現実と虚構と


心はどこにあるのか?
いつかアンケート結果を見た覚えがある。
医学部生の多く(80%以上)は脳にあるという回答だった。

私自身は分からなかった。心臓にあるのか或いは
身体の外にあるのか見当もつかなかった。
ひねくれものだから脳という回答は、かりに問われても
しなかっただろう。その気持ちは今も同じである。

現実と虚構について:
現実は5感からの情報をもとに脳が映像化する世界であり、
虚構は第6感(心)によって生み出される世界(精神世界)だと考えている。
(ただ現実と虚構の区別はあいまいで現実の中にも虚構は存在する。)

私は人間の心(魂)は現実と虚構を絶えず彷徨う存在だと考えている。
そして全ての根本だと考えている。
つまり、脳だけでは現実を感じることもできないし、
虚構を生み出すこともできないと考えている。
心は無から有を生じ、時空を越えて旅する、そんな不思議な存在だと考えている。

虚構をフィクション、つまり虚偽の世界(無意味)と考えてほしくない。
なぜなら虚構の世界にこそ理想、夢、真理がつまっていると思うからである。
現実が腐敗していたら虚構に自分の理想を描けばいい。そしていつか
虚構を現実にすればいい、そう考えているのである。

話が抽象的すぎて解りにくかった。具体的な話にしたい。
昔、ディズニーランドはなかった。しかし、WALT DISNEY等の頭(虚構)にはその構想が浮かんでいた。現実の世界にないものが一部の人間の虚構には存在していた。彼等の情熱的な心は虚構の世界にディスニーランドという夢を生み出したのだ。
WALT等がディズニーランドを現実のものとできたのも、彼等の心が現実だけに留まらず、自由に虚構の世界に入りこみ、そしてそこに夢をいっぱい創造できたからだろう。

現実は確かに大切だ。しかし、それに勝るとも劣らず虚構も大切である。
現実、現実で虚構を知らない心はどこか不自由である。

現実(社会)を変えるのは心だと思っている。そのためには虚構の世界に心が
何かを描かなくてはならない。アイデアや発想は虚構(フィクション)から生まれる。

虚構の世界に心が描いた青写真(理想、夢)を現実にもたらす人間は偉大だ。
虚構(フィクション)は人によって現実(ノンフィクション)にもなる。

想いという形ないものが涙という形あるものに変わるように。


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