全49件 (49件中 1-49件目)
1
珍しく2日連続での更新です。先日、義妹Tから電話がかかってきた。なんと、婚約したらしい。私はそれを聞いてびっくりというのも、義妹は「私は一生結婚はしない」とずっと言っていたから。彼女にはもうつきあって7~8年になる彼氏がいる。彼氏といっても、一緒に住んでて、一緒に家も買ってて、一緒の銀行口座もあるくらいだから夫婦同然なのだけど、結婚はしていない。いわゆるコモン・ロー。2人ともすごく仲良しで、お互いの事をとても大切にしてる素敵なカップル。コモンローという形で全て上手くいてるし、結婚という形にこだわりたくないし、友達で長年付き合って結婚した人で、結婚後にすぐ離婚した人を何人か知ってるし・・・というわけで彼女は「一生結婚しなくていい」と言っていた。「義妹」と言っても私よりも7~8歳年上なので、まあ良い年頃も過ぎてるし、彼女は結婚はしないのだろうと思っていたので本当にびっくり。なんでも、彼氏と一緒にイギリスに旅行に行って、その旅行先でプロポーズされたらしい。彼はずっと内緒で指輪を買うお金を貯めてたらしく、今回のプロポーズは本当に不意打ち。結婚は一生しないとずっと言ってきたのに。ここで「No」と言ったら彼は傷つくだろう。それをきっかけに私たちの関係も崩れていくのか?今の関係でパーフェクトなのに、なぜ「結婚」という形に変えないといけないのか。「結婚」してしまったばっかりに、今の関係が崩れたらどうするのか。と、色んなことが頭をよぎって、せっかくナイスなレストランでの食事中だったのに、彼女はものすごく動揺してしまい、結局その日は「Yes」も「No」も言えなかったらしい。でも次の日の朝起きて、彼があまりにも落ち込んでるのを見て、こんな形で関係を崩したくないと思い「Yes」と返事したのだとか。「なんで彼はコモンローじゃなくて、結婚したいと思ったんだろうね?」との私の問いに、「my girlfriendっていうのと、my wifeっていうのはやっぱり重みが違うらしいよ。」とのこと。ふ~ん、そんなものか。「でもさ、結局コモンローも結婚も、同じようなものだよ。2人が変わらなければ、2人の関係も変わらないし、これからも全て今までどおりだよ。実際私たちもそんなに何も変わらなかったし。」と、言ったら「そうだよね・・・」と自分を納得させてるような返事が返って来た。でも結婚式の予定はまだあと2年くらいは立てないらしい(笑)なんだ、やっぱり結婚したくないん?結婚することになって一番喜んでいるであろう彼女の母親(私の義母)からは「私が死なないうちに早く結婚式挙げてよね!」と言われたらしい。「じゃあ、あと20年は式を挙げなくても大丈夫だね」と言ったら「Exactly!(その通りよ!)」って(笑)彼女の花嫁姿を見るのはまだ少し先になりそうだけど、何はともあれ、T、おめでとう!!!
2007.09.26
コメント(10)
最近、ちょっと話題になってるニュース。67億ドライクリーニング訴訟ワシントンDCに住むある男の人が、自分のズボンを紛失されたという理由で、近所のドライクリーニング店を相手に67億円(後に54億円に減らされた)の損害賠償を求める訴訟を起こしてるっていうニュースなんです。はい、そうです54億円。あほかっ!!!しかもこの訴訟を起こしてる男性、なんと地方裁判官なんですね。市民から尊敬される裁判官がこんな常識のない訴訟を起こすんですよ。なんだかアメリカ社会が心配でなりません。なんでもこのドライクリーニング店が掲げてた「Satisfaction Guaranteed」(満足保障)という看板が、消費者を守る法律に反するという主張らしいです。そんで1日1500ドル(15万円)X 事件が起こってからの日数(4年間だったかな?)プラス、これから先10年間毎週レンタカーを借りて他のドライクリーニング店に行くレンタカー代、プラス諸々の諸費用を合わせたら54億円という額になったそうです。しかも「私は市民を悪徳商売から守る為にやっているのだ」みたいなことを言ってるのだとか。そして「ズボンを紛失されたために、裁判官としての初めての仕事の日に、自分のお気に入りのズボンをはくことができなかった」と言って、証言中に涙まで流したらしいです。ちょっと精神不安定??そんな人が裁判官なの???そこの裁判官さん。税金の無駄遣いは止めましょう。こんな馬鹿げた訴訟を起こす事で、どれだけの税金を使ってると思ってるのですか。そしてドライクリーニング店のオーナーは気の毒。この訴訟のおかげで、自分たちの弁護士を雇わなければならなかったりと、すでに何百万ものお金がかかっているのだとか。もちろん精神的にもかなりダメージを受けてる様子。オーナーは韓国からの移民夫婦なのだけど、外国で移民として頑張ってる人たちだけに、なんだか余計に気の毒に思えるのです。判決は近日言い渡されるそうです。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~話はすっかり変わって、カナックスのヘッド・コーチ(監督)、Alain Vigneaultが「NHL Coach of the year」のタイトルを手にしました!!!これはすごいことですよ!NHL30チームの中で、一番優れたCoachingをしたと評価されたのだから!去年はプレイオフにさえ進めなかったカナックス。今年のシーズン初めも勝率5割を切ってたカナックス。でもクリスマス以降どんどん調子をあげ、ファンたちを興奮させてくれました。来年もその素晴らしいCoachingで頑張ってカナックスを強くしていって下さい!!むっちゃ期待してます!!
2007.06.16
コメント(19)
つい最近、高校時代に仲が良かった友達Nの結婚式がありました。といっても私はカナダにいるのでもちろん不参加。一応去年の秋に日本に遊びに帰ったときに「Shimaちゃんは結婚式には来れないよね・・・?」とNが聞いてくれたのですが、やっぱり夏に日本に帰るのは無理ということで、不参加それ以来Nとも連絡を取ってなかったし、他の友達も何も言わなかったから、Nの結婚式の日にちをすっかり忘れてしまってました。で、結婚式があった日の夜。Nの結婚式のことはすっかり忘れていた私の元に(薄情な友達ですね、すみません)これまた高校時代の友達Mちゃんからメールが。「今日Nの結婚式だったよ」と言って、結婚式の写真や、式に来てた高校時代の友人たちの写真なんかを送ってくてたのです。高校時代の友達たちがみんなで花嫁であるNを囲んでる写真。日本の女の子たちは本当に綺麗だね~なんて人ごとのように思いつつ、本当だったら私もこの写真に写ってるはずだったんだろうな・・・なんてちょっと寂しい気分になったのも正直なところ。それとは別で、大学時代に酒を飲みながら一番語りあったであろう友人、Kも去年の暮れに籍を入れた。そしてKも私も仲の良いSも今年の夏に結婚するらしい。そのSから少し前にメールが来た。「Kが披露パーティーを夏にするらしいよ。もしShimaがその時帰って来れるんだったら、私の結婚パーティーをKのと1週間ズラしてしようと思うんだよね。そしたらShimaもどっちも参加できるやん?夏に帰って来れそう?」みたいな内容だった。カナダに来てもう8年以上も経つ私のところに、わざわざこうやってメールを送ってくれる友達や結婚式の直後に写真を送ってくれる友達。本当に、本当に、本当にありがたいし、ものすごく嬉しい。「なんだ、私忘れられてないやん」みたいな。そして日本に居た頃は、将来親友の結婚式には当然参加するんだろうなと思っていたのに、KやSの結婚式の写真にでさえ、自分は写らないんだろうな・・・と思うとものすごく悲しい気分になる。彼女たちの人生の大きな一日なのに、私はそれを目にする事ができないのか・・・なんて。まあ、遠くに住むというのはそういう事なんでしょうな。結婚式の出費がなくていいけどねN、結婚おめでとう!バタバタ忙しい時だろうに写真送ってくれてどうもありがとうね!Mちゃん、結婚式の後即行のメール&写真どうもありがとう。本当に嬉しかったです。K、夏のパーティーの詳細決まったら教えてくだされ(不参加やけどね)。S、結婚式はいつになったんだろう?今度私が帰国したときには別でお祝いしようね♪今日の日記とは全く関係ないけど、イングリッシュベイの夕日。
2007.06.11
コメント(23)
*日記にでてくる名前は全て仮名です*今日仕事中にちょっと暇な時間があったので、一緒のエリアで働いてたマンディー、ジョリー、ドナ、ソフィーとおしゃべりをしていた。(こんなに大勢でおしゃべりなんて、どんだけ暇だったんだ!?って感じですね)4人とも英語が母国語なのだけど、マンディーはインド系でイギリス生まれのカナダ人。ヒンドゥー語が日常会話程度できる。ジョリー、ドナは中国系カナダ人で広東語が少し分かる(簡単な会話だったらOK)ソフィーも中国系カナダ人なのだけど、広東語はジョリーやドナよりも上手なようだ。そして私。日本生まれの日本人。どういうわけで会話が始まったのか忘れたけど、話題は「外国語」。ヒンドゥー語は「普通のR」と「強いR」の2種類あって、私たちにはとっても区別が難しいという話から、それを言うなら中国語はトーンがあって難しいという話になり、中国系カナダ人の3人は広東語が多少話せるけど漢字は読めないことが分かり、多分日本人の私が一番中国語を読めるだろうという話しになり、言語を巡る話はかなり盛り上がった。そして英語を母国語をする人たちと「外国語」について話すときによく耳にする言葉をソフィーが発した。「英語は外国語として学ぶにはとても難しい言葉らしいね」他の英語圏の人たちは分からないけど、私はカナダで英語を母国語とするカナダ人からこの言葉を何度も聞いた。昔、ド田舎に住んでいたときには、他の言語なんてま~~~ったく話せない人たちに「英語って世界で一番難しい言語なんだってね。それなのにShima、よく頑張ってるわ。」と何度も言われた事がある。本当に7~8人から言われた。でもさ~。大体、世界中にどれだけの言語があると思っているのだ!?どうやったら「この言語が一番難しい」なんて言えるのだろう?この世に自分の母国語を持たずに、しかも全言語を知ってる人間がいて、公平な目(耳)で比較したのか?自分の母国語に似た言語は習得も比較的簡単だろうし、全く似てない言語は比較的難しいだろう。「何語が一番難しいか」なんて、一概に言えるわけがない。・・・・と、話を元に戻して、ソフィーが誰かから聞いたところによると、英語は発音と表記が一致しない事が多いし、似たような言葉が沢山あるし、スラングが多いから習得が大変な言語なのだそうだ。ふむ・・・・。個人的な意見を言えば、英語の発音と表記の不一致よりも、日本語の漢字の読み方の方がはるかに難しいと思う。似たような言葉(もしくは同じ発音で意味が全く違う言葉)は日本語にも沢山あるし、大学時代に履修した中国語なんかは全部同じ音に聞こえたものだ。英語にスラングが多いというのは確かにそうかもしれない。それは確かに難しい。だからと言って、英語が特別難しい言語か、と言われると分からない。私にとってはこれほどちゃんと勉強した言語なんて英語だけだし、他の言語との比較の仕様がない。「英語を外国語として勉強した立場からどう思う?」と聞かれ、とりあえず「"a"と"the"が難しいね。」と言っておいた(笑)でもそういえば、昔日本に住んでいるときに日本人の口から何度か「日本語はとても難しい言葉らしいね」という言葉を聞いた事がある。(誰も「世界で一番難しい」とまでは言ってなかったけど)やっぱりみんな自分の母国語は難しい言語だと思いたいのかね?
