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「その一言(ひとこと)」その一言で 励まされその一言で 夢を持ちその一言で 腹が立ちその一言で がっかりしその一言で 泣かされるほんのわずかな 一言が不思議に大きな 力持つほんのちょっとの 一言で人生の中で、誰にでも心に残るような一言があります。担任の先生の一言で音楽を志した人、家族の励ましの一言で難関を乗り越えた人。言葉には言霊が宿ると言われ、その人の人生をも変えてしまう力があるそうです。自分のちょっとした一言が、相手を励ましたり、傷つけたり...。「その一言」大切ですね。(^_^)
Aug 25, 2005
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時に、人間の人生を左右するほどの、味わい深い、人生の機微、人間の本質を捉えた、文章に出会い、感銘を受けることがある。パソコンの整理をしていて、出てきた、久しぶりの座右の文章との再会。この文章との出会いによってもまた、私は育てられたのだった。『名も無き民のこころ』河村幹雄◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「科学が一世を風靡している現在、人々はあらゆるものを数量的に扱うことに慣れてしまった。しかし世の中には数で量ることのできないものがたくさんある。嬉しいとか悲しいとかいう感動の度合いはどうして量るか...。だが、それよりもむずかしいものに『人の価値』がある。それはいったいどうして量るか、それは容易ならぬ問題ではあるが、これをはっきりと考えておかなければ、人の営んでいる社会、この日本の国家というものも健全な発展を遂げるということはできないだろう。だが、人々は実にこのことを粗末に考えている。食べている食事の種類で、着ている着物の価値で、人の価値を判断するということがなんと無造作に行われていることか。或いは人の肩書きによって、地位によって人の価値を決めるのは日常茶飯事な事となっている。もちろんこのようなものが、人の価値を決定する真の標準ではありえない。ではどうしたら人の価値が本当にわかるか。人の偉さが量れるか。それは誠に難しい問題のようだが、その答えはまた極めて簡単である。すなわち人の偉さは『まごころ』すなわち『心の誠』をもって量る...続けて河村先生はシャルル・ワグネの『単純な生活』を引き合いに出す。この話はどのような話かというと、シャルル・ワグネに強い影響を与えた『名も無き石工』の話である。 石工はワグネがまだ無名だった少年時代、パリで学問をしようと大きな望みを抱いて遊学の途に就いた時から知っている。その時石工は歌を唄いながら石をきっていたが、覚えず立ち止まったワグネに、「元気を出して勉強しなさい。そして偉い人になりなさいよ」と言ってくれた。それから三十年、石屋は相も変わらず石を切り続ける。その後、ワグネ少年は大人になり有名な大学を卒業して、地位と名声を得るのであった。何十年ぶりかにワグネ少年は故郷に帰る。そして依然と変わらず町の片隅に石工が石を切りつづけている姿を見た時に、人間の本当に尊い生命の尊厳を、この石工の仕事をする後姿に見るのだった。 「自分は大学を卒業した、地位も上がった、 求めぬ名も次第に世に知られてきた。 しかし、この石屋は依然として昔ながらの石屋である。 ああ、この三十年の久しい間、 どれだけの驟雨霰雪(しゅううさんせつ)が この彼の曲がれる背の上に降り注ぎしも幾たびか。 しかも彼の勤労のみは今もなほ変わらぬ...」「自分はこの石屋と面と向かふ時ほど、 明らかに自己内心に潜在する不純なる小名誉心を摘出され、 虚栄のこころなき、忠実なる勤労の生の尊さを 思わしめられることはない。 しかも石屋自身は、私が彼の尊い生の威厳に打たれている とは夢にも知らず唯笑っている。 この老石工の勤労の精神こそは、 正にこの神様の仕事に等しい尊さである」 世間の名誉にも財産にも恬淡として、唯自らに与えられた仕事に力を注ぎ、そこに悠々たる人生を切り開く、その人にいつしか現れてくる、えもいわれぬ「尊い生の威厳」そこに人間の本当の価値がある。
Aug 25, 2005
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僕がよくおジャマする日記の人で、「suzupc22」さんという人がいるんですが、この方の今日の日記に書かれている文章を見て、「驚きました」(@_@;)私のトイレ(スミマセン)に掲げている文章が、「魔法の言葉」と書かれていたのです。嬉しいですね~~。 辛い事が多いのは 感謝をしらないからだ。 苦しい事が多いのは 自分に甘えがあるからだ。 悲しいことが多いのは 自分の事しか分からないからだ。 心配する事が多いのは 今を懸命に生きていないからだ。 行き詰まりが多いのは 自分が裸になれないからだ。suzupc22さん!魔法の言葉、いつも唱えていますよ!\(^o^)/(トイレノナカトイウノガアマリヨクナイ?)同じような感性をもっていらっしゃる方が、よくこの場所にも遊びに来てくれています。出会いに感謝ですね。そして何だか、こういう事があると、本当に嬉しく思うのです。
Aug 24, 2005
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私たちは「人の縁」の中に浮かんでいる。香取は大学入試に失敗して浪人を覚悟していた。一校補欠で合格していたが諦めていた。その大学で二十名の不正入学が発覚したため、幸運にも入学できた。香取は不正をして入学を取り消された顔も知らない学生に感謝した。就職する時もそうだった。学生時代から続けていたバイト先から「社員として入社しないか」と誘いがあり入社した。入社した翌年から新しい商品が立て続けにヒットし、会社は倍々に大きくなり、香取はわずか入社二年で係長に昇進した。アルバイトの仕事ぶりを見ていて、香取を買ってくれていた人がいたのだ。社長か部長かはわからないが香取はその人に感謝した。マイホームを買う時もそうだった。駅で前を歩いている人がハンカチを取り出して汗をふいた。ひらひらと落ちたものがある。切符である。香取は拾って「落ちましたよ」と声をかけた。新幹線の切符だった。その人は何度も頭を下げた。銀行の住宅ローンの手続きに行くと、「あの節はどうも」とその人が出てきた。支店長だった。好条件で融資をしてくれた。自分は何と運がいいんだろうと思った。『袖の振り合わせも他生の縁』(尾張・上方かるた)運はお金を出せば買えるものではない。では、自然にわいてくるものか。神様が与えてくれるものか。どれも答えは否である。運は人が持ってきてくれるもの。よって、ふだん何気なく接している人すべてが、自分の人生に関わりを持っていると思うこと。袖を触れ合っただけの人であっても、いつどこで自分に関わってくるかわからない。私たちは個人中心主義になりすぎている。人のためにつくすことをいやがる。人に対する関心すら失っている。「自分さえよければいい」と患っている人に幸運は訪れない。香取は、自分が人との緑で、恵まれた人生が送れていることを実感していた。そのため、客を心から大切にしたし、部下の面倒をよく見た。するとその人々がまた香取の力になってくれた。社長になった現在、香取は社員にいつも、「世の中は人の縁で成り立っているんだ。 だから近い人だけでなく遠い人も誰でも、 たとえ袖が触れただけの見知らぬ人でも、 損得抜きで大事にしなさい」と言っている。
Aug 24, 2005
