2011年01月31日
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「愛は惜しみなく奪うものである」という言葉を聞いた事がありますが、なるほどなーと思わされましたが、少し背筋が寒くなりました。

聖書は、『愛しなさい。』という一言で要約できます。しかしイエス様は、『私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。』と言われました。

この言葉を聞いたある人は、「聖書にこう書いてあるのだから、私をもっと愛してよー。」と反応しました。しかし、確かに互いにという言葉が付いていますが、これは、それぞれの人に対して、「ただ愛しなさい。」と語られたのです。

しかしながら、この『愛しなさい。』は愛せるということが前提ではなく、愛せないということが前提で書かれています。イエス様は、『あなたの敵を愛しなさい。』と言われました。敵を愛せる人がいるでしょうか? 敵を愛したら、その人はもう敵ではないのです。

『愛しなさい。』と言われても、出来ないということが前提ですが、だからと言って、『私を愛して。』と愛を要求したら、その要求が強い分だけ不幸になります。それは、まず願う愛を満たしてくれる人はいないからです。


この『愛しなさい。』とは、三つのことを教えます。第一には、私たちは、愛のない罪人であるということ。第二には、愛は神にしかないこと。第三には、神によってのみ愛せるようになるということです。それは、祈りということです。自分の中に愛がないと思うからこそ、「愛を下さい」と祈るようになるものです。そして、
愛せるようになったら、その人の人生は必ず幸せになります。人を愛して不幸だという人を見たことがあるでしょうか?

まず、あなたがクリスチャンであるならば、毎週教会に行って礼拝をささげますが、礼拝の中での愛の実践は、牧師の説教を聞いて、笑顔でほほえみ、うなずきながら聞いて下さい。それが愛の実践です。

また、この文章を読んで下さったみなさんに取っての愛の実践は、それに対して笑顔で肯定的な思いで受け止めることです。そうしたら、この文章を書いた私もうれしいですし、誰よりもそういう思いを持てたあなたがうれしくなるはずです。愛したら、その人が幸せになれるからです。



聖書が『愛しなさい。』と語るのは、神がみなさん一人一人に幸せになってもらいたからなのです。

試しに、誹謗中傷やうわさ話をして見て下さい。すぐに気分が悪くなるはずです。しかし、愛は、そのようなことをやめることです。そして、相手のいい面を見てほめることであり、相手のマイナスな面を見て許すことであり、相手のすべてを受け止めることです。

しかし、繰り返しますが、私たちには愛はありません。ですから、愛を祈り求め、神から愛を頂いて、その愛で愛をはじめて下さい。イエス様はあなたを愛しています。ただ愛して参りましょう。祝福を祈ります。God bless you!








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最終更新日  2011年01月31日 17時04分04秒
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