灯台

灯台

2025年10月18日
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ぼんやりと坂道を原付で走りながら、
男性の出産についてふとしも考えていた。
シュワルツェネッガーの映画の影響かも知れない、
予告だけ見て映画は観なかった、
何故かは分からない、でもその一瞬の映像が何故か心に残る。

バベルの塔は否が応でも―――興奮する、
いまは「彼女いるの? あごめん、彼氏かな?」と聞くような時代、
しかし何だか変声期前の少年にでも、
戻ったような気がし―――た・・。

男性の出産、技術的には、いつかは可能になる。
同性愛者の問題、少子化の問題というよりも、
来るべきか、来てほしいか、
というその時の価値観次第なのかも。

スマホの画面に、
『料理教室・手作り体験』の文字が踊るんだよね。

子宮移植や人工子宮の研究は進んでいて、
理論上は将来可能になる。
とはいえ、医療リスク、社会制度の変更、
文化的受容など、クリアすべき課題は山積みだ。
どちらかというと、
実現できる段階で足踏みする可能性は大いにある。
ただ、その前提として、つまり背景として、
そんなことを考えていて文明のレベルが発達、
あるいは進化するにつれて、
「結婚しなくてもいい社会」や、
「出産しづらい社会」が生まれることを考えたからだ。

エジプト第四王朝のクフ王が建造したと言われる、
ギザの大ピラミッドで、電磁波のエネルギーが、
三つの部屋に集中することが明らかになったという話を思い出した。
夜の世界―――霊の世界・・・名伏し難い宇宙・・・・・・・・・。

「命というのが簡単にもてあそばれている時代だ、
だったら命というものを管理していく社会はどうなんだ?」

経済的自立に必要な教育期間が延びれば出産年齢は上昇し、
個人主義・自己実現の価値観によって結婚・出産の優先度は低下し、
都市化・核家族化で子育て環境は悪化し、
労働時間・キャリア形成で出産との両立は困難を極める。
これは都市の病といえるものだ。
あるいは人間が単純なプロセスから、
複雑なプロセスに推移したのだということは考えられる。
ならば、「男性の出産」「子供の出産」
というのもいいんじゃねえのか、
と馬鹿なことを考え始めたことによる。

ああ、原付はそろそろ公園に通りかかるぜ、
ピクニックシートの上で手作りのお弁当を広げる親子が素敵だね、
いや僕も、ルサンチマンじゃないけど、
子供を作っていたらどういう自分だったんだろう、
という妄想を一度や二度は経験する、四十にもなるとね。

文明の発展と生殖からの距離というのは、
かなり的を射てる観察ではあるけれど、
男性妊娠という選択肢の拡張、
年齢による制約を外す、生物学的時計の書き換え。

おいおい君はさ、妊娠するのを心霊スポットか何かと思っているのかい、
妊娠は怖いわけじゃない、そしてこれは別に、
肝試しとかいうわけじゃない、
たんなる丑三つ時の、丑の刻参りというだけ、さ。
十分怖いじゃないか。

もちろん小学生でも中学生でも子供は生める、
でも倫理的の完全に別次元の話だ。
身体的リスクを伴うし、発達途中の身体への負担、
心理的影響、同意能力の問題、児童保護の観点など、ある。

一七八四年に、魔術師カリオストロが、
リヨンにあらわれて秘密結社のロージュを開いたみたいなものだ。
それは様々な記憶がジグソーパズルになってゆくという妄想をさせる・・。

十代で子供産むっていうより、十代で性 行為をするというのが、
僕にはちょっとお前いい加減過ぎやしないかと思っていた。
人生を棒に振る、相手の時間を奪う、昔は堅物だったのさ、
でもコンドームやピル飲めばいいんだよって思いながら、
性 行為というのが結局たんなるスポーツ化したような、
気持ち悪さもある。
でもその気持ち悪さと向き合う、それが夜の歓楽街だよね、
どうしてムフフなビデオは蔓延ったのか、
夜の休憩所は充実したのか、本能や遺伝子っていうものが、
生み出した螺旋構造だよ。

またそもそも「生物学的に産めない」からではなく、
「社会的・経済的・心理的に産みたくない/産めない」からだ。
だから仮にそれが成立しても、
男性同士でもどちらが産むかの押し付け合いになったり、
子供は子供で教育・自己形成の時間がさらに奪われて、
根本問題は悪化するかも知れない。

