☆心の中には宝物がいっぱい☆

哀しい結婚生活


  【哀しい結婚生活】

3つ年下だった前夫が20歳のときに長男を妊娠して結婚しました。
お腹が大きくなるにつれ母性本能に目覚め身も心も母になっていく私と、
いつまでも父親の自覚ができないままの彼。
私は初めての育児で母親になった喜びをかみしめながらも
分からないことだらけで頭がいっぱいになってました。
遊び回っている彼の友人達に流されながらの結婚生活でした。

稼ぐために仕事を替え、彼なりに家族を守らなくちゃと努力はしてくれた
と思います。20歳という大事な時期に家族のために犠牲にしたことも
多かったでしょうしね。
それでも力及ばず、徐々に家庭が崩れはじめました。

仕事も人間関係もうまくいかず、まず彼は私に当たることを始めました。
それでも私は「子どものために離婚はできない」と思い、
我慢していることしかできませんでした。
そのうち当時4歳の長男が私をかばい始め、その姿を見て彼は自分の
息子にも手を上げるようになってしまいました。
1歳の次男は何もわからず寄っていっては投げ飛ばされてケガばかりして。

次第に長男は彼が帰ってくると、全くしゃべらなくなり笑顔もなくなり、
元々アトピー体質だったのにとびひまででき全身に広がっていきました。
彼が暴れだすとチック症状も現れ、大きな声に怯え部屋の隅で
うづくまりながら全身をかきむしっていたからです。
真っ赤な体で無言で訴える長男の哀しい目を今も忘れることができません。
ときどき夢に出てくるんですよね。薄暗い部屋の隅で
涙をためた真っ赤な顔の長男がじっと私を窺ってる姿が・・・・。
「こんな情けないお母ちゃんでごめん」
「こんなところに産んでしまったことを許して」
そう思いながら長男の目を見ることすら辛い日々でした。

それでも何の資格も勇気もないバカな私は、子どもを抱えて生きて
いく自信もなく、不安と後悔と恐怖の中でノイローゼになってしまいました。
役所には何度も相談にもいきましたが、どこまでも彼や彼の親が
追いかけてくることが予想されたので、何もできませんでした。
全ての感情を押し殺して、彼の神経を逆撫でしないことだけに集中し、
怯えるだけの毎日でした。
自分が生きているのか死んでいるのかさえ分からないような日々で
子どもにご飯を食べさせることだけを考えて過ごしました。

私の中には3つ年下の彼をそういう風に追い込んでしまったのは
自分の責任だという気持ちがありました。
殴られてアザだらけになっても包丁をふりまわされても
そんな風にしてしまったのは自分だから、自分が責任とって
彼を立ち直らせなきゃいけないんだと思ってました。
いつ殺されてしまうかも分からないと思いながら
隣に眠ることしかできない毎日でしたが
自分は彼に殺されても仕方ないとさえ思っていました。
子どもができていなかったらもっと2人で楽しい時間を過ごせただろうし
母親ではない私だったら違った形で彼を支えてあげられたかもしれないと
思っていたから・・・・・。

けれど、生まれてきた子どもに罪はありませんからね。
小さな手でたくさんの希望とあふれる可能性を握り締めて誕生してくれた
命を守り、育てていくのもまた私の大切な役目でしたから。
何とかして子ども達だけでも助けてあげなきゃとも思いました。
私のもとに生まれてくれたこの子達を、少しでも安全に心が休まる場を
見つけてあげなきゃいけないと。

そんなある日、長男が暴れる彼を押しのけて洗濯物を手当たり次第に
カバンに詰めながら「お母ちゃん逃げよー」と叫んだんです。
しゃべれなくなっていた長男の心から振り絞った叫びでした。
4歳の小さな体で精一杯私を守ろうとしてくれる長男と
何も分からずにただ泣いてすがりついてくる1歳の次男。
この子達をこれ以上苦しめたくないと心から思いました。

無我夢中で次男を抱え長男の手を握り、彼から逃げ出しました。
先のことは何も考えられず、ただ夢中で走ってたどり着いた夜中の公園。
朝まで泣きながら子ども達を抱きしめていました。


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