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人から受けた嫌な行為や過ちに対して、「許せない」と怒りでいっぱいになることがありませんか。「私なら絶対そんなことはしない」「相手の行為で苦しめられている」と苦悩する日々をおくっている人もいるかもしれません。嫌な思いほど頭のなかに浮かんできて、ちょっとしたことにも敏感に反応してしまうようになります。そして、ついには仕返しや復讐に発展してしまうことも。そのエスカレートを遮断するために必要なのが「許す」ことだと言われています。イギリスの聖職者フラーの言葉に、「他人を許すことのできない人は、 自分自身が渡らなければならない橋を 壊しているようなものだ。 人はだれでも許されなければならないからだ」とあります。他人が犯した過ちを自分が犯さないという保証はありません。まったくまちがいを起こさない人間などいないのです。自分もまた人に嫌な思いをさせ、傷つけ、気づかない間に憎まれているかもしれません。人を許せるということは、自分もまた許してもらえる道を残しておくことを意味するのです。そして人を憎むという悩みから解放されることになるのです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「今日の朝礼」の話だが、振り返ってみるだけで、一体どれだけのことに「腹を立てて」「許せない」と思っているだろうか。「ムカッとくる」事まで勘定に入れれば、数え切れないほどかもしれない。しかし、忘れてしまうことがある。それは、自分も人を「ムカッとさせている」ということだ。自分のことは棚に上げて、とよく言うがまさにその通り。「他人を許すことのできない人は、 自分自身が渡らなければならない橋を 壊しているようなものだ」とは至極明言である。人を育てようとするならば、「目を離さず、手を出さず、やって見せてやらせてみる」人を許す人間であろうとするならば、まずは、自分自身を信じれる人間であること。だからこそ、自分自身の失敗や、間違いが許せる。許すということは、甘やかすことではなく、自分やその人が、次にチャレンジすることを信頼する、信じる、心の働きなのかもしれない。
Aug 24, 2005
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昨日の朝、「のどが痛いなぁ」と思っていると、見る見る夕方には体がだるくなり、のどが非常に痛くなってしまい、熱まで出た。今日一日、大事をとって休むことにしたのだが、とにかく寝た。寝た、寝た。風邪をひいた時には、「のどタオル」「マスク」「あめ玉」「ポカリスエット」これが絶対に必需品である。とにかくノドを冷やさないことである。そして、マスクをしてのどを乾燥させないことである。これでポカリスエットを発汗しては飲む!これをすれば一発で治る!朝起きてみると、「のどが相当痛い」これはおそらく、今が絶好調のとき(一番悪いとき)であろう。ここで無理をしてはいけない。自分の身体は自分で管理しなければならないが、悪くなったときも「自分で管理」である。昼過ぎにずいぶんよくなったが、今週末から沖縄に行かなければならないので、更に念には念を入れるため、病院へ行った。「山野医院」へ行った。====================「風邪?風邪なら山野先生がいいよ、 あの先生は親切だからね」「ふ~ん、そんなにいいの?」「行ったらわかるよ」====================行ってみてなるほどと思った。まさに「平成の赤ひげ先生」である。病院自体は小さな病院なのだが、(先生一人に看護婦さん二人~三人)今の状況を説明してくれて、今後どのようになったら、このようにしなさいとかこうなれば、こうした方がいいとか、今日はまだこの状態だから、この薬だけ出しておきます。など、本当に親切だった。もう少し詳しく書きたかったが、体がまだきついので、このへんでやめます。また会いましょう。
Aug 23, 2005
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いつも行ける所だから、行かない場所というものがある。同じ町であるのに、もうかれこれ20年以上行っていなかった場所である。自分が卒業した小学校である。何故行かなかったのかというと、別に理由はない。ただ行く機会がなかっただけのことである。「ただ行く機会が無かった」というだけで、20年近くも訪れなかった場所に、昨日、ふと立ち寄った。誰でもそうかもしれないが、長い間、その場所を訪れていないと、「その時」で記憶が止まっている、とでも言おうか、一瞬にして全ての記憶が鮮明によみがえってくるような、そんな体験をすることがある。目の前を、自分の友達が、自分を可愛がってくれた先生が、自分の好きだった女の子が、たくさんの友達の、笑い声や、呼び声が、記憶の中にまざまざと甦ってくる。甦ってきたのは、「あれ」を見た瞬間。「もみの木」である。 当時、小学生の僕らは、校庭にそびえる、大きな「もみの木」に、いつも纏わりつくようにして、「一緒に遊んでいた」。大きなもみの木は、子供がぶら下がる父親のように、僕らを支えていた。「どこまで登れるか、競争や!」てっぺん近くまで登って下りて来れなくなった子もいた。悲しい時も、嬉しい時も、いつも「そこ」にもみの木は立っていた。「クボ」「サク」「クマ」「かっちゃん」「ジュンくん」「やっちん」「ノミ」「キミタン」彼らとも、もう20年以上会っていない。別に理由は無い。僕が町を離れ、別の地で生活をしていたからということだけなのだが、ふと訪れた、思い出の場所に、今でももみの木はたっていたそして、もみの木の下に、確かにあの時の友達がいるのが見えた気がした。
Aug 21, 2005
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先日8月15日のことだが、福岡県の護国神社に参拝に行ってきた。護国神社では、毎年8月15日には「御霊祭り」が行なわれている。夜に参拝に訪れると、四角い命燈が何百と灯され、幻想的で神聖な雰囲気が漂う。「8月15日に護国神社に参拝に行っています」と言うと、「すごいね」とか「ホント?」などと言われ、何か特別な事をやっているかのように言われるが、何のことはない。「当たり前の事」をやっているだけである。最近よくテレビに細木数子さんがでている。何かの番組の中で、「あなたはねぇ、まず御先祖様の墓参りをしなさい」という事を言っているのを聞いた。その芸能人は、「はい...はい...。わかりました先生」などと神妙に聞いていた。それを聞いていたそばから、別の芸能人が、「俺もね、先生の話を聞いて、 すぐに墓参りに行ったよ」と言っていた。この人にとっては、自分の親や祖先の「墓参り」は、「特別な事」なのである。同じように、日本を守る為に戦った亡くなった、多くの方々を「慰霊する」というのも、「特別なこと」なのであろう。以前「ナポレオン・ヒル」という人が書いた、「成功哲学」という書物を読んで感銘し、今でも座右の書のひとつだが、これに面白いことが書いてあった。自分に能力がなくても、それを助言してくれる人間を持てば成功できる。例えばよくこのサイトに遊びに来てくれる方の中で、斉藤一人さんや、本田健さん、望月俊孝さんなどを、人生の師として、同じように実践されている方がいるが、あれと同じである。様々なことが起こった時に、「あの人だったら、どう考えるだろうか」というように、その人のものの考え方を、自分の考え方の見方の一つとして取り入れ、問題ごとを考えてみることだ。誰かが自分の為に何かをしてくれた。自分に協力してくれた。その時人はその誰かに感謝する。今の自分自身がこうして幸せに生活できているのも、親が自分をまず生んでくれたお陰であり、育ててくれたお陰であり、様々な「縁」を残してくれたお陰である。そう思うのだ。だから毎日、仏壇に手を合わせ、「いつもありがとうございます。 今日も一日誠意一杯生活します」と感謝し、報告するのは特別なことではない。同じように考えれば、この日本という国を守る為に、先の戦争で亡くなった多くの日本の人々に、「慰霊」を行い、毎日行なえずとも、せめてこの八月ぐらい、そして8月15日ぐらい「墓参り」することが、何か特別なことなのだろうかと、そう思うのである。
