平成11年生まれミスターGが、孔脳症と診断されたのは6歳。
今、まだ闘い中の記録・・・
これは、この病気のことを記録しておきたいと、書いたものです。
かなりきわどい表現等ありますが。
我が家、すごく平和で幸せに暮らしております。だから、その時はきわどい状況であっても、今は平和で幸せという事ですので。ご心配なく~!!
その幸せも、過去いろいろな地獄のような出来事をくぐりぬけ。
かなり高い山、そして深い谷をえっちらおっちら??進んできたので、多少の事ではびくともしないファミリーなのです。
たとえば・・・一日にして500万円の借金を背負った事があります。なははは。 (ノ´∀`*)エヘヘ 取引先が倒産してしまって。(自営業ですので)
そんな修羅場をかいくぐってきたので。お金って大事で大切なものだ。 と実感するのです。
今、少しだけれど、欲しい物が買える事がすごく幸せに感じるのです。 それから・・・Rの母。
がんを宣告されて、2ヶ月持たなかった。人の命は、はかない。健康で生活できる事の幸せも感じています。
まだまだいろんな、修羅場がありましたが。乗り越えるたびに、家族4人で生活できる幸せをひしひしと感じてきたのです。
だから。
今回のちょっとショックで驚きの 救急車事件
も。
私の中では、乗り越えられた。
実際、もっと尾を引くかなぁと思いきや。今かなり前向きに生きている。(かなりというより、完全に)
これもきっと今までの修羅場のおかげだ。1日1日大切に生きてきてよかった。
さてさて本題ですが・・・ことの始まりは、10月13日(金)
朝、5時30分。いつも、BU-(夫)とR(私)は足をつつきあいながら・・・
そろそろ起きるぞ~。ほれっ!とか、5時過ぎごろからやっています。
お互いなんとなくそうやって目を覚ましていくのです。
で、ちょうどRがうとうと・・・とした時。BU-が 大声
を
Gがひきつけ起こしてる ・・・・・・・・・・・・・・
隣の部屋のベットで寝ていたGが痙攣していました。前日まで、熱もなく、下痢嘔吐など無く元気だったのに。
で、ちょっと焦って
Gちゃん、Gちゃ~ん
R絶叫(お坊ちゃまなので普段かなりの割合でちゃん付けです)
2回絶叫して我に返ったR・・・・あっ、痙攣している時に、叩いたって叫んだって気づくわけないか
しばらく様子を見ていたところ、おさまりました。多分1分ぐらい?
で、チアノーゼがあったのだけれど、痙攣がおさまったらすぐ治ったし・・・様子見て、朝1番で大きい病院行くわ
なんて思ったのでした。ちょっとのん気に聞こえるかもしれませんが。
てんかんの子を持つお母さんの知り合いもいるし。痙攣の発作は何回か見たことがあったし。(身内では初めてでしたが)
痙攣が長く続かなければ、命にかかわるような事がないということを知っていたのですよ。
ところが、痙攣がおさまっても、Gの意識が戻らない。ぐったりしたまま・・・
とりあえず、BU-が抱っこして、私たちの布団に移動したのだけれど。
呼んでも呼んでも。(後で、知ったことですが、痙攣後はそう言うこともあるらしいからあまりあわてなくても良いそうです。)さすがのRもあわてまして。
救急車呼ぼうか・・・ とりあえず、洋服にばばっと着替えて。
やはり意識が戻らないので、救急車を。救急車が来てくれたぐらいから、Gが泣き出した。
でも、呼びかけとかには応えられない。明らかに、意識混濁。
病院に運ばれる途中、いきなり意識が戻る。
そしていきなり起き上がり、真顔で
どこいくの?
By ミスターG
いや、さすがに救急隊員の方も、Rも笑った d(´д`o)いきなり、どんどんしゃべりだすもんだから。
痛いことしない?結構揺れるね・・・どうして病院? 等など。
本人は、記憶にないのだからしょうがない。とりあえず、Gの息が止まってしまって大変だったから救急車を呼んだ。と説明して納得したようだ。
記録2 に続きます。
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