喜べば喜びが喜んで喜び集めて喜びに来る

祖先を迎えるときの心



今では「迎え火」をする家庭も少なくなってきており、
ましてや「迎え火」と言うものが何かということを
知らない人が増えている。

小さい頃、迎え火をするときに必ず、
父や母や、親戚の者たちが、

「ほぉら、じいちゃんとばあちゃんが、
 『迎え火』を見つけて降りて来よんしゃるよ」
          (降りて来ているよ)

と言っていたのを覚えている。

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メーテルリンクが書いた「青い鳥」という本がある。

貧しいきこりの子の兄妹チルチルとミチルは、
クリスマス・イブの夜、仙女の訪問を受け、
その言い付けで「青い鳥」を探しに出かける。

二人は魔法をかけられ、青い鳥を探し始めるのであるが、
旅に出て訪れた国「思い出の国」で自分の祖父母と出会う。

ベンチに座る祖父母をみて、チルチルとミチルは

「あれは僕たちのおじいちゃんとおばあちゃんではないか」

と驚き、声をかける。
しばらくすると祖父母が目を覚まし、
可愛い孫との再会を喜ぶ。

その時、
次のような事を二人はチルチルとミチルに言うのである。

「わたしたちはね、いつでもここにいて、
 生きてる人が会いに来てくれるのを待っているんだよ。
 お前たちが思い出してくれるだけでいいんだよ。
 そうすれば、この通り目が覚めて、
 お前たちに会うことができるんだよ」

「なぁんだ、思い出すだけでいいのか。
 驚いたなぁ」

「そうだよ。思い出すだけでいいのさ。
 もしみんながお祈りしてくれると、なおいいんだがね。
 お祈りすることは、思い出すことだからね」


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我々が慰霊の念を持つ事、
そしてその日を迎えるにあたって、
「魂を慰める」とはどういう事なのかということは、
この青い鳥の中の祖父母の言葉に尽きる。

死んだ祖父母が言う言葉、

「私達は死んでしまったけれども、
 お前たちが心の中で、
 強く、自分達の事を思ってくれれば、
 いつでも私達はお前たちの前によみがえるのだ」

この言葉は、我々が忘れてはならない大切なことであろう。
そのような心の働かせ方とする時、それがこの八月なのである。

少なくとも僕は、この事を、
子供達に伝えてやりたいと思っている

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