Aug 20, 2005
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一瞬にして、ある人が身近に感じられたり、今まで遠くのものとしか感じることのできなかったものが、近い存在として感じられたりすることがある。それは「言葉に触れること」でもあり、その人の「歴史に触れたとき」でもある。例えば誰か自分が尊敬する人がいたとする。現在生きている人でも、歴史上の人物でもそうだが、その人の生き様や言葉に触れ「共感」したり、「感銘」したり、「感動」したりし、「その人のように生きたい」「その人のようになりたい」「自分もあのような生き方がしたい」と「こころ」が動くのである。先日も書いたが、幕末の維新の人物、吉田松陰という人がいた。松陰は21歳の時、全国に遊学の旅に出る。今のように交通手段もなく、徒歩で歩いて回る。今のように情報も得られず、自分の足で歩き、人と出会い、意見を交わし、話を聞き、そしてまた、「人物」を紹介してもらい、その人に会いに行く。これが「遊学」である。まさに「人との出会い」「人との縁」そして「学び」である。その時をして、若き松陰は、次のような言葉を言った。「心はもと活きたり、 活きたるものには必ず機あり、 機なるものは蝕に従いて発し、 感に遭いて動く」人間の心というものは、もともと活き活きと脈づいているものなのだ。そうした「活き活きとした心」には、必ず「機会(出会い、チャンス)」が訪れる。そして、その「こころ」というものは、感動に出会い感動し、触発され、行動へと人間を動かしていくものである。人間というものは、まず「求める心」それが、出会いと縁を引き寄せるのだと、明治の維新の大人物も若き日にそのように言っている。この言葉を聞くと、まるで目の前に吉田松陰が、今目の前にいるような感じがして嬉しく思うのは、自分もそう思うからであろう。
Aug 17, 2005
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あるアンケートにこう書いてあった。「あなたが一番大切にしているものは何ですか?」その問いかけにその女性は、「着物」「子供」「主人かなぁ」と答えたそうである。その答えに対して「逆ではないか」と、その先生は書いていた。「まずは『妻・夫』そして『子供』、 その後に『モノ』がくるべきではないか」と指摘している。そしてその後に、「自然の法則」(神様)が応援してくれる事をしないといけない」と言われていた。これは様々な成功者や、歴史に名を残している人々、また広く名を知られてはいないが、多くの人に尊敬をされている人の多くも言っているが、、「成功するためには、 努力以外のものが必要である」」と言っている。千葉に本部のある、財団法人モラロジー研究所は、日本で唯一の「道徳」を研究する団体であるが、その団体の創設者の廣池千九郎博士も、その論文の中で、全ての物事には、「進化か衰退のどちらかしかない」と言っている。そういえば、斉藤一人さんも、「私に勝とうと思っても駄目です。 私は『ツイてる』だから。 神様が応援してくれているんだから、 努力で一生懸命やる人はかなうはずがありません」というようなことを言っていた。自分自身が、自分の運勢が今、「進化しているか」(前に進んでいるか)「衰退しているか」(後退しているか)」これを自分が分かることが大切だと言っている。自分では一生懸命頑張っているのに、川の流れに逆行していては、いずれ力尽きて流されてしまう。先日お会いした「村上和雄先生」も、「サムシンググレート」といって、「何かの存在」は必ずある。と言っていた。村上先生の話して興味深いのは、「今、世界中の科学は非常に進歩して、 クローンまでつくれるようになったと言いますが、 どんなに科学が進歩しても、 人間は『命』をつくることができないのです。 たった一つの大腸菌、 その全く同じものは作れても、 『動き出さない』のです。 つまり、『命』が宿らない。 ロボットは、乾電池を入れれば動き出しますが、 細胞は同じものを作れても、 『命』が入らなければ動かないのです」という話だった。ノーベル賞候補の権威、村上先生は細胞の「ミクロの世界」を研究し、垣間見たとき、「何か偉大な存在がある(サムシンググレート)」と考えたそうである。では、どうすれば神様が応援してくれる人生を、歩むことができるのか。それは意外と簡単なことである。感謝して生きること。親、祖先を大切にすること。プラス思考で生きること。伝統を大切に偲ぶこと。である。自分「個人」の主義主張ばかりを言い、自分勝手に生きる前に、自分が「ここにいる」という事が、日本の先人先輩を含め、親・祖先、これまでの人生のどれだけの人が支えてくれたのか、それに気づかなければ、神様が応援などしてくれるはずがない。素直にそう思うのである。
Aug 17, 2005
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今日一日を振り返り、楽天日記を見ながら、掲示板などに書き込んでいただいた方々の御意見を、「ありがたいなぁ」と読み、今日の出来事を書こうと考えていた矢先、事件が起こった。「蝿」である。一匹の蝿が、私の小さな書斎に入り込み、「ブンブン」と飛び回る。「書斎」と言っても、三畳一間である。 「男はどんなに小さな家でも、 自分の書斎を持つべきなんだよ。 そこで自分を振り返り、自分を磨くことは 大切なことだよ」との先生の言葉に、本当に小さな『書斎』を、自宅に強引につくった。その小さな書斎に蝿が入ってきた。「蝿よ、短い命をこんな小さな場所で終えるな」そんな思いで、部屋を全開して逃がしてやろうとした。かつて、対馬の「洗い髪のお妻」が頭山満に一目惚れしたのは、頭山満の腕に、一匹の蚊が止まった時に、頭山がそれをすぐに叩き殺さずに、血を吸わせてやって、「ふっ」と逃がしたやったという。それを見て、そのやさしさに、お妻は惚れたのだ。「蝿よ、逃げろ...」しかし、この蝿がいっこうに逃げない。「ほら、出て行け...」部屋から出て行ったかと思えば、またすぐに入ってくる。何故だ?何か気に入った香りでもするのか?しばらくすれば逃げていくだろうと、無視して、仕事を始めた。すると...。部屋の中をブンブンと飛び回っている。最初のうちは、「短い命を謳歌せよ」などと思っていたが、「首筋を這う」「髪の中をうごめく」「パソコンの画面に止まる」だんだんと腹が立ってきた。そしてついに、鼻に止まり、動いている。完全に調子に乗っている。しかし、立った一匹の蝿に腹を立てては、「ツキが落ちる」「徳がなくなる」何とか、こう思うことにした。「ツイてるね」しかし、どうしても人間が小さい為、無理がある。ようし!それならば、この蝿を殺さずして、何とか逃がす!ちょっとそれにチャレンジしてみようじゃないか!(と書いている間も髪の中で動いている)その時ふとひらめいた。以前友人がこのような事を言っていたのだ。「蝿ってさ、殺そうとしても、絶対逃げるやろ? あれはね、『叩き方』がまずいんだよ。 俺なら、指一本で気絶させれるよ」「どうやって?」「蝿ってね、物が近づいてきたら、 飛び立つ習性があるから、デコピンで、 蝿が止まっている『2cm』ぐらい上を、 はじけば、必ずあたるよ」◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆それを思い出して、やってみた。すると、なんと、見事に命中したのだ!その蝿は、窓の外において、じっと見ていると、しばらくして「元気に」飛び立っていった。「短い命、大切にしないといけないぞ」と思いながら、蝿を見送り、こんな馬鹿なことに約1時間も振り回され、その上日記に書き込んだが、果たして、送信するべきか...。人格を疑われてしまうのでは...。と思いながら...ええい!せっかく書いたから!送信!\(^_^;)/本当につまらない雑談でした。(スコシ、オサケガハイッテイタカラネ)(^^ゞ
