長崎街道 宿場の人々

長崎街道 宿場の人々

2021.05.11
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反抗の狼煙を上げないよう、散財浪費させるのが目的だった」と仰る。2年に一度、       
藩主は徳川将軍に拝謁しなければならない。そのお供は加賀藩百万石は2千人       
付いてくるという。福岡の黒田藩でも300人位のお供が付いてくる。街道筋にばら       
まく費用は莫大な金額になったことだろう。       
 今のコロナ禍にたとえると、国の経済政策のゴーツー・トラベルで地方が商売で       
潤い、国民に活力を与えるのに似ている感じがした。       
 大名旅行には宿場が必要であり、本陣に殿様が泊り、脇本陣や旅籠が必要となって       
くる。宿場には数々の店が並んでいた。今や消滅した馬屋・船屋・牛馬の鞍屋・鍛冶       

は200店はあった。木屋瀬宿で嫁入り道具の全てが揃うというほど繁盛したらしい。       
 ミニチュアの家並みがあり、ボタンを押すと建物の在処を示す。遠賀川は南から北に       
流れ、芦屋港で玄界灘へ注ぐ。木屋瀬宿は遠賀川の傍である。どうやって対岸の中島       
に渡るのか分からなかった。大井川では駕籠かきが担いで川を渡るイメージがある。       
幕府は橋を作らせなかったという。川幅は広いし水量もある。300人もの参勤交代の       
人たちがどうやって渡ったのか。       
 案内人の説明で謎が解けた「川には帆が付いた船が何隻もある。船庄屋というのが       
いて、黒田藩より24隻の船を預かり、木屋瀬から芦屋迄年貢米を運ぶ仕事をしていた」       
という。渡し舟は民間の業者がやっていたらしい。江戸の中期からは筑豊では石炭が出
ており既に五平太舟で運んでいた。木屋瀬には船庄屋という人が仕切っていたのだった。





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Last updated  2021.05.11 10:13:15
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