おはこんばんちわんこ!U^ェ^U!
ずっと訪れてみたかった磐船神社へ参拝してきました。
巨石と巨石の間をすり抜ける、岩窟めぐり体験の出来る神社です。
この岩窟めぐり。。。凄過ぎて プーママ、次の日全身筋肉痛でした。(^^ゞ
o(≧∀≦)o
参拝日 2010年4月6日
御祭神
プーママの産土様の神様と同じなのであります。
磐船神社 は 奈良と大阪の境目にあります。
住所は大阪市交野市私市9丁目19ー1
あれ?大和におりたったはずなのに・・・と思っていたら本当に
奈良との境目でした。
訪れた時は社務所の建て替え工事中でした。
磐船神社のサイト
http://www.osk.3web.ne.jp/~iw082125/
ここでは饒速日命様が天の磐船で降りたった場所として有名です。
日本書紀のくだりでも表記されております!
まさに 神技?としか思えない巨岩石がどんどんどん!!!!!って・・・
すっごいんです。
画像におさめてもおさめても、あのドでかい岩は入りきらず、
画像ではな~~~んも そのすごさ!が伝わらなくって・・・
非常に残念・・・・
参拝経験のある方のサイトでも同じことおっしゃっておられました。
とにかく偉大で巨大!(*≧m≦*)//
御神気あふれる神社でございました。
鳥居とおひさまo(≧∀≦)o
拝殿のま後がこの巨石です。
巨岩石がどんどんどん!って積まれてる?そんな間をすり抜ける
または通り抜ける。。。。落ちる?に近い?道なき道・・・
いやぁ。。。プーママあなどっておりました。
何がって・・・・とにかく、怖い!真っ暗!
なんもみえん!!!
足場が悪い、滑る。。。落ちる~~~~!
自分の普段の五感がどれだけ 研ぎ澄まさずに過ごしているのかを
実感できるわけです。。。(^^ゞ。。。
いや~~~。本当、ヤバかった。。。
あの関裕二さんも
http://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E9%96%A2%E8%A3%95%E4%BA%8C/200162/?c=2836
日本で一番スリリングな神社!とおっしゃっておりましたが・・・・
確かに・・・・(^^ゞ(^_^;)(^_^;)・・・・
真っ暗でなんも観えない岩と岩の間をすり抜ける時。。。
もう頼れるのはプーパパと、そして神様。
プーママは狭所恐怖症。暗闇も苦手。パニック障害患者!です(^_^;)
そんなプーママにはもう、とんでもな体験でした。
でも、どうしても どうしても ここに参りたかったという
思い一心。。。
プーパパがここに足置けば絶対大丈夫!支えてるから大丈夫!
何度となく言ってくれても、怖くて怖くて、岩にしがみついて
なかなか先へ進めないプーママ。。。(†〇†) ジーーン
ここが饒速日命様が天降られた場所じゃなきゃ。絶対こんな
体験するもんか!!!!ってな怖さ。。。
「無理無理無理~~~~~!」と、叫びまくる。。。
・・・・・・
・・・
岩窟の中には このような 神様の祠がいくつかありました。
フラッシュたかないと な~~~んも見えんのであります。
何が撮れてるか、な~~~んもわからんのであります。
(社務所の方に画像を撮ってもいいと許可を戴きました)
なんとか 難所?を脱し、外の明るい所に出た時、
岩の上の方に、岩窟めぐりを済ませた若いカップルさんが
のどかに坐って休憩されておられ・・・・
・・・・プーママをマジマジと しげしげと眺めておられました。
プーママの叫び声が絶対聞こえてたはず・・・
きっとやかましく、大げさなやつ。。。って思われていたことでしょう。
本当、情けない・・・(^_^;)。。。。
リュックを背負っていると、岩にひっかかって通れない。。。
めっちゃ狭い岩と岩の間。。。
ここなら大丈夫!と自分で確信がもてない足場。
プーパパの声と神様への思いだけが頼り・・・
自力本願と他力本願を一度に味わうそんな感じ・・・・
で、
終えた時のあの達成感。。。
清々しさ。。。
o(≧∀≦)oo(≧∀≦)oo(≧∀≦)o
まさに、全てに感謝の心がふつふつと全身をかけめぐり
頭をさげずにいられない。。。
ありがとうございます。
で、
次の日、手・足・背中。。とにかく全身筋肉痛・・・・(^^ゞ
もうそれは笑えるくらいの全身筋肉痛・・・(*≧m≦*)ププッ
筋肉あったのねって確認できるくらい。。。
ぷぷぷぷっ!!(* ̄m ̄)ノ彡_☆ばんばん
岩窟を通り抜け。また上へ、上へと上がると
そこには 登美毘古(トミビコ)という名で
長髄彦(ながすねひこ)様の石碑もありました。
日本書紀では神武天皇東征の際、
饒速日命様が長髄彦(ながすねひこ)様を
討ち殺し、神武天皇に仕えた・・・・などというくだりがありますが。
饒速日命はイワレヒコ(神武天皇)様が東征された時には
すでにお亡くなりになられていたので、これは事実ではありません。
イワレヒコ(神武天皇)様は饒速日命様の末娘、
御歳姫(みとせ・みとし)またの名を高照姫(たかてるひめ)
またの名を媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと))
またの名を富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめのみこと)、
またの名を比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)
のところへ 大和と日向を結ぶため
はるばる日向より 婿養子へやってこられたのです。
しかしながら この時、もめたのは確かなようで、
神社などのに 多くの伝承があるようです。
(だから生駒超えを諦め、熊野からの大和入りになったそうです)
こんな話しだしたら。。。やっぱりおわらん。。。(^^ゞ。。。
嘘と本当をまぜこぜにした 記紀神話ではありますが、
ここにも そこにも ちゃ~~んと神様が坐ます
例え隠されても 真実と違っても・・・
先人の神々、それを支えるひと、袂を別つひと、
全てがあり、今があることは
やはり、感謝しなきゃならんことなんだと思います。
ありがとうございます。
ここをぽちっとしてもとにお戻りくださいませね