中年の気まま日記

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生と死


生死、、、、
その境目はデジタル的にハッキリしているのではなく、
実はアナログ的に曖昧なものです。
何故そう思うかというと
生には、受精、細胞分裂、着床、、、、と色々有り、
死にも社会的、自己存在的、思考的、脳死、食事の自己摂取不可、細胞死、、
色々な考え方が有るからです。
考え方が多くなるに従って
生と死の境目も曖昧に成ります。。。。。。。

本来、生と死は一対の物で死は生の隣にあるのですが、
身近に死を見ることもなく、感じることも出来ない人が多くなり、
生きているのか死んでいるのか自分自身区別がつかなく成っている人もいます。

今の時代ほど、死について人が考え、感じる事が少ない時代も無いのかもしれません。
死について考えないから、生にも実感が有りません。
生きてる実感を得ようとして、
死ぬかもしれないスピードに生を見いだそうとする人や
自分の血に自分の生を見いだそうとしている人もいます。

国が違えば生と死を区別するのが宗教であったり
生活能力であったりします。

日本では生きる能力が劣っていても、家族、社会から護られて、死を意識せず生きていけます。
死にたくても死ねない、生きているのではなく生かされているという状況も存在します。

でも、、、、、、、、、、
死んでいるか生きているかその違いは周りの人が決める事ではなく
自分自身が決める事だと思っています。
その選択基準はその人それぞれです。
周囲の誰もが生きていると思っていても自分自身が死んでいると思えばそれは死であり、
周囲の誰もが死んでいると思っていても自分自身が生きていると思えばそれは生です。
生と死の考えを共有する事は困難です。
自分の生死について自分自身が決定する能力を持つことが
生きているという事かもしれません。
それが出来ないと、
生きているか死んでいるか区別の付かない人生を歩む事になります。
考えて、勉強もして、そして経験を積んで、
その中で自分の死生観を見つけて欲しいと思います。

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