は秋山好古少将が率いる騎馬隊を先鋒に、児玉源太郎中将が率いる本隊も遼東半島に向けて進軍していた。「秋山さん、私たち義勇隊はどこに配属されるんですか?」「向井さん、これからは私たち軍人の出番です。あなた方は朝鮮半島にまだ残るロシアの影響力を無くす動きをしていただきたい。それが結果的に我々を後方支援することになります」「乃木稀典将軍がもうすぐ到着されるそうですが・・・」「そうなんだ、乃木将軍は一番過酷な任務を受けたんだ、陸の側から旅順の要塞を奪い取り無力化する作戦を任された」「旅順の?」「そうなんだ、そのためには我々が半月で奉天を奪い返さなくてはならん。なのでもう朝鮮を出発しなければならん」「なるほど・・・我々が朝鮮半島の平和を維持してこそ秋山将軍達が安心して奉天攻略のため働けるわけですね」「その通り!わかってくれたか?・・・まず朝鮮の人たちに自分たちもやれば出来るんだ、という自信をつけてもらわねばな」「よくわかりました、仲間たちと朝鮮半島がよりよい国になるよう働きます」「そうしてくれ、黒田は朝鮮の軍隊の指導将校として朝鮮半島に残る、うまく連携してくれ」「はい、では」「うむ、頼んだぞ」 向井文次郎は秋山好古との話を終えると、仲間が待つ君子の中谷に向かった。 朴鉄圭、金承宣らは新しく樹立された大朝鮮国の官史としてすでに働いていた。高宗も兄のイ・チェミョンから皇帝の位の禅譲を受け、ふたたび大朝鮮国の皇帝となりイ・チェミョンは上皇として高宗を補佐している。 文次郎は中谷に着くと息子の健一郎を呼んだ。「父上、我々の働き場所は決まりましたか?」「うむ、秋山将軍は我々に朝鮮に残って、朝鮮の人たちの手助けをするようにと言われた」「手助けって?」「鉄圭たちと朝鮮の発展を助けろ・・・と言う事だ」つづく
2010年09月12日
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すみません。 昨日帰国したので今日は小説の更新をしようと思っていましたが、その前に韓国映画に関して一本、書きたいと思いました。 賛否両論ある韓国映画「クロッシング」今日知り合いと電話で話をしていて益々見たいと言う気持ちが強くなっています。 韓国と関わりのある仕事をしている私だからこそ、見ないといけないと思いました。 今の北朝鮮の現実、住んでいる人々の現実、およそ人間らしい生活を送っていない国民の現実。 こういう国と隣国として対峙している日本。 しかし日本とはまったく違う国、北朝鮮。 韓国の人々もこの映画を見て益々北朝鮮とはすぐに一緒になりたくないと思う人が増えたとか・・・ 当然でしょう。 私はあらすじをネットで読んだだけですが、この映画を見て何も感じないようだと朝鮮半島と関わる仕事をしている意味がないのではないかと思うほどの意味の深さをこの映画のあらすじから感じています。 見る前にはフラットな気持で、素直に自分の感情に任せて見てみたいと思います。 この映画の話をしたのが、図らずも押尾学の裁判のニュースを見た後だったので、この落差に愕然としている自分がいます。 自分の保身だけ考えてウソを重ね、更に死んだ遺族に悲しみを与えている人間がいる国日本。 奥さんの病気を治すため、家族を思いながら必死に北朝鮮を脱出し、北朝鮮では高額で手に入らない薬が、韓国では処方箋一つで無料でその薬が手に入るギャップと絶望感・・・そういう国、北朝鮮。 ふと押尾学が北朝鮮に生まれていたら、こんなひどい事件を起こしただろうか? もしかするとこの映画の主人公のように家族思いのいい青年として生きられたのではないかと思い、本当の幸せってなんだろうと哲学的なことを考えてしまった私がいます。 北朝鮮は論外ですが、果たして今の日本に生きている事も幸せなんだろうか?・・・ そんなことを思った、ちょっと蒸し暑い夜でした。
2010年09月11日
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何とか小説の更新をしようと思いましたが、家に帰ってきてからも落ち着かず、今日からまたソウルです。前回は300回を越す韓国訪問でソウルで初の台風の直撃を受けましたが、今日も日本海は台風が・・・今年12月の大阪でのビッグイベント「大阪・韓国クリスマスフェスタ」の準備と日常の業務が重なり、超多忙な日々を過ごしています。さて、8月は2日しか家に帰れませんでしたが、今月は何日家の布団で眠れるやら・・・金曜日夜に帰国予定です。今週末こそ小説の更新をしようと思っています(ほんまかいな?笑)あそうそう、このブログに度々コメントをいただいている素浪人さんの仲介で、ソウル○ャパンクラブの12月の会報に、このブログで発表した韓国ドラマランキングに私の家内の評価も付け加えて掲載される予定になりました。ありがとうございました。
2010年09月08日
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かねてからのご報告のとおり今大阪に滞在中です。来週からの韓国訪問に備え、いろいろと準備中です。週末の関空夏祭りの準備もそうなのですが、31日から3日の訪韓の後、またまた8日から10日の訪韓が決まりました。来年の千歳空港の書類の準備もしないといけないですし・・・いやはや、メチャクチャ忙しい今日この頃です。しばらくはこっちのほうでも、近況報告が多くなるかもしれません(笑)
2010年08月25日
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先日お知らせしておりました出張が来月半ばまで伸びました。いったん東京に戻る予定が変わり、関西に滞在してイベントの打ち合わせなどをこなし、31日からソウルへ行くことになりました。ますます小説の更新が遅くなります、申し訳ありません。とりあえず、今現在のイベント情報はこうなります。今月28・29日 関空夏祭り12月2~6日 広島駅地下広場12月15~26日 大阪・韓国クリスマスフェスタ(関西空港・ハービス大阪)来年2月 長崎韓国イベント来年5月 広島フラワーフェスティバル出展 テグの日協賛イベント(予定)
2010年08月21日
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小説の更新、今までも遅かったのですが、明日から大阪2日間、山口県22日間の出張に出ます。もしかすると更新できるかもしれませんが、ダメな可能性のほうが高そうで・・・申し訳ありません、気長に付き合ってやってください。ちなみに次回の韓国行きは9月8日から10日、もしかするとこれとは別に8月下旬に韓国に行くことになるかもしれません・・・たぶん仕事で・・・