Aug 16, 2005
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朝一番の書き込みで、ちょっとこれ本当にひとりごとになるのですが、「大分のオグ」さんに、「楽天の日記が面白いよ」と紹介され、書き始めて1年ぐらいになるかなぁ。途中、前の日記がメールアドレスを変更したので、入れなくなってしまい、また新しく作って今書いてますが、色んな人の日記を読んでは、「この人すごいなぁ、こんな人いたんだなぁ」と出会いに感動しては、「日記リンク!」させていただいてます。(^.^)/~~~最初は画像すら入れるのが難しかったのですが、ようやく最近では、「字の拡大」ができるようになりました!でも、文章中の「リンク」はどうすればいいのかなぁ?誰か教えてくれませんか?(^_^;)自分の「日記リンク一覧」を見ていて、ある法則を見つけました!それは、実学を学んでいる人座学でなく、実践の中から「体験」している人であることに気づきました。「はるる」さん⇒あやしいふるほんやさん、何か凄い人。「りんだ姉」さん⇒以前からの御友達。急成長してますね!「よびりん」さん⇒言わずと知れた、人生の大先生。「善成」さん⇒いや、勉強になります「ツイてる!」「suzupc22」さん⇒いつも訪問しています。身体をこわさない様にね。「ツイてる笑人」さん⇒「ツイてる、ツイてる」と聞こえてきそう(^^)v「藤沢あゆみ」さん⇒「ハァハァ隊」って、気になるなぁ(@_@;)「なしのばかめ」さん⇒読んではいつもなるほどと、思わされます。と、ここまで書いたところで、(@_@;)ハッ!!よく考えたら、「日記リンク一覧」見てくださーい!って書けばよかったのに!まぁ、いいか。まだまだ、何人かの人としか話したことありませんが、いつか、「あぁ!あなたが○○さんですか!」などと御会いして、御互いが人生の中で一生付き合える友人になんてなれれば、この出会いは偶然ではありませんね。(^^)vいかん(@_@;)「あなたが、『幸せなスーパーマン』さん?」(ナマエ、カエヨウカナ...)
Aug 16, 2005
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矢野壽郎さんという人がいて、本当に御世話になって可愛がってもらっているのだが、昨日あった時に、こんな言葉をくれた。「喜べば喜びが喜んで喜び集めて喜びに来る」この言葉、聞いた瞬間気に入った。喜べば、喜びが喜んで、喜び集めて、喜びに来る。何と言い文だろう。感動した。あんまり気に入ったから、この日記のタイトルにした。何だか、そう考えていると、そうなるような気がするでしょう?いや、実際そうなっているんですから。何だか、違う力が働いているような。(言いすぎですかね?)(^_^)ともかく、「喜べば喜びが喜んで喜び集めて喜びに来る」私の「座右の名文」になりました。
Aug 15, 2005
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「気絶するほどほめる子育て」という本を紹介したが、これが読めば読むほど、考えさせられる。というより、ほとんど自分自身も、子供に対してそんな事をやっているような気がした。電車の母親◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ある日、電車に乗っていて、こんな光景を見たことがあります。お母さんに連れられた三歳くらいの子どもが、靴を脱いで座席に座っていました。そろそろ降りる駅が近づいてきたのでしょう、お母さんが「ほら、もう降りるから靴を履きなさい」と子どもに言っています。子どもは慌てて靴を履こうとするのですが、揺れる電車内のことですから、もちろんうまく履くことができません。それを見ていたお母さんは、手伝うでもなくきつい口調で「早くしなさい、もう降りる駅よ!置いてっちゃうからね」と怒鳴りつけています。子どもは、お母さんに置いていかれてはたいへんと一生懸命なのですが、やはり靴はまだ履けません。そのまま、とうとうその親子が降りる駅に着いてしまいました。どうするのかなと思って見ていると、しばらくキッと子どもをにらみつけていたお母さんは、何と子どもを残したまま電車を降りてしまうではないですか。子どもは履けない靴を手に持ったまま、慌てて「ママ! 待って、待って!」と大声で泣きながら、無我夢中でお母さんの後ろにくつついて行きました。私は、その光景を見ていてぞっとしてしまいました。このお母さんは、それが子どもの教育、「しつけ」だと思っているのでしょうか。三歳くらいでは、まだひとりでやっと靴を履けるようになったかならないかでしょう。電車の中というのは、小さな子どもにとってはお母さん以外頼れる人がいない不安な場所です。しかも、わずかな停車時間の問に電車を急いで降りるのは大人だって緊張することなのに、手伝ってあげることもせずに「自分で早く履きなさい」と一方的に叱るのは、三歳の子どもにはあまりに過酷な要求ではないでしょうか。二、三歳の子どもが、おもちゃなどを散らかしてばかりいると言って、叱りつけるお母さんも多いのですが、ひとりで片付けまでできるようになるのは、もう少し大きくなってからでしょう。テーブルや手を汚すからといって、まだまだお箸を上手に便えない二、三歳児を怒ってみても、それは土台無理なことです。実は、幼児期のお子さんをもつお母さんたちのなかに、ほかの子どもと比較して「うちの子どもは遅れているのではないか」と焦り、年齢に合わない無理難題を押し付けているような姿をよく目にします。それは、子どもの心が育つ過程に対する、親の無知が大きく影響しているように思います。歩きはじめるのが早いとか、字がもう読めたとか、そうした外面的なことには関心がいきますが、親としてより大切にしていかなければならないのは、心の発達なのです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今は、本当に大人が駄目である。反省しなければならない。今日も一つ勉強した。自分の子供だからと言って、自分の感情のままに子供に対して接していると、必ずそのまま自分に返ってくるものである。
Aug 15, 2005