2007.03.16
コメント(20)
*今日の日記もまたちょっと長目になってしまいました*海外に住んでいると、日本の良いところも沢山見える反面、悪いところも沢山見えるようになる。自分が前々から「日本の悪いところ」のひとつとして考えていた事が、最近日本のメディアなんかでも取り上げられている。それは日本の「安全対策」に対する認識。最近起こった悲惨なプール事故。その事故の後、使用を中止した公立学校や公営のプールが全国で8日現在で691ヶ所にのぼるらしい。(毎日新聞より)さらにその後の調査で、吸水口や排水口にふたが固定されてないプールが全国で305ヶ所、吸排水管に吸い込み防止金具が設置されてないプールは1596ヶ所にものぼる事も分かったらしい。(毎日新聞より)この数字を見て、なんだか愕然としてしまった。事故後に使用を中止したプールが約700ヶ所???人が1人死ぬまで、それらのプールが危険性の高いプールだってこと分からなかったの?それ以前に点検しなかったの?どうして人が1人死ぬまで分からないの????そもそも、小さな子供たちが遊ぶ学校や公営のプールという場所で、これほど安全管理が杜撰なのにも呆れるけど、そんな危険性の高いプールを営業させている自治体や政府、そして安全管理をきちんと行うためのシステムの甘さに呆れてしまう。日本の「安全管理の認識の低さ」を感じたのは、これが初めてではない。カナダは日本に比べると何でもいい加減な事が多いけど、でも安全管理という面ではしっかりしていると思う。それを確認した良い例が私の身近にある。「抗がん剤の調製」。抗がん剤はがん細胞をやっつけるための薬だけど、薬自体は「がん細胞」と「通常の細胞」を区別する事が出来ない。つまり、健康な細胞までも殺してしまう薬だ。だからがん患者さん以外にとっては「危険物」になる。カナダでの抗がん剤の取り扱いはとっても厳しい。本当に「そんなに危険なの?」と言いたくなるくらい、慎重に慎重に取り扱われる。私たちが液体の抗がん剤を調製するときは、2重の扉で仕切られている部屋に入らないといけないし、その部屋のなかでさらに「安全キャビネット」と呼ばれるものの中でしか調製できない。調製する人は、スクラブと言われるパジャマみたいな服の上に、くるぶしまである防水性のガウンを着、手術なんかに使うピチピチの手袋を必ず2枚以上はめなくてはならず、靴の上には靴カバーを履き、目の下までくる大きなマスクをはめて頭にはネットをかぶって調整室に入る。調整室の外でまだ開ける前の抗がん剤を取り扱うときも、必ず手袋をはめないといけない。さらに「安全キャビネット」を清掃するときは、キャビネット内の空気中に抗がん剤の成分が飛んでるかもしれないので、さらに強力な(?)窒息してしまいそうなマスクをはめる事が義務付けられている。とにかく、とってもとっても厳しいのだ。でも、私のページにリンクを貼らせてもらってる、日本の薬剤師のtomさんの話によれば、日本では多くの病院で、抗がん剤も看護師がナースステーションで普通に調製しているらしいこれは、カナダの薬剤師たちが聞いたら腰を抜かすと思う。マジで。カナダの看護師たちだったら、病院を相手に(=病院を管理してる国を相手に)訴えてるかもしれない。プール事故から話はそれたけど、さっきも書いたように日本は安全管理に対する認識が甘いと思う。「知らぬが仏」では済まされない事だって沢山ある。今回のプール事故のように、人が死んでからでは遅すぎる。それから腰をあげたって、亡くなった人は帰ってこないのだから。日本の政府や自治体はもっと真剣に安全管理徹底について考えて欲しい。
2006.08.09
コメント(12)
先週、仕事で久しぶりに「Outpatient Dispensary」担当になった。この「Outpatient Dispensary」とは、錠剤の抗がん剤を通院患者さん用に処方する窓口で、患者さんと唯一接する窓口と言っていい。私が昔「電話地獄のシフト」と呼んでいたのはまさにこのシフトで、病院の他の部署からの電話はもちろん、他の薬局や患者さんたちからも電話が沢山かかってくる。あの頃は本当に「地獄」と思っていたこのエリアも、最近はそうでもなくなってきた。患者さんからの質問にも大分答えられるようになったし、他のエリアに電話を回すときも用件によってどこに回せばいいのか大体分かってきた。でもやっぱり外部の人と接するエリアだけに、ストレスが溜まることも多い。それはさておき、先週このエリアの担当中に何だか色々考えることがあった。ある患者さんからの電話。この患者さんは乳がんの治療によく使われるTamoxifenという薬を飲んでいた。普通抗がん剤は、値段が高いこともあって3ヶ月分までしか一度に処方できないのだけど、このTamoxifenだけは例外で6ヶ月分処方して良いことになっている。この患者さんにもドクターは6ヶ月分のTamoxifenを処方していた。この患者さんが言うには、自分は2ヶ月後にドクターの予約が入っていて、その時にドクターが薬をTamoxifenから他のものに変えるかもしれないとのこと。6ヶ月分のTamoxifenを貰うと、その大半が無駄になってしまうかもしれないから、今回は2ヶ月分だけ貰えないか、という問い合わせだった。彼女が言うには、本当は6ヶ月分を一度に貰った方が楽なのだけど、お金を無駄にすることはできないから、と。ここで彼女が言っている「お金」というのは彼女のお金ではない。がんセンターに来る人たちは、みんな薬代は一切払わなくていいので、これは「がんセンター」のお金(がんセンターの予算から来るお金)だ。がんセンターは公立なので、「がんセンターの予算=税金から来るお金」。彼女はつまり、自分のがん治療の為に使われている、公共のお金を無駄にするわけにはいかないと言っているのだ。えらい!!!と思った。カナダではがんの治療に国がこれだけ負担しているにも関わらず、患者さんの中には「あたりまえ」くらいにしか思ってない人も多い。まあ、他の国の状況をあまり知らないだろうから、自分達がいかに恵まれているのかに気付かないのも仕方ない。もちろん、自分達がいかに恵まれているかに感謝する患者さんたちもいる。特に、お隣の国アメリカの同じ病気を持った患者さんたちが、どれだけ自分達で負担しなければいけないかを聞いたら、びっくりする人も多い。彼女の患者プロファイルの年齢を見たら、結構高齢の方だったし、少し遠くに住んでいたので、「もし2ヵ月後のドクターの診察の後にもTamoxifenを使い続けることになったら、お宅の方に残りの分のTamoxifenを郵送しますよ」とオファーした。薬の郵送代ももちろん「がんセンター」もちだ。彼女はタダで郵送までしてくれるなんて!とすごく感動したようで、私に何度も御礼を言った。彼女は、「自分はいつもがんセンターの人たちからは本当に良くしてもらってて、いつも感謝している。自分は本当に恵まれている」と感謝の気持ちを何度も述べて電話を切った。こういう電話の後はやっぱりとても気持ち良い。私が思うに、彼女はいつも人に感謝の気持ちを示しているから、周りの人も彼女に対して余計に親切にしてあげるのだろう。確かにがんセンターのスタッフはフレンドリーでしっかりした人たちが多いが、そうやって「いつも良くしてもらってる」「ありがとう」と言われたらやっぱり嬉しいし、もっと良くしてあげようと思うのが人間だと思う。・・・と、良い気分になったのもつかの間。その直後になんだか正反対の患者さんから電話がかかってきた。長くなりそうなので次に続く。
2006.08.07
コメント(2)
最近「日記」ではなく、すっかり「週記」になってしまってる。最近気持ちの浮き沈みが激しい。今日は少し気分は晴れてるけど、昨日はなんだかどん底にいたような気がする。今日の朝5時半に起きて仕事だったのに、夜中の3時半まで寝付けなかったくらい。気分が落ち込んでるときは、日記は書かないようにしてる。多分、ネガティブなことしか書けないから。後でそれを読んで、かなり嫌になるのが分かってるから、そういう時はもう楽天すら開かないことにしてる。今週はちょっとそういう日が続いたかも。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*私を最近これだけ悩ませるタネは、簡単に言うと「将来への不安」。まあ、将来への不安なんて誰でももってるものなんだろうけど、最近その不安に押しつぶされそうになるのです。もっと具体的に言うなら、バンクーバーに住み続けることの不安。バンクーバーは本当に素敵な都市です。でもバンクーバーにいる限り、何年経っても「どうにもならない自分たち」がいるわけですよ。例えば、ここ数年のバンクーバーは異常なくらいに不動産の地価が高騰してて、ものすごい値段がついちゃってます。うちの隣の部屋、「1ベッドルーム」(リビング、小さなキッチン、バストイレ、そしてベッドルームが一つ)の築約25年のアパートで、最近なんと2千900万円で売られました。アパート一室ですよ。しかもたった1ベッドルーム。新しいコンドミニアムなんかだと、1ベッドルーム、にデン(ベッドルームの1/3くらいの小さな部屋)で4千500万とか平気でします。友達のお姉さんが所有してた一軒家、本当にふつ~~のな~~んにも特別じゃない家なのに、最近8千万円という値段で売られました。異常です、異常。そんな価値ないって、マジで。私がせっせとコツコツ貯めた貯金では、もちろん「頭金」にもならない。仮に後何年か頑張って働いて、もっともっとお金を貯めて「頭金」ができたとしても、その後30年では絶対足りないだろうくらいの住宅ローンが残るわけで。その前に、私たちの今の収入ではコンドが買えるくらいのローンすら組めないだろうな。かといって、将来子供が欲しいと思っているのに、こんな狭いアパートに住み続けるわけにもいかないだろうし、子供ができて今と同じくらいの収入があるわけもないから、もっと広いところに引っ越すのも大変だろうし。それよりも一生賃貸かい?と思ったら、いったいこの先どうするの??ってすごく心配。しかも、今私が妊娠したりして働けなくなったら、我が家の収入は一気に減るわけで、もちろん産休はしっかり取れるけど一年だけ。一年経っても子供の世話はしないといけないのに、私が働かないといけない状態。デイケアーは高いし、かといってタダで面倒を見てくれる祖父母がいるわけでもない。そうこうして「まだ子供は作れない、まだ子供は作れない」と思っているうちに歳だけは取っていく。長いこと、頑張って週に6日も働いているけど、働いても働いても毎回給料からはびっくりするくらいのお金がカナダ政府にぶっ取られてるし、(最近新聞に、カナダの個人所得税は先進8カ国の中で一番高いと書いてあった。うひゃ~!やっぱりね!!しかも年金もむちゃくちゃ高い!!!カナダの連邦政府に取られる年金と、バンクーバー市に取られる年金を合わせると、月に4万円近くの年金を納めてます、私。言っときますけど、私は決して高給取りではございません。)もちろんボーナス制度とかもなく、カナダでお金を貯めるのは本当に大変だと日々実感。本当に、この先私たちはどうなるんだ??っていう不安が一気に押し寄せてきて、私を一気にブルーにさせるのです。そして日々悶々としてる私を横目に、うちのダンナは着実にバンクーバー脱出計画を練りまくってます。バンクーバーにはもう住みたくないらしい。もうちょっと言うなら、カナダにはもう住みたくないらしい。仮定と想定と根拠のない自信に満ちたうちのダンナのバンクーバー脱出計画を散々聞かされ、最近かなりうんざりぎみの私。バンクーバー脱出は反対はしない。もう世界中どこでも行ってやらぁ~~っ!って感じ。でももちろん、ある程度ちゃんとやっていける確信がないと、今の仕事を諦めてまでまた他の国に移動するなんてできないわけですよ、この歳になると。20歳そこそこの時に日本を飛び出してカナダに来たのとは訳が違うんですよ。そのことで最近ダンナとの意見の食い違いも多くなってきて、それでストレスも溜まりぎみ。2人の方向性にギャップができつつある気がしてならない。第3国に行くくらいなら日本に帰りたいんだけど、私。とまあ、こんな内容のことが最近頭のなかを占領していて、日々悶々としてるわけです。そして私の気分を激しく浮き沈みさせるのです。あ~あ。宝くじでも当たらんかな~。
2006.07.09
コメント(20)
今日日本のニュースを読んでいると、「愛国心」を通知表の評価項目に入れている小学校が埼玉だけでも52校もあるという記事が載っていた。通知表の表記の例としては「我が国の歴史に関心を持ち、それを意欲的に調べることを通して、歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を持とうとする」とか、「わが国の歴史と政治、および国際社会での日本の役割に関心を持って意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚を持とうとする」とか。それを担任が3段階で評価するらしい。ふむ。確かに愛国心を持つことは良いことだ。でも、「愛国心」をもってるかどうかなんて、他人に(しかも学校で)評価されるべきことなのだろうか?と思ってしまった。日本の歴史や伝統、国際社会での役割を知ったうえでも愛国心があんまり湧かない子供もいるだろうし、日本よりも外国の方が良いと思ってしまう子どももいるだろうし。それはその子の考えで、どのくらい愛国心をもっているかというのは人それぞれ。それを、「通知表」で評価してしまうのはどうなんだろう??なんだかな~と思ってしまいました。★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★少し話しはズレるけど、日本が「愛国心」という言葉を出すと、必ずくっついてくるのが「戦前の国家主義、全体主義を想起させる」という批判。私はこの手の批判を聞くたびに、正直「ウザい」と思ってしまいます。「POLITICALLY INCORRECT」なのはわかってますが、ウっザ~~い!その国の国民として、自分の国を愛する心が生まれるのは当たり前のこと。現代の日本人が愛国心を持つことと、戦前の国家主義とは全く別の事だと思うのです。ちなみにカナダ人たちは「Proud to be Canadian」(カナダ人であることを誇りに思う)という意識がものすごく強いです。カナダの国旗をよく目にするのはもちろん、カナダの国歌も良く耳にします。私の大好きなNHL(北米のプロホッケー・リーグ)の試合では、毎試合、試合の前に必ず国歌斉唱があります。(最初はそれもすごいと思ったけど。)そんなカナダ人たちを見て、なんだかいいな~と思う私です。
2006.05.25
コメント(8)
朝、仕事に行く。今日は早いシフト。職場に着くと、同じく早いシフトだったSさんとKさんがもう来ていた。2人とも元気がない感じ。どうしたのか聞いてみる。「すごく仲の良かった友だちが週末に亡くなった」とSさんが言う。Sさんのその友だちは週末にスポーツのトーナメントに出てて、試合終了後、相手チームの人と握手を交わそうとした瞬間倒れたのだとか。メジャーな心臓発作。まだ42歳という若さ。そしてKさんも、この週末に友だちの息子さんが亡くなったらしい。車を運転中にトラックと衝突したのだとか。人生は分からないね。本当に分からない。自分もいつ死ぬか分からない。明日死ぬかもしれないし、3年後に死ぬかもしれないし、10年後に死ぬかもしれない。だからこそ、今日生きてることに感謝して、自分の周りにあるもの、自分の周りにいてくれる人を大事にして、一日一日を大切に生きていかないといけないんだろう。そして自分がやってみたいと思ってること、自分が行ってみたいと思ってるところ、後で後悔しないようにあんまり後回しにしないようにしなければ。「Life is too short」と本当に思う。でも自分の人生は、自分が予想しているのよりも実はもっと短いのかもしれない。Jが亡くなった時に思ったこと、また改めて思った一日だった。
2006.05.23
コメント(12)
今日の月曜日は祝日でお休み。外は雨。予定はなし。そんな「久々にリラックス!」なんて思ってる日に限って、色々な思いが頭の中を巡り、すっごくブルーな一日になってしまうことがあります。今日はまさにそんな日です。なんだか色々なことが頭のなかに浮かんで、その考えが私をどんどん不安にさせていきます。特に将来のこととかを考えると、不安で不安でたまらなくなります。何がそんなに不安なのか、というのはこの場では書きませんが、まあ色んなことです。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*このままあとどのくらいバンクーバーに住み続けるのだろう・・・と良く思います。そんなに長くないんじゃないかな、とも思います。うちのダンナはバンクーバーから出たがっています。こんなに太陽が当たらない都市には住んでいたくないらしいのです。もっというならば、カナダから出たがっています。こんなに寒い国には住んでいたくないらしいのです。まあ、気持ちは分かるけどね。バンクーバーは「世界一住み易い都市」に選ばれたと、色んな人から聞きました。自分が住んでいる都市が一位に選ばれるなんて、嬉しいというよりも、「世界一住み易い都市ってこんなものなのか」ってなんだか冷めた自分がいます。ふ~~~んって感じ。そう言っちゃうと誤解されるかもしれないけど、私はバンクーバーが大好きです。本当に綺麗な都市だし、海あり山ありで緑は溢れてるし、すごく国際的だし、日本食品は手に入りやすいし、夏は最高だし。でもね、思うんですよ。その「世界一住み易い都市調査」の中には、年間日照時間とか、1人あたりの税金を払う率とか、平均収入と平均不動産価格の格差とか、そんなものも含まれてるのかな・・・・って。今日たまたま読んだ日本の記事の中に、「カナダは育児がしやすい国」みたいなことが書いてありました。その一つの理由は子供の医療費がタダだからって。うん、そういわれてみれば確かに良い国なのかもしれない。でもそれって結局は高い税金でまかなわれているわけだし。誰かが払ってるんだよね。それにクソ高いバンクーバーの不動産事情を見てみると、子供がのびのび育てる家を買うなんて、夢のまた夢のようにも思える。少なくとも私の収入では。一生こんな小さなアパートに住み続けるのかなぁとか思うと、ものすごくブルーになる。バンクーバーは自分が住みたい都市ではないのではないか・・・と思えてくる。「無いものねだりなだけ」と言われればそれまでだけど、もっと太陽の光を浴びれて、もっと暖かくて、お金の事をそれほど気にしなくて生活できる国がこの世の中にはあるのではないかとすごく思ってしまうのです。まあ、独り言です。でも書いてるうちにもっとブルーになってきてしまいました。雨の日は忙しく働いてた方が元気みたいです、私。