2010年08月02日
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中浪の市場が立つ三叉路で待ち合わせをしていた文次郎と若狭は、無事又会えた喜びに肩を抱き合い背中をポンポンと叩いた。「若狭総隊長」「文次郎・・・泣くな!」「しかし・・・よくぞご無事で」「うむ、でも泣いている暇はないんだろう」「はい、夜になったら高宗さんをお連れして徳寿宮に行きます・・・そこでお兄さんと合流していただき、1日以内に朴大寿たちを説得していただかないと・・・」「うむ、日本軍の上陸作戦が始まるとともに、大朝鮮帝国として日本支持の声明文を出してもらわなくてはな」「そうなんです、そして各地のロシアの反対勢力に動いてもらい、ロシア陸軍の動きを封じ込めなければ」「手はずは整っているんだな」「はい、すでに仲間が各地に飛んでいます」「よし」 ロシアではニコライ2世に解任された、クロパトキン将軍が掌握している部隊が革命組織と結託し王宮に迫りつつあった。 そういった国内の混乱に加え、ユダヤ人弾圧を繰り返し国際社会から孤立している外交方針も、日本の動きに気が付かない原因になっていた。 そういった状況の中、日本軍の上陸作戦とウラジオストック港、旅順港の封鎖作戦が展開された。 夜になって文次郎達が徳寿宮に向かっている頃、徳寿宮では朴大寿とその仲間達が皇帝のイ・チェミョンと面会していた。「お坊ちゃま・・・いや、皇帝陛下」「おぬしは変わらんな、で、今日は何の要件なんじゃ?」「皇帝陛下、今までのロシア重視を改めて、自主独立の道を探るべきかと・・・」「それは以前から私が提唱していた事であろう、なぜ今頃になって?・・・ハハン、お前達も知ったのだな?ロシア情勢を」「いやそれは・・・」「わかっておる、情勢を知って、このままだとロシアべったりでやりたい放題していた自分たちの立場が危うくなると思い来たのであろう」「そんな事ではありません、政治とは常に日々変化する物、臨機応変に動かねば・・・」「なにを分ったようなことを言っておるんだ・・・まあいい、もうすぐ弟が来る、最新のロシア情勢を弟から聞くつもりだ」「えっ?王様が?」「そうだ、おぬしたちがロシアに売った弟が帰ってきておるんだ、覚悟する事だな」「まさか・・・あれは袁世凱の策です、我々は関知していません」「そうか?・・・弟にもそう言って言い訳をすればよい」 朴大寿たちは顔を見合わせながらコソコソ内緒話を始めたが、イ・チェミョンはその様子を見ながら内官に高宗を出迎えるように指示を出した。 高宗や若狭、文次郎達を迎えたその日の徳寿宮の大殿は深夜遅くまで、明かりが消える事はなかった。 2日後の正午、各地でいっせいに日本陸軍の上陸作戦が始まった。 ロシア軍は形ばかりの抵抗をしたあと、ちりちりになりながら敗走を始めた。 ロシア軍は白頭山脈に最終防御ラインを下げ日本軍を迎え撃つために体制を整えようとしていた。そのため日本軍は1週間で朝鮮半島を制圧、そして南から順番に朝鮮人協力者達に自治を任せながら、更に北上していった。 国際社会も大朝鮮帝国からの日本を支持しているという正式表明がなされた事と、ロシアに対する猜疑心とが絡まり、日本支持で固まりつつあった。 形勢が日本有利に傾き始めていたがロシアも最後の力を振り絞り反撃体制を構築していたが・・・つづく
2010年08月01日
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2010年版、サンキュウの独断と偏見の韓国映画ランキングです。基本的に私が見たことのある映画のみを対象にしています、ですのでまだ見たことのない映画はランキングには入っておりません、ご容赦のほどを。ドラマに比べるといい作品が多いように感じています。S級・・・素晴らしい!是非ご覧を!「シュリ」・・・・・日本で初めて韓国映画が面白いと認知された作品。正直私は5回は見ています。南北対立を現実的に日本に知らしめた作品です。珍しいハン・ソッキュとソン・ガンホの共演、しかも北朝鮮兵士役のチェ・ミンシクの演技もGOOD。今では絶対揃わないキャストですね。「ラストプレゼント」・・・イ・ヨンエ、イ・ジョンジェの共演。売れないお笑い芸人の夫を陰ながら支え、妻の初恋の人物を探す過程で、妻が不治の病の侵されている事を知った夫が努力しお笑いの大会で優勝、その現場に来ていた妻は・・・私は不覚にも映画館で泣いてしまいました。「ブラザーフット」・・・韓国題・太極旗を翻して。この映画はチャン・ドンゴンとウォンビンが出演している事で人気になりましたが、平和な家族を突然襲った朝鮮戦争で、韓国がどんな混乱に陥っていたかをよく表現している所が良かったです。今は亡きイ・ウンジュが戦争の混乱の中、ほんの些細な事で誤解を受け北朝鮮側の人物と思われて、裁判すら受けさせてもらえず処刑をされる所など、どんなひどい状況だったかを映画の中では充分に表現しています。「春が来れば」・・・江原道の田舎の高校を舞台にした落ちこぼれ教師の話。この映画はチェ・ミンシクの魅力を存分に発揮させています。ラストはほのぼのとしたいい気分で迎えられるいい作品でした。「猟奇的な彼女」・・・チャ・テヒョンとチョン・ジヒョンの二人が織り成すラブストーリー。今の韓国の若者たちはこんな感じなんだろうな~と、興味深く見れます。ある意味、日本の若い世代に韓国映画を見るきっかけを与えた映画かなぁ~と思います。「裸足のギボン」・・・知的障害を持った田舎に住む中年男性の話。正直こんな映画が韓国で製作されるようになるとは・・韓国人の方々の障害者に対する意識がだいぶん様変わりしてきたのかな?と思わせる映画です。実際にはまだまだ差別意識のほうが多いとは思いますが、こういう映画をきっかけに韓国人の意識も変わってくるのかと思います。「光州5・18」・・・ノ・ムヒョン政権下でしか上映が許されなかっただろうと思わせるほど民衆側にたった表現の映画。全羅道差別とキム・デジュンを政治的に葬るための思惑が当時の軍事政権化にとって都合のいいように巧みに捏造されている事や、多くの民衆が虐殺された事を扱った作品。(今年はS級映画には出会えませんでした、残念・・・でもまだ見ていない映画で「クロッシング」がS級候補かも・・・)A級・・・韓国を代表するような映画から私が個人的にお勧めできる映画まで。