表現としての買物

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2014.07.04
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カテゴリ: サッカー
つい先日までの「不可能はない」的な盛り上げ方が去って、日本代表に関する批判的な内容の記事が目に付く今日この頃。

3バック、5バックを活用(メインシステムでなくても)したチームがグループリーグを勝ち上がったことから、「どうしてザックの代名詞だった『攻撃的3-4-3』」をメディアが排除したのか、やはりメディアや一部評論家の大好きな「トップ下=10番」を作れないと広告代理店的にまずいのか、などと亜発言して、私もそういう風潮に乗ってしまいたいところではあるが、そこは自重して。
(あ、書いちゃった...)

「これから」の日本代表につながることを書いてみたい。

それは、「これまでの常識」とは異なり、南米もアフリカも、ほとんどのチームが「戦術的」だった、ということだ。

だから、日本の「強み=チームプレイ」が際立たなかった。

相手が、「フィジカル」だけだったり、「個の力」だけだったり、であれば、走力と頭脳とチームプレイでなんとかできるが、もともとフィジカルや個の力で優位なチームが技術と戦術とを兼ね備えてきたので、日本代表も「もう一つ別の何か」を備えなければ、厳しくなった。

私は、そんな風に、ここまでのワールドカップを総括している。

それはでも、コンフェデ杯で見たブラジルが、きちんと「戦術」があったときに、気づくべきことだったのかもしれない。

だが、そうではなく、世界のサッカー界の潮流だった、ということだろう。

昨年、日本が「よい勝負」をしたイタリアとオランダ(コンフェデと親善試合ではあるが)を比較してみても、よくわかる。
イタリアは「過去のカテナチオから脱却したパスサッカー」をつらぬこうとして結果を残せず、オランダは、がらにもなく「守備重視の戦術も併用」して、スペインを葬った。

それはつまり、日本の実力が欧米列強に近づいたことの証でもあり、そしてまた、ワールドカップで結果を残すためには「近づいた」ことに満足していたのではいけない、ということをも意味している。
イタリア、オランダ、ベルギーに対して「よいサッカー」ができたから、といって、それを「自分たちのサッカー」などと「固定」してしまってはいけない、のである。

。。。ちょっと脱線したかな。。。

私は、コートジボワール戦の失点が非常に気になっている。
「ドログバが入って雰囲気がかわった」、「DFがドログバをケアする意識が強すぎた」、「同じサイドで同じ人に同じようなクロスを上げられた」、、、というところでは「ない」。

まず、コートジボワールは(ヒディンクなどの常套戦術だが)、「相手の攻撃的サイドを無力化するために、そのサイドで攻撃する」ことを選んだように見える。
以前は、そうした場合、香川が戻りきらなかったり、戻り切れなかったり、中途半端なポジショニングをとったり、中途半端な守備をしたり、という不安があったため、DFやボランチへの負担が非常に高かったが、ザッケローニの指導のおかげか、はたまたマンU迷走の副産物か、守備意識も守備のポジショニングも、かなり向上して「それなりに機能」するところまできていた、が、まさに「それ」こそが、相手の戦術とうまくかみ合ってしまったのだ。
つまり、サイドのボール保持者に香川が対処に行ったとき「こそ」が、コートジボワールの「クロスのあげどき」になったわけだ。

長友も内田も、競り合いに弱いわけではないが、身体能力の高い相手に対して一対一での競り合いで勝てる保証はない。
(実際のところ、CBでも、下手をするとGKでも勝てない可能性もあるが...)
そして、日本代表のクロス対応は、基本的に「相手を挟み込んで自由を奪う」ようにしながら競り合うことで、失点の可能性を減らしている。
ここで、相手FWが、意図的にDFの間を左右に動いたらどうか。
クロスがあがった側から遠い側のDFは即座に対応できるが、近い側のDFは、首をふるまできちんと対処は期待できない。

と、これが一点目。
で、二点目は、というと、吉田は一点目が気になるので、後ろを警戒しながらクロスに対応する、で、長友の「前」にいたジェルビーニョが、クロス直前で長友の後ろに入り込むことで、やはり「挟み込む」形から逃れている。

つまり、「相手の強みであるサイド攻撃を逆手にとる」という大局的な戦術、「相手の守り方の特徴を知り弱点をつく」という局所的な戦術、そして、「切り札をどう効果的に使うか」という肯定枠の使い方、どれも、効果的であった。
もちろん、日本の戦術にも見るべき点もあったし、だからこそ先制できたし、押し込む時間帯もあったわけだが、ドイツ大会、南アフリカ大会ならばもしかすると通じたかもしれない、「日本の強みだけ」のサッカーでは、ブラジル大会は、もはや勝ちあがれない、ということである。

じゃぁ、どうすればよいのか。

私は、「セレクション制度」を改革すべきだと思う。

現状は、「育成」といえばきこえがよいが、結局のところ、とくに末端では、そのとき、そのとき、の、各年代の方針に従って「選別」しているだけである。
それはつまり、U-12世代では、足技が上手な選手「だけ」が残り、U-18世代では、走れる選手「だけ」が残り、U-22世代では、バランスが取れた選手「だけ」が残り、だが、逆に見ると、U-12世代で「頭脳、体格、走力」で秀でた選手を篩い落とし、U-18世代で「頭脳、技術」に優れた選手を篩い落とし、U-22世代で「大きな特徴を持つ」選手を篩い落としていることと等しい。
ストライカーが育たないのも同じ理屈で、「その世代で点を取れる」選手を選別してしまうので、「将来、強豪チーム相手でも得点を取ることのできる」ような「隠れた能力」を育てることもできないし、気づくこともできないまま篩い落としている可能性が高いと私は思っている。

改善するためには、「優秀なコーチ、スカウト」を「セレクションの網にひっかからないようなチームや選手」に対して、優先して接するようにさせることが必要だと思う。
優秀なコーチであれば、あらかじめ決められた評価項目「以外」の点に着目して「この選手は伸びる」と判断できるであろうから。





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Last updated  2014.07.04 18:17:59
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