斯くの如く赤い厳めしい、
モルグ街から出てきたような不気味な鳥居を、
臨場感たっぷりに潜ったら、長い石の階段を昇って、
ねばねばする毒物のような境内、それから本殿へ。

そうなってくると当たり前のことしか言えなくなるわけだ、
「子育てと労働・教育の両立支援」をしよう、
「経済的負担の軽減」をしよう、
「多様な家族形態の受容」をしよう、
「出産・育児を個人の犠牲じゃなく、
社会全体で支える仕組み」にしよう。
小学生だって分かる、そんな単純じゃねえんだよ、
おとといきやがれ。

「子育て支援は充実してきてるのに、
何故少子化は止まらないのか」っていう矛盾はかなり大きな溝。

みんな本当はわかっちゃってるんじゃないの、
時代は変わったんだよ、価値観は変わったんだよ、
もう幸せな家族のイメージは崩壊しているんだよ、
そして子育てはゲームだってみんなわかってるんだよ、
ガチャみたいな運要素、攻略法みたいな育児本、
リセットできない人生ゲーム。
もちろんみんなそうじゃない、
みんなそうじゃないけどイメージは変えられないさ。

児童手当の拡充、育児休業制度、保育園の無償化
各種税制優遇など、これらは増えてる。
これからもっと増えてゆくと予想される。
ギャンブル国家の不思議な社会主義の名残。
逆に、独身者、特に独身男性からすると、
配偶者控除なし、扶養控除なし、児童手当なし
各種手当なしという、
税金と社会保険料だけはしっかり取られる、
搾取構造になっていく。
真綿で首にアナコンダしてゆく、じわじわ締め上げてゆく。
だからってわけじゃないけど、
僕はドラッグストアでカードを作りたくなかった、
値段が変わるのも全然好きじゃなかった、
こういうことをする限り、
いつか何処かで破綻することを知っていたからだ。
それは外国人労働者を安易に増やすことで、
経済の低下を招くようなことだ。

となりのトトロを観た後に、
日本の原風景に感動するようなものかも知れない。
田舎から都会に出てきて、夜でもみんな活動的、
夜行性なんだ、オリジナルラブの人も歌っていた、
それは関係ねえよ。
でも結構好きだったんだ、なんだろうね、あのしゃがれ声。

とはいえ、贅沢言うなよって向きはありつつ、
支援が「ある」ことと「足りてる」ことは別の問題だ。
保育園入れない(待機児童)
育休取ると出世に響く(特に男性)
時短勤務で収入減。
教育費は右肩上がり(大学まで二〇〇〇万円超)

学校の教室から見た夕方の廊下の闇が不意によぎる。
振り返ると、ドラえもんのヒカリゴケみたいな、
嘘寒い都市の夜景―――だ・・。

「結婚しなくてもいい社会」や、
「出産しづらい社会」は、
価値観の多様化で、結婚しなくても幸せ、
子供いなくても幸せ、ということだ。
リスク回避志向、個人主義、という言い方をしてもいい。

“ケロイドの部分”なんだ。
“一生ふさがらない傷”なん、だ。
息の合わないリズムや、雰囲気や匂いの侵蝕。
透明な感覚で、四角く区切られていて、
それはもう映画みたいなスクリーン―――で。

「独身男性に真綿アナコンダしてる間に、誰も子供産まなくなって、
結局みんな共倒れ」
っていうディストピアが見えてくる。
アコデセワ呪物市場、
それともウィンチェスター・ミステリーハウスだろうか。
ロールシャッハテストする。
で、その先に「じゃあ技術で無理やり産める期間延ばすか」
っていう、最初の僕の発想につながる。
でもそれって、「産みたくない社会」を放置したまま、
「産める身体」だけ増やそうとする倒錯だ。

マリオカートをしながら身体を動かし、
扇風機でワレワレハウチュウジンダとやる、
夏の日の間延びした空気を思い出す・・。

僕等は確かに少年や少女のまま、
年齢を重ねる意味みたいなものを放棄し始めたのかも知れない、
なんてね。








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最終更新日  2025年10月18日 23時42分48秒


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