★「おばあちゃんの家」・・母子家庭の小学生の男の子が、辺鄙な田舎に住むおばあちゃんの家に預けられる。耳が遠く余り言葉を発しないおばあさんに反発する男の子。しかし少しずつ男の子の心に・・・舞台になった田舎に住む人たちがそのまま出演者という珍しい作品。★「悲しみよりもっと悲しい物語」・・・クォン・サンウが珍しく抑えた演技をしている。派手なアクションシーンは一切なし、イボヨンと淡々と心の動きを静かに演じている。クォン・サンウの新しい一面を見れる映画。「大統領の理髪師」・・・パク・ジョンヒ大統領の時代、北朝鮮から青瓦台近くまで北朝鮮兵士が忍び込み銃撃戦になった後、下痢をした人が北朝鮮のスパイとされ理不尽にも拷問を受けたりした事件をモチーフにしている。ソン・ガンホの演技力が重いテーマを笑いにうまく変えている。「マラソン」・・・自閉症の若者がマラソンを通じて自分の世界を広げていく話。しかし若者が世にでるにしたがい、周囲からの言われなき差別を母と子供が受け、母親は負けそうになるが主人公は屈託のない笑顔でそれを乗り越えていく。「JSA」・・・ジョイント・セキュリティー・エリアすなわち38度線にまたがる非武装中立地域の事。この映画では板門店で互いに敵国に向かい合っている兵士達のひょんなことから生まれた友情がとんでもない事件に発展していしまう。イ・ビョンホン、イ・ヨンエ、ソン・ガンホ、シン・ハギュン共演。「ウェルカムトゥドンマッコル」・・・これも朝鮮戦争を題材とした映画。南北の兵士達とアメリカ兵が偶然平和な山の中のある村で遭遇する、警戒しあっていた三者が村人達の純朴な心に触れ次第に打ち解け友情を築き上げていく。最後は村人達を守るためにみんなで協力して・・・アメリカが悪者にされているのは映画製作当時の韓国の社会状況のせいかと思う。「シルミド」・・・またまた南北問題が根底に流れている映画。やはり韓国では南北問題を扱った作品が多い。これもA級の冒頭で紹介した大統領の理髪師でアカ狩りのきっかけになった青瓦台への北朝鮮兵の事件が契機になり、韓国でもキム・イルソンを暗殺するために特殊部隊を作ろうという実話を基に作品化された。最後は教官たちも含め理不尽な形で政治の犠牲となって死んでいく。キャストは超豪華メンバー。「イルマーレ」・・・SFラブストーリー。時空を越え海辺の一軒家にあるポストを通じて、過去と未来をつなぐ手紙が行き交う。イ・ジョンジェ、チョン・ジヒョン共演。ラストのどんでん返しが・・・「僕が9歳だった頃」・・・1970年代の田舎の様子や、子供たちの風習がわかるほのぼのとした楽しい作品。何か自分が小学生だった頃を思い出してしまうような、懐かしい気分に浸れる映画でした。「西制便~あの峠を越えて」・・・20数年前、私がはじめて見た韓国映画。パンソリを歌いながら旅芸人を続ける父と姉弟の話。父がパンソリの芸を磨くために姉の目を失明させるシーンは涙もの。「華麗なる帝国」・・・アン・ソンギ主演の時代物。テレビで話題になった正祖(イ・サン)の映画版。(というかこっちの方が先)・・・正祖がいかに芸術の造詣が深かったかなど別の切り口で紹介している。李王朝内の勢力争いや陰謀の数々はお約束。「TUBU」・・・韓国映画でサスペンスといえばこれ。スピード感ある映画で手に汗握るシーンが多い。パク・サンミンが将軍の息子から脱皮して新しい魅力を出した作品。ペ・ドゥナの熱演も光る。B級・・・まだまだ面白い韓国映画。「爆烈!野球団」「二重スパイ」「8月のクリスマス」「僕の彼女を紹介します」「永遠の片思い」「幽霊」「殺人の追憶」「将軍の息子1・2・3」「チング~友よ」「僕にも奥さんがいたらいいのに」「情け容赦なし」「オーバーザレインボー」「グエムル・漢江の怪物」「夏物語」「ラブレター・パイラン」「タイフーン」「復讐者に憐れみを」「黒水仙」「公共の敵」「ユア・マイ・サンシャイン」「王の男」「頑張れ!グムスン」「ロスト・メモリーズ」「盗られてたまるか」「酔画仙」「ラジオスター」「オールド・ボーイ」「ファン・ジニ」「風林高」「ワニ&ジュナ~揺れる思い」★「最後の贈り物」★「アンティーク」★「公共の敵2」★「ユゴ・大統領有故」★「百夜行(韓国版)」C級・・・そこそこです。「春の日の熊は好きですか?」「テイジー」「再会の時」「我が心のオルガン」「受取人不明」「恋する神父」「誰にでも秘密がある」「四月の雪」「スキャンダル」「スカーレットレター」「花嫁はギャングスター」「美しき野獣」「ガン&トークス」「子猫をお願い」「シングルス」「B型の彼氏」「南極物語」「ピアノを弾く大統領」「マイボスマイヒーロー」「親切なクムジャさん」「インシャラ」「ディナーの後に」「反則王」「カル」「敗者復活戦」★「ロマンチックアイランド」★「キッチン」★「マイリトルブライド」★「ダンサーの純情」★印がこの1年間で見た映画です。番外編・・・「青燕・チョンヨン」・・・わが町立川が舞台とあって字幕無しで何とか見ました。セリフの3分の1が日本語だったため何とかなった、という感じです。映画のストーリーは日本が併合していたころの韓国人初の女性飛行士の話です。最近日本向けDVDが発売されているようです。まだまだ見たいと思っていても見ていない映画もたくさんあります。たとえば「ペパーミントキャンディー」などは前から見たいみたいと思っていますが、まだ見るチャンスがありません。そして今年日本で公開された「クロッシング」これは近いうちに必ず見ます。ドラマに比べると見ているタイトル数は少ないですね。例によってタイトル名を忘れている映画や、見たけれど全然印象に残っていなくて忘れている映画も数タイトルはあリます。今回の評価も皆さんのご意見とは違うかもしれませんが、私の独断と偏見に基づいた評価ですのでご容赦ください。
2010年08月01日
