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備中松山城~岡山県高梁市~

備中松山城 其の1

備中松山城は鎌倉中期の1240年、備中の国有漢郷に地頭頭として入国した秋庭重信(あきば しげのぶ)によって創築された。

高梁川沿いの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれた城は、日本3大山城のひとつで標高430mにある天守閣は、現存の山城の中では一番標高の高いところにある。
(補足)
臥牛山 大松山、天神丸、小松山、前山の4つの峰の総称で、南から見た山の様が草の上に伏した老牛の姿に似ているところから臥牛山と呼ばれるようになったそうである。
現在の天守閣は、小松山に築かれてある。

当時は大松山に構えていた天守閣も、南北朝時代に高橋宗康によって小松山に拠点を移すことになる。
その後高氏、秋庭氏、上野氏、庄氏と城主が代わっていく。
室町時代最後の城主だった三村元親が1575年、毛利輝元に攻め込まれ自決。
以降毛利の城番が置かれる。

1600年関ヶ原の決戦以降、備中の国は徳川家の直轄となり小堀正次(こぼり まさつぐ)が入城する。
江戸時代に池田、水谷(みずのや)、安藤、石川、板倉の五氏が城主を継いでいった。

天守閣へは駐車場からのシャトルバスを利用して(大人往復300円要ります)標高290mのふいご峠まで行き、そこからは遊歩道を約600m進む。
しかし、天守閣は標高430m。かなりきついですのでそれなりの覚悟をして登ってください。

入城料大人300円
天守閣の中で、城のいろいろな仕掛けを見ることができます。

狭間
写真は「狭間」(ざま)
ここから弓矢や鉄砲を構えて敵を待ち伏せていた。


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