2006.05.22
コメント(18)
今日も元気だビールがうまい今日やっとバンクーバーに夏がやってきました。この天気は2~3日しか続かないようですが、でもや~~っと「暑い」と思える気温にまで上がってくれました。バンクーバーのみなさん、今週末からまた気温も下がって天気も悪くなるらしいです。この数日間をせいぜい楽しみましょう。 仕事の後はバルコニーでビール。私が大好きなビール&クラマトジュース。(後ろに写ってるのは猫の耳)トマトジュースじゃないんです。クラマトジュースです。クラマトジュース、日本にはないですよね。他の国にはあるのかしら?アメリカ在住の方、アメリカにもあります?クラマトジュース、マジうまいです。考えた人天才。まあそれはいいとして、みなさん、昨日の私の嘆きへのコメントどうもありがとうございました。それにしても男性陣は「ストレート派」が多かったのにちょっとびっくり。ちょっと意外でした。やっぱり「サラサラ」という言葉に弱いんでしょうかね?随分長いこと会ってない人たちからは「変わってなさそう」的なコメントが多かったのにもちょっとびっくり。昔からあんな髪型してたんでしょうね、私。ええ、確かに歳は取りましたけど、基本的にあんまり変わってないと思います。それから、まだ一度もお会いしたことの無い方たちのコメントを読んで、「イメージ」って面白いなと思いました。ブログを通じてネット上で知り合った人たちって、ブログに書いてある文章や内容からその人柄や容姿を想像するしかないですもんね。「ショートヘアーだと思ってた」とか「意外と若いんですね」とかいうコメント、まさに私はそんな風にイメージされてたんだ~となんだか不思議でした。特に「意外と若い」というコメントを読んで、私って実年齢よりも文章がおばさんなのかしら?なんてちょっと考えてしまいました私もブログ上で知り合った方たちの姿をよく想像することがあります。実は私の夢にまで出てきた方もいます。(顔も見たことないのに・笑)でも不思議なのは、今までブログを通じて実際にお会いした人たちは、みなさん私の想像どおりの人たちだったということ。顔が想像どおりだったかは別にして、人柄とか雰囲気とかが想像していた通りの方たちばかりです。やっぱり顔が見えないブログとは言え、文章の書き方や内容やページのデザインに人柄とか雰囲気って表れるんでしょうねその人が書いたものなんだから当たり前といえば当たり前だけど、会った事もないのにその人の事を想像してそれがある程度当たっちゃうなんて、なんだか不思議な気もします。それでは今日もみなさんの姿を想像しながらブログを徘徊しま~す。
2006.05.16
コメント(28)
今日からイースター・ホリデーで、世の中は4連休です。私個人的にも滅多にない2連休!わ~い。でもうちのダンナは男連中たちと2泊のキャンプに出かけてしまいました。丸2日も時間があるのに、なんだか1人ぼっち。ちょっと淋しいかも・・・。というわけで、さっきからネットでうろちょろしてます。そしてふと、某サイトのあるトピックに、「在外邦人」へのグチがた~~くさん書いてあるのを見つけました「在外邦人」といってもなんだかピンとこないのだけど、「外国に住んでる日本人」といえば、「あ、私もその1人だ」と思って、ちょっと気になって書き込みを全部読んだ私。そして、「なんだかね~」と思ってしまった。一つ一つの書き込み、結構良いこと書いてる人もいて、「その通りかも」とか思う書き込みもあったんだけど、(思わない書き込みもたくさんあったけど)でもね~、「なんだかね~」と思っちゃったのよ。まあ、かいつまんで言えば「長く外国に滞在してる人ほど自分の事を偉いと思っている」という話から「短期間しか外国にいなかったくせに、外国の方が自分に合ってると言い出す人」の話に発展し、「英語が話せるだけで偉いと思っている人」という部分にも触れ、「外国かぶれ」についても言及されていたトピックという感じか。みなさん「全ての人がそうではない」という前提で意見を書かれてたと信じたいところ(^^;)でもふと「外国かぶれとは」と考えてみる。日本人でありながら「カナダではね~、カナダではね~」と言ってる人は外国かぶれだろうか。それなら、いつもカナダのことを書いている私は外国かぶれだろうか。でも私はカナダの悪い部分も知ってるので、カナダを崇拝してるわけではない。それならOKなのだろうか。たまに日本に帰って、人に「カナダでのこと話して」と言われて話すのだったらOKだけど、自らカナダの事をペラペラ話すのは「かぶれてる」と思われるだろうか。何か日本のダメな部分について「これだから日本は・・・」という言葉はタブーだろうか。それが「本当のことだ」と自分も相手も信じていても?「外国慣れしている」のと「外国かぶれしている」のの違いは?まあ、「外国かぶれ」については良く私は分からないけど、このトピックを読んで、ちょっと思ったことがある。「英語が話せる人たちは、英語が話せるだけで偉いと思っている」というのは、英語(又は他の外国語)を話せない人たちが、自分達の頭の中で作り上げた勝手な妄想だ、ということ。・・・と、断言しちゃうのはちょっと言いすぎかな。まあ、私の個人的な意見です。確かに「偉い」と思ってる人もいるのかもしれない。(私の周りにはいないけど)でも外国語が話せる大勢の人たちは、そうは思ってないと思う。なぜなら・・・「外国語を勉強すれば勉強するほど、自分の外国語はまだまだだと、思い知らされることの方が多いから」というのが私の意見。私は普段普通にカナダの病院で働いています。普通に業務をこなしてるし、普通に電話対応もしてるし(大嫌いではあるけど)普通に同僚とも話しをしてます。でも、コンピューター入力が多いシフトの時は、必ず片手に電子辞書を持っています。スペルをミスして恥をかきたくないから。お医者さんの書いた単語が分からなくて、人に聞きたくないから。辞書を引いて単語の意味を知るたびに「こんな言葉も知らんかったんか、私」と自己嫌悪に陥ることもあります。でも「言葉」って、何語にしても、これだけ知能の高い動物である人間がコミュニケーション手段として使っているものだから本当に奥が深い。勉強すればするほど、その勉強はエンドレスだということに気付く。よく日本人は外国に住んでる人に対して「もう英語(又は他の外国語)ペラペラ?」という質問をする。でも、聞かれた人たちは、大抵「ペラペラとはなんぞや」と思うだろう。外国語を勉強した人たちはその「ペラペラ」という言葉がいかに曖昧な言葉かということを知っているから。私はこの「在外邦人は英語が話せるだけで偉いと思ってる」という意見は、きっと「ペラペラ」という言葉の曖昧ささえ分かってない人たちが、勝手に「あいつら偉そう」と思って書いた意見じゃないのかな、って思った。ま、「偉そう」にしても「外国かぶれ」にしてもそれをどう感じるかは人次第ですよね。久しぶりに日本に帰って「外国かぶれして」とは言われたくないけど(だって響き悪いじゃん)それは「私の態度次第」というより「私を受け入れる相手次第」なのかな、って思ったりする。なんか今日はウンチクだらけの日記でごめんなさ~い。
2006.04.14
コメント(32)
昨日一日、何故か楽天のページが開けなかった。朝仕事に行く前に見ようと思ったけどダメ。何度トライしてもページが開かない。10時間後、仕事が終わって見ようとしてもやっぱりダメ。しかも楽天のページだけ。ネットはちゃんと繋がってるし、他のサイトは問題なく見れる。でもどうしても楽天のサイトだけは全て開けないのだ。自分のページだけでなく、他の人のページも一切開かない。なんでだろう、なんでだろう??と思っているうちに、私の妄想が膨らんできた。もし、何かが起こって、このまま楽天のページが永遠閉鎖になってしまったら・・・・もう一生連絡が取れないであろう人たちがたくさんいる。楽天上で知り合って、いつもコメントなんかを書き残して、あたかも「友だちになった」ような気がしていた人たち。でもそんな人たちとは、もう一生連絡が取れなくなるだろう。実際、お会いした事もないし、メールアドレスも知らないし、顔も知らないし、本名すら知らない。ものすごく頻繁に「会話」をしてるような気になっていて、日記を読んでるので「近況」なんかも知ってたりするのに、もし楽天が突然無くなったら、それっきりだ。実際には、私たちはなんて細い線で繋がっているのだろう・・・・と思ったりした。それと同時になんだかものすごく淋し~い気分になったりして。私の「楽天閉鎖疑惑」を解くべく、さちねえに電話してみる。心配している私をよそに、さちねえ、「え?全然普通に開けるよ」と。ふぅ。どうやら楽天は閉鎖されてないらしい(笑)じゃ、なんで私のコンピューターでは見れないのだ??さちねえは私とは違うケーブル会社を使っているので、今度はマイアちゃんに電話してみた。するとマイアちゃんもやっぱり楽天が開けなかったらしい。マイアちゃんは私と同じケーブル会社を使っている。そっか、ケーブル会社のせいだ、きっと。でも開けなかったのは楽天だけ。ネットはちゃんと繋がってる。不思議だ。今日朝起きてみると、問題なく楽天は開けた。ちょっとホッとした。
2006.04.07
コメント(10)
昨日うちのダンナが、仕事で一緒になった日本人の女の子と話してた時のこと。「明日の土曜日は何をするの?」と聞かれたらしい。うちのダンナが「晴れたらテニスか何かスポーツをしたいけど、雨が降ったら洗濯かなぁ」と答えると、その女の子に「えええ~、奥さんは洗濯しないんですか?」と酷く驚かれたらしい。でも私から言わせればどうして、どうして、どうして、洗濯=女性の仕事なのですか???????うちの場合、洗濯機は部屋にないので、ビルの共同のランドリーを使用しないといけない。ランドリーを抱えて階段を上り下りするのは結構重労働。昔は夫婦の洗濯モノを一緒にしてたけど、ダンナの洗濯モノの方がはるかに容量が多くて、彼の大量の衣類を洗濯するのがとてもきつかったので、ここ数年は自分のモノは自分で洗濯するようになった。ダンナは自分のモノだけを洗濯するし、私も自分のモノだけを洗濯する。共同のモノ(ブランケットやシーツ、タオル等)は2人で交互にやる。私はそれでOKだと思ってる。普段ダンナは私に「洗濯して」って頼む事もないし、私もダンナに自分のモノを洗濯してくれるように頼む事もない。でも今日の朝、その日本人の女の子の言葉に影響されたのか、私が自分の洗濯をしようとしていたら、ダンナが「僕のも洗濯しといて」と言い出した。ダンナの洗濯モノの量は、冗談じゃなくて私の洗濯モノの3倍くらい。残念ながら、ダンナのその一言は、私の機嫌を随分損ねることになってしまった(苦笑)。大体、自動的に「洗濯=女の仕事」って思うこと自体がおかしい。専業主婦なら、洗濯も家事の一部という事で、「洗濯=奥さんの仕事」というのも分かる。でも、私は専業主婦ではない。うちは、今現在、ダンナの収入が安定していないので、私の役目は「安定した収入を家庭内にもたらすこと」だと思っている。実際、私は毎日働いて安定した収入を得ているから、ちゃんと役目を果たしていると信じている。なので「それ以外の家のこと=家事」は共同でやるべきだと強く思っているし、実際に私たちは家事は共同でやることが多い。でもそれでフェアだと思ってる。「たかが洗濯」と言われればそれまでだけど、私が洗濯係りでないことに対して他人に「奥さんは洗濯しないんですか?」と驚かれたことに少し腹が立った。そんなに深い意味で言ったんじゃないのは分かっているけど、私にはその言葉の後に「普通は奥さんがやるべき仕事なのに」という言葉がついているように聞こえたのだ。でも「たかが洗濯」ごときで不機嫌になり、結構冷たい言葉をダンナに言ってしまったことに反省。なのでその後、ダンナの好きなバナナのホットケーキを朝食に作ってあげ、昨夜の友だちを呼んでのハウス・パーティー(=うちでのホッケー観戦)の後片付けも全部1人でやり、そして何と洗濯を4回分もやった。普段あまり洗う事のないゲスト用のブランケットやらシーツやらまで洗ったりして。結論:私はそんなに悪い妻ではないのだ。
2006.04.01
コメント(18)
この日記は記念すべき「200回目」の日記です♪200回も何を書いたんだろう?と思ってしまうのだけど、まあ、まだなんとか楽しんでます。自分にとっての日記の存在については、100回目の日記で書いたので、今日は省きます。次の目標は300回。まあぼちぼち書いていきましょう。それよりも今日は、どうしても書きたいことがあります。オリンピックの閉会式、あまり見る人はいないと思うし、私も普段は見ないのだけど、今回は「次の開催地」がバンクーバーなので、バンクーバーのプレゼンテーションも見たいと思って、一部見た。閉会式で開催地の市長が次の開催地の市長にオリンピックの旗を手渡す場面。次の開催地である、バンクーバー市長の名前が呼ばれ、現バンクーバー市長であるサリバン氏がステージに登場。多分、開場にいた人たちや、テレビを見ていた世界中の人たちは、サリバン氏を見たその瞬間少なからず「えっ」っと思ったと思う。なぜなら、バンクーバー市長のサリバン氏は、いわゆる「身体障害者」だから。電動の車椅子に乗って登場するサリバン氏、実は体が不自由な市長が登場するのは、オリンピック史上初めてのことだったらしい。下半身だけでなく、手も不自由なサリバン氏にどうやってあの大きな旗を手渡すのだろう・・・とみんな疑問に思ったと思うのだけど、サリバン氏の車椅子にはオリンピックの旗に合わせて「旗立て」が備え付けられていて、トリノ市長がIOCの人に旗を渡し、IOCの人がサリバン氏の「旗立て」に旗を差し込んだ。そしてサリバン氏は左手で旗を握り、電動車椅子を動かし、旗を空になびかせたのだった。その瞬間は、ちょっとした感動ものだった。 サリバン氏は19歳の時にスキー事故にあい、首の骨を折って四肢麻痺になってしまったらしい。(今は左手は動くみたいなので、リハビリか何かで一部回復したのかもしれない)その時、もう一生スキーができなくなったその19歳の少年は、何十年か後にこんな形でオリンピックに参加することになろうとは夢にも思っただろうか。閉会式に先駆けて、テレビでサリバン氏のインタビューを見た。アナウンサーの「体が不自由な市長がオリンピック史上初めてステージに上がるということが、世界へ向けて大きなメッセージを送ることになるとは思わないか」という問いに、サリバン氏は「カナダ国民、バンクーバー市民がdisability(障害)を越えてability(能力)を見出す事ができる人たちだということを示す、本当に誇りに満ちた瞬間になるだろう」と答えた。そしてその通りだったのではないかと思う。私自身も、バンクーバー市民であることを誇りに思った瞬間だった。明日、バンクーバー市役所でオリンピックの旗を揚げるセレモニーがあるらしい。私の職場は市役所から徒歩3分。昼休みくらいにあるんだったら見に行きたいな~。
2006.02.28
コメント(14)
私は自他共に認める早口だ。自他共に認める・・・というか、周りにあまりにも「早口だ」と言われるので、自分でも「自覚はしている」といった感じかな。でも自分が話しているとき、自分がとっても早く話しているという意識はあまり(というか全く)ない(笑)。小学生の頃に、国語の教科書を朗読させられて、終わった後に先生に「あなたは本当に早口ね」と言われた記憶があるので、私の早口は今に始まったことではない。考えてみると、弟も結構早口だし、いとこもかなり早口なので、家系なのかもしれない。英語だと母国語じゃないから、カナダでは少しはゆっくり話しているんだろうと思ってるアナタ、甘いです。どうやら私の早口は言葉の壁ごときにスローダウンさせられるものじゃないらしい。前回日本に帰った時に、わが友、munchさんの実家でご飯をご馳走になったのだけど、そのときにmunchさんのお父さんに「Shimaちゃんは日本語でもすごく早口だけど、英語でも負けないくらい早口だねぇ」と感心(?)されてしまった。たぶん、そのとき同席してたカナダ人Sとの会話を聞いてのコメントだったんだと思う。そのとき初めて、「そっか、私は英語でも早口なのか」と気付いた。でもそれなら、私は周りのカナダ人たちからは「この子、もう少しゆっくり話せば英語の間違えも減るはずなのに・・・」なんて思われていたのだろうか(悲)。でも不思議と、カナダ人に「あなた、早口ね」と言われたことはあまりない。考えてみると、私の周りのカナダ人(特に職場の人たち)は早口な人がとっても多い。みんな、ものすごい勢いで話す。多分、「話すスピード統計」みたいなのを取ってみたら、英語圏の人の方が早口人口が多いはずだ。実際、久しぶりに日本に帰って日本のニュースを見ると、ニュースキャスターのしゃべりがあまりにもゆっくりなのにびっくりする。カナダのニュースキャスターはあんなにゆっくり話さないと思う。たまにすご~くゆっくり話す人と会話をすると、「もっと早くしゃべったらいいのに・・・」なんて思う自分がいたりする。もっと早くしゃべっても十分分かるし、もっと早くしゃべってくれた方が、短時間で多くの情報を得ることができて、効率的♪・・・なんて思うんだけど、そういう問題じゃないんだろうね。でも本当は「すごい早口ね」と言われるのはあまり好きじゃない。早口で話していることが少し恥ずかしかったりする。なので、これからは落ち着いた大人を目指すべく、少しゆっくり話す練習をしようと思ったりしている。問題なのは、自分が話しているときに「早口で話している」という意識が薄い(というか、ほぼ無い)こと。自分ではそんなに早く話しているつもりはなかったりするのだ。でも自分の話すスピードを意識することで少しはゆっくり話せるようになるかなぁ。今度日本に帰るときくらいまでには、ゆっくり、しっとり話す、大人の女性になっているかもしれません(* ̄▽ ̄*)でもゆっくり話す私なんて、私じゃないみたいで気持ち悪かったりする!?