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サンキュウの「独断と偏見の韓国ドラマランキング」2010年版。今まで見た韓国ドラマを、自分なりの評価でS級からC級まで色分けしたいと思います。あくまで私の個人的な評価ですので(相当な個人的な好き嫌いが含まれます)ご承知おきください。S級・・・皆さんにお勧めしたい見ごたえ充分の作品。「野人時代」・・・これは文句なし、日本占領時代から独立後パクジョンヒ大統領の時代までのドラマですが、ストーリーの方が面白くてあまり日本に対する批判は気にならない。「女人天下」・・・李王朝中宗の時代の、文定王妃と側室の争いにある一人の女性が、権力争いに関わっていく。 李王朝三大妖女、チョン・ナンジョンのお話。 これは時代劇の中でNO,1。「砂時計」・・・・1970年代の韓国の闇の世界を描く。 幼馴染の二人の主人公が、検事とやくざ、別々の道を進み正反対の人生を歩む。A級・・・S級には届かないが、作品的には一度は見て欲しいドラマ。「大長今」・・・・言わずと知れた日本題・宮廷女官チャングムの誓い。多くの日本のおじさん方を韓国ドラマに引き込んだ作品です。私を韓国の歴史探訪にいざなったきっかけのドラマです。「ホジュン」・・・韓方医学の父と言われる人物のドラマ。妾腹に生まれた主人公が苦難を乗り越え、宣祖の侍医になり東宝医鑑を編纂し、死亡するまでを描く。「ランラン18歳」韓国の若者の考え方と、昔の風習がぶつかり合って起こすドタバタ劇。ハン・ジヘの魅力が画面せましと見ることが出来ます。「復活」・・・・・韓国サスペンスドラマの最高峰。これを見ずして韓国サスペンスドラマを語るなかれ。「私が生きる理由」1970年代の麻浦が舞台、イ・ヨンエが汚れ役に挑戦した画期的なドラマ。当時の風俗がよく分かり面白い。「王の女」・・・・仁祖反正で王位を追い出された、光海君と女官ケットンとの歴史物語。同じテーマを扱ったイ・ヨンエ主演の西宮より、ドラマとしての完成度は上、大長今に押され予定より話数が短縮されたのは残念。「秋の童話」・・・四季四部作の中で一番秀逸な作品。特に物語り前半の主人公の少女時代が泣かせる。「コマップスムニダ」エイズにかかった少女とその母親、そして離島医療に来た医師との心温まるドラマ。「第五共和国」・・パクジョンヒ大統領暗殺事件から、チョンドファン戒厳司令官が政権を掌握し、ノテウに引き継ぐまでのドラマ。ほぼ史実に沿ったストーリー展開なので、自分の青年時代の記憶と重なり興味深い。「善徳女王」・・・新羅の初の女性女王の話。ドラマでは主役であるはずの善徳女王・トンマンとユシン将軍より、本来脇役であるミシルとピダムの存在感に完全に食われていた。「妻の誘惑」・・・ドロドロ系のマクチャンドラマ。次回を見ずにはいられない中毒感あり。チャンソヒの老け顔も話題に。「イサン」・・・・朝鮮時代の王、正祖の話。ドラマとしては大臣の派閥争いに巻き込まれて死んだ父・サドセジャを自分の父親だと宣言して王になるまでが面白い。当時の両班の小論派と老論派のせめぎ合いを知っていると、より背景がわかって面白く見れる。B級・・・充分楽しめるがA級にはちょっと・・・「チュモン」「クッキ」「英雄時代」「人魚姫」「商道」「ファッション’70」「星を射る」「京城スキャンダル」「ソドンヨ」「明成皇后」「ラストダンスはあなたと」「俺の女」「その女」「あなたそして私」「男が愛する時」「冬のソナタ」「マイガール」「オールイン」「ハッピートゥギャザー」「天国の階段」「パリの恋人」「美しき日々」「ガラスの靴」「回転木馬」「ダイヤモンドの涙」「揺れないで」「宮」「雪の女王」「ある素敵な日」「ごめん愛してる」「ホテリアー」「オールイン」「サラン~LOVE」「ナップンチングドゥル」「エア・シティー」「順風産婦人科」「チャンヒビン」「星に願いを」「ひまわり」「ラブストーリーインハーバード」「ローズマリー」「バリでの出来事」「サンドゥ学校へ行こう」「屋根裏部屋の猫」「チェオク剣・茶母」「きつねちゃん何してるの?」「九尾狐外伝」「魔王」「王と私」「ドクターズ」「ファンジニ」「恋はだれでも」「風の絵師」「別・巡検」「新 別・巡検」「千万回愛しています」「黄金時代」「絆」「チョガンジョ~朝廷の暁」「タムナ」「コーヒープリンス1号店」「イルジメ」「太祖・王建」「同伊・トンイ(視聴中)」C級・・・暇で暇でしょうがない時に。「私の恋人誰かしら」「私の名前はキムサンスン」「ミスキムの10億作り」「愛の群像」「papa~パパ~」「イブのすべて」「真実」「雪花」「秘密」「折鶴」「いつか楽園で」「漢江ブルース」「ロマンス」「悲しき恋歌」「夏の香り」「春のワルツ」「宮’S」「ワンダフルライフ」「恋愛時代」「大王四神記」「フレンズ」「西宮・キム尚宮」「思い切りハイキック」「海神」「愛は簡単じゃない」「愛に狂う」「花より男子・コッポダナムジャ」「イブのすべて」「ゲームの女王」「雲の階段」「太陽を飲み込め」「トリプル」「ヨンゲソムン」「シンデレラマン」「アイリス」「シンデレラのお姉さん」題名を忘れてしまったドラマもありますが、こんな所でしょうか・・・今回の評価は自分がすべて見たドラマに関してのみです。だいたい去年一年間でドラマは25本ほど見ていますね。又後日映画編を書きますが、映画は去年一年で10本ほど見ました。前回公開時と比較し、秀作は多かったと思いますが、残念ながら、歴史に残る・・・とまで思った作品はありませんでした。
2010年07月31日
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その数日後、秋山兄弟と大山巌大将、児玉源太郎中将、坪井航三少将たちを乗せた巡洋艦と上陸用船が朝鮮半島西海岸の大川に近づきつつあった。 日本軍は他にも同時上陸地点として、西海岸のチェムルポ(今の仁川)、平壌近くの安浦、釜山の機張、東海岸の元山へ軍を進めていた。 秋山真之大佐と坪井航三少将は上陸部隊を送り届けると、ロシアのウラジオストックと遼東半島の旅順にいるロシア・アジア艦隊を封じ込める作戦に出る予定であった。「向井文次郎殿はどこにいる?」 日本語で向井文次郎を探しに君子に来たのは黒田少佐だった。「おう!お久しぶりです、遠いところ・・・」「あっ、向井殿・・・どうも・・挨拶はこれくらいにして・・・ちょっと・・」 黒田は日本軍の動きを説明し、朝鮮半島での日本軍への協力体制がどうなったか聞いてきた。「京城、釜山、テグ、大田、平壌、元山には協力者がいますから、黒田さんの指示通り動けるように手を売ってあります、そして実は・・」「何か問題でも?」「いやいや、その逆です・・・黒田さん、岡本参事官を覚えていらっしゃいますか?」「もちろんだ、我が軍が以前朝鮮半島で苦労したのも、岡本参事官に情報を流されていたからだからな、大きな返さなければならない借りがある」「黒田さん、その岡本参事官がここに居ります」「なに?どこにいるのだ?すぐ呼んで来い!」 黒田少佐は立ち上がるなり軍刀を引き抜き、扉に向かって突進していった。「ちょっと待った!」「邪魔するな!」「黒田さん、実は岡本参事官のおかげで忠清道の西海岸の大川に我々への協力者が出来たんです、彼が動いてくれて忠清道には協力者が千人以上できました」「??・・・どういうことだ?」「それがですね・・・」 文次郎は黒田に、岡本参事官が君子に来てからのことを話した。「なるほど・・・心を入れ替えた・・・と言う事か」「そうですね、彼の行動を見ていると心から後悔しているようです」「まあ本心はわからんが、今の我々にとってはありがたい人物と言う事なんだな・・・よし、わかった、岡本参事官を信用するんではなく、彼を見続けてきた向井殿を信じる」「ありがとうございます」「では手はず通り頼む、明後日の正午には上陸作戦が始まる」「わかりました」 向井文次郎は朴鉄圭や健一郎に指示を出すと、若狭が待つ中浪に向かった。つづく