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この本は、僕の尊敬する会長が、よく口に出される本である。タイトルは、「気絶するほどほめる子育て」子供の教育に関して書かれた本なのだけれど、うちの会長は、「従業員さん教育」について話される時、良くこの事を引き合いに出される。「人間、厳しく育てる方が良い」という人もいる。例えば、昔の話になるけれど、吉田松陰という幕末の志士は、ちょうど小学生の頃、「玉木文之進」という叔父にあたる人に育てられた。この叔父さんがとにかく恐ろしかった。松陰が(小さい頃は寅之助)猛暑の中で、作業をしながら読書して働いていた。あまりに暑く汗がしたたり落ち、顔が痒くなって掻いたところ、ぶん殴られる。「痒いからといって、掻くとは何事か!我慢しろ!」それから松陰は、近くの崖から、よく叩き落されていたそうである。その忍耐強い精神が、後に明治維新を成し遂げるほどの、志を作り、松陰に共感賛同する人間を育てたのである。勿論それが現在の日本でやれるかという話は別だが、「我慢」を身につけきらないと、成人してから失敗する。「欲しい」と思えばなんでも手に入る。「気に入らない」と思えば、避けたり。「きつい」と思えば、逃げる。逃げることのできない立場や環境に立ったとき、人間は自分自身を改善していく努力をし始めるけれど、「親」に守られ保護された「子供」は、守られているがゆえに「甘える」親に対しての「反抗」も、甘えの最たるものだ。親がいるから反抗できるのである。「きつい」と思って「逃げる場所」があるから逃げる。「逃げて」「避けて」彼らはどこへ行こうというのだろうか。話が横道にそれた...。(-_-;)(マタアツクカタッテシマッタ)話を元に戻そう。「気絶するほどほめる子育て」この本は非常に素晴らしい。本を書いた方は「高橋愛子」さんという方である。(ナマエガイイネ)たぶん、「気絶するほどほめる子育て」と聞いた時、皆さんの中にも、「いい子だねぇ」とか「お利口だねぇ」などと言って、「ほめ散らかす」のかな?と思われた方がいるでしょうが、「ちがいます」ちなみにこの本の最初の「はじめに」の文章を、ちょこっと書いてみますね。「はじめに」◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「がんばってね」「いい子だね」「お利口さんね」「えらいわね」私達親は、子供を励ますつもりで、こんなほめ言葉をよく使います。しかし、どれも子供がいい事をしたと評価している、「間違ったほめ方」なのです。これでは、子供の心に生きる力や、困難を乗り越えるエネルギーを、与えてあげることはできません。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆いかがですか?「え?」と思われませんでしたか?この先がまた面白いんですよ。というわけで、少しこの話、続けて書きます。(トイウカ、ワタシノコソダテノベンキョウノタメニ)(^^)v
Aug 15, 2005
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今日の朝6時に、嫁さんのお姉さんの子供が生まれた。初めての子供だ。「嫁さんのお姉さん」と書くと、何か遠い存在のような気がするが、いつも呼んでいるのは「陽子ちゃん」と呼んでいる。これが実は、妻と「ふたご」なのである。初めてみたときは驚いたのなんの!\(◎o◎)/!同じ顔である。背丈も体格も同じ。寝ている顔は「おばあちゃんでも間違える」との事である。その陽子ちゃんが入院したのは昨日。啓子(うちのカミさん)は、朝まで背中をさすってやったりしていたそうである。昨日の夜、会社の帰りによると、周りは「まだ生まれないでしょう」といっていたにもかかわらず、うちのは「今日生まれそうな気がする」と言っていた。聞くところによると、やはり双子と言うものは、何か通じるものがあるらしい。本人もそんなことを言っている。うちの娘が生まれるときも、「多分今日生まれると思う」と陽子ちゃんが言っていた。双子と言うものは不思議だ。これは余談だけれども、うちの娘は名前を「花」という。「生まれそうだから病院へ来てください」と連絡が入り、病院へ夜中駆けつけ、病院の駐車場に着いたとき、石嶺聡子の「花」が偶然流れてきた。(川は流れ~て、どこどこ~いくの~♪)何故か「生まれたかな?」と思った。病院に入ると、「今生まれてますから急いで!」走って分娩室へ!自分の妻の中から「子供」が出てきた。感動した。妻が「名前はどうする」と聞いたので、「花に決めた」と言った。
Aug 14, 2005
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昨日、お盆の「迎え火」を子供たちと一緒にした。今では「迎え火」をする家庭も少なくなってきており、ましてや「迎え火」と言うものが何かということを知らない人が増えている。小さい頃、迎え火をするときに必ず、父や母や、親戚の者たちが、「ほぉら、じいちゃんとばあちゃんが、 『迎え火』を見つけて降りて来よんしゃるよ」 (降りて来ているよ)と言っていたのを覚えている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆メーテルリンクが書いた「青い鳥」という本がある。貧しいきこりの子の兄妹チルチルとミチルは、クリスマス・イブの夜、仙女の訪問を受け、その言い付けで「青い鳥」を探しに出かける。二人は魔法をかけられ、青い鳥を探し始めるのであるが、旅に出て訪れた国「思い出の国」で自分の祖父母と出会う。ベンチに座る祖父母をみて、チルチルとミチルは「あれは僕たちのおじいちゃんとおばあちゃんではないか」と驚き、声をかける。しばらくすると祖父母が目を覚まし、可愛い孫との再会を喜ぶ。その時、次のような事を二人はチルチルとミチルに言うのである。「わたしたちはね、いつでもここにいて、 生きてる人が会いに来てくれるのを待っているんだよ。 お前たちが思い出してくれるだけでいいんだよ。 そうすれば、この通り目が覚めて、 お前たちに会うことができるんだよ」「なぁんだ、思い出すだけでいいのか。 驚いたなぁ」「そうだよ。思い出すだけでいいのさ。 もしみんながお祈りしてくれると、なおいいんだがね。 お祈りすることは、思い出すことだからね」◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆我々が慰霊の念を持つ事、そしてその日を迎えるにあたって、「魂を慰める」とはどういう事なのかということは、この青い鳥の中の祖父母の言葉に尽きる。死んだ祖父母が言う言葉、「私達は死んでしまったけれども、 お前たちが心の中で、 強く、自分達の事を思ってくれれば、 いつでも私達はお前たちの前によみがえるのだ」この言葉は、我々が忘れてはならない大切なことであろう。そのような心の働かせ方とする時、それがこの八月なのである。少なくとも僕は、この事を、子供達に伝えてやりたいと思っている
Aug 14, 2005