2006.02.07
コメント(22)
私が最近出入りしているMIXIというサイトを通じて、ある人から一通のメールが届いた。誰だろう?と思ってみると、うわっ!すっごい懐かしい名前!それは、大学の時のクラスメート、S君からのメールだった。S君とはゼミが同じで、最後まで一緒に勉強した、たった15人のゼミメンバーの一人だ。私の名前をMIXI上の大学の学部のコミュニティーで見つけ、メールを送ってきてくれたのだが、卒業して多分一度も会ってない人だったので、約8年ぶりに連絡を取ったことになる。今S君は、なんとうちの大学の大学院に戻って勉強しているらしく、今はタイの大学に留学中らしい。タイに住んでもう2年になるらしく、タイ語も上達してきたのだとか・・・。それを聞いて(読んで)私の最初の感想。羨まし~~い。そう、大学時代、文化人類学を勉強した私は、その中でもタイの事を研究している先生のゼミに入った。すごく競争率の高いゼミだったんだけど、「絶対このゼミに入りたい!」という執念で15席のうちの一つを獲得した。私はタイが大好きで、タイ語のクラスに通い、それでは物足りなくてタイ語の個人レッスンまで受けていた。卒業したらタイに住むのだと思っていたし、タイに住んだ時の事を考えて、日本語教師の資格を取る学校にまで通った。でも人生は分からないものだ。結局カナダに住む事になったし、カナダからタイは遠いこともあって、この8年間一度もタイに戻ってない。でも久しぶりに連絡が来た人から「タイに住んでいる」と聞いたら、なんだかむしょうに羨ましくなった。無いものねだりなのは分かっているけど、いいな~、いいな~、と思ってしまう。それに追い討ちをかけるように、薬剤師のSが今週の土曜日からタイに旅行に行くと言う話を今日聞いた。しかも東京経由で。いいな~、いいな~、いいなあぁぁぁ!最近、何かにつけて「無いものねだり」が多い私。そのたびに自分に言い聞かせる。隣の芝は青いのだ。分かっているのだけど、最近ふと暇になると1人でタイへ思いを馳せてしまうのだった。
2006.01.19
コメント(20)
この間今年の抱負に「スペイン語を習う」と書いた。まだ今年に入って一週間だが、今のところ毎日少しずつスペイン語を勉強してる。この間私が本屋に買いに行ったスペイン語のテキストは、カナダで買ったので当然ながら英語を母国語とする人たち用のスペイン語のテキストだ。スペイン語がある程度分かるダンナに一緒に選んでもらった。いくつものテキストを見て、彼が「このテキストは素晴らしい」と言ったのを買った。すごくカラフルで、超初心者用に作られていて、なかなか良いテキストなのだが、そのテキストを使いながら私が思ったことがある。それは、文法の説明がと~~っても少ないということ。最初の章は「何」「どこ」「いつ」などの質問のキーワードを覚えようという章なのだが、文法も知らないのにいきなり例文がいくつも並んでいる。Que pasa? (What is happening?)Quien es? (Who is it?)Como esta la ensalada? (How is the salad?)Donde esta el telefono? (Where is the telephone?)Donde estan los servicios? (Where are the restrooms?)という風に。この例文を見て、日本の文法中心の外国語教育を受けてきたからか、私はついつい文法の分析を始めてしまう。「esta」が「is」なのかな。複数形になると「estan」になるのか?あれ?じゃあ「Que pasa?」の意味がどうして「What is happening?」になるのだ?「is」はどこへいった?次の「Quien es?」の「es」とは何ぞや?「esta」じゃないのか???という風に、次々と疑問が湧いてくるのだ。でもテキストを見てもどこにも説明されてない。まるで、そんな細かいことどうでもいいじゃないか、とでも言わんばかりに。一応男性名詞と女性名詞によって、その前に付く「a」や「the」に当たる語が変化することだけは説明してあった。でもその後に「ちょっと英語と違うから難しいかもしれませんが、でも間違ってても意味は通じるということを覚えておきましょう!」という注意書きが!その注意書きが、なんだかすごく新鮮だった。「間違っても平気だよ。だって通じるもん。」と言われたら確かにそうだなと、すごく気が楽になって覚えられるような気がする。(←単純?)日本の受験英語をみっちり叩き込まれた私たちは、英語の文法にものすごくこだわって、結局は話せないのに文法だけはきっちり知ってるというパターンが多い。それはそれで結構なのだが、「コミュニケーション手段」として言語を習得したい場合、あまり細かいことに気を取られずに勉強した方が良いのかもしれない。細かいことに気を取られすぎて勉強した外国語は、結局は知識としての言語にはなってもコミュニケーションの手段としては役に立ちにくいのかもしれないな・・・なんて思った。一応このテキストには「後の章が気になっても、飛ばさずに順々に進むように」という注意書きもあった。順を追って進んでいくうちにスペイン語の文法も少しずつ理解できるように作られているのだろうか?そうであって欲しいと少しばかり願いつつ、今日はスペイン語で1から10まで数えれるようになって喜んでる私でありました。
2006.01.07
コメント(16)
前回の日記に書いたワールド・ジュニア・ホッケーの大会開催中、ちょっと話題になったことがあった。それは、アメリカのチームが毎試合観衆からすごいブーイングを受けていたということ。これがカナダ対アメリカの試合だったら分かる。開催地はカナダなのだから、もちろんほとんどの人たちはカナダを応援してるだろう。でもこれが、カナダ相手の試合だけでなく、アメリカ対ロシアの試合でも起こったのだ。アメリカはカナダの隣国だし、兄弟国みたいなものだから、普通で言ったらみんなアメリカを応援しそうなものだが、観衆たちは容赦なくロシアではなくアメリカにブーイングを浴びせていた。これは何故なのか??(ホッケーでは)アメリカはカナダの最大のライバルだから、ブーイングをするのだという人もいるけれど、でも私はこれは明らかに「アメリカ政治への反発」の表れだったと思う。イラク戦争以来、カナダでもアメリカの政治に反発する人はとても多い。その感情が、こういうホッケーの世界大会の場で表れてしまったのだと思う。私もアメリカの政治には少なからず反発している一人ではあるが、でも正直言って、私はこのブーイングがとっても不快だった。このアメリカ代表として一生懸命競っている十代の選手たちに向かって、カナダとの試合でもないのに観衆がブーイングを浴びせるのを見て、悲しいと思ったのは私だけだろうか。彼らに政治は全く関係ないと思う。国の代表として厳しい選考を経てチームに選ばれ、こうやって国際大会の場で活躍している選手たちにもっと敬意を持って欲しい。それがたとえ、自分の嫌いな国の代表選手であったとしても。この大会を見ていた人は分かると思うが、カナダ対アメリカの試合の最後の最後で、アメリカの選手がカナダの選手を肘でワザと殴り、それがスポーツマンとしてあるまじき行為だったのでその選手はものすごいブーイングを受けた。しかもそのアメリカの選手がその試合の最優秀選手に選ばれたものだから、そのブーイングは試合の後にさらに大きくなった。ある人たちはそのアメリカ選手の行為のせいでアメリカがブーイングを受けているのだと言う。でもそれなら、その選手がパックを取った時に、その選手に向かってブーイングをすればいい話。チーム全体がブーイングを受けるのはおかしいと思う。これが逆の立場だったらどうだろう?開催国がアメリカで、カナダがアメリカ以外の国と試合をしているときも常に観衆からブーイングをされたら、どんな気分だろう?私はホッケーが大好きだ。だからこそ、試合に政治的な感情などを持ち込まずホッケーを楽しみたい。素晴らしいプレーには、カナダの選手でなくても拍手を送りたい。世界のトップクラスにまで上りつめた選手たちに敬意を示したい。そんなことを思った大会だった。
2006.01.05
コメント(11)
昨日の日記で、「掃除も教育の一環だ」ということを偉そうに書いた私。それに対してのコメント返しをしていて、ふと気付いた。日本育ちの私よりも、カナダ育ちのダンナの方が普段よっぽど掃除する!ということを・・・。なぜだ??彼は学校で「掃除教育」を受けなかったはずなのに!一方私は小さいころから、毎日せっせと掃除をしていたはずなのに!というわけで、自分なりに考えてみた。毎日小さいころから強制的に掃除をさせられていた ↓掃除に対する反発が植え付いた ↓大人になって、誰にも何も言われないから、掃除しなくなったきっとそうに違いない。日本の掃除教育は、私は逆効果だったのか・・・・?昨日の日記、撤回!・・・・かも?