2010年07月31日
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文次郎達が帰った後、朴大寿は仲間たち5人を自宅に呼び、文次郎からもたらされた情報について自分達の身の振り方をどうするのか相談した。 朴大寿の仲間の中にはある程度ロシア情勢に詳しい者もいて、文次郎たちの情報を肯定する者がいた。「安準水、おぬし、そういった情報を手に入れながらなぜ今まで黙っていたのだ?我々のこれからの方針を決める大事な情報ではないか」「朴大監・・・そんな大事な事とは思わなかったんです・・・それに中国より大きいロシアが日本になど負ける訳がありません」「そんなことはわかっておる、わしが言いたいのはロシアの中の揉め事である・・・アメリカやイギリスが、その揉め事に突っ込んでくるようだとロシアの立場は危ない・・・そうなると日本がロシアに勝つ・・・と言う事も万が一あるかもしれん」「朴大監、では・・・」「うむ、わしはこれから徳寿宮に行って来る・・・大院君の息子の様子を探ってくる、その様子を見てから今後の事を考えた方がいいだろう」 その頃、高宗と若狭重伍たちは君子の北5キロにある中浪まで戻ってきていた。 文次郎の指示を受けた、健一郎と河鐘文が中谷から中浪まで迎えに出て、月に一回市が立つ場所で合流していた。「重伍おじさん!」「おう!健一郎か?・・・大きくなったな!」「はい!おじさんもご無事で何よりです」「ハハハ、もう朝鮮には帰って来れないかと思ったよ・・・で、文次郎はどこにおる?」「重伍おじさんの指示があったと言いまして、朴大寿に会いに行っています・・・もう帰っているころだと思いますが」「そうか・・・我々も平壌で聞いたが、我が国がとうとう動くようだな」「私には詳しいことはわかりませんが、すでにシベリアヤを脱出した人が何人か京城に戻ってきているとは聞いています」「うむ、私もその噂は聞いているが、そう簡単なものではないだろう・・・シベリヤから朝鮮まで3千キロから4千キロはある、乗り物がなければ戻ってくるまでに半年はかかる」「はい・・・それに疫病も流行っている地域が途中にあると聞いていますから・・・」「そうなんだ、我々もその地域は迂回してここまで帰ってきたが、ロシアの国力は相当落ちているぞ」 健一郎達は高宗と若狭重伍たちを、あらかじめ用意していた廃屋を手直しした場所に案内した。 そこは中浪と中谷の間の東側に小高い丘のある日当たりのいい場所だった。そこに到着した高宗は大きく深呼吸をして・・・「やっと帰ってきたぞ、やはり朝鮮の空気がいい、私は今まで自分の国に対する愛情が少なすぎた・・・いや知らなさ過ぎた・・・一度は死んだ人生だ、生まれ変わったつもりでこれからは朝鮮のために生きていく」「高宗さん、私も及ばずながらあなたの理想の国作りのために働きますよ、もちろん文次郎達も手伝ってくれるでしょう、これからです、これから・・・」「若狭殿、頼りにしておるぞ・・・まずは兄上に会わなければ・・・今まで散々苦労してきたと思う、その苦労を分かち合わなければ」つづく
2010年07月31日
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朴大寿の屋敷に入った文次郎達は一番奥の部屋にある部屋に通され、朴大寿と向き合った。「さあ、私になにを言いに来たのか言ってみなさい」 朴大寿は何を話されるのだろうと非常に気になってはいたが、虚勢を張り続けていた。「朴大監」(テガン・大監=大臣の意味)「向井殿、勿体をつけずに早く話せ!」「朴大監」「だからなんだ!」 文次郎は大笑いをしながら言った。「ハハハ!薄々感づいているようですな・・・ロシアの事は」「ロシアがどうした?」「朴大監、そろそろロシアと手を切らないと大院君の二の舞になりますぞ」「どういうことだ?大院君の二の舞とは?」「本当にご存じないのですか?」「だから早く言え!」「朴大監ともあろう方が・・・知らないと?」「・・・・」「では話しましょう・・・もうすぐロシアを相手に我が日本は戦争を始めます、この戦争は朝鮮を解放するためです・・・ロシアは今国情が乱れ、朝鮮どころではなくなってきています、おそらく我が軍が満州に上陸すれば形だけの抵抗をして総崩れになるでしょう」「なんと・・・しかしお前達では大国ロシアには勝てないだろう」「普通の状態ではね・・・しかし世界中が我々日本の味方をしています、ロシアに手を貸す国はありません・・・それほどロシアは嫌われているのです・・・その上ロシアの国内は今にも内戦が始まるかもしれません」「うむ・・・にわかには信じられんが・・・」「朴大監、もう朝鮮の民をロシアに売るのはおやめなさい、でないとあなたはロシアから帰ってきた人たちに恨まれ命を落とすことになる・・・今からでも遅くはありません、皇帝のイチェミョンさんと相談してどうしたら生き残れるか考えないと」「シベリヤに行った連中が帰ってこられるわけがないではないか」「ご存知ないのですか?・・・すでに数千人の朝鮮の民がシベリヤから脱出しています」「なに?それは本当か?」「はい、信じられないならロシアの領事館で聞いてご覧になればいかがです?」「ちょっと待て、もし日本がロシアに勝ったらどうなる?」 朴大寿は身を乗り出しながら、あわてる態度を隠そうともせず文次郎に聞いて来た。「日本は朝鮮半島を支配するつもりはありません、またそんな経済的な余裕もありません」「では何を考えて日本は戦争を始めるのだ?」「わかりませんか?・・・日本はロシアに朝鮮半島を支配されたままでは、次は自分たちがやられると考えています、つまり朝鮮が強い国になって我々と協調してアジアを安定した地域にしたいのです」「安定させる?・・・意味が良くわからんが・・・」「はい、安定させて諸外国の侵略を考えないで国内産業の振興に力を注ぎたいのです・・・それが将来の日本の発展に大切な事なのです」「国内産業とは?・・・農業の事か?」