不肖・宮嶋茂樹先生報道写真展
「いつでも どこでも だれとでも」鑑賞記
2003.10.30

「不肖」という言葉を聞いて万人の脳裏にまず最初に思い浮かぶのは、「宮嶋茂樹」であることは、疑いの余地がないであろう。
不肖・宮嶋茂樹とは、ご存じのとおり、国内屈指の報道カメラマンにしておもしろ文筆家、つまり「撮れて書ける」カメラマンなのである。
高速道路から撮った獄中の麻原の写真や、
金日成主席の銅像の前で同じポーズで撮った写真は
あまりにも有名である。
マスコミへの露出も最近とみに多いので知らない人はいないであろうから、これ以上の詳細は省く。
「不肖」「宮嶋茂樹」でググればかなりのページがヒットするであろう。
ちなみにご自身のサイトは こちら
不肖・宮嶋先生との最初の出会いは、『不肖・宮嶋 死んでもカメラを離しません』(現在は詳伝社から文庫で出ている)。
俺のまぶだち・たけちゃんがカメラマンとして新たな一歩を踏み出そうとしていたときに私なりのエールとして贈ったものだ。
この一冊で不肖・宮嶋茂樹先生のキャラおよび生き様(撮り様、書き様)に惚れ込んだ私は、次々と先生の著作を読みあさることになる。
しかし、不肖・宮嶋茂樹先生の写真そのものはじっくりと拝見したことがなかった。
著作に掲載されている写真は所詮印刷だから本物の写真を見たとはいえない。
もちろん、そんな写真たちもすばらしいものだった。だからこそ、いつか、不肖・宮嶋茂樹先生の写真を拝見したいと常々思っていた。
そして、10月30日、その希望が現実のものとなる日がやってきた。
恵比寿の東京写真美術館で開催された不肖・宮嶋報道写真展『いつでも どこでも だれとでも』である。
おしゃ~れな会場に入った瞬間、まず心拍数レベル300に急上昇。
なんと、入り口に不肖・宮嶋茂樹先生ご本人がいらっしゃったのである!
テレビで観る以上にシブ~いおっとこまえである。
人柄もすごく丁寧でいい人であった。
(詳しくはあとで)
内部は不肖・宮嶋茂樹先生が撮影された約150点の写真が美しく並べられており、落ち着いてじっくりと鑑賞できた。
写真は、先のイラク戦争など、アフガン紛争、ユーゴ紛争など、海外の戦場を撮影したものが大半であった。
今回は産経新聞主催ということで、あのあまりにも有名な首都高から獄中の麻原を激写した写真や、金日成主席の像の前でのまねっこポーズ写真とか、ユーゴ内戦での青い目の兵士の生首写真とかはなかった(あの写真たちはほとんど文春に掲載されたものであるため)が、
どの写真もすばらしいものばかりであった。
恥ずかしながらすばらしいとしかいいようがない。
つまらない写真は一点たりともなかった。
(ちょっとあざといかなというものは1点だけあったけど)
写真の前に立つと、戦場の空気、血のにおい、爆撃音などが私めがけて襲ってきた。
がれきの山を歩く人々の写真や、
爆撃か焼き討ちにあって炎につつまれた自分の家へ向かうのを、兵士に止められているおっさんの写真などからは、
戦争って痛いんだな~、戦争が身近で起きたらほんとに困るよなあ~、と戦争を知らない世代である私にもバーチャルで実感できた。
処刑される前日に撮られた人々がこちらを凝視している写真では、もうこの人たちは確実にこの世に存在していないんだな~と思うと、なんともいえない気分になった。
不肖・宮嶋茂樹先生はどんな思いでこれらの写真を撮られたのだろう。
凡人には想像すらできない。
しかし絶望や悲惨だけではない。
希望もそこにはあった。
特に子供の写真。
戦時下でも子供だけは無邪気だ。
(いや、悲惨な子供ももちろんいるだろうが)
そんな子供の笑顔を見ると、「希望」の存在を信じてみたくなる。
こいつらがいる限り、大丈夫だ。
そう思えた。