2005.12.19
コメント(8)
昨日の職場のクリスマスパーティーでのこと。私の席の周りには、何故かあまり職場でも身近でない人たちが座ってしまい、何を話して良いのかよく分からない状況。つらい・・・と思っていると、隣に座った薬剤師のAが、日本ネタを持ち出した。なんでも彼女の親戚が日本と貿易しているらしく、日本事情についてよく聞くのだとか。彼女が「日本では学校では掃除屋さんがいなくて、子供たちが自分達で掃除するって、本当?」と聞いてきた。「そうだよ」と答えた私に、周りに座っていた人たちが「うそ~~っ!!」っと、すごい驚きの反応。そんなに驚くことか??同僚1:「何年生から何年生まで掃除をしないとけいないの?」私:「小学校1年生から高校3年生まで。大学の時はしなくてよかった。」同僚2:「でもまさかトイレなんかは掃除しなくていいんでしょ?」掃除屋がいないっていってるのに、トイレを生徒が掃除しなかったら誰がするのだ?すっごい汚いトイレになるじゃないか。私:「もちろん、トイレもだよ。廊下も。校舎の外も。高校の時は、学校の敷地の外も掃除してた。」同僚数人、「信じられな~い」とかなりの驚きの表情に。この信じられないというのには、どういう意味が含まれているのだろう?と疑問に思いつつ、日本代表として言ってやった。「掃除も教育の一環。自分で散らかした物や汚した物は自分で片付ける。当たり前のこと。そんなに驚くことじゃない。」と。「日本では子供たちは、きちんと躾られてるんだろうね。」という、良い評価が出たところで、また薬剤師のAが日本について一言。「でも体罰とかひどいって聞いたよ。」今度は同僚一同、本当に信じられないという表情で私をみた。う~ん。確かに私が子供の頃は、体罰は結構あったなぁ・・・。教師が生徒を平手打ちするとか、ほとんど日常だったし。でもそれを言うと、カナダ人の同僚達にはあまりにも刺激が強いと思ったので、「確かに昔はあったかもしれないけど、今は改善されて、教師が暴力を振るう事はなくなったみたいよ。」と言っておいた。本当にそうなのか、現状は知らないけど。でもどうやら、日本の学校はカナダの学校に比べて随分厳しいという印象を与えたようだ。こんなことで厳しいと思っていたら・・・・私たちの多くが経験してきた、今考えてもアホらしい数々の校則を知ったら、腰を抜かすだろうな。確かにあんまり厳しいのもどうかと思うけど、でもせめて自分の子供には、学校の教室を掃除することくらいで驚いて欲しくないなぁ、なんて思った。
2005.12.18
コメント(8)
人との出会いや、人とのつながりってすごく不思議だと思う。そもそも、地球上にこれだけの人間が存在する中で、誰かに「出会う」ということ自体がすごい事だと思う。一生のうちに、人間はいったい何人くらいの人に出会うのだろう。そして、その出会った人の中で、何人くらいと連絡を取り続けるのだろう。その中で、何人くらい「友だち」と呼べる人を見つけ、何人くらい「恋人」になれる人を見つけられるのだろう。・・・まあ、これはかなり個人差があるだろうけど。そんなことを、ぼ~っとだけど考えるようになったのは、最近、急に昔の仲間たちと連絡を取るようになったからだ。これはMIXIというサイトのおかげなんだけど、最近連絡を再び取り出した人の中には、7~8年くらい全く連絡を取ってなかった人もいる。でも、ふとしたことがきっかけで、また連絡を取るようになり、なんだか以前よりも親しくなったような気がする人までいる。ほんの2~3ヶ月前までは、またみんなと連絡を取れるようになるなんて、思ってもみなかったのに。なんだか不思議だ。たまたま同じ時期に同じ高校や同じ大学に行って、たまたま同じクラスになったり、たまたま同じサークルに入ったり、たまたま同じバイト先で同じ時期に働いてたり、たまたま同じ時期にバンクーバーに住んでいたり、たまたま同じパーティーに参加してたり、たまたま同じ楽天にブログを持っていて、たまたまその人のブログを発見したり・・・・。言い出せばキリがないけど、人との出会いって、偶然の重なり合いなんだと思う。いったいどれだけの偶然が重なって、1人1人の友だちと自分は出会ったのだろう?なんだか考えると気が遠くなりそうだ。「運命」と言ってしまえばそれまでだけど。でもこうやって出逢った人たちと、また連絡が取れるようになったのはとっても嬉しい。せっかくこうやってまたつながったのだから、そのつながりを大切にしていきたい。
2005.12.06
コメント(10)
最近どうも気分がすぐれない。まあ、色々と気分がすぐれない理由はあるのだけど、その大きな理由の一つは最近太陽をあまり見てないことではないか、と思う。朝起きて、仕事に行くときは、まだ外は真っ暗。仕事中はずっと建物の中。やっと仕事が終わって外へ出ると、がが~ん、もう外は真っ暗!しかも毎日雨・雨・雨!最近はその雨が雪に変わってみたり、霧が何日もかかってみたり・・・。たま~にお日様が顔を出す事もあるのだけど、薬に直射日光があたってはいけないし、明るすぎるとMIXINGする時に使う注射器のメモリが良く見えないという理由で、すぐにブラインドを下げられてしまう。なので、毎日もぐらのように、太陽を見ずに生活しているのだ。これでは、気分がすぐれないのも無理もないかもしれない。Seasonal Affective Disorder(SAD)という病気を聞いた事あるだろうか?実はこのSADという病気は、冬の間に太陽の光を浴びることが少ないために、体のメカニズム(?)がおかしくなってしまい、鬱のようになってしまう病気で、冬の日照時間が少ない北欧や、ここバンクーバーでもこの病気にかかってしまう人は多い。実は私も、バンクーバーに引っ越してきたばかりの頃に、このSADと思われる病気になってしまったことがあった。そう、あれは4年前の秋の話。新しい生活に胸を膨らませ、バンクーバーに引っ越してきたものの、毎日毎日、雨!雨!雨!!!しかも引っ越してきたばかりで友だちはいない。仕事もない。しかもアメリカのテロ事件の後で、世の中自体も暗かった。だんだん気分が落ち込んでいき、誰とも話したくないし、どこにも行きたくない。でも仕事を見つけなければというプレッシャーと、お金だけが減っていく不安と友だちがいない寂しさなんかが、全部いっきに押し寄せてきて、結局家に篭って泣いてばかりになってしまった。そんな時、たまたま読んだバンクーバーの某日系雑誌にこのSADという病気が紹介してあった。それによると、20代の、女性の、しかもバンクーバーに引っ越してきたばかりの人が特にかかりやすいと書いてあって、「まさに私だ!!」と思ってしまい、病は気からじゃないけど、ますます落ち込んでしまった。結局このままバンクーバーにいても仕方がないと思い、引っ越してきてまだ2ヶ月しか経ってないというのに、実は、その前に住んでいたマニトバ州に一ヶ月ほど戻った。以前住んでいたマニトバ州は、極寒の地ではあったけれども、とにかく晴れの日が多い。しかも晴れた日は、雪に太陽が反射されて、眩しいくらいに明るいのだ。そこでダンナの両親としばらく過ごし、病院にいってお医者さんに診てもらい、抗鬱剤を処方してもらった。でもやっぱり太陽の光が少ないことが原因だったらしく、そこでお日様を毎日見る生活をしていたら、薬を飲まなくても、気分が晴れて元気になった。そしてまたバンクーバーに戻ってからは、もう大丈夫だった。というわけで、バンクーバーの冬の日照時間の少なさは人を病気にしてしまうほどの恐ろしさなのだっっ!!!冬至まであとどれくらい?2~3週間か?早く日が長くなってくれることを切に願う、ちと落ち込み気味の私でした。
2005.12.05
コメント(22)
先日、うちのダンナがたまたまテレビをつけると、あるアメリカのドキュメンタリーがあっていたらしい。そのドキュメンタリーの中では、9~10歳くらいの金髪の白人の姉妹が、家の台所で踊りながら、白人至上主義な内容の歌を歌っていて、彼女たちの足元には、黒いテープで作られた、ナチスドイツのマーク(あの、地図のお寺のマークに似たやつね)があったらしい。しかもこの子たちは、黒人、ヒスパニック、そしてユダヤ人を殺すという内容のビデオゲームで遊び、カメラの前で堂々と(親も一緒に)、「この世から白人以外はいなくなるべき」という発言をするありさま。しかも、この子たちが歌っている歌は、CD化されていて、ある人たちによって売られているらしい!ちょっと言葉を失った。それと共に、この子供たちに対して、とても同情してしまった。こういう考え方は、もちろん彼女たちの親から来てるに違いない。私はある種の「マインドコントロール」と言ってもいいと思う。アメリカなので、黒人、ヒスパニック、ユダヤ人が対象になっていたみたいだけど、要するに、私たちアジア人も地球上からいなくなるべきと言っているのと同じだ。きっと偏見に満ちた、すごく狭い世界に住んでいるのだろう。子供たちが、自分自身で色んな世界を見て回れる年齢になる前から、このような先入観を植え付けられているのは、なんだか気の毒でならない。この子たちが大人になって、自分達が歌っているCDを聞いて恥じることはあるのだろうか。いつかこの子たちが、もっと広い世界に出て、自分の目で見て、自分で経験して、自分の考えで物事を判断できるようになる日が来る事を切に願う。
2005.11.23
コメント(14)
今日は休みだったにもかかわらず、二日酔い気味で一日中家にいて、なんとなく一日を無駄にしてしまった相変わらずな私。一日中家にいたので、先月日本から買ってきた大量の本のうちの一冊、ジェンキンスさんの『告白』を読むことにした。「北朝鮮はこんな国」というのは、テレビなんかでも見たことあるし、なんとなく頭では分かっていても、実際にそこに40年も住んだ人が書いた話を読むと、なんだかとてもショックだった。曽我さんが拉致された時の話の部分では、気付いたら私は泣いていた。国レベルでこんなひどい事をするなんて・・・と本当に信じられない。それと同時に、自分が日本という国に生まれたことにすごく感謝した。確かに日本社会でもカナダ社会でも色々なストレスはあると思う。でも少なくとも、私たちは明日ご飯が食べれるかを心配する必要はない。暖かい部屋で寝る事もできる。そしてなによりも自由がある。何処へだって行けるし、何だって言える。そんな私たちにとっては当たり前のことが、絶対に許されない人たちが世の中にはいるんだ、と思うと、自分はなんて幸運な人間の1人なのだろうと思わざるを得ない。彼と彼の家族には、残りの人生を幸せに過ごして欲しい。心からそう思いながら本を閉じた。
2005.11.15
コメント(12)
昨日は「むっちゃ」に関する沢山のご意見をお寄せいただき、ありがとうございました。みなさまのご意見・情報を収集・分析(というほどのモノでもない)いたしまして、私なりの結論を出させていただきました。それによると・・・・1.私の周りの人たちは「むっちゃ」は「シマ語」だと信じている。2.福岡で「むっちゃ」派の目撃情報もあるが、かなりの少数派だと思われる。3.でも日本には「むっちゃ」派の勢力が強い地域もある。4.兵庫県西部では「むっちゃ」も「めっちゃ」も使いまくる。5.京都では使わない。6.広島でも使わない。7.東京では絶対使わない。と、こんな感じですが、どうでしょう??
2005.11.14
コメント(11)
ここ2~3日私の日記上で浮上した疑問。ちょっと気になるので、みなさんに質問。「むっちゃ」ってどこかの方言ですか?私は「めっちゃ」ではなく、この「むっちゃ」を日常生活で連発してます。方言かもしれませんが、私の周りの人たちも当然使ってると思ってました。ところが、どうもそうではないらしいのです。「むっちゃ」を連発している私の日記には、最近次のようなコメントが・・・<抜粋その1>この「むっちゃ」ってのは博多弁ですかね?私、長崎→福岡→京都→東京、とあちこちを転々としてますので、微妙な方言になってしまってるんですけど、私の中にこの「むっちゃ」っていう言語は登録されてないんです。「めっちゃ」はあるんですけど。意味的には「めっちゃ」と同義だとわかるんですが、少し気になったので書いてみました。(hokuroさん)<抜粋その2>「むっちゃ」って博多弁かは知らないんですけど、この日記読み始めた時に、あーホンとにシマさんが書いてるんだぁ~なつかし~って一番に思った言葉でした。(☆ヒトミ☆さん)<抜粋その3>「むっちゃ」を見て、「あ~、シマさんが書いてるんだ~」って思われる時点でやっぱり「シマ語」なんですね(hokuro)さん<抜粋その4>「むっちゃ」という接頭語は使ってそうで使ってないですね。shima語かも(笑)(オージー8代目さん)そ、そうなんですかぁ・・・・???じゃあ私はどこからその「むっちゃ」という言葉を拾ってきたのでしょう?他に「むっちゃ」を使う人はいないんですか?「めっちゃ」がカナダに来て「むっちゃ」になったんでしょうか?あ、でも「懐かしい」と思ってくれる方がいるってことは、日本でも使ってたってことですかね。っていうことは、私はこの言葉をかなり長い間使ってるってことですよね?自分で考えても私は「めっちゃ」とは言いません。必ず「むっちゃ」と言います。しかも今の今まで誰一人として指摘してくれなかったしっ!「むっちゃ」という言葉を日常使う地方をご存知の方、または日常で使う人をご存知の方、お手数ですが、ぜひご連絡下さいませ。
2005.11.12
コメント(20)
日本からカナダに戻ってきて早くも10日。なんだか「日本に帰りたい病」が治まらず、少し落ち込み気味な私。今回日本がものすごく楽しかったのは、そこに「現実の生活」があるわけではなく、ホリデーだったからだというのは十分分かっているのだけど、やっぱり仲の良い友だちや家族にいつでも会える状況っていうのは、なんて良いんだろうと思ってしまう。今回日本で久しぶりに会った友だちたちはみんな口をそろえて「近くにいるからって、頻繁に友だち同士で集まるわけでもないよ。shimaとも久しぶりに会うけど、他の人ともかなり久しぶりなんだよ。」って言ってた。確かにそうかもしれない。実際同じ地元にいても、みんなそれぞれ忙しいだろうから、そんなに頻繁に昔の仲間と会うことなんて無いんだろう。でも私にとっては、「会うか、会わないか」の問題ではなく、「会えるか、会えないか」の問題のような気がする。実際にはそんなに頻繁に会ってなくても、会いたい時に都合を合わせればすぐに会えるというのは、ものすごく羨ましい。今カナダに戻ってきて、「現実の生活」に戻っただけでなく、自分が親しい人たちに「会いたくても会えない」状況に戻ってしまったというのが、落ち込みに拍車をかけているような気がする。カナダに来てからずっと、あまり日本が恋しいとも思ってなかった私。でも、7年目にして、カナダ生活最大のホームシックにかかってるかもしれない。もしかして、歳をとってきた証拠なのか!?(って、まだまだ若いけどね、私。)
2005.11.02
コメント(10)
最近旅行の準備をしてて、素朴な疑問が浮かんだ。「昼間働いてる人たちは、銀行にはいつ行くのだろう?」そうなのだ。平日の昼間働いていると、銀行に行く時間がない。本当に無いのだ。普段は残高チェックやVISAカードの支払いなんかはインターネットでやってるし、お金を降ろすのは機械でできるからあまり問題はないのだけど、今回旅行を控えて、両替したりトラベラーズチェックを作らないといけない時に、時間があまりにもないことに気付き、ストレスが急上昇してしまった。っていうか、情け無いけど、今週は自分の時間の無さに本当にイライラしてる。旅行前にやらないといけない事が多すぎて、でも時間が足りなくて、出発は迫ってきていて、なんだかトホホ・・・って感じ。本当だったらワクワク・ドキドキしてたいのに。(って、ワクワク・ドキドキもしてるんだけどさ。)こんなことなら、今週、平日に一日だけでも休みをもらっておけばよかった。って、今更遅いけど。今日も仕事はすごく忙しくて、かなり疲れたので今はビールを飲みながらこの日記を書いてる私。まだ8時半だけどもうすぐ寝ます。おやすみなさい。
2005.09.27
コメント(10)
仕事の休憩時間に日本語のニュースを読んでいたら、こんな記事が。なんでも、ある小学校では、クラスで毎日のように暴動が起こってるらしい。生徒がカッターをちらつかせ、イスを振りかざし、級友に噛み付き怪我を負わせ、男性教師たちが「鎮圧」にかかる。生徒の親は保護者会にも姿を現さず、「家では良い子。そんなことはありえない。」という有様らしい。この親の対応を読んで、仕事中にコンピューターに向かってアホか、ゴルゥアァァァ!!!と叫びたくなった。自分の子供は良い子?だからそんなこと学校でするわけない?じゃあ、学校側が嘘をついてるとでも言うのか?噛み付かれて被害にあった子は自作自演とでもいうのか?大体、保護者会に出ないところから、自分の子供が悪い事をしてるってわかってる感じ。だから保護者会に来る勇気がない。しかも、家では良い子だから・・・・ってふざけるなぁぁぁぁああああ!!!もっと自分の子供に責任持て~!!もっと自分の子供に向き合え~!!もっと事態を深刻に受け止めろ~!!おまえの子じゃぁぁぁ!!終了。
