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No.1「お城」編・・・



「関東地方には石垣に使うような巨岩が少なかった」そうですが、では 巨岩 はどこに!?
石があった・なかったの問題より「石垣」を作る人たちが関東のほうが少なかったのでは!?
有名な“あのうしゅう”(すみません、偉そうなこと書きながら字を忘れました。PC・携帯でも変換できません・・・。)も関東にはいなかったはずです。
今のような建築土木機械があればともかく、当時はほとんどが手作業(もしくは、ほとんど手作業に近いような状況)だったはず・・・

見るものを威圧するような立派なお城は、確かに16世紀~17世紀ごろがメインと考えてもいいとは思います。
石垣の積み方にもいろいろあり、初期の頃のものは石の大きさも「バラバラ」だったりしますが、後期になってくると石の大きさを揃えたりしています。また、石垣と土塁(土を盛って作ります)の関係を見てみると主に2種類、「石垣の上に土塁(水掘に多用されています)」「石垣の下に土塁」があることに気が付くかもしれません。

そもそもお城の起源は・・・はっきりしないのが実情のようですが、平安時代には「柵」のような名前で出てきます。
そして、その当時・・・弓矢の矢を保管したり矢を射掛けるための場所・矢倉(櫓はここから来ていると思われます)を備えた防御施設へとなっていったようです。

山城・平山城・平城
主に分類されますが、初期の頃の城は・・・
山城です。有名なのは・・・信貴山城、春日山城、高天神城、岩殿城などで「山の地形」を利用して、敵から攻められにくくしていたようデス♪
ところが、合戦の規模が拡大して軍勢が万単位になってくると「山城」では収容しきれなくなります。また日常生活に支障を来たしやすいほど不便なので、次第に平山城(有名な城は多いですが、代表といえば世界遺産にも指定されている姫路城ではないでしょうか?)に移ってきます。
そして、先にあげた17世紀くらいになると水濠・高い石垣・そびえたつ天守閣を備えた平城(江戸城=皇居など・・・)になります。

で、騎馬隊といえば武田信玄(そもそも本名は武田晴信)というイメージはありますが、名馬といえば甲斐の国・現在の山梨だけではありませんよ!
武田勢も、騎馬隊ばかりではなく、弓・鉄砲・足軽などもいるわけです。
戦いも、いきなり騎馬隊が突撃したとも考えにくいです。

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