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あしゅらめん怒り

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2008.10.01
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カテゴリ: 阪神
高校はPL学園高校に進学。天理高校かPL学園かどちらに行くかで悩んでいたが、両校の練習を見学した際に、天理高では3年生が練習をし1年生が球拾いをしているのに対し、PL学園では学年に関係なく同じメニューの練習ができることが決め手となった。入学当初は投手を希望していたが同期の桑田真澄の並外れた実力を知り、「(桑田には)絶対勝てない」と野手を選んだ(新入部員が最初に集まった際に、清原は名の通っていた桑田を探しその姿を発見すると「なんだ こんな小さい奴か」とタカを括ったが、実際の投球を見て度肝を抜かれ観念したと後にコメントしている)。

当時はバッティング練習の際には飛距離の出ない竹バットを使用していたが、ネットを軽々越えて場外に飛ばしていたために清原用の金網が継ぎ足されたという逸話が残っている。

全国から精鋭の集まるPL学園野球部にあって1年生から4番に座り、エース桑田とともに甲子園に5季連続出場を果たす。1年生の夏に優勝、2年生の春・夏は共に準優勝、3年生の春はベスト4、3年生の夏は2度目の優勝を経験している。

特に清原と桑田はKKコンビと呼ばれ、後には桑田清原世代と呼ばれるようになるこの世代を代表する人物となった。後に共にプロに入団した松山秀明(元オリックス)、今久留主成幸(元:横浜大洋、西武)も、共に活躍した。

個人としても甲子園通算13本塁打を放つなど、高校通算64本塁打を記録。3年夏の決勝戦でこの試合2本目、1大会のタイ記録となる5号を放った際、植草貞夫アナウンサーは「甲子園は清原のためにあるのか!」と実況した。3年生春の浜松商戦と同年夏の東海大学山形高等学校戦(ともに大量得点差のついた最終回)では監督に懇願し、投手として登板させてもらった。

西武時代
清原本人は巨人入りを熱望していたが、巨人は早稲田大学進学を表明していた桑田を強行1位指名。当の清原は南海、日本ハム、中日、近鉄、西武、阪神の6球団から1位指名を受け、抽選の結果西武が交渉権を獲得。ドラフト会議直後の記者会見では、失意で涙を溜めた姿が放送された。 後に自宅で泣く清原を見て、母親が「あんたが勝手に惚れて、勝手に振られたんやないの。男らしく諦めなさい。男なら見返してやりなさい。泣いてる暇なんてないはずやで!」と言い聞かせ、プロに入り巨人を見返してやるとの思いを強くした。

清原はそのまま西武に入団。背番号3が与えられた。ルーキーイヤーの1986年、開幕2戦目に守備固めで登場すると、第1打席の四球の後第2打席にはプロ初安打となる初本塁打を打つ。その後も打ち続け、高卒新人では史上最多の31本の本塁打を放って新人本塁打記録の最多タイを記録。打率.304及び打点78も同じく高卒新人の歴代最高記録で、新人王に選出された。その年の日本シリーズには8試合すべてに4番・ファーストで先発出場し、日本一に貢献している。またこの年流行語大賞を獲った「新人類」の代表のように言われ、工藤公康、渡辺久信と表彰式に出席した。

黄金時代の西武にあって4番に君臨し、3番秋山幸二とのコンビは「AK砲」と呼ばれた。後にオレステス・デストラーデが加わり「AKD砲」となる。全盛期には『三冠王に一番近い男』と呼ばれた。また、西武入団時には当時の球団代表であった坂井保之氏から「四冠王を目指してほしい(打率・本塁打・打点+盗塁)」と期待されるほどの俊足であった。清原自身は盗塁に意欲的ではなかったが、2桁盗塁を二度マークしている。



守備も上手く、一塁手でゴールデングラブ賞を5度受賞している。なお年に数試合は三塁を守り、日本シリーズのセ・リーグの本拠地での試合でも、普段は指名打者のデストラーデが一塁、清原は三塁を守った。

1990年オフ、当時としては史上最年少となる23歳で1億円プレイヤーとなった。

1986年から1988年まで、1990年から1994年までの8度のリーグ優勝、6度の日本一(1986年~1988年、1990年~1992年)に貢献。日本シリーズでは一度もMVPは獲れなかったが1986年、1988年は優秀選手に、敗戦した1993年、1994年は敢闘賞に選ばれている。


無冠の帝王清原和博今までありがとう!!!!





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Last updated  2008.10.30 10:04:09
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