2005.09.23
コメント(4)
先週、3日くらい続けて、自分の日記がトラックバックされていた。管理画面のトラックバックをお知らせする欄を見てみると、いかにも「風俗系」のタイトルのサイトからトラックバックだった。ものすごく怪しそうなサイトだったので、そのサイトには飛ばなかったが、自分の日記が全く関係ないサイト(しかも風俗!)にトラックバックされているのは良い気がしない。しかも、そのトラックバックされていた私の日記は、Jが亡くなってからの私の辛い思いを自分なりに心の中で整理させるために書いたものだった。一文一文、自分がどういう気持ちなのかたどりながらJへの、そしてYちゃんへの思いを込めて書いた日記だった。たぶん、こういうのは、無差別的にトラックバックしているのだろけど、でも、あまりにも不謹慎なトラックバックに、怒りを通り越して、なんだか脱力してしまった。3日連続でトラックバックされたところで、こんなくだらないことで毎日気分を害されるのも嫌なので、トラックバックの項目を自分の日記から外した。日記は、書く趣旨もスタイルもみんなそれぞれだけど、でも多くの人は、自分の日記に思い入れがあると思う。そんな思い入れのあるのもに、土足で入り込りこむようなトラックバックは許せないですよね。でも、ブログをもってる方たちはみんな同じような経験されてるんでしょうね。
2005.09.22
コメント(8)
日記に書こうか、書くまいか、すごく迷った。今でも書くべきなのか、よく分からない。彼女は私の日記を毎日読んでくれていた人だから、きっと、将来、いつか彼女もこの日記を読むだろう。私の日記を読んで、彼女はどう感じるだろう。もっと辛くなるだろうか。それとも私がどんなプロセスをたどったのか、うなずきながら読むだろうか。もし彼女がこの日記を読んで、削除して欲しいというのだったら、遠慮なく言って欲しい。書くべきことなのか分からなかったけど、書くことにした。今はこのこと以外には何も書く気になれないから。私の人生にとっても、ものすごく大きな出来事だったから、自分の心の中で整理するためにも、文章に書き現したいと思った。金曜日、仕事が終わって携帯の留守電を確認すると、ダンナからメッセージが入っていた。日本に住んでいる、ダンナの30年来の親友Jが事故にあい、亡くなったという知らせだった。最初私の反応は「は?何言ってるの?意味が分からない」という感じだった。すぐにダンナに電話をかけ、ダンナの口からもう一度聞いた途端、手が震え出した。すぐにタクシーをとばして家に帰った。家に帰ると、泣き崩れたダンナがいた。ソファーの上に、沢山の昔の写真が散らばっていた。ダンナは、普段アレルギーがあるので飲まないウィスキーを飲んでいた。昔若かった頃、Jはウィスキーが好きだったからって。ダンナは仕事中に、Jの義理の親戚で、ダンナの友達でもあるRからの電話で知ったらしい。そこで仕事を切り上げて、家に帰ってきていた。うちの留守電にはJの日本人の奥さん、Yちゃんからのメッセージが入っていた。Jの死を告げるメッセージだった。Yちゃんは私の日記をいつも読んでくれていて、私たちは最近頻繁に連絡をとっていた。その日の朝も、Yちゃんからのメールを読んだばかりだった。JとYちゃんは、一ヶ月前結婚式を挙げたばかりだった。日本とカナダの両方で式を挙げたので、私とダンナはカナダでの結婚式に出席した。それは8月のはじめ、たった一ヶ月前の話だ。すぐに日本のYちゃんに電話した。私もまだショック状態にいて、何と言っていいのかわからなかったけど、電話せずにはいられなかった。電話口のYちゃんに「今・・・仕事から帰ってきた・・・」というのが精一杯だった。私が泣けば、Yちゃんはもっと辛くなると思ったけど、涙が止まらなかった。一番辛いはずの人を電話口に、私が泣いていることに対して、ものすごく申し訳なかった。Yちゃんは「Jね、歩道の上におったとよ。そこに車が突っ込んできてね、車は横転しとってね、横転するとか、どんなスピードで走っとったとよ、って感じやろ。」と、事故の情報を少し話してくれた。少し話した後、私は「ずっとYちゃんのこと、考えとーけんね。ずっと考えとーけんね。」と言って、電話を切った。その夜、ダンナは飲み続けた。たぶん、シラフでは耐えられなかったのだろう。飲みながら、Jが好きだった音楽をかけて、Jとの30年間に渡る思い出話をしてくれた。Jとは小学生の低学年の時に出会い、同じ町で育ち、同じ大学に進み、大学の寮でもルームメイトだった。2人揃って寮を追い出された後も、ルームメイトとして同じアパートに住んでいた。大学生の時の夏休みは、2人で一緒にバンクーバーに住んだこともあった。Jが10年前にカナダを出たとき、出発先を日本にしたのも、当時ダンナが日本に住んでいたからだった。日本でも、ダンナとJはしばらく一緒に住んでいた。ダンナは一晩中泣き続けた。こんなに泣く彼を見たのは、初めてだった。私も一緒に泣き続けた。Jのことはもちろんだが、Yちゃんの事を考えると、悲しくて悲しくて、涙が止まらなかった。一晩中、電話は鳴り続けた。私たちは色んな人と話した。友達、ダンナの家族、Jの家族・・・。みんな、みんな、深い悲しみに暮れた。それでも、Jのお母さんと話した後は、ダンナは少し気分が落ち着いたようだった。狭いアパートだけど、それでもダンナを一人でリビングルームに残したくなくて、ダンナが飲んでいる横にエア・マットレスをひいて私は横になった。とても眠れる状態ではなかったけど、仕事がものすごく忙しい日だったから、体はすごく疲れていたのだと思う。結局ダンナが朝の5時半ごろに酔いつぶれて眠ってしまうまで、私はずっとダンナの話を聞き続けた。そばに居てあげることしか私にはできないから、私がそばにいてあげることで、それが彼の支えになるならと思い、ひとときも彼のそばを離れたくなかった。最初に悲報に接してから、もうすぐ、丸二日経とうとしている。ものすごく長い二日だった。悲しみは波のようにやってくるけど、しばらくすると引いていく。そしてしばらくするとまたやってくる。多分今はショックという段階を抜け出して、彼の死を受け入れるプロセスの途中なのだと思う。今日は日曜日で、朝仕事に行ったけど、ダンナのそばにいてあげたかったこともあって、2時間で帰ってきた。2時間仕事をして、自分に全く集中力がないことに気付いた。患者さんの薬に関することなのに、集中力のない自分が仕事をしていても迷惑だ。帰ってきてよかったんだと思う。ずっとYちゃんの事が頭から離れない。今、Yちゃんはどうしているんだろう、とずっと考えている。彼女のことだから、きっと友達や家族が支えてくれていると思う。頑張って欲しい。こんな月並みな事しかいえなくて申し訳ないけど、頑張って欲しい。
2005.09.11
コメント(15)
「出逢ったものとは、かならず別れの時がくる。これは、宿命ですから」私の祖父が先週亡くなった時に、私の父からもらったメールに書かれていた言葉だ。確かにそうだ。出逢った人とは、いつかかならず別れなければならない時が来る。これは、絶対に避けられない。その人が、愛する人であればある程、別れは辛くなる。愛する人が沢山いれば居るほど、その悲しみの回数は増え、その愛が深ければ深いほど、その悲しみの大きさは増す。人生最愛の人を亡くす悲しみ、それは、私には想像を絶する。人生で、それほど辛いことがあるだろうか。最愛の人にもう二度と会えないという事実ほど、受け入れ難いものがこの世にあるだろうか。今、それに直面している友がいる。今、彼女がどんな思いをしているのか、どんな状況をくぐり抜けているのか、どんな痛みに耐えているのか、考えるだけで身が引き裂かれる思いだ。一日中何をしていても、彼女のことが頭から離れない。今、どれほどの苦しみと戦っているのだろう。どんな思いをしているのだろう。そして彼のことも頭から離れない。どれだけ無念だっただろう。愛する人との別れは辛い。本当に辛い。でも、これだけ辛い状況だからこそあえて言いたい。愛する人がいる人生というのは、なんと素晴らしいのだろう。愛する人との別れは必ず来る。いつか必ず来る。その絶大な悲しみも必ず来る。でも愛する人がもたらしてくれるもの、それは何にも引き換えにすることはできない。あなたが彼にもたらしたもの、彼があなたにもたらしたもの、それは何にも変えられない。彼が安らかに眠ってくれますように。ただただ祈るばかりです。
2005.09.11
コメント(2)
今日の日記が100件目の日記!思えばかなりサボった日もあったけど、まあなかなか続いてるではないか、と思ったりする。100件目を記念して、ちょっと今日は、この日記がもたらしてくれたものについて書きたい。1.日本語の文章に触れる機会が多くなった。海外に住んでいると、日本語を読む機会はあっても、書く機会というのは、なかなか無い。でもこうやって日記を書いてることで、毎日日本語を書いている。書きながら、「この文章はちょっとおかしいか?」とか、「漢字はどっちが正しいのか?」とか、結構考えながら書く。これはかなり日本語の勉強になってるような気がする。2.他の人の日記を読むことによって、色んな人の考えや色んな情報に触れる機会が増えた。自分の好きな「テーマ」などから、他の人のブログを徘徊できるのでとても面白い。違う職業をもつ人の仕事の話を読んだり、違う国に住んでるひとの出来事なんかを読むのはとても新鮮だ。3.少しばかり心のセラピーにもなったこともある。祖父が亡くなって落ち込んでいたときに、色んな人から頂いたコメントが、本当に励みになった。同じような経験をしてる人の話しを聞くだけで、気分が楽になったりした。こんなに温かいコメントをくれる方たちに読んでもらえて、本当に自分はラッキーだと思った。4.新しい友達ができた。ネット上だけで、お会いした事無い人も多いので、「友達」という言葉を使うのも変だけど、お互いコメントを入れあったりする仲間が増えて嬉しい。ほとんどが、偶然に見つけたり、見つけられたりした人たち。これだけ多くの人がブログをもってる中で、どれくらいの確率でその人のブログにたどり着くのだろう・・・と考えると、ネット上とはいえ、出会いってすごいなと思う。・・・・と、いくつか利点を挙げてみたけれど、私がこの日記を書き始めて、一番良かったと思ってること・・・それは、日本にいる友達にぐっと近くなったということ。今までたまにしか連絡を取ってなかった日本の友達(先輩、後輩を含む)が、私の日記を読んでくれ、コメントを入れてくれる。コメント欄にコメントを書かない人でも、個人的にメールを送ってきてくれたりする。ネット上ではあるけど、友達との「対話」が多くなった。これは日記を書き始める前には思ってもみなかったけど、今となっては、私が日記を書く動機になってる。カナダに来て6年半。私は自分がどれだけ日本で友達に恵まれていたのか思い知らされたと思う。日本人が多いバンクーバーといえども、仲の良い友達というのは、そう簡単にできるものではない。なので、何年も一緒にいれないでいる友達たちとまた頻繁に連絡を取れるのはとても嬉しい。私の日記を読んで、「こんな生活を送ってるのか」とか、「こんな事を考えてるのか」とか、知ってもらうと同時に、「なんだかんだ言って、変わってないね」と思ってもらえたら嬉しい。(って、私、変わってないよね???)あとどれくらい続けられるのか分からないけど、続けてる限り、みんなに読んでもらえたら、と思う。
2005.09.06
コメント(16)
仕事から帰ってきてメールをチェックしてみると、弟からメールが来ていた。おじいちゃんが亡くなったとの知らせだった。危篤だということを突然聞いてからたった2日。あっという間に死んでしまった。最後は親戚一同に看取られながら、静かに息をひきとったらしい。祖父はとっても穏やかな人だったから、最後もそんな風に穏やかに眠れて、きっと今頃天国で喜んでいると思う。実はこれが、私にとって人生で初めての「身近な人の死」になった。もう30歳にもなろうというのに、身近な人の死を今まで私は経験したことがなかった。人生の中でたくさんの時間を共有した人物がこの世から居なくなるというのは、こんなにも悲しいものなのかと、今更ながら思い知らされている。私はおじいちゃんにとって初孫だったから、本当に可愛がってもらった。私が小さい頃、私の母はずっと病気で入退院を繰り返していたので、私と弟は祖父母の家から学校に通った時期もあった。その時は、学校行事にはいつも祖父が来てくれた。授業参観の時、祖父がクラスの先生に「子供の宿題を減らして、もっと子供が遊べるようにして下さい。」とお願いしたのを覚えてる。本当に穏やかで、やさしくて、すごく頭の良い人だった。危篤ということを聞いてから、ある程度覚悟はしてたけど、実際に「亡くなった」と聞くと、悲しくて、悲しくて仕方ない。2日前にあれだけ泣いたのに、今もまた涙がとまらない。やはりもう一度会いたかったという思いは消えないけど、私がおじいちゃんの事を考えていたのは、おじいちゃんも分かってくれてると思うし、私の気持ちは届いていたと思う。おじいちゃんに、たくさん、たくさん「ありがとう」を言いたい。それと、前回の日記にコメントをくれたみなさん、温かいコメントを本当にありがとうございました。自分の気持ちを誰かに聞いてもらったり、みなさんの同じような経験を聞いたりすることで、とても気分が楽になりました。前回ほど、この日記を書いてて良かったと思ったことはなかったです。みなさん、これからもヨロシクお願いしますね(^^)。
2005.08.30
コメント(16)
8月も後半に入り、ふと気付くと、私の人生の中で「20代」という期間はあと1ヶ月を切ってしまっていた。成人したのはついこの間のような気もするのだが、10年というのは、長いようで、意外にあっという間だったとつくづく思う。人生で初めて作ったパスポート(10年用)も、あと数ヶ月で更新しないといけない。ということは、日本という国から初めて足を踏み出して、10年も経とうとしているのだ。今日は少し、自分の20代を振り返ってみたい。20代の最初の頃の時間を共有した、かけがえのない大学時代の友達・先輩・後輩や、それ以前の高校時代の友達なんかに、その後私がどういう人生を歩んだのか、知ってもらえればと思う。連絡は取り続けていても、頻繁に会えたわけではないし、どの時期にどういうことを考えていたのか、詳しく話すチャンスはなかったと思うので。思えば、20代の最初の頃は、もっといろんな世の中が見てみたいと強く思っていた。貯金はほとんど旅行に使っていたし、旅行に行って、新しい体験をすることが、そもそも働く事の原動力だったと思う。大学を出て、一応就職はしてみるものの、「これが自分の人生で一番したいことだろうか」といつも疑問に思っていた。厳しい日本の社会人生活の中で、それを口にすると「学生気分が抜けてないだけ。甘えてるだけ。」なんて言われるけど、でも毎日自分の人生について考えていた。「これで自分は満足するのだろうか・・・?」と。そして仕事はたった1年で辞め、23歳の時にカナダに来た。今考えると、それは人生最大級の選択といっても過言ではないのだけど、その頃は若かったし、とにかく何か違った新しい生活を始めたくて仕方のなかった私は、その決断の重要性にもほとんど気付かずカナダに来た。そして24歳で結婚。今考えると、24歳で結婚なんて早すぎると思うけど、でも結婚はタイミングもあると思うので、それが私のタイミングだったのだろう。カナダ生活の最初の2年半は、日本人の全くいないすごく小さな町に住んでいて、言葉の壁もあって、ただひたすら必死に生活していたような気がする。その町にいる間は、旦那の経営する会社で働いていたけど、20代も後半に差し掛かった頃、また私は「私の人生これでいいのだろうか・・・?」と、20代二回目の「人生について考える」時期を送っていた。今回の「人生への疑問」は、自分の「キャリア」の部分だった。その頃常に、「どうして自分は大学ではなく、専門的な技術を習得する学校に行かなかったのだろう・・・?」と思っていた。専門職に就いている友達をとても羨ましく思った。自分の大学では好きなことを勉強できたし、一生の友達も出来たし、かけがえのないものではあるけれども、現実的に考えたときに、私は特別に手に職が有るわけでもなく、日本で社会人経験が長いわけでもなく、「キャリア」という部分ではとてもじゃないけど自分に満足できてなかった。26歳の時にバンクーバーに引っ越してきた。その頃から「30歳になった時の自分」を意識するようになっていた。最初バンクーバーでなかなかやりたい仕事を見つけられなかった私は、とりあえず収入の良いレストランで働き始めた。「何か手に職を付けたい」とは思っていたけど、何がしたいかが分からなかった。でも30歳になったときに、ウェイトレスではいたくないとは強く思っていた。自分はもっと何かできる人間だと信じていたし、30歳になったときに今と同じ生活をしてたら、きっと自分の人生を後悔するだろうとも思っていた。そして学校に行き直す決心をした。カナダで専門的なことを学んで、手に職をつけようと思ったのだ。目標は「30歳までに専門的な職につくこと」。30歳を越えると、子供を作る事も真剣に考えないといけない。30歳までにはなんとか、新しいキャリアをスタートさせていたいと思った。それから猛勉強する日が続くことになる。学校に行きながらも、レストランでも働いていたので、かなり大変だった。でも「目標がある生活」はとても充実していたと思う。学校と仕事とでいっぱいいっぱいだった私は、旦那と一緒に遊びに行く事もあまりできなかったし、家事なんかもできなかったけど、旦那は協力してくれた。今考えると本当にありがたい。そして29歳になる直前、私は晴れて目標を達成した。Pharmacy Technicianとして仕事を得たのだ。最初の頃は仕事は本当に大変だったけど、自分が目標を達成した満足感が大きくて、大変な仕事も頑張れた。それから1年。今私の20代ももうすぐ終わろうとしている。「自分の20代に満足しているか?」と聞かれたら、「分からない」と答えるだろう。ああすれば良かったと思うこともあるし、人生について疑問に思ってた時期も結構長い。でも「30歳としての自分に満足しているか」と聞かれたら、「YES」とはっきり答えられる。数年前に立てた「30歳の時にはこうありたい」という目標は自分なりに達成したと思うから。そういう意味では、自分を褒めてあげたいと思う。30代に突入しても常に「なりたい自分」を念頭において、満足できる人生を送っていきたい。40歳になったときも、「ありたい自分」でありたい。とりあえず、今の30代前半の目標は「子供をつくる」こと。どうなるかは分からないけどね。長くなったけど、これが私の20代でした。読んでくれた方、どうもありがとう。
