与え続けること と 工夫すること

与え続けること と 工夫すること

2008.01.13
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カテゴリ: 本、雑誌から。




「学校化社会」


最近は学校が絶対化されていて、学校化社会などという言葉もありますが、
社会一般ではとにかく子供に物心さえつけば、無事学校に行けるように育てることが
子育て上は一番重要であるように考えられていて、子育ての主役であるはずの
両親はこどもがただただ無事に学校に言ってくれていさえすれば安心している。



つまり親の愛情とは学校に行ける子にそだてることだと親が思い込んでいく。
そのなかで本当は親と子の愛情を深める事に子育てのポイントがあるということ
が忘れ去られていってはいないのか。言い方を変えると親と子とがなじみあえなくても

そうした状況をまのあたりにしているとやはりこれも、学校化社会とか、学校信仰とか
いわれるように、子供にとっての価値は学校教育がすべてとするような、病む社会の中で
起きた家庭、あるいは家庭内の異変でもあるのかな、と考えられてきます。



不登校がその家庭よりも学校のほうが絶対と思い込む価値観の中で問題にされていると
するなら、やはり不登校を問題にしない社会になったときにはじめて
子供が家庭を中心にした生活をすることも問題にされず、そのなかであらためて
親と子の関係を見直す状況も作られてくるのではないかと思います。



もっと真剣に子ども自身の存在ということを考えて、単に学歴とか学力とか
形式的な学校集団の経験というものだけで子育てのすべてが終わったとするのではなくて
もっと親と子、大人と子供との人間関係を通して広がる子供の内面の豊かさというものに
目を向けることが大事なのではないのか。



いうものの誤りを見直していかなくてはならない。
そして、人間というものは初めに言ったように生き物ですから、生き物としての人間を
中心にした"人”への見方とか考え方というものに価値が見いだせるように社会の価値観
が変わっていかなければいけないのではないかと思います。


でもついわれわれは「合理主義」による社会になれ、理屈に合いさえすれば

間違っていたら、それに基づいて構築されて理論というものは、正当性を失うものです。
でも、理にかないさえすればそれが正しいという見方にとらわれてしまうと、
要するに基本理念よりも理屈が通ればいいのだというようなことになってしまいますが
そうではないのではないか。
やはり理屈よりも、人間の本質というか、生き物本来のあり方に基づいた原則や感性こそ
が本物なんだと、私は思いたいのです。








わたしはあるとき親より先生の方が絶対と思っていたのを思い出した。










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Last updated  2008.01.13 22:01:32 コメントを書く
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