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昨日、無事にバンクーバーに戻ってきました。着いたときの気温8℃。さむっ!天気、雨。以後ずっと雨。バンクーバーは寒くて暗いです。そしてなんだか寂しい気持ちでいっぱい。日本から帰って来たらいつもこうなんだけどね。また数ヶ月で日本に帰れるのがせめてもの救いかな。それに加えてうちのダンナは今朝からシカゴに行ってます。家の中はし~~~んとしてて、ますます寂しい。そして、時差ぼけがヒドイ。飛行機が予定よりも随分早く着いて、午前11時過ぎには家に到着。それからすぐに寝てはいけないと分かっていながら、耐えられずお昼の1時頃寝てしまう。そして起きたら夜の8時。こんなんで夜眠れるわけがない。結局昨日寝たのは明け方6時半。そのまま一日中寝てたらいつまで経っても時差ぼけは治らないので、午後1時に目覚ましをかけ、頑張って起きた。でも夕方5時ごろどうしても眠くてまた3時間ほど寝てしまった。今日も夜眠れまい・・・・。明日もう一日休みを取っておいて本当によかった。日本で時間を作って会ってくれた方、本当にどうもありがとう。会えて嬉しかったし、すごく楽しかったです。今回会えなかった方、また来年の初め頃に日本に帰る予定ですので、その時またぜひ会いましょう。そしてmunchちゃん、今回も本当にお世話になりました。本当にどうもありがとう。
2007.10.21
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いよいよ、待ちに待って待って待ち焦がれた日本への帰国です今から空港に向かいます。3週間、思いっきり楽しんできま~す。日本で会う予定の皆さん、日本に着いたら連絡しますね。
2006.09.23
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日本への一時帰国まで2ヶ月を切りました今回は東京に飛んで、東京に4泊してから福岡に向かいます。実は私、恥ずかしながら東京は13年ぶり2回目。なので右も左も分かりません。とりあえずネットで東京路線図を探し、東京の中心部の位置関係をお勉強する事から開始。私、あのごちゃごちゃした東京路線図を見るのが大好きなんです。もともと地図を見たりするのは大好きなんだけど、あの路線図を見て「何処と何処は○○線で一本で行けるのか」とかだんだん把握できてくると、すごく楽しい!!本当は東京では友達の家に泊めてもらう予定だったんだけど、旅行気分を少しでも多く味わうために、ホテルに泊まるのもいいかなぁ・・・なんて思い始めた。1人だから割高になってしまうけど、それでも1泊1万円くらい出せばとっても立地条件の良いビジネスホテルに泊まることができる。とりあえず東京周辺に詳しいさちねえに電話してアドバイスをもらい、東京のホテルを検索。色んなホテルを見てたら、あっという間に4時間も過ぎていた(ダンナがいなくて良かった。)でも検索すればする程、どの辺に泊まるのが一番良いのか分からなくなってきた帰りに羽田に行く事を考えると、新橋辺りに泊まった方がいい気もするけど、行きたい所を総合すると赤坂あたりに泊まるのも良さそうな気がする。みなさんは、自分が東京旅行に行くんだったらどの辺りに泊まりますか?とりあえず私の東京に行く目的は1.買い物2.ちょっとだけ観光3.友達と会うです。みなさん、何か東京のお勧めの場所やアドバイスなんかがあったら何でも良いので教えて下さい
2006.07.24
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遅ればせながら、この間日本に一時帰国したときの写真を少しだけ載せておきます。かなり沢山の写真を撮ったけど、とりあえず自分のお気に入りの写真をほんの数枚だけ。京都の稲荷大社。その鳥居の数とその美しさはとても印象的でした。京都・三千院。京都の中心地からは少し離れているけど、楽天仲間のサチのお勧めでここまで足を伸ばしてみました。ものすごく落ち着いたお寺で、中心地から少し離れているからか人も少なくてお勧めです。ここで、お茶も頂きました。三千院の外塀。この坂を登っていくと、滝を見ることができます。所変わって、瀬戸大橋と瀬戸内海。四国側から。いつも家の近くのバラード橋(トップページに載せてる橋)とかグランビル橋とかを見てるからか、この瀬戸大橋が巨大に見えました。(って実際巨大なんだろうけど。)香川県の高松にある栗林(りつりん)公園。手入れが行き届いた松の木がたくさんあって、本当に綺麗な日本庭園でした。栗林公園の写真はたくさん撮ったんだけど、あまりにも緑々しくて、何が何なんだか良く分からない写真が多かったのが残念。実際に見た公園は本当に綺麗でした。この次に日本に帰るときも、どこか国内旅行したいな。次は念願の屋久島かな・・・。屋久島行くなら、その前に少しからだを鍛えておかないとね。
2005.11.04