2005.08.20
コメント(15)
海外に住んでると、「日本のサービスはやっぱり素晴らしい!」って思う事って誰にでもあると思う。私はカナダに住んで、カナダ的なサービスにも随分慣れたと思うけど、やっぱりものすごく感じの悪い店員に出くわした時や、態度の悪いサービスを受けた時には、本当に頭に来る。なぜか分からないけど、本当に、本当に頭に来るのだ。私のあまりの怒り様に、うちの旦那はいつもびっくりしてる。たかが店員の態度が悪いというだけで、なんで私がそこまで怒るのか、分からないらしい。旦那にとっては、悪い態度を取られる事は「大したことない、小さいこと」に思えるのかもしれないが、私には「ぜ~ったい許せない」ことなのだ。それがたとえ店員でなくても同じ。意味もなく他人にrudeな人間が、私は大嫌いなのだ。まあ、それは置いとくとして、今日は「微笑ましい、カナダの悪いサービス」について。人にrudeな態度をとる店員には憤慨する私でも、カナダの悪いサービスに対して「カナダらしいや」と、逆に微笑ましく思えるときがある。それはどうも、人の態度とか関係なく、システム的に効率の良くないサービスを受けたときのようだ。「まったく、これだからカナダは・・・」と口ではいいつつ、そんなカナダが好きだったりする。微笑ましい悪いサービス例 その1私が先月、ウィスラーから長距離バスを使って帰ろうとした時のこと。ウィスラーのグレイハウンド(長距離バス会社)のチケット売り場は、バス乗り場のそばのインフォメーションセンターの中に入っている。当日の朝チケットを持ってなかった私は、バスの出発時間の40分前くらいに、チケットを買いに行く事にした。満員で乗れなくなったら嫌なので、少し早めに行ったのだ。インフォメーション・センターに入ると、その一角のグレイハウンドのチケット売り場は閉まっていた。あれ?と思って、センターの受付のお姉さんに聞いてみると、バスのチケット売り場は出発時間の20分前にならないと開かないとのこと。そうか、と思い、その時間までブラブラして、20分前に戻ってきた。戻ってきた時には、他の旅行者もチケット売り場が開くのを待ってる様子で、列ができていた。列の人にそれがバスチケットを買うための列であることを確認し、私も並んだ。待つこと5分(出発15分前)。チケット売り場は開かない。誰も来ない。待つこと10分(出発10分前)まだ開かない。列に並んでるみんな、ちょっと不安になってきた。そのチケット売り場からは、グレイハウンドのバスが、2台もうバス停に着いてるのが見えた。そこで、列に並んでたお兄さんの一人が、バスの運転手に「チケット売り場が開かないからチケット買えないんだけど・・・」ということを、伝えに行ってくれた。お兄さんは運転手たちと話した後、私達の列に戻ってきた。なんでも運転手たちの話では、今日はチケット売り場のスタッフが居ないから、チケット売り場は開けられないらしい。とりあえずチケット無しでバスに乗って、次のバス停(ウィスラー内の別のバス停)で停まるからその時降りてチケットを買いに行ってくれ、とのことだった。というわけで、その列に並んでたご一行、バスに向かってぞろぞろと歩き出した。私も歩きながら、頭の中では「・・・・?」チケット売り場のスタッフが居ないって・・・?最初から居ないことになってたの?それとも、来なかったの?って、だいたい、バスの運転手、それ知っってんだったら知らせに来ればっ!?私達がチケットを買うために並んでたの、見えてたはずでしょ?バス停から目と鼻の先なんだからさ。などと思いながら、バスに乗り込んだのでした。そして次のバス停で、チケット無かった人たち全員降ろされ、チケットを買わされたのだが、そのサービスの効率悪い事!そのチケット売り場は、スタッフが一人しか居ないのに、バスの乗客たちがぞろぞろと並んだもんだから、あっという間に長蛇の列!しかも全員チケット買うまで、もちろんバスは出発できない。まだバスはウィスラーも出てないのに、遅れをとること30分。あ~あ、これだからカナダは・・・と思いつつ、なんだかカナダらしくていいか、と微笑ましく思った私でした。微笑ましい悪いサービスの例 その2これはちょっと微笑ましいくも、ちょっとイラついた話。先日マニトバ州から帰ってきた時のバンクーバー空港でのこと。みなさんご存知のように、バンクーバー空港には、ターンテーブルがいくつもある。でも私が帰ってきたとき、作動されてるのはたった一つだけだった。同じ時間帯に着いたトロントからの飛行機も、エドモントンからの飛行機も、ウィニペグからの飛行機も、み~~んな同じ一つのターンテーブルから荷物が出てきた。飛行機3機分の乗客たちが、たった一つのターンテーブルの周りに集まってるものだから、もう大混雑!ターンテーブルの近くに行って自分の荷物が出てくるのを確認するのも一苦労。自分の荷物を見つけても、人が多すぎて取れない状態。結局、テーブルがターンし始めてから、自分の荷物が出てくるまでに30分もかかった。これって、経費削減のために一つだけしか作動させてないのだろうか?それにしても効率悪すぎ。またもや「カナダらしい・・・」と思いつつ、旅の疲れもあってちょっとイラついてしまった私でした。長くなったけど、今日はこのへんで。
2005.08.18
コメント(16)
昨日(カナダでは8月14日)は終戦記念日でしたね。今年は終戦60周年だったからか、例年よりも大きく取り上げられていたように思います。カナダ各地でも、戦争で亡くなった方たちを称える式典や行進が行われていました。今朝の新聞などでは、「VJ-DAY」という文字をよく目にしました。これは「Victory in Japan Day」の略です。つまりカナダでは、8月14日は日本に対しての勝利をお祝いする日なんですね。日本人としては、複雑な気持ちにならずにはいれませんが、「戦争の終結を祝う」という意味では同じかもしれません。日本とカナダの「終戦記念日」の大きな違いは、戦争で亡くなった方や、戦争からの生還者に対しての称え方だと思います。カナダでは、国の為に戦った人たちは今でも国の大英雄です。終戦記念日もそうでしたが、毎年11月の「Remembrance Day」(戦死者を記念する祝日)には、制服に沢山の勲章をつけた元兵士たちが集まって、大きな式典や行進が各地であります。戦争で戦った人たち(亡くなった方も、生還された方も)は皆から敬意を表され、その勇気や、国への忠誠心や、功績を称えられます。ちなみに、世界大戦で戦った元兵士たちは、今でも医療費(薬代も含む)はすべてタダです。でも日本で、日本の元兵士たちが(軍服ではないにしろ)制服に沢山の勲章を掲げて行進したらどうでしょう?なんだか異様ですよね。これは勝者と敗者の違いなのかもしれないけど、戦争で戦った人たちの称え方が、日本とカナダではとても違うように思えます。日本では、靖国神社参拝の是非が問われて久しいですよね。私には政治家がぞろぞろと仰々しく参拝するのが良いのか悪いのかは分かりませんが、戦争で亡くなった方を称えるという行為は、当たり前の行為だと思います。「国のため」という名目で、家族と離ればなれになり、戦地で戦った方たちの勇気と忠誠心を称えたいと思う気持ちは、万国共通なのではないでしょうか。海外に住まれてる方で、この「終戦記念日」に日本人として少し肩身の狭い思いをされた方もいると思います。私は、カナダ人も日本人も両方含め、戦地で戦った人たちは皆称えられるべきだと思います。自分の命を犠牲にして(または危険にさらして)、戦った人たちなのだから。それと同時に、「2度と繰り返さない」という誓いを忘れてはいけないと思います。残念ながら、世界中ではその後も沢山の戦争が起こり、今でも続いていますよね。「世界中から戦争を失くす」というのは理想主義で無理な話なのかもしれませんが、世界中で戦死する方や戦争の犠牲になる人々が少しでも減るように祈ってやみません。
2005.08.15
コメント(4)
今日も毎週恒例のダラけた土曜日を過ごしてしまった。ダラダラ家で過ごす休日に、楽天のブログは欠かせない。自分の日記を書く気力すらないので、人様のブログを徘徊して楽しんでいる。でも、今日は朝から「楽天メインテナンス」のせいで、ブログを読む事すらできなかった。日本時間の夜中にメインテナンスがあってるから、日本ではあまり影響ないのだろうが、時差のある地域に住んでる人たちにとっては、結構痛い時間にメインテナンスがあってたりする。まさに今日はそうだった。どうもこちらの朝9時頃からメインテナンスが始まったらしい。だから昼間ず~っとアクセスできなかった。土曜日の昼間、家でダラダラしてるのに、楽天のページが何時間も開けないなんて・・・。なので、久しぶりにあまり見ないテレビを何時間も観た。ちょうどカナダのモントリオールで水泳(水中競技?)の世界大会があってて、日本がシンクロで銀メダルを取るのも観れた。カナダは競技中にとんでもないミスが出て、あえなく4位。シンクロって、本当に神業ですよね。どうしてあんなことができるのか、見てて不思議で仕方ない。・・・と、私のくだらない土曜日の日記でした。明日も仕事なので、もう寝ます。おやすみなさい。
2005.07.23
コメント(4)
人との出会いって不思議だと思う。これだけの人間がいるのに、一生のうちに出会える人って限られている。この地球上でその人に「出会う」だけでも、奇跡なんじゃないかと思う事がある。今、自分の仲の良い友達たちとの出会いを振り返ってみても、本当に偶然の重なりあいだったと思う。たまたま同じ学校に通ってて、たまたま同じコースを取ってたとか、たまたま行ったパーティーで知り合ってすごく仲良くなったとか、たまたまウェブサイトで知り合ったとか・・・。その出会いが人生で大きな出会いになるか、一度会ってそれっきりになるか、それはその人やその出会い次第だけど、でも「出会う」って事がすごいなって思う。なぜ今日こんな事を書いているかというと、実は新しい出会いがあったから。私の日記によくコメントしてくれる、梅納豆さんに、実は今日初めてお会いしました。(って、日記に書いて良かったかしら?)たまたまバンクーバーに住んでいる同士ということで、私の日記にコメントを頂くようになり、今日初めてお会いすることができました。彼女の日記から想像してた通り、とてもかわいらしい方で、初めてお会いしたのに2時間近くずっとしゃべりまくってしまいました。しかも彼女も「酒飲み」という事が発覚し、私にとってはかなりのボーナス!早速一緒に飲む予定を立てました(笑)。でも、ふと思ったんです。楽天だけでもこれだけのプログや日記があるのに、その中で、私のサイトを見つけてもらい、コメントをしてもらい、実際に会う事になるんて、どれくらいの確率で起こりうるんだろう・・・って。そう考えると、出会いってすごいな・・・と思わずにはいられません。なにはともあれ、梅納豆さん、Nice to meet you です。
2005.07.14
コメント(6)
ついにロンドンでもこのようなテロ事件が起こってしまいましたね。無差別に人の命を奪うテロ、本当に怒りが収まりません。今日は仕事から帰ってきて、ずっとアメリカのニュースチャンネルをつけてました。もちろんこのテロ事件の話ばかりでした。オリンピック開催決定で「喜びの町」から一転して「悲しみの町」になったロンドン。「どうしてこんなひどい事を!?」と本当に理解に苦しみますが、たぶん私たちには「どうして」なんて、到底理解できないんでしょうね。次のターゲットは東京かも・・・と言われてますね。本当に、日本も人事ではないと思います。本当に、世の中はどうなっちゃうんでしょう。このまま、他の都市でもこのような事件が起き、このような悲しみは連鎖していくのでしょうか。そして、このような行為で生まれる新たな憎しみ。その憎しみも連鎖していくのでしょうか。ある日突然、無差別のテロによって夫、妻、親、子供などを失う悲しみ、想像を絶します。亡くなった方の無念さや、家族の方の悲しみを考えると、本当に心が痛みます。でも世界の何処かには、「成功した」と喜んでいる人がいるのでしょうね。そう考えると怒りが収まりません。テロを完全に防止することは無理なのか・・・と思うと、ものすごい無力感に襲われます。自分にはどうすることもできないのかもしれませんが、世界平和を祈ってやみません。
2005.07.07
コメント(4)
今日、日本のニュースを読んでいたら、こんな記事があった。なんでも、55歳の主婦が大学の医学部を受験し、合格点を上回っていたにもかかわらず「年齢」を理由に不合格になったというのだ。大学側は「事実確認中」ということだが、これが事実なら絶対許せない!!!なぜ55歳だと医大に入っちゃ駄目なのか?この方はちゃんと受験して、合格点を上回ったのだ。それだけ冴えた頭をもってある、55歳の方なのだ。「年齢」を理由に不合格なんて、絶対おかしい!日本にいた時は普通だと思っていたが、国外に出てみると、日本は「年齢による差別」が横行している国だと痛感する。例えば日本では年齢制限をしている求人広告を良く見る。「35歳までの女性」とかいう風に。これは、カナダでは違法中の違法だ。こんな求人出したらすぐに訴えられる。若かろうが、歳をとってようが、経験や能力のある者が職を得るべきなのだ。年齢は関係ないのだ。私がPharmacy Techの学校に通っていた時の、クラスの平均年齢は推定35歳くらいだったと思う。20歳くらいの若い子も2~3人いたが、それよりも「今までの仕事を辞めて、新しいキャリアを」と思っている、30歳前後~30代後半の人の方が多かった。中には40代と思われる人も2~3人いたし、最年長は52歳の女性だった。52歳だった彼女も、私達と同じように勉強し、「記憶力が低下してて・・・」と言いつつも、私達と同じだけの薬の名前を暗記し、無事に卒業して、今ではPharmacy Techとして活躍している。「彼女は52歳だから、私達よりも仕事の能力が劣ってる」・・・なんて誰が思うだろう?52歳にして新しいキャリアを得ようとした彼女の努力はすごいと思うし、またそういうことが普通にできちゃう「カナダ社会」もとても素敵だと思う。人は必ず歳をとる。いつまでも若いままではいられない。でも、自分が歳をとったときに、「歳をとったから」という理由だけで、自分の可能性が狭まるような社会であって欲しくないと思う。日本社会を離れて数年経ちますが、日本の社会の「年齢」に対する考え方、最近少しは見直されて来たのでしょうか?