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「これを一体どんな人達が考えているんだろうか」と唸らされることがある。例えばテレビを見ていて思うのはコマーシャル。ゴールデンタイムのコマーシャル料というのは、ウン百万するということである。それだけの費用対効果(お金をかけて売上を伸ばす)が得られると考えるから、企業はお金を出すのであろうが、まさに「捨て金」としか思えないような、くだらないCMを流している企業もある。そんな中で「凄い人間がいるのだろうなぁ」と内心いつも思うのが「小林製薬」である。その理由は、『商品の名称が面白い!』これは簡単なことのように思えるが、企業の命運をかけた商品を開発してその名前を決める時に、あんな面白いネーミングをするのがすごい。例えば「冷えピタクール」この名前は凄い。おそらく会議でのこんな風景が想像できる。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆上司)「今度の新商品の名前を決めたいのだが、 何か斬新な名前はないだろうか」社員A)「冷却絆創膏なんてどうでしょうか」社員B)「応急熱冷まし」~色々と提案されるが、今ひとつ~※その時、若い女性か、青年が発言する~女性)「バカバカしいかもしれませんが...」上司)「言ってみなさい」女性)「額につけたときの感触を、 そのまま商品名にしたらどうでしょうか」上司)「例えば?」女性)「つけたら冷たくヒヤッとして、 額にピタッとついて、冷ましてくれるから、 『冷えピタクール』なんてどうでしょう?」◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆凄いと思うのはここからである。おそらく「普通の会社」ならば、「常識」に縛られてしまった上司が、「もう少しまともな意見はないのかね」などと眉をひそめて、一瞥して終わりであろうが、小林製薬では「上司が理解している」のであろう。つまり「冷えピタクール」という名前が世に出る為には、1.柔軟な意見を発現する若い社員が重要な会議にいる。2.斬新な発言や意見を取り入れる勇気を持った上司がいる。3.それを商品名として販売する事を理解する社長がいる。4.企業全体に「自分もやってみよう」という社風がある。といった条件がなければ、この名前は世に出ないはずである。「うちの社員はだめだなぁ」と、他社と比較して言う経営者がいるが、100%いえる事は、「社長のレベルが高くて、従業員のレベルが低い」わけではなく、「社長のレベルが低いから、 従業員のレベルが低い」のである。人間を育てる事などできない。自らが成長し、その成長していく魅力が人をひきつけ、触発して、周りも共育していくのだ。
Aug 13, 2005
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不思議な食べ物があるのもである。その名は、 「タラ胃」毎年お盆になると、九州地方では、この「生物」を食べる。いや、正確には、 「生物の干物」と言っていいだろう...。はじめて見た時には、「一体こんなものを食べている人間がいるのだろうか!」と衝撃を受けたのを覚えているが、これが良く売れるのである。しかし、いまだかつて我が家では、これを食べたことはない。しかし、お盆の商材としては欠かせない一品なのである。お見せしよう。これが「タラ胃」である。 いかがだろうか。はじめて見た人は、「これをどうやって食べるのだろうか」と思うに違いない。私も思った。特に頭部の部分はグロテスクである。 これを2日間ほど水で戻すと、ふやけて巨大化するのであるが、目撃者の証言によると、 「ひからびた カエルの死骸が ふやけて元に戻った」ような状態になるらしい。見たくない...。(-_-;)ましてや、 「食べる」なんぞ、もってのほか!である。w(@_@)wしかし、食品販売を生業としている以上、売らなければならない。特に今日、明日の二日間はこれが売れる。「いらっしゃいませ! 『タラ胃』!売れてますよ!」などと言いながら、それをカゴに入れて帰られるお客様を、複雑な思いで見送ったのであった。(T_T)/~~~
Aug 11, 2005
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今日は父の命日だ。平成十年の今日、父は息を引き取った。病院のベッドの上で、皆に看取られながら息を引き取った。数年間もの間、肝臓を患いながらも、最後まで自分の生き様を教えてくれたような気がする。先日の日記にも書いたが、私は父にずっと反抗していた。その思いを切り替えるきっかけがつかめぬままでいたが、死ぬ間際にやっと言う事ができた。今にも呼吸が止まるかという時になって初めて、父に対して素直になれたのだ。「お父さん、もう心配しないでいいよ。 御父さんの遺志はしっかりと僕が継ぐからね」その五分後に、父は息を引き取った。その言葉を聞いて安心したかのように息を引き取った。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆SF作家として有名な「星新一」さんは、生涯に一度だけ、自分の父親の事を回想小説で書いている。星さんの御父様は、有名な星製薬の社長であった、星一(はじめ)氏である。本のタイトルは、「明治・父・アメリカ」私はこの回想の冒頭の文章が本当に好きである。====================「明治・父・アメリカ」だれでもそうだろうが、川を眺めていると、いったいこれをさかのぼったらどうなっているのだろうと考える。なぜ、ここに川が流れているのだろう。上流のほうのようすを知りたくなるのである。人生においても、そんなようなことがある。いつもは時の流れに身をまかせ、なにやら忙しく、一日一日をすごしている。しかし、ひまができると、少年時代のことを思い出す。そこには父がいる。私の父は、私が大学を出て四年目ぐらいに死亡した。遠い追憶のなかの父は、いつもにこにこしていた。休日には幼い私たち兄弟を、動物園とかデパートの展覧会とか、時には郊外へとか、よくどこかへ連れていってくれた。会社の仕事で旅行に出た帰りには、いつもなにかしらおみやげを買ってきてくれた。父にどなられた記憶もない。私は神経質なおとなしい少年であり、いたずらのたぐいをしたことがなかった。そのためかもしれない。あとで知るところによると、会社における父は、机をたたき床をふみならし、社員をどなりつけ、雷を落しつづけだったという。もっとも、それは一瞬の後にはけろりと忘れ、だれもなれっこになっていたらしい。しかし、家庭内で大声をあげたことは、まったくない。微笑をたたえていて、静かで、姿勢がよかった。父はいつも、なにを考えていたのだろう。これもあとで知ったことだが、父は事業のことを考えていたのである。仕事そのものが生きがいだった。私の父に限らず、男とはそういうものなのであろう。~中略~その時はじめて、父にも少年時代があったのだということに気がついた。それまでは、父とは、もともとおとなとして存在していたものだと思っていたのだ。新鮮な発見であった。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆何度も何度も、このくだりを読み返したものだ。そして、自分自身もそうであるが、いまだに僕自身も、自分の父の生きてきた歴史に触れる時、川の流れの上流に、父が笑顔で立っているのだ。
Aug 10, 2005
