コメント新着
こんな日にさぁ、
メンテナンスなんかするなよ、楽天ブログ管理人。
2011・3・11
やっぱり、忘れることなく頭の中に残っています。
会社の窓のない部屋にいた自分は、
地震に気づき、天井を見上げる。
大きく長く揺れ続ける地震。
やがて、揺れてる最中に、電気が消えて、
一緒にいた女子従業員は、外に逃げ出す。
自分は揺れが収まった頃、事務室に行く。
さすがにただ事じゃ済まないなと・・・。
ただ、停電はいつになっても回復せず・・・。
ケータイで状況確認しようとしても・・・「圏外」の文字。
近くの基地も停電でマヒしてしまい、電波が届かなくなってしまった。
電話回線は繋がっていました。
音は停電で鳴らないけれど、
電話の中から、ププププ・・・と。
東京の取引先から電話です。
会社はとりあえず大丈夫との報告しました。
ただ、停電で状況が全く分からないと伝えたら、
沿岸が大変なことになっていると。
ケータイのワンセグを開いてみると・・・。
陸前高田の画像が・・・。
町全体が真っ黒に・・・
炎もあがって・・・。
大津波が町全体を飲み込んだと・・・。
やがて、電話が混線して話し中になって、
どことも連絡つかなくなって・・・。
同僚がノートパソコンを開いて、
ネットでニュースチャンネルを開いて、
とんでもない大地震、大津波だったことを
思い知らされました。
上司と話し合いして、
自分ら責任者は会社待機、
部下ら従業員には自宅待機を命じて、
帰宅させました。
夕方になり、会社も暗くなり、皆帰ることに。
帰宅路・・・。
バイパスはとんでもない大渋滞。
警察はほとんどいません。
交通整理が追いつかない様子。
でも、不思議にクルマはゆっくり進む。
大きい道路に入ろうとすると、
どの車もパッシングして譲ってくれます。
横切ろうとするとどのクルマも
一時停止して道を開けてくれます。
信号も街灯も点いてない真っ暗な道での、
普段はあり得ないなんとなく不思議な光景・・・。
盛岡だけ・・・?
家に着くと、真っ暗な中に家族がいました。
部屋に入るとひっきりなしに家が揺れます。
停電の中、ラジオを聴いていても、
「ただ今地震です。充分気を付けてください」
とアナウンサー。
でも、震度などの情報はほぼなし。
体感で、常に震度3~5が来てるという感じ。
真っ暗で水道は出ない、でもガスは点く。
ポットのお湯を沸かし直して、パンとカップ麺で、夕食済ませて、
布団にコートを被せて、すぐに逃げれるように、
服を着たまま、余震が途切れることなく揺れる中、
寝たのでした。
全く眠れないまま、朝を迎えました。
この状態を2日間続け、
幸いにも3日目には水道、電気は復旧しました。
自分は3日ほど不自由な生活しただけで済みました。
でも、沿岸の被災地では未だに、
不自由な生活をしています。
復興に向けて、すぐに動き出しましたが、
実は全く進んでいないのが、
1年経った今の状況・・・。
被災した県の人間がいうのもなんですが、
改めて、日本人として、国民一人一人が、
今の状況を考えるべきじゃないのかなと・・・。
国、政府に責任と批判し続けても、
なにも起こらないのはもう分かっているのだから。
スミマセン、長々としてつまらないブログになってしまいました。
ちゃげき
気に入った画像のみ載せています。
両親の結婚記念日でした。 2024年01月14日 コメント(8)
新年早々お見舞い申し上げます。 2024年01月02日 コメント(6)
今日はのんびりと過ごしていました。 2023年09月03日 コメント(9)
PR
カテゴリ
キーワードサーチ
サイド自由欄
カレンダー