2005.07.04
コメント(8)
島国で育った私たちには「海を見たこと無い」って信じられないけど、Neepawaにはそういう人たち沢山いました。今日その事を思い出したので、またもやフリーページに「海を見たことのない人たち」という題で書いてみました。最近、書くことがな~い!と思って、過去のNeepawaの話ばかり書いている私。Neepawaでの生活の方が、バンクーバーネタよりも書きやすいんだよね。もっと日記らしく、バンクーバーの日常のこと書きたいんだけど、なんか毎日特に書くようなこともない。書くとしても、「昨日とほぼ同じ一日でした」って感じ。ん~、つまらん。今週は金曜日が「Canada Day」で祝日なので、明日一日仕事に行ったら、金、土と貴重な2連休!何しようかな~と今考え中。とりあえず、今日はおやすみなさい。
2005.06.29
コメント(6)
「自分が差別の対象になる」ということを、意識したことありますか?私はカナダに来て、初めてそれを意識しました。なので、今日はそのことについて少し書いてみました。またまたフリーページの「NEEPAWAでの生活」の下に、「差別?」というタイトルで書いてます。別に被害者ぶって書いたわけではなく、単純に「こういうこともあった」と書き留めたかっただけです。カナダの様に色々な人種が混ざって生活している国でも、実際に「人種差別」ってあります。これは事実だと思います。普段意識することは殆どありませんが。これを読んで、みなさんの感想を聞けたら嬉しいです。
2005.06.25
コメント(12)
自分に何か自慢できるものがあるだろうか・・・?と考えるとき、私はすぐに「な~~んにもない!!!」と思ってしまう。特に得意なスポーツがあるわけでもなく、芸術性に長けているわけでもなく、歌が歌えるわけでもなく、料理ができるわけでもなく、特別な趣味があるわけでもない。なんだか、自分がとってもつまらない人間の様な気さえしてくる。「これ」といったものが無い事、結構ずっと気に掛けていたように思う。でも私、カナダに来て、自慢できることが1つできた。数少ない自慢できる事なので、ここで自慢させていただきます。私は去年、Pharmacy Technicianを目指すべく学校に通った。学校が始まる前、実はとっても不安だった。なぜなら、今までカナダ人たちと肩を並べて勉強したことがなかったからだ。英語が母国の人たちについていけるのか?みんなが1分で読める教科書を、自分は10分かかるんじゃないか?っていうか、友達できるのか???と、とっても心配していた。実際授業が始まってみると、私の不安は的中した。医療に関する基本的な用語や、体のマイナーな内臓や分泌系の名称なんかを殆ど知らなかった私。一応電子辞書は持っていたけど、いちいち調べてる時間なんてない。何か書いて提出しないといけない時も、人一倍時間がかかった。今まであまり経験したことなかった「落ちこぼれ」になったような気がした。最初の1週間くらい、かなり落ち込んだ。一応このコースに入るには、結構難しい英語の試験をパスしないといけなかった。私は1年かけてこの試験をパスした。なので私は正式には「このコースを取るだけの英語力があります」と診断されたはずだった。でも実際は、そんなテストなんかあまり意味の無いものだったと痛感した。それから毎日、私は家に帰って猛勉強した。テレビも見ず、友達ともあまり会わず、酒もあまり飲まず、(←これ本当。)ひたすら勉強した。体の内臓系や血管系の名称が分からなかったら、市民図書館で子供向けの生物の本を借りてきて勉強したり、病気名なんかも調べまくって覚えた。薬の名前を覚えたり、専門的な事を覚えるだけでも大変だったのに、それに加えて英語の勉強までしなくてはいけなかったから、他のクラスメートよりもかなり勉強したと、自分でも思う。そして猛勉強すること6ヶ月。実習も終わり、コースも無事終了。勉強地獄が終わっただけでも感無量だったのに、なんと!!!!なんと私はクラスで一番の成績で卒業していた!!!卒業後、カレッジから受賞式の案内状が届いた。クラスを一番で卒業した者だけがもらえる賞だった。おまけに、「スカラシップ」という名目で、お金まで頂いた。その通知を見たとき、マジで泣きそうになった。私の努力は報われたのだった。カナダ人ばっかりのクラスで、泣きそうになりながら勉強して、最後に一番取った。これが私のカナダに来てからの、数少ない自慢できる事。今考えると、「努力が報われた」というのが、結果として表れた私はラッキーだったと思う。努力はしても、その努力がいつも報われるとは限らない。でも誰でも少なくとも「頑張る」ことはできるはず。そしてその「頑張った」という事が「自信」につながるんだと思う。なんだか久々に真剣に書いちゃったわ。え~え~、人の自慢話が面白くないことは分かってますよ。なのでここで終了。みなさんの自慢話聞かせてください。
2005.06.21
コメント(19)
以前にも紹介した「LEARNING TO BOW」という本を今日読んでいたら、日本の受験戦争や塾の話が出てきた。この本に出てくる生徒たちはまさに私と同世代。(80年代後半~90年代前半にかけて高校・大学受験をした世代)確かに高校や大学に入るために、自分もか~な~り勉強したよな・・・と懐かしく思うと同時に、日本の生徒さんは大変ですな、と同情したりもした。その中で、実際に著者が訪れた塾で出された、英語の小テストの問題が紹介してあった。「この頃は難しい~なんて思いながら解いてたんだろうな」なんて思いながら読んでみると・・・・。・・・・・・。目が点になった。これ、日本の高校生が覚える単語ですか?すっげ~難しいんですけど。問題は以下の単語の反意語を答えよというもの。gallantrighteoussagaciousfrugalfriendly fantasticpainfulfigurativedestructionconsumptionpessimistutmosttreachery・・・・・。多分選択問題だったんでしょうねぇ。それでも難しいですよねぇ。friendly, fantastic, painfulなんかは分かるでしょうが、gallantsagaciousって何ですか?righteousfrugalん~、何か聞いた事あるような。figurative以下は、今だからこそ知っている単語ですが、英語もろくに話せない日本の高校生が覚えないといけない単語なんですかねぇ。でも「反意語を答えよ」ってことは、その反意語の単語も知っておかないといけないんですよね。結構難しいと思いません?ちなみに上記の単語は「大学受験に出題される単語」の上位5000語に入ってたらしいです。(と、この本に書いてあった。)私は個人的には、日本の英語教育は良いとは思いませんが、「無駄」だとも思いません。特に文法なんかの授業は、英語の基礎を作る上でとても重要だと思っています。でも「受験最頻出単語」なんかを、ただがむしゃらに覚えるのには疑問を感じます。なぜなら、そんな風に覚えた単語なんて、すぐに忘れるだけだからです。そういう私もかつて「受験最頻出単語」を必死で暗記した一人です。毎日通学のバスや電車の中で必死に英単語を覚えてました。もし上記の問題が、10年前の大学受験生の頃に出題されていたら・・・・・今よりも良い点数を取れたのかもしれませんね。
2005.06.01
コメント(6)
選挙はもう終わったけど、もう一回だけ選挙関連書かせてくれっ!これで最後にするから!カナダの選挙のキャンペーンを見てていつも思うこと。それは「メッセージがとってもネガティブ」ということ。自分たちの政党がどういう政治を行っていくかという説明よりも、相手の政党をけなすだけのメッセージの方がダントツに多い。(と思う。)私がいつも朝食を取りながら見る番組では、選挙前に毎日数人の立候補者たちからの短いメッセージを流していた。でもその多くは他の政党を批判するだけのメッセージ。正直、朝から気分悪くなった。政治だけに拘らず、何においても「批判」をするのはとても簡単だ。でも相手を批判した上で、じゃあ自分ならどうするのか、自分はどこをどう変えれるのか、と「具体的な」主張をするのは難しい。それを言ってしまえば、その「具体的な内容」を実行しなければならないからだ。バンクーバーのあるBC州の最大野党の宣伝で、大嫌いなヤツがあった。「今の与党はこれもしなかった、あれもしなかった、こんな約束も破った」と、今の与党の批判を何点か挙げ、最後に「enough is enough」(もうたくさんだ)と言って終わるのだ。・・・・・で??で、あなたたちはそれをどう変えるのですか?今の与党がやらなかったことを、やってくれるのですか?もっと有権者に伝えなければいけない事があるのではないのですか?と、見てて腹が立ってくる。選挙とは少し違うが、私は昔ペプシ・コーラの宣伝が大嫌いだった。自分たちの宣伝の中でライバルのコカ・コーラの事をこき下ろすからだ。別にコカ・コーラのファンというわけじゃなくても、見ててすごく気分が悪くなった。そのCMのせいで、私はペプシを一度も買ったことがない。私にはその宣伝は逆効果だったのだ。ネガティブな事だけを伝えられて、「そうか、そうか、あなたは相手よりもbetterなのですね」とそのまま受け入れるほど、消費者も有権者もバカではない。それ以上の、もっと重要なことを伝える必要があると思うのだ。と、ちょっと偉そうに自分の意見を述べてみたけど、結局政治なんて嘘の塊なんだから、政治家が何と言おうとあんまり関係ないなんて思ってるんだけどね。でもどうせ見たり聞いたりするのなら、「ネガティブ」ではなく「ポジティブ」なメッセージの方がいいと思う。
2005.05.18
コメント(2)
いつもの日曜日と同じように朝クリニックの仕事に行くと、私たちのMethadone患者の一人が今週亡くなったことを知らされた。原因はDrug Overdose。(致死量のドラッグ摂取)仕事に行くたびに顔を合わす患者さんだっただけにびっくりした。普通に道ですれ違っても「ドラッグ中毒者」とは分からないような、普通の人だった。まだ30歳という若さ。2人の子供がいたらしい。自分を必要としている人(2人の子供)がいるのに、何故?と私には理解できないのだが、それが「中毒」というものの恐ろしさなのだろう。Methadoneを飲んでいる限り、他のドラッグの禁断症状は抑えられるはず。だからまさに彼女の意思で(禁断症状に耐えられなかったのではなく)ドラッグをやって、命を失ったのだ。そしてその為に2人の子供は母親無しの人生を歩まなければならない。最近「人の死」に関する話をよく耳にするので、「死ぬ事」や「生きる事」についてぼ~っとだが考えてしまう。私がいつも徘徊しているお気に入りのブログに最近「生きていることの奇跡」というのがあった。これを読んで、本当に頷いてしまった。みなさん、命を大切にしましょう。
2005.05.15
コメント(0)
昨日、日記第一号を書いた後に日本の友達たち数人に「日記始めたから読んでね」とメールを送った。その直後にインターネットで日本のニュースをチェックしてみると、「福岡で大きな余震」の文字が。朝の6時過ぎとのことだったので、きっとみんな飛び起きたんだろうね。(きっと私はその頃呑気に日記を書いてました。)3月の大きな地震がある前の多くの福岡人と同じように、私は人生で大きな地震というものを経験した事が無い。高校生くらいの時に一度だけ体に感じる揺れを体験したけど、棚から物が落ちてくるほどのものではなかった。でもつい一ヶ月前、福岡に住んでる人たちはみんな一斉に大きな地震を経験した。福岡の友達からのメールも地震のことが書いてあるものが多い。不謹慎かもしれないが、友達がみんな経験したことを自分は経験していないと思うと、なんだか仲間はずれになったような気になる。まあ、地震の怖さが分かってないからそう思うだけなんだろうけど。でも仲間はずれになった気になるのは初めてではない。昔もこんなことがあった。そうだ、今は無き福岡ダイエーホークスが初優勝したときもそうだった。私が日本にいた頃はダイエーなんて最下位あたりをうろちょろしてたのに、私がカナダに来た途端優勝した。奇跡!なんて思っていると、なんとその翌年も優勝した。きっと福岡は興奮の嵐に包まれていたのだろうけど、私はそれを知らない。仲間はずれだ。そういえば福岡に洪水があったときも同じような事を思った。地下街に水があふれ、岩田屋Zサイドの地下が水浸しになってバージンレコードが大損害を受けたあの時も、友達からのメールでどれだけすごかったかを聞かされた。でも実際その洪水を経験する事はできなかった。地震と洪水に関しては「福岡に居なくてラッキー」ということになるんだろうけど、この私のちょっとした疎外感、なんとなく分かってもらえるかしら?なんてくだらない事を考えている水曜日の夕方だけど、実は今晩は旦那と一緒にライブに出かける。The Tea Partyという、日本人には「誰?」カナダ人には「お、いいね」と言われる感じのカナダ人グループだ。音楽大好きのさち姉からは「何でTea Partyなんか行くの?」なんて冷たい言葉を頂いたのだが、彼らはカナダではよく知られた、息の長いバンドだ。うちの旦那も結構好きみたいなので、チケットも結構安かったし、すごく狭いところであるので行く事にした。私がカナダに来たばかりの頃にすごくヒットした曲があって、今でもその曲を聞くと当時の事を思い出す。今日その曲もやってくれるといいな。本当は仕事から帰ってきて、夜のライブに備えて昼寝をしようと思っていたのに、結局この日記を書くのに時間を費やしてしまった。明日も朝の7時半から仕事。明日は寝不足のきつい一日になりそうだ。
2005.04.20
コメント(1)
全49件 (49件中 1-49件目)
1