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ネパールの山岳地帯の無医村で、長い間、医療活動をつづけておられた岩村昇先生が、次のようなエピソードを紹介しておられます。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「結核の検診に出かけたときのことである。 ある村で結核患者を発見し、 そのうちの重症患者をタンセン病院へ運ぶことになった。 ところがその患者運搬に何の交通機関もない。 頼るのは、人間の背中のみだ。 しかも何も持たずに歩いてもタンセンまで、 五日もかかるという山村だった。 そのとき『よし、ぼくが背負ってやりましょう』 と名乗って出た青年がいた。 彼はゆきずりの旅人であった。 わたしはとまどった。 彼の好意は涙が出るほど有難い。 けれどもわたしのポケットには、 その好意にむくいる一文の金も残っていなかったのである。 『にいさん、ありがたいんだが一文の日当も出せないんだよ』 すると青年は憤然とした表情で、 『ぼくは日当がほしくて、おばあさんをかつぐんじゃないんだ』 と言った。 『それじゃなんのためなの?』 『サンガイ・ジゥネ・コラギ=みんなで生きるためだ』 ああ、わたしはこの言葉を生涯忘れないだろう。 みんなで生きるため、なんと誠意のこもった、 ヒューマンな言葉だろう」余談◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆会社を経営していれば、企業を存続させる為に、「適正利益」を確保しなければならない。その為には、生き残りのために、「勝ち続ける」ということが要求される。しかし、現在多くの経営者が気づき始めているように、「自分の利益の為」とか「企業の発展だけの為」とか「己の欲望の為」とか、つまり「人間」というものを重視しない経営者は、最終的には滅んでしまっている。「大勢に流されず、 大勢に逆らわず、 真理を体得し具現化できる」その経営者のみが生き残れる。中小企業の経営者は「弱者の戦略」を、徹底的に学ぶ必要がある。しかし、そのような生き方とは全くちがうところで、この青年のような生き方を貫いている人達が、時折いる。その「こころ」は、どのような状況に身をおかれようとも、決して失ってはならない、人間の「根っこ」なのではないか。
Aug 9, 2005
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昨日、ある会合に出席して、生前の父と親しかった方々と話す機会があり、「窪山君、御父さんに似てきたなぁ」と言われた。思い出話に浸る訳ではないが、ちょっと父の話をしてみたい。僕の父は平成10年の1月1日の夜中に、トイレで大量吐血して倒れ、救急車で運ばれた。そして8月10日に父は亡くなる。僕は30になるまで、父との思い出がほとんどなかった。父は厳しい男だった。自分にも厳しかったが、その分人にも厳しく、特に「しつけ」の面では本当に怖かった。 僕は小学生高学年まで、父の仕事の「定時」は夜中の12時であると本当に思っていた。それくらい、毎日仕事で遅く帰ってきていたのである。だから、他の子供のように、「父親とキャッチボール」をしたりなどの、父親との「楽しい思い出」は記憶にない。そんな父との関係であったが、今の会社に入社して、現在の会長(社長)のお陰で、それまでの30年間を取り戻すほどの、「時間」を過ごさせていただくことができた。詳しくは機会があれば話すが、本当に感謝してもしきれないほどの恩を受けた。僕は、変な話であるが、父がなくなってからの方が「父と話す機会」が多くなった気がする。そして、父と交友のあった人達が、「あなたの御父さんに本当に御世話になった」と、今度は私を助けてくれている。その父と生前話をした方が、よくされる話がある。「窪山君、僕はあなたの御父さんを思い出すたびに、 あなたの御父さんから言われた言葉を思い出すんだ。 あなたの御父さんは、僕にこう言ったんだよ」『壽郎さん、男はね『スパーク』することが大切なんだ。普段は、普通にしていても、ここぞという時は『バチッ』と火花が出るように、人間も『スパーク』することが大切なんだよ』この言葉は、僕の生き方の「人生訓」となっている。男のみならず、女性でも、青年でも、「ここぞ!」という時は『スパークする』、そんな情熱を、自分自身の中に、温め続けていたいものである。
Aug 8, 2005
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昨日、ルバング島でたった一人30年間生活し、日本に帰還された小野田寛郎さんに御会いしました。小野田さんは1944年にフィリピンに派遣され、終戦を知らされることなくそのままジャングルの中で、たった一人で30年間生活しておられました。その後1974年に日本に帰ってこられ、翌年からブラジルに渡り牧場を経営、現在は福島県で「小野田自然熟」を経営して、理事長として、子供たちの健全育成に携わっておられます。 小野田さんの話の中で非常に共感したのは、次のような話です。「以前阪神淡路大震災が起きたとき、どこかの偉い方が、 『ご飯ぐらいは自分達で炊いて欲しい』と発言したら、 マスコミから袋叩きにあいました。 『被災者の感情を理解していない』ということで。 しかし私に言わせると当たり前の事です。 誰も助けてくれなかったら、のたれ死んでしまうのですか? 普段は自分勝手に生活していて、 何かことが起きると人に助けてもらわないと何もできない。 そんな人が多いものです。 私は30年間たった一人で、生きてきました。 一人で生きるということは、 『誰も助けてくれない』ということなんです。 『誰かが助けてくれる』という考えがあるから、 誰かを頼るし、不平不満が出る。 誰も助けてくれないと思えば、 一杯の水にも感謝できる。 一人でも生き抜き力を身につける。 大切な事です。 小柄でやさしそうな「お爺ちゃん」という印象の小野田さん。非常に礼儀正しく、私とも話してくれた。しかし、小野田さんは紛れもなく30年間、ジャングルの中で、常に襲われるという恐怖と戦いながら、たった一人で生きてこられたのだ。 (裏方をしている私)
Aug 7, 2005
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悲しんでいる人に同情する人はたくさんいる。けれど、喜んでいる人を、一緒になって喜んでやれる、そんな人は、なかなかいないものです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆人の美点や長所、あるいは業績やよい行動に対して、すなおにほめることはなかなかできにくいものです。人の批判や短所を指摘することはできても、心から賞賛することは、日常的に習慣になっていない人が少なくありません。相手が嫌いな人間であったり、年下であったり、ライバルであったりして、自尊心や虚栄心がじゃまをして、ほめられないこともあります。作家の三浦綾子さんは、『旧約聖書入門』のなかでこう述べています。「ほめるに価することを素直に注目することも むずかしいものである。 かえって正しい者、すぐれた者を、 わたしたち人間は往々にして憎む。 人間は自分と同じことをする人でなければ、 好きになれないようにできている」相手のよさ、長所、善行などに気づくことも、ままならないのではないでしょうか。また、たとえ気づいたとしても、認めたくなく、「こんなことはたいしたことではない」とか「自分の方がやはり優れている」などと考えてしまうのです。よさを認め、ほめる行為は、自分の意志によってなされます。また、それが習慣となっている人は、自然にすなおに、ほめることができるのです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆よく人に「相談」する人がいる。その人をよく観察してみるといい。「====して、大丈夫かな?どう思う」悩み事を相談する人と言うのは、「自分に共感してくれる意見」を言ってくれる人と遭遇するまで、悩みを相談し続ける。そして、自分と同意見を聞いて、「やっぱりそうだよねぇ」などと自分に安心をして、往々にして何もしない。物事は前に進むか、後ろに下がるか。そのどちらかしかない。安全に立ち止まり、その場所に居続ける、などと言うことはありえない。前に進めば、失敗もするし障害も多い。けれど、前に進みだす一歩は、自分自身しか踏み出せない。
Aug 5, 2005