特にイラクでお母さんにだっこされながら、こちらを向いて笑ってる女の子の写真。(お母さんの後ろから撮影しているカット)
写真の前にしばらく立ちつくしてしまった。
そんな写真がたくさんあった。
見る者を圧倒する…
その表現を初めて実感できたような気がする。
また、おねぇちゃんコーナーもあり、またこれがよく撮れてた。
どのおねぇちゃんもキレイで魅力的なのだが、中でもユーゴのがれきの前に立つナースの写真に釘つげになった(ナース服は着ていない。私服。念のため)。
なぜこれほどまでに心が揺さぶられるのだろう。
それはこの写真たちに魂が宿っているからだと思う。
そう、不肖・宮嶋茂樹先生は魂の写真家なのである。
ちょっと使い古されすぎて、陳腐すぎるコピーか。
でもホントにそう思うからいいのだ。
やはり、これが写真の力だ。
雑誌に掲載されている写真では、これほどの衝撃は感じられない。それは、印刷物になることで(紙質、印刷方法などで)、写真本来のクオリティが損なわれるということがまず一点(特に写真集など)。
もっとも問題なのが、雑誌に掲載されるということは、撮った本人ではなく、編集者など第三者の手を介するということだ(その写真に関する見出し、キャプション、本文など)。
第三者のフィルターがかかると、特に文章などはどうしてもそちらの方に目が行ってしまい、写真自体を読むということが難しくなる。
その点、写真展は写真そのものだけをじっくり見られるから、写真家の魂みたいなものが感じられる。まるで自分が今現場にいるかのような生々しいバーチャル感。
写真のもつ力がダイレクトに感じられる。一歩引くと、写真そのものが読めもする。もちろん、写真の読み方、感じ方は人それぞれだが。
そして実感できたことがもうひとつ。
毎日のようにニュースでどこそこで戦争が起こって、何百万人の犠牲者が…とか報じられているが、全く実感がない。それが果たして本当なのかどうか、それすら確かめる術は俺にはない。
しかし、ここに来て不肖・宮嶋茂樹先生の写真を見ると、ホントにそうだったんだ、と思える。確かに戦争はあって、たくさんの村や町が廃墟になって、たくさんの人が死んだんだと。
テレビや週刊誌では絶対に伝わらない生と死のライブ感。
これまで俺はなにを見てきたのだろう。
ぶっこわされた。
こういった実感・感動はビデオなどの動画からは得られない。
動画は見る者の思考能力を奪ってしまう。
吟味する心を奪ってしまう。
立ち止まってゆっくり考えることの大切さ。
写真はそんなことも教えてくれる。
写真だからこそ伝えられるモノが確かにある。
一瞬を切り取ることで見えてくるものもある。
時の流れに唯一対抗できる人種。
それがカメラマンなのかもしれない。
時の狩人・不肖・宮嶋茂樹。
こっちもダメか…
兎に角、この動画全盛の時代に、改めて写真ならではの力を再確認できたのも、大きな収穫のひとつであった。
不肖・宮嶋茂樹先生の写真そのものについていえば、
すばらしい。
またまたこの一語に尽きる。
俺などの素人が不肖・宮嶋茂樹先生の写真について語るのははなはだ恐縮ではあるが、
感想レベルなのでご容赦いただきたい。
兎に角、すべての写真が計算されつくしていると感じた。
撮影対象、構図、露出など、すべておいて。
不肖・宮嶋茂樹先生といえば、体を張ったスクープ写真か戦争写真。
しゃべりもかなりイケる。
マスコミに登場する際には、スクープ写真の裏話、エピソードなどが主で、ハイレベルな撮影技術等の撮影論、作品論については、ほとんど言及されない。
しかしここに来ると分かる。
あの数々のスクープ写真は、高い撮影技術という土台があってこそ生まれたということが。
ただの無茶しぃのおもろいおっさんではないのだということが。
