海軍・航空機屋

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試作計画二十試甲戦橘花(きっか)のゆくえ



海軍の橘花が、推力475kg二基装備して木更津の空に舞い上がった1945年8月海のむこうでは、ロッキードP80Aシューティングスタージェット戦闘機の軍への引渡しが、始まった。この機体は月産30機を目指すとされ、アメリカ陸軍航空隊の熱い期待を負っていた。

1945年5月、第1技術廠の会議室に軍需省実務担当トップ、航空兵器総局長及び審議官、各工廠関係技官など参加した次世代後継機プロジェクトの検討会がもたれた。

当面、緊急を要する開発の方向性として、つぎの事項が確認された。ただちに開発を要する戦闘機は、高高度で空戦ができることを最優先とするも、当面の予定運用法、高度8000m以下を紫電改5型(ハ43・11、2200馬力装備)とキ84性能アップ型に、8000~11000mを当初での中島キ87に替えて、キ83(双発)キ102甲(双発)をあて、11000m以上を立川の高高度戦闘機キ94二型と川崎のキ108回(排気タービン装備)の方針を堅持するものとした。

また、同時期に開かれた烈風の次世代甲戦に関する官民合同研究会には、三菱、中島、川西の三社が参加した。まだモノになるかもわからぬ烈風と言う機体の次世代を検討する、と言うこの席ではその先を見通した時期甲戦として「烈風改の基本型とした戦闘機を、めざす」となり、1945年6月1日に、「二十試甲戦闘機計画要求書」として策定された。開発は中島と三菱の合同設計チームがあたり、戦力化の目標を1947年(昭和22年)初頭とした。

しかし、冒頭でふれたように、アメリカのジェット戦闘機開発は完成を迎えた。
わが国にも、これらの情報は断片的ながら、入ってきたから、おそらく、二十試甲戦に烈風改の基本型といった時代遅れのプランはふきとんでしまったに違いない。

三菱、中島は改めてこれまでのレシプロ・プランを破棄し、ジェット戦闘機開発を最優先とする情勢に至ったと想定できる。

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