「農業ももちろん含まれます、でも一番には重工業です」「重工業?・・・なんだそれは?」「朴大監、電気ってご存知ですか?」「それくらい知っておる・・・夜になると昼間のように明るく照らしてくれる物であろう?」「それだけではありません、今日本では100キロ以上離れていても電気の力で話が出来る電話というものがあります・・・その電気を作るための水力発電所も数ヶ所建設され、その電気を使って船を作ったり、鉄を作ったりしております・・・そして蒸気機関で走る蒸気機関車が新橋から横浜まで走っております」「蒸気機関車?水力発電?・・・まったく意味がわからんな」「聞いた話ですがアメリカやヨーロッパは、空を自由に飛べる飛行機という物まであるそうです、そういうものを作るためには国内の重工業の発展が不可欠なのです」「ハハハ、ぼろが出たな!・・・空を飛べる?・・・そんなものがあるわけないだろう!お前の話は偽りだらけだ」 文次郎が頭を振りながら朴鉄圭を促すと、朴鉄圭が話し始めた。「朴大監、本当にあるのです・・・私も写真をみました」「写真?」「はい、写真とは一瞬でそのままの風景を絵に描いたように写し取る機械です」「そんなものがあるのか?」「はい、両方に翼が付いた乗り物が空を飛んでいました」「うむ・・・・」「朴大監、もう選択の余地はありません。今だったら引き返せます、今の体制はもうおしまいです・・・皇帝陛下をおささえして朝鮮を取り返そうじゃありませんか!」 朴大寿はうなりながら頭を抱えていた。「今からでも間に合うか?・・・・うむ、どうしたものか?・・・」つづく
2010年07月13日
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文次郎達は朴大寿の邸宅に着くと、門番に声をかけた。「たのもう!大臣にお会いしたい!」「あっ、お前は!ここに来てただで済むと思っているのか?」 門番が文次郎に飛びかかろうとすると、朴鉄圭が間に入って門番の腕をねじ上げて言った。「お前のご主人さんが生き残れるかどうかの話だ、お前は文基さんに言われたとおり朴大寿に取り次げばいいんだ!わかったか?」「アイタタ・・・わかったよ、取り次げばいいんだろう」 門番は中に入っていくと大勢の仲間を連れて文次郎の前に出てきた。 朴鉄圭が言う。「汚いぞ!こちらはたった2人なのに・・・騙したな?」「うるさい!お前達を殺した方が旦那様に喜んでもらえる、死んでもらおうか!・・・やれ!」 文次郎は仕方がないなぁ~というそぶりで、周りを取り囲む棒を構えた男達に向かい、棒切れを拾い上げると・・・「どこからでも掛かって来い!そっちの方が人数が多いから手加減は出んぞ!怪我をしたくないなら離れていろ!」 「わー」というかけ声と共に十数人の男達が二人に襲い掛かった。 文次郎達が半分ほどの人数を打ちのめした時・・・「お前達、何をやっているんだ!・・・お、お前は!」 文次郎は斜に構えながら朴大寿に向かって叫んだ。「ずいぶん手荒い歓迎ですな・・・ところで大臣、あなたにとって生死に関わる情報を持ってきましたぞ」「なに?生死に関わる情報だと?・・・またいい加減な事を!」「ウソだったらわざわざ揉め事になるのが分っていて、ここに来るわけないだろう!そんなことも分らないのか?」朴鉄圭が叫ぶ。「本当になぜここに来たのだ?」「だから鉄圭も言っておるだろう、大臣にとって聞いておいて損はない話だ」 朴大寿はあわてたように文次郎を取り囲んでいる男達に言った。「何やっているんだ!この人は客人である、お通ししなさい」朴大寿はそう言うと踵を返して門の中に消えて行った。 平襄から京城の道を進んでいる高宗と若狭たちは、海州に差し掛かる頃文次郎からの手紙を受け取った。「若狭殿、京城はどうですか?」「王様、文次郎君からの報告ではまだまだロシアの影響力は消えていないようですね・・・しかし日本軍が近いうちに行動を起こすので、そのときに力を合わせて朝鮮を取り戻すべきだと書いてあります」「それで・・・私たちの居場所は京城にあるのですか?」「はい、君子の北に中谷という部落があります、そこで王様をお迎えする準備を整えておくとのことです」「すぐ宮には帰れないのですか?」「はい、まだまだロシアの息のかかった大臣達が幅を利かせております、まだすぐにお戻りになれる状態ではありません」「そうか・・・」「王様・・・気を落とされますな、これだけの艱難辛苦を乗り越えてきたのです、目の青い人ばかりが住むキエフから帰ってきたのですぞ・・・もう少しではないですか」「そうですね、もう少しであれだけ恋焦がれた京城に戻れます、若狭殿にも苦労をかけましたな・・・絶望という気持はキエフに置いてきたつもりでしたが・・・」 高宗と若狭は京城への道を急いだ。 ロシアに連行された時30人以上いた高宗の護衛官も、今では若狭と合わせても7人しかいなくなっていた。 7人の服装は2ヶ月もの長旅でボロボロになっていた。 誰が見ても元の王様が京城を目指しているように見えなかったことも、彼らにとって幸いしていた。「王様、海州の先の臨津江まで出れば船が使えます、もう少しの辛抱です」「あいわかった、若狭殿、あなたがいなければ私は今頃生きていなかったであろう・・・私は日本人を誤解しておった、お主のような忠義の厚い人物もいることを教えられたよ」「私ような者など、日本には吐いて捨てるほど居ります。向井文次郎もその一人です」「私の周りには若狭殿のような人間はいなかった・・・口では私に忠誠を誓いながらいざとなると自分のことしか考えない・・・朴大寿など私どころか父上まで見事に裏切りおった」「その朴大寿と何日かしたら会う事になります」「なに?・・・私は会わないぞ!なんであんな卑劣なやつに・・・」「王様、今は私憤は忘れるべきです。どうすることが王様にとって・・・いや、朝鮮の民にとって良い事か、良く考えてください」「・・・そうであった・・・冷静にならなければならんな。若狭殿、貴方は私の張子房である、張子房と諸葛亮を足したような存在である・・・これからもずっと私を支えて欲しい」つづく
2010年07月04日