特に、「人間」を撮るのがムチャクチャうまいと感じた。
これもあまり不肖・宮嶋茂樹先生の作品に触れたことのない人には意外だろう。
俺も今回、初めてわかった。
しつこいようだが、不肖・宮嶋茂樹先生といえばスクープ写真だったから。
何度写真の前に立ちつくしたかしれないが、そのほとんどは「人間」を主体にした写真の前だった。
先にふれたイラクの幼女、ゴマの自衛隊のキャンプ地に遊びに来る現地の子供たち、収容されたタリバンの兵士などなど…。
希望、絶望、あるいは狂気。
どの写真も、その人のその一瞬の表情をズバっととらえている。
特に目。
目は口ほどにものを言うというが、ほんとにその通りだ。
目は心ののぞき穴ということも実感。
不肖・宮嶋茂樹先生は、表情を切り取る天才でもあった。
そして、どの写真からも先生の「愛」を感ずにはいられなかった。
こんなカンジなので、2周3周しても飽き足らない。
写真にはキャプションもつけられている。
このキャプもまた最高なのだ。とにかく笑える。
良識クンが見たら不謹慎だと思うだろうが、よくよく読めば愛に満ちていることが分かるだろう。
だから1周目は写真のみ。
2周目にキャプションを読みながら観るといった方法をおすすめする。
開催期間は11月24日まで。
今すぐ恵比寿にGOだ!
※個人的に感動した写真
・タリバン捕虜…こりゃ眼力だけで人を殺せるなーと思ったら、キャプにもそう書いてあった。夢に出てきそう。
・イラクで母親に抱えられて逃げる幼女…女の子自体のかわいさもさることながら、その構図がおもしろい。両側のアラブ特有の黒い服(なんていうんだっけ?)を頭からかぶった女性の間から、天使の笑顔が見える。絶望の黒い山の間からかいま見えるのは希望の光か。ある種のメタファーを感じる。
・おねえちゃんコーナー…サラエボの瓦礫の山と化した国立図書館の前に立つナース。紛争に、お父さんとお兄さんと婚約者の右脚を奪われたというナースのなんともいえない哀しみをたたえた顔。これは動画では絶対に表現できない。
・コソボの日本の自衛隊の駐屯地に遊びにくる子供たち…裸の子供の笑顔がたまらなく(・∀・)イイ!!
・検問所にいる兵士…人を殺す目というのはこういう目なのか…
番外編
写真鑑賞終了後、たけちゃんにくっついて不肖・宮嶋茂樹先生にご挨拶に。
たけちゃんとの会話をそばで聞いていると、すごく丁寧で謙虚でおもしろい人であることがわかった。
撮影裏話などを話していただいたので、そばで聞いているだけで楽しかった。
ひとりきし話した後、たけちゃんがとりなしてくれ、快くパンフレットにサインをしてもらった上、一緒に写真まで撮ってもらった。やはり持つべきものは新潮社のカメラマンである。
その写真が↓である。
今うちのmacの壁紙になっているのである。ちょっと緊張して手に汗握ってしまった。不肖・宮嶋茂樹先生、湿った手でごめんなさい。このときばかりは若いおねえちゃんになりたかった…

不肖・宮嶋茂樹先生の直筆サイン。サインだけではなく、ひとことも書き加えてくださった。すごくいいひとなのである。
年号が「皇紀」となっているところが不肖・宮嶋茂樹先生らしい
こんなミーハーチックになってしまったのは、WGPライダーの故・若井伸之にサインをもらって以来だ。
公式パンフ。とてもシブく、イカした作りである。
不肖・宮嶋茂樹先生は一般客の俺に対してもすごく気さくで丁寧で、いろいろと話もしてくださった。
サインをもらってるときに「特に人を撮ったものがいいですね」と感想を述べると、顔を上げ、「ほんまでっか?」とうれしそうに目を輝かせながら答えてくださったのが印象的であった。
ナマの不肖・宮嶋茂樹先生もとてもステキな人でありました。
さあ、不肖・宮嶋茂樹先生に会いに、今すぐ恵比寿へGOだ!