与え続けること と 工夫すること

与え続けること と 工夫すること

2008.09.22
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カテゴリ: 気づいたことメモ





初めてこの言葉を聞いたのがいつだったか忘れたが、


「何?何?」とまるで見当もつかなかったのを覚えている。


その後、この言葉がときどき浮かんで来たりしている。







生まれたばかりの赤ちゃんは地に足がついていない。


そして、1歳くらいになってようやく立つ事ができ、地に足がつく。


幼児は左脳より右脳の方が活発に働いているという。


そして、だんだん左脳が発達してバランスを取っていく。


立つ事が出来ることと平行して、右脳中心から、左脳とのバランスへと移行していくのが





立つことは目に見える肉体的なというか運動機能的なことなので、遅いとか早いとか


日々の生活でみることができる。


けれども、この脳の自然な発達の流れは目に見えない。


ここがネックである。


この見えない脳の中と見える体の動きはもちろん連動しているのだが、


この当たり前のことが、


見えないということで、見落とされてしまう。


親によっては見落とされてしまう。




歩き出したばかりの頃、こどもたちは、まだ、地に足がついていない。


地面を踏んで、歩いて、走って、ということが何度も何度も繰り返されることによって、


いろいろな生き物や植物を自分で見つけて、触ってみて、観察してみて、描いてみて、





子供達は、足が地に付く途中なので、木登りは大好きなはずだ。


12歳までは、足が地にしっかり根を下ろして立つために、


土を踏んづけて遊ばなくてはいけない。







遊ばないでいると、しっかり地に足がつかないから、


宙を舞っている体の大きな子どものなってしまう。







乳幼児のみぎ脳を鍛えてしまうことは、


もうしかすると、


ある意味で「仮想世界」にとどまることを強いてしまっているのではないか。


ある意味では、


魂がどこか宇宙からやってくるとしたら、肉体を持つことの選択をしたのに、


肉体を持たないでいたときの世界にとどまらせてしまってはいないか。


とすれば、


直ちに正さなくてはいけない。


そう。


肉体を持って生まれてきたということは、


地に足をつけていくことが大事なのだ。


子どもにとって遊びとはそういうことも含まれている。


無意識に子どもにはわかっていることなのではないか。


この現実世界を自らの意思で、観察し体験し身体で学んでいくことは、


肉体をもっていること、


五感で体感すること、


地面を蹴って走ることを


しっかり、頭に叩き込むためにやっている。


肉体をもっていることと魂だけではないということの認識をしている行為が、遊ぶこと。


そういうふうに思う。


そこを身体にしっかり認識させて、


13歳以降、身体も大人に近くなり、


本来の肉体をもって生まれてきた目的へ向かう、


目的を探す体勢へと向かえるのはないか。








親が望んで生まれてきた子がいる。そして、


自分がある目的の達成のために生まれて来た子がいる。


こういう子の場合、


生まれてくる前に自分で書く人生のシナリオはかなり手厳しいに違いない。









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Last updated  2008.09.22 08:15:33
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