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文次郎は朝鮮の各方面へ秋山少将の指示に従い、今の体制に不満を持つ部落へ連絡を取りつつ、健一郎達が手に入れた大院君の書簡を手に、朴鉄圭と共に今の朝廷で実権を握る朴大寿の元へ向かった。 朝鮮でもロシアの情勢が少し伝わってきているので、自分たちがまだまだ安泰だとは思っていないはずである。 文次郎達が君子から、朴大寿の屋敷がある清渓川と鐘路の間のウンジョン街の南に向かっていると河鐘文が息を切らしながら文次郎達に追いついてきた。「ゴンのアッパー!鉄圭先生!」「お前は・・・鐘文じゃないか?・・・どうしたのだ?」「たいへんだよ!」「また何が起こったんだ?」「前の王様が義州まで帰ってきたって!」「なに?高宗さんが?」「そうだよ、これ」 河鐘文は懐から手紙を出すと文次郎に渡した。「前の王様のお付の人の手紙だって、ゴンがアボジに渡してくれって」 文次郎は鐘文からひったくるように手紙を受け取ると、手紙を開くのももどかしいように読み始めた。~~~ 向井文次郎殿 あと5日ほどで京城に行ける所まで帰ってきた。 順調ならこの手紙を君が読んでいる頃には、平襄のあたりまで帰ってきているはずだ。 ロシアは今、朝鮮どころではない状態まで混乱している、今がロシアから朝鮮を取り戻す機会だ。 君は我々が京城に着くまでに、朴大寿に働きかけ彼を裏切らせるんだ。 朴大寿は自分が助かるためなら平気で今までの同志を裏切るだろう。 君が手に入れた大院君の書簡をうまく使ってくれ。 そして高宗の兄になんとしても連絡を取り、高宗が朝鮮に帰ってきていることを伝えてくれ。 イ・チェミョンなら朝廷の中を掌握する方法を考えてくれるはずだ。 我々が京城のどこに入ればいいかは文次郎君の判断に任せる、至急返事が欲しい。 若狭重伍 拝~~~「鐘文、ちょっと待てよ」「はい」 文次郎は懐紙を取り出し、走り書きで手紙を書き終えると河鐘文に渡し、この手紙を持ってきた人物に若狭重伍へ届けるように頼んだ。「文基さん?」「鉄圭さん、すまん、若狭隊長からの手紙を見て鉄圭さんの事を忘れていたよ」「ハハハ、なんかいい知らせのようですな」「うむ、高宗さんが朝鮮に帰ってきた」「なんと!本当ですか?」「これを読んでごらん」 朴鉄圭は文次郎から手渡された手紙を読み終えると・・・「文基さん、急がねばなりませんね。ロシアの情勢が良くないなら我々が今動かなければ」「その通り!朴大寿を我々に寝返らさないと」「どうしますか?」「はじめはあいつの屋敷で話をするつもりだったが、徳寿宮でイチェミョンと一緒に話をしたほうが良いんではないかな?」「しかし徳寿宮は・・・」「うむ、わかっている。ロシアに内通している内官や女官がたくさんいるということだろう?・・・たぶんそれは朴大寿自身が解決してくれると思うよ」「よくわかりませんが・・・」「彼にとっても寝返るなら誰にも話を聞かれたくないはずだ、自分だけ助かろうとするなら必ずロシアに内通している連中を遠ざける」「なるほど・・・でも簡単に寝返るでしょうか?」「寝返ると思うよ、自分の都合を最優先に考える男だ」「では、朴大寿の屋敷に行って、徳寿宮に行きましょうか」「うん、そうしよう」つづく
2010年07月04日
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大山大将と秋山少将の会議があって1ヵ月後、朝鮮半島では秋山少将より指示を受けた黒田大佐が金承宣と接触し、向井たちへ上陸作戦を伝えていた。 金承宣は本人自ら釜山から向井たちが居る君子・中谷へ急いだ。 清の辛亥革命に続き、ロシアの国内も風雲急を告げていた。 いままで冷や飯を食わされていた没落貴族達と、レーニンとその仲間達が結託し、ニコライ2世に退位を迫っていた、もう内戦直前であったのである。 しかし東アジアの情勢が緊迫していたため、一時期内乱が休戦状態になっているだけで、ちょっとでも国内勢力のバランスが崩れると、革命が起こりそうな状態だったのだ。「文基さん(向井文次郎の朝鮮名)」「おお!承宣さんじゃないか?いつ釜山から?」「今着いたばかりです、鉄圭は?」「畑に居る、呼んでこよう」 文次郎は畑で農作業をしている朴鉄圭を連れて金承宣のところへ戻ってきた。 朴鉄圭は満面の笑顔で金承宣に話しかけた。「承宣、久しぶりだな!どうだ南の情勢は?」「うん、私がハングルを教えている生徒も500人を越えたよ、みんな生活するのに一杯一杯だが、国を憂いている民も少なからずいる」「安東は?」「そうだなあ、安東金氏の残党とは連絡を取り合っているが、あいつらはまだまだ両班意識が抜けないな」「じゃあ、使い物にはならんか?」「いや、気骨のある人間もいる、外に目を向けなくてはと感じている者もいるよ」「そうか・・・それで?今日はどうした?」「そうそう、文基さんもこちらに」 金承宣は2人に黒田大佐が秋山好古少将から指示された内容を話した。 向井文次郎はすべてを聞き終えると、うなづきながら言った。「なるほど・・・2ヶ月くらい後に上陸作戦が始まるんだな、こちらの準備も急いで進めなくてはならん・・・先月送った若狭隊長への手紙が届いているといいんだがな」 朴鉄圭が文次郎の方へ向きながら・・・「もう届いていてもおかしくありません、松都商団の全忠一は早ければ高宗さんたちがロシアのキエフから朝鮮へ戻りつつあるかもしれない、と言ってましたから」「なるほど、帰り道で会う可能性が高いわけだな」「そうです、ですので早ければ作戦開始前にこちらへ戻られる事も考えられます」「そうなればいいんだが・・・それで、承宣さんはこれからどうする?」「はい、すぐまた釜山に戻って最低3千人ほどは事が起こったときに動ける男を確保しておきます」「できるのか?」「すでに我々と同じ志を持った仲間が200人います、大丈夫です」「そうか・・・ではドゥフタノフと釜山の間の忠清道はどうする?」 その時、扉を開けて岡本参事官が入ってきた。「忠清道は私に任せてくれ、私が隠れ住んでいた時の仲間がいる、きっと力になってくれるはずだ」「参事官、本当ですか?それは心強い」「私も無為に何年も論山にいたわけではないぞ・・・やっと私の働き場所が出来たな」「参事官・・・期待しています、よろしくお願いいたします」 文次郎は朴鉄圭に向かって言った。「あとは、元山と義州だな」「北方面は足がかりがありませんからね・・・とにかく今からすぐ動いてみましょう」「うむ、そうしてくれ」つづく
2010年06月20日
