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2011年02月22日
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カテゴリ: 法論

まずは、顕士郎さんからの質問。
「顕正会が主張する国立戒壇と宗門が主張する国主立戒壇の違いは如何?」
説明を求む。


水無月さんの質問は「『1千万まであと2年ちょい』を現役顕正会員さんがどう思っているかがわかればそれで完結です。」で、よろしいでしょうか?・・・





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最終更新日  2011年02月23日 01時08分09秒
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ありゃりゃ・・・。  
トチロ~  さん
昨晩は早めにオネンネしていたら始まっちゃいましたね・・・。

喧嘩に勝つ最大の秘訣は“自分より弱い者としかやらない!”というのが私のモットーだったのに、これじゃあ神風ですね・・・。(汗)

泣けてきます・・。


とりあえずお返事を。



「顕正会が主張する国立戒壇と宗門が主張する国主立戒壇の違いは如何?」

とのことですが、結論から言ってしまえば「違いはほとんど無い。」というのが私の認識です。

唯一の相違点は“戒壇を建立する主体者を有情とみるか、非情で良いとするか。”であると思います。

最終的にはこの点に争点は絞られるものと思います。


(2011年02月23日 07時46分05秒)

Re:初戦。  
水無月 さん
おはようございます。
私の質問としては、先に提示した「一千万」に限定しておきます。
広義だと「誓願の下方修正」とでもしたいですが、直近の「一千万」だけでも意見を聞かせていただければいいです。
「個人の見解」としてでもかまいません。
それをもって「オール顕正会の見方」とは考えないことをあらかじめ表面しておきます。 (2011年02月23日 09時07分34秒)

顕士郎殿  
通りすがり さん
国主立戒壇と国立戒壇とでは、明確な違いがあります。

「国主此の法を立てらるれば」とある通り、「人」が信仰の主体であり、今は主権在民だから国主は国民とし国民の総意で建立するのが国主立戒壇。国立戒壇は、言葉の成り立ちからして古く、現在では誤解を招くため使用はしない。「国立」となると国家が関わってきますよね?

お間違えなく。 (2011年02月23日 13時11分43秒)

国家意志表明  
顕士朗 さん
トチロ~氏、 通りすがり氏
お二人とも結果的には同じ事を述べている。すなわち、「国家的な建立の是非」であるが、顕正会では解散処分前も後も一貫して戒壇建立には「国家意志の公式表明」が必要だと主張して一点のぶれもない。
宗門は「国家的建立」に関しては弱腰に思えるが、果たして御遺命の本門戒壇建立は「国家の意志表明」は必要ないのだろうか?
文証を以て論じて頂きたい。
(2011年02月23日 17時08分38秒)

そもそも国家意志の表明という文証が無い その1  
富士川一郎 さん
 まず、あえて現代で論じずに宗祖の時代で論じてみよう。
 近代国家と近世以前の国家観はまるで違う。龍馬伝を見るまでも無く、日本を一つの国と考えるのはほとんど皆無であった。坂本龍馬が先駆者のように言われるのはこの所以である。
 例えば北條氏は“北條相模守”つまり相模国の国主、戦国時代なら武田信玄は甲斐の国の国主であった。つまり国主は日本国中にいたのである。徳川家康ですら三河守等と呼ばれていたのを知っておるでしょうか?
 日本は王制復古の大号令により、中央集権制度が確立し初めて日本国(大日本帝国)となったのです。
 そのような中、国立戒壇と言う言葉は分かりやすかったのです。
 しかし、翻って見れば、宗祖の時代にそのような概念があったのかと言えば皆無だったと考えざるを得ない。
日本史を紐解けば大化の改新により天皇陛下による「公地公民」が成立したが、直ぐに「三世一身の法」「墾田永年私財法」が確立し、それが崩壊した後は、日本は国司(つまり国主)による荘園制度になり、それば武家の領土制に移行した。
 その昔「おらが国」とは出身地の事を言い、国主はそれぞれ(六十余人)いたのです。 (2011年02月23日 18時18分27秒)

そもそも国家意志の表明という文証が無い その2  
富士川一郎 さん
 宗祖の御妙判に「勅宣並びに御教書」とあるが、この組み合わせは奈良時代以降の寺院建築や戒壇などには全て発せられている。つまり、当時では公的に認められた建造物には全てそれらがつきものだったのです。この場合どこにも「国家意志の表明」などは無い。
 それでは御教書とは何か?三位以上の官位を有する公家や武家が発する文書は全て御教書だった。鎌倉幕府で言えば武家将軍である源頼朝は「御教書」を発する権利は無い。しかし宗祖の時代は、鎌倉幕府の将軍は宮将軍(皇室出身の将軍)であったので、その文書は全て御教書と呼ばれた。そして御教書が発せられた事にはほとんどが自動的に勅宣が後追いで発せられる慣例があった。
 そして、先例は慣例となるのは日本の常識であり、室町時代以降の将軍の文書もそれを御教書を呼ぶに至った。このように手続とは時代によって変遷するものであり、これをもって金科玉条のように使用するのを無知蒙昧な守文の徒と申す。 (2011年02月23日 18時19分29秒)

そもそも国家意志の表明という文証が無い その3  
富士川一郎 さん
 さて、そもそも戒壇とは何か?顕正会員は御授戒を知らないので勘違いをするが、授戒を受ける場所が戒壇なのである。国主が御授戒を受ける為の戒壇を言うので有れば、国主立戒壇とは至極当然の言い方であり、そもそも国家と言う機関がどのように受戒を受けるのであろうか?御授戒は頭頂に御本尊様を頂くのであるが、国家の頭頂はどこを指すのか?国家や会社のように擬似的に人のように扱うもの“自然人”に対して“法人”と呼ぶのであるが、両者には致命的な違いがある。前者はそれだけで人として動けるが、後者はそれを動かす人がいる。これを国家に喩えるなら、国主となるのである。国主とはその国を代表する長を言う。現代なら行政機関と呼ぶのであろうが、日本国なら天皇陛下、各県ならその首長を言う。
 もしも御授戒を受ける事が出来る者がいるとすれば、それは人であって、人でない無器物ではあり得ない。国家では三帰誓の儀式すら出来ない。
 それでは国主立戒壇とは何か?まさに国主と言う人が建てる戒壇なのである。国家という人に在らざるものでは無い。
 結論。国家意志の表明が必要だという根拠がそもそも存在しないのです (2011年02月23日 18時20分08秒)

国家の意志表明  
顕士朗 さん
富士川氏へ
〉そもそも国家と言う機関がどのように受戒を受けるのであろうか?御受戒は頭頂に御本尊様を頂くのであるが、国家の頭頂はどこを指すのか?


富士川氏も元顕正会員なら、「国立戒壇」の「国立」が指す意味は知っていよう。戒壇建立の条件を端的に「国立」と形容しているのであり、「国家の頭頂はどこにある?」などは言うも愚かである。
そもそも歴史的にみても戒壇の建立は国家的な事業であったはず。比叡山延暦寺の歴史を見ればわかるように、国家が特定の寺院を僧侶を育成する正式な修行場として認め「戒壇」の称号を授与していたのは承知してよう。
御遺命の本門戒壇も国家的な戒壇であることは言うまでもない。
「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる、その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります。」(日淳上人)
「国家的に受持する」これすなわち「国家の意志表明」ではありませんか?
(2011年02月23日 23時10分26秒)

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