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少し前の日記で、バンクーバー・香港間の飛行機でシートベルトが無かった話を書いたけど、その同じ飛行機の中でもう一つ忘れられない出来事があったので、遅ればせながら今日書くことにした。約14時間というその長いフライトで、私の横に座っていたのは、アジア系のおばあさんだった。多分年は75歳か、もう80歳近かったと思う。離陸して2~3時間経った頃だったか、そのおばさんが私に話しかけてきた。そのおばあさんは、アメリカに移民した中国人らしく、たった10年前にかなり歳をとってからアメリカに移住したらしい。その割にはとても綺麗な英語を話す人だった。どうも話を聞く限りでは、このおばあさんはとっても敬虔なクリスチャンらしく、機内の中でも聖書を読んでいて、見ず知らずの私とYちゃんに、「あなた達はクリスチャンか?」と聞いてきた。2人とも「違う」と答えると、このおばあさん、ここぞとばかりに布教活動をはじめた。私は普段、色々な人の違った意見を聞くのは大好きだ。いつもだったらその人の「宗教観」みたいな話は興味がある。でも今回は少し違った。彼女の話があまりにも極端すぎて、少しすると、私はだんだん彼女の話を聞くのが億劫になってきた。彼女の話を要約すると・・・*世界中の人間が平和に暮らす唯一の道は、イエス・キリストを信じることだけだ。(イエス・キリストを信じない者たちは平和にはなり得ないというニュアンスが強く含まれていた)*世界中のキリスト教以外の全ての宗教は人間が作り出したものだ。でもキリスト教だけは神が作り出したものだ。(イエス・キリスト以外の神は神では無いということも言ってたと思う。)といった感じだった。その他にも色々言ってたと思うけど、あまり覚えていない。彼女は「自分の信じてること」が「世界中全ての人が信じるべきこと」だと強く思っているようだった。彼女の話には「柔軟性」やら「寛容」やらという言葉は見られなかった。別に彼女が何をどう信じようと私には関係ないが、彼女の「だからあなたたちもイエス・キリストを信じるべきなのだ!!」という、強い主張にちょっと不快感を覚えてしまった。「イエス・キリストを信じるべきなのだ」という内容が書かれた文章を渡され、半強制的に読まされたのも、なんだか嫌だった。余談だが、私の通った大学はキリスト教系で、キリスト教学は必須科目だったし、母親はクリスチャンなので、キリスト教の教えに全く無知なわけではない。Yちゃんもキリスト教系の学校を出ているので、その教えについては私なんかよりよっぽど詳しい。だから、キリスト教に理解を示していないというわけでは決して無い。この人が若者だったなら、絶対私の疑問に思う点をぶちまけていたと思うけど、なにしろ相手はおばあちゃんだったので、私もYちゃんも何も言わず、黙って聞いていた。そして極めつけ。このおばあさんはどうやらニューオリーンズ在住者らしく、その頃まだ記憶に新しかった、ハリケーン・カトリーナの事を話始めた。おばあさん:「カトリーナが来る2日前、ニューオリーンズで何があったと思う?」私たち:「さあ?」おばあさん:「なんとゲイパレードがあったのよ!だから神が怒ってカトリーナを呼び起こしたのよ!!」(注:敬虔なクリスチャンたちは、同姓愛は神の教えに背くといって認めていない)・・・・・。私とYちゃん、失笑。「私の住んでるバンクーバーでは毎年ゲイパレードはあってるど・・・。」という、私のつぶやきは聞こえてなかったらしく、同性愛者たちがパレードをしたせいで、あのニューオリーンズが壊滅的な状況になったと、彼女は本気で信じているようだった。その後(Yちゃんの質問もあって)、そのおばあさんは中国の文化大革命時代の話を少ししてくれた。キリスト教信者というだけで、強制労働に何十年も入れられ、かなり辛い人生を送ってきた人のようだった。そいういう辛い思いをしてきたからこそ、彼女のキリスト教に対する思いは強まっていったのかもしれない。今では「宗教の自由」があるアメリカに住めて、とても幸せだと言っていた。私たちが普段当たり前だと思っている「宗教の自由」というものを、晩年にして手にいれた彼女。飛行機の中だろうが誰だろうが自由に布教できるというのを、実は楽しんでいたのかもしれない。10数時間後、飛行機を降りていく彼女が最後に私たちにくれた言葉も「いい?覚えておいて。イエス・キリストだけなのよ。イエス・キリストを信じるしかないのよ。」だった。
2005.10.25