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このころ日本では、ロシアとの本格的な戦争を始めるために、いろいろな準備が行われていた。 日本は短期決戦で勝利をものにしないと、国力に勝るロシアには負けてしまう。 緒戦を叩き、2次的な戦闘で戦局を有利な場面に持って行き、膠着状態に持ち込み講和に持って行くと言う作戦だ。 膨大な戦費を調達するため、高橋是清がイギリスに飛び戦債を募った。しかしロシアが負けるはずがないと思っているヨーロッパの銀行はどこも相手をしてくれない状態だった。 その流れを変えたのはロシア自身だった。 ロシアがユダヤ人弾圧政策を始めたのだ、この政策が取られるとユダヤ人の大富豪が日本の戦債を買い始めたのだ。 ロシアは内政が混乱し王制が揺らぎ始めていた。ロシア朝廷は国内の不満を抑えるためにユダヤ人弾圧で国民の不満をそらそうと考えた。 高橋是清から戦費調達の目処が立ったと連絡を受けた日本政府は、本格的に戦争の準備を始めた。 陸軍大将・大山巌は秋山好古を陸軍省に呼び作戦会議を開いた。「秋山少将、上陸作戦についてだが・・・」「閣下、やはり大連かと」「大連か?・・・朝鮮半島は?」「まず大連を叩き、敵を分断するべきでしょう。敵の補給を断ってから後ろの憂いをなくし、奉天に向かうべきです」「海軍との連携は?」「はい、昨日弟と話したんですが、バルチック艦隊は地中海にありアジアに回頭されるまで2ヶ月はかかると言っておりました。ロシアの極東艦隊だけですと今の我が海軍力で充分押さえられると・・・」「そうじゃったのう、秋山少将の弟は海軍の優秀な参謀だったな」「はっ、恐縮です」「開戦時期は?」「出来るだけ早いほうがよろしいでしょう、ロシアも我が国の高橋大臣が戦費を集めている事を察知しているはずです」「では?」「はい、我が軍は最短で1ヶ月で準備できます」「朝鮮へは?」「すでに我々の動きと呼応する勢力があります、彼らからの情報ですと朝鮮半島に居るロシア軍は総勢1万人ほどです、それも国境付近に半分の兵を駐屯させておりますので、実際に朝鮮半島で動ける兵は5千名、京城・・いや今はドゥフタノフにいるロシア兵は3千名ほどです」「なるほど・・・それなら2個大隊で押さえられるな?」「はい、実際はその時には大連で戦闘が始まっておりますので、1個大隊あれば朝鮮半島の協力勢力と連携すれば制圧は充分可能かと・・・」「そうか」「ところで閣下、落としどころは?」「うむ、清の東北部の入口まではなんとかな」「では奉天ですか?」 このように着々と反撃の準備が始められていたが、東アジアには大きな事件が勃発する。 実はこの時期、清では辛亥革命の兆しが勃発していた。 この会議の半月後、辛亥革命が始まり清が滅び、中華民国が誕生する。 日本とロシアの戦争はそのため半年ほど遅れて始まる事になった。 大きく東アジア情勢に変化があり、欧米諸国もアジアでいち早く近代国家に変貌した日本と協調しようという動きが現れ始めたのである。つづく
2010年06月06日
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文次郎は河鐘文を送り出すと、若狭に送る手紙をしたため始めた。~~~ 若狭重伍様 手紙受け取りました。 お元気になさっていらっしゃるようで安堵しております。 我々は今、京城の東のはずれの君子の中谷洞で活動しております。 さて、朝鮮は若狭総隊長が危惧しておられるとおり、一部の大臣がロシアと結託し私腹を肥やし、またロシアを言い訳に国民をロシアの人身売買組織に売ったりするという言語道断の所業がお日様の元、堂々と行われまさに朝鮮の国民は地獄の日々を送っております。 隊長から指示された書簡は本日手に入れました。 高宗さんの情報の通り、ウニョン宮の大院君の居室の奥の行李の中にありました。 この書簡は今後の我々の行動を助けてくれる切り札になるに違いありません。 そして2日前から岡本参事官が我々に合流しました。 彼から貴重な情報を聞く事ができました、若狭総隊長がいらっしゃるロシア情勢も岡本参事官からもたらされ、若狭総隊長達がまもなく朝鮮に戻れる事になると聞かされております。 先日、今皇帝の立場にある高宗さんのお兄さんであるイチェミョン氏に面会してまいりました。 イチェミョンさんの立場は皇帝とは名ばかりの状態で、徳寿宮と景福宮、そしてご母堂がお住まいの慶熙宮との間の行き来しか認められておりません。 今の政治の実権は元大院君派の朴大寿、文完元、李相道などが握っており、相変わらず民を売り飛ばし私腹を肥やしており、また彼らのおこぼれに預ろうとする輩もあとを絶ちません。 しかし李完用さんや金弘集さん、我々と行動を共にしている朴鉄圭さん、金承宣さんなど本心から祖国を憂いて行動を起こしている人たちも多く存在しているのも事実であります。 我々はまず、大臣達がこれ以上の人身売買に手を染めないよう行動を起こすつもりで居ります。 若狭総隊長、一日も早く朝鮮にお戻りください。 一日も早くお目にかかれる事、日々千秋の思いでお待ちしております。 向井文次郎 拝 ~~~ 向井文次郎が手紙をしたためた、この時代の朝鮮半島では文次郎が朝鮮に来た時に比べ人口は半減していた。 1895年に800万人居た人口が、この1908年までの13年間で450万人まで減っていた。 日本が朝鮮半島から撤退したため、日本が行おうとしていた病院建設や学校建設が途中で頓挫し、建設中の資材も盗難に遭い跡形もなくなっていた。 本来の予定通り病院が建設されていたならば助かった命も多いはずで、いまだに定期的に流行する赤痢やコレラ、天然痘などの疫病予防には多大な貢献をしたはずだ。 しかも市中では盗賊や追い剥ぎが跋扈して、無辜の民が殺されたり、大臣達の陰謀でロシアに連れ去られたりと、どんどん民の人数が減っていた。 文次郎は手紙を書き終えると朴鉄圭のところに赴いた。「鉄圭さん、いよいよ行動を起こす時が来たようだ」「いよいよですか?」「うむ、先ほど健一郎や趙本起たちが例の書簡を見つけてきた」「有ったのですか?」「これだよ」 朴鉄圭は渡された書簡を読み終えると、顔を真っ赤に高潮させながら言った。「大院君はまったく分っていなかった・・・視野が狭すぎる・・・こんな指示を出したらどうなるのか分りそうなもんだが・・・本当に自分の都合しか考えていない」「まあ一時期、外国からの船を追い返すなど国民に人気があったからな・・・仕方がなかった面もあるだろうが・・・それより、これを使って一番効果的に今の大臣達を排除する方法を考えねばならん」「承宣たちの南部への浸透はどうなっているんでしょうね?」「黒田大佐が情報将校となって、民への啓蒙などやっているようだが・・・」「文基さん、まず私が釜山へ行って意見交換してきますよ、その上で我々の行動を決めましょう」「そうだな、黒田さんや承宣さんの意見も聞かないといけないな、我々だけだと全体が見えていない部分があるかもしれない」つづく
2010年05月30日
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