半分のさつまいも続

「半分のさつまいも」を読んで 〈続き)スイングベル.gif
     2002. 2月20日(水)


 あとがき

 今日を元気に、希望を胸に!

 その後のかよちゃんは、どうしたの?
 あれから、かよ子は、どう生きたの?

 ふり返って、家族のぬくもりいっぱいの中で暮らしたあのころは、ほんとうにしあわせに満ちていました。貧しくても、肉親の愛があゆれていたのです。しかられたあの日も、ほめらてもらった日も、だきしめてもらったときも、なにもかもが、わたしにとって宝の思い出です。

 昭和19年(1944ねん)国民学校の5年生のとき、家族と別れて学童疎開したわたしは、翌年の3月10日、東京大空襲で、肉親6人を炎の海の中に、失いました。
 泣いて泣いて泣きぬいて、そこから、わたしの生きるための戦いがはじまりました。

 昭和20年(1945年)8月15日、敗戦、それから2ヶ月あまりすぎたころ、父母同然に思って頼りにしていた叔母から、東京へ行って、といわれたときの心細さ・・・・・。
 でも、運命と思ったあの日から、わたしは強くなりました。
 焼け野原の東京で、今日食べること、今夜眠ること、その大変さに、親のない子は必死でした。
 別れのとき母がいった、「明るくて、元気で、強い子だから」のことばを、わたしはいつも胸にしていました。

 あの食料のない時代、通りすがりの人が、さつまいもを半分にしてくださったとき、 生きよ といわれたのだと思います。
どれだけの人の情けに、助けられたかしれません。
国中が傷ついていているときにも、愛の灯りは、どこかにぽつぽつとともっていたのです。
 孤児のわたしは、転々としました。
 悲しくて、苦しくて、途方に暮れたとき、肉親でもない人に親切をいただきました。
 生きるということは、耐えること、荒波が押し寄せたら、勇気をもってたちむかうこと・・・・・。
 こうしたことを、わたしは教えてもらいました。

     ーーー   中略   ---

 日本は平和になりました。
 世界のどこかでは、いまも戦争がおきています。
 やせおとろえた子どもが、戦火の中をくぐっています。
 パンに手をさし出しています。
 なぜ、戦争はおきるのでしょう。

     ---   中略   ---

 いま、苦しい日を迎えている子どもたち。悲しい日々をすごしている子どもたち。どうか、勇気をもって、正しく生きてほしい。苦しい思いや、悲しい思いをした人たちは、喜びやうれしさを、人一倍知ることができるはずです。くじけずに、今日を元気にすごしましょう。希望を胸に、すすみましょう。

    ---  中略   ---

 すべての子どもたちに、苦しい中でも、立ちあがる勇気をもちつづけてほしいと願いつつ、つたない文の筆をおきます。

 夕暮れの美しかった夜
 1997年10月       海老名香葉子


 著者は落語家 林家三平さんの奥さん・こぶ平さんのお母さんです。
 感想を書くことも出来ないくらい、大切な事を話していただいたと思います。
 この本を読む機会はないかもしれませんが、この精神を皆が持ちつづけられたら日本の子ども達も明るい豊かな子どもたちになれると思います。






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