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今日3週間ぶりに無事にバンクーバーに戻ってきました。飛行機はまた福岡→台北→香港→バンクーバーで、しかも今回は1人だったから余計長く感じたなぁ。福岡を発つ時はYちゃんが一緒に空港まで来てくれた。でも、Yちゃんに別れを告げ、1人になった瞬間すごく淋しくなった。また家族や親しい友だちと離れて暮らす生活に戻る。「今から家(バンクーバー)に帰る」のに「今から家(福岡)を離れる」という、何とも複雑な気持ちだった。今回日本に帰って、ものすごく日本でまた生活がしたくなった。親しい友だちや、家族のそばで生活できたらどんなにいいだろう・・・と何度も思った。でも現実問題として、私のダンナが日本でどんな仕事ができるのかも分からないし、私自身、今カナダで稼いでるのと同じだけの給料を、日本で稼げるとは思えない。やっぱりずっとカナダで暮らしていくのかな、と思うと、なんだかすごく淋しくなる。今日は日本から帰ってきたばかりで、少し落ち込んでるのかも。ダンナに久しぶりに会ったのはすごく嬉しかったけど、でも今は嬉しい気持ちよりも淋しい気持ちの方が大きいかな。今晩はダンナは用があって出かけていったので、家に1人でいるとなんだか淋しさも倍増。なので友だちに電話をかけまくった。今日電話した友だちの1人で、日系カナダ人のリナ(両親が日本から移民してきた)曰く、彼女のお母さんも、日本に帰省してカナダに戻ってくるたびに淋しがって落ち込むらしい。こういう気持ちって、海外に移住している人には共通の気持ちなのかな。(よっぽど日本が嫌いで海外に行った人以外は。)もっと頻繁に帰れれば、そんなに淋しくないのかもしれないけど。今回、私の為に時間を作ってくれてドライブしたり、飲み会したり、泊めてくれたり、お茶したり、家に寄ったりしてくれたみなさん、本当にどうもありがとう。会えてすごく嬉しかったです。それから、居候の身でありながら部屋を散らかし放題だった私に、すごく良くしてくれたYちゃん、本当にどうもありがとう。もっと一緒にいたかった気もするけど・・・またカナダで会いましょう。香港楽しかったよ。
2005.10.24
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バンクーバーを出てから早一週間!これはバンクーバーから香港に向かう飛行機に乗り込んだときの話。Yちゃんと一緒に飛行機に乗り込み、自分の席を見つけた私たち。私が席に座ろうとしたら、一足先に座ったYちゃんが何やらゴソゴソしている」。Yちゃん「これはshimaちゃんのだよね・・・。」私「どうしたの?」Yちゃん「いや・・・私のシートベルトがないんだけどさ。」ぷぷっ。そんなはずないじゃん。と、私も一緒に探してみる。2人でゴソゴソやってみるけど、本当にYちゃんの席のシートベルトがない。いや、正確に言うと、左側はあるのだけど、右半分がない。シートベルトは皆さん知ってのとおり、左と右からベルトが出てて、真ん中でカチッとする。でもその右のベルトがないのだ。これはやばいんじゃないの?と思い、客室乗務員のお兄さんにそのことを伝えた。でもどうやら、私たちのフライトはすでに20分くらい遅れていたせいか、乗務員たちは本当にバタバタしていて、私たちは今乗り込んで座ったばかりだったのに、もう上の荷物だなを閉めたりして、出発の準備が慌しくされていた。客室乗務員のお兄さんは私たちがシートベルトの事を伝えると「分かった。すぐに戻ってくるから」と言い残し、どこかへ行ってしまった。飛行機は満席で、周りを見ても空いてる席なんてなさそう。まあ、どうにかしてくれるだろうと思って、お兄さんが帰ってくるのを待った。ところが!それから2~3分もしないうちに飛行機はなんともう滑走路に向けて動きだしたのだ。もちろんYちゃんのシートベルトは片方無いまま。シートベルトなしで離陸するなんてありえない!さっきの客室乗務員のお兄さんは、非常時のデモンストレーションのビデオに合わせて非常口を指差したりするのに忙しそう。まさか私たちのこと忘れてないよね・・・。と不安になる私たち。「シートベルト無しで離陸なんかしたら訴えてやる~」と言いつつ、客室乗務員のデモンストレーションが終わった後に、もう一度お兄さんを呼んでみた。飛行機は滑走路に向けてどんどん進んでいたので、他の客室乗務員もそろそろ席に座った頃だったと思うけど、そのお兄さんはその場でYちゃんと通路側の人を立たせ、Yちゃんの座ってた椅子のシートをはがし、右半分を取り付ける作業を始めた。時間が無い事もあってか、そのお兄さんの動きは早かった!飛行機が滑走路に入る前にシートベルトの半分を取り付けてくれ、椅子のシートを元に戻し、Yちゃんは無事に席に座ってシートベルトを着用することができた。シートベルトがきちんと取り付けられるまでは飛行機がすでに動いていた事もあってかなりハラハラしてたんだけど、実際にちゃんとシートベルトをして席に座ったら、なんだか可笑しくなってきた。「飛行機に乗ったらシートベルトが無かったなんて、どれくらいの確率で起きるんだろうね」なんて言いつつ、私たちの旅は始まったのでした。このバンクーバー→香港間の飛行機の中で、他にも可笑しいことがあったので、それはまたこの次の日記で。
2005.10.10
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