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昨日の日記に引き続いての話。昨日は皆さんに謎解きを問いかけました。問い◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆『アフリカ原住民の法則』アフリカの原住民が「雨乞い」をすると、必ず、100%雨が降る、というのである。それは何故でしょうか?◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(^^)vどなたかわかった方いるかなぁ。もったいぶらずに答えを言いましょう!答えは...。「雨が降るまで『雨乞い』をする」なんです。「なぁーんだ」と思うなかれ。私はこれを聞いた時、衝撃を受けました。「雨が降るまで雨乞いをするんだよ。 あきらめるから『失敗』になるんだ。 どんなに長い時間がかかっても、 あきらめなければ、 決して失敗することはないんだよ」もうお分かりでしょう。さえない男であった私が、「どんな女性でも口説き落とせる!」と言っていた理由が...。(^_^;)そうなんです。決してあきらめなかったんです。「夜討ち朝駆け」偶然を装い、彼女が出勤の時に、通学途中ですれ違って、「あれ~~っ!?家この近くなのーー?」と言ったり。誕生日はもちろんのこと、試験の時は、合格するように御守りを買いに行ったり、思い出すね。藤吉...。高校の時、隣の席に「藤吉」っていう女の子がいた。(あんまりかわいい子ではなかった)人柄が良いので、非常に仲が良かった。その彼女が『転校』する事になった。あんまり積極的な明るい性格でなかった彼女は、高校生で転校する事に、非常に不安を感じていた。あんまり悩んでいるので、私は朝、学校へ行く途中、ふと思いつき、学校をサボって、ある場所に行った。その場所とは「南蔵院」というお寺。ここの御守りは「人の縁結び」に御利益がある。昼ごろ学校に着いた。先生に見つかって、こっぴどく叱られた。隣で藤吉がいつものように笑っていた。「笑うな!」「なんで遅れたと?なんばしよったと?」 (何をしていたの)「これ」(御守りを渡す)「これ、なん?」「御守りタイ。お前が転校した先でも、 みんなと仲良くやれるごと、 買ってきちゃったとタイ」藤吉は、隣で大声で泣いた...。「馬鹿!泣くな!」騒ぎを聞きつけた先生が、飛んできた!「きさん!なんばしたとか!」(注訳:お前は何をしたのか!)また怒られた...。その数日後、藤吉は転校した。彼女とはそれ以来あってもいないし、連絡もしていない。しかし、今でも泣きながら、嬉しそうに、「ありがとう...」と言った彼女の顔を覚えている。話はぜんぜん違う方向にいってしまったが。まぁ、いいかぁ。(^^ゞ
Aug 4, 2005
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「ストーカー」というものが取り沙汰されている。女性を執拗に追いかけ、家を突き止め、物陰から「ジーーーーッ」と見つめているような奴だ。「気味悪いねぇ!こんな男!」って、考えたら、昔の自分ではないか! w(@_@;)wそもそも、昔から私は「俺に落とせない女はいない!」などと豪語していた。そんな風に言うと、よっぽどのイケメンを想像するだろうが、大したことはない...。ただのおやじ。いままでもどちらかと言うと、告白してフラレルことのほうが多かったような気がする。中学の時だった。好きな女の子がいて(あんまりかわいくなかった!)ついに告白した!すると彼女はなんと、「私の事はあきらめて、彼女と付き合って!」と友達を紹介したのだ!(何という女!)彼女ははっきり言ってあんまりかわいくなかった!(^_^;)そんな彼女を好きになったのである。(人柄か?)その彼女にフラれた!ましてや...。しかし!しかし、である。私には、女性を口説く時の法則がある!(今はもう結婚しているので、この秘伝は、 ここに遊びに来られている方だけの、 大大大サービス! 年をとると、誰かに継承して欲しくなるもの) ※ツイてるね!\(^o^)/その法則とは、「アフリカ原住民の法則」である。「アフリカ原住民の法則」とは何か。まずは「謎解き」!◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆『アフリカ原住民の法則』アフリカの原住民が「雨乞い」をすると、必ず、100%雨が降る、というのである。それは何故でしょうか?◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆誰かわかる人いますか~?※それでは、次回 「アフリカ原住民の法則」をお楽しみに!
Aug 3, 2005
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今日、「ふーむ!」と思わず唸らされる名文に出会ったので、ご紹介します。(名文章との出会いは、人の人生をも変える)『結果は変えられないが、行動は変えられる』落ち込む人の共通点は、いつも「結果を、よくしよう」と考えることです。売上けが落ちて悩んでいるビジネスマンがいます。この人は、売上げを上げよう、上げようと考えています。売上げは結果です。上げようと思って上げられるなら苦労しません。頑張った結果、売上が上がらなかったとしたら、仕方がないことです。そこで落ち込んでも始まりません。売上げが上がらなかったなら売り方を変えてみましょう。つまり、行動を変えればいいのです。精神力の弱い人は、結果に振り回されます。結果はあくまでも結果です。成績はあくまでも結果です。売上げも、あくまでも結果です。その元になるのは行動です。行動を直すことはできます。スポーツで言えば、フォームを直すことです。テニスやゴルフで打ったボールが狙いと全然違うところへ行ってしまうことがあります。「もっと右へ飛ばそうと思います」と言っても、また同じところへ飛びます。そうなったら、フォームを直すしかありません。フォームの議論が全然なくて、「右へ行った」「左へ行った」「届かなかった」「行きすぎた」という話は、いくらしても意味がありません。結果優先主義がその人をますます落ち込ませます。落ち込みから脱出するためには、結果に振り回されないで、結果の元になる行動を変えましょう。結果をよくしようと思うだけでは、よくはなりません。 結果をよくするのではなく、行動をよくしよう。そう考えるのです。余談◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆まさにその通り!付け加えるならば、「こうなったらどうしよう」「こういう結果になってしまうのでは」と「やる」前から、物事の結果を心配する人がいる。これは自分の経験からも言えることだけれど、「だいたい、心配したことは起こらない」というのが人生だ!それよりも、「えっ!!!そんな!まさか!」ということが起きるのが人生である。チャレンジしてチャレンジして、ウェルカムトラブル!何か不慮の出来事があっても、「さっそく来たか!次は何だ!」と思えるぐらいの肚作りが必要なんだな。
Aug 3, 2005
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多くの人達が何か行動をするとき「ものの考え方が重要」という。もちろんその通りだが、脳で実際に働いているのは、「細胞」や「細胞間のネットワーク」である。その意味から考えると、「考え方」というのは、その人の「遺伝子」からスタートしていると言うことになる。極端に言えば、自分自身の体に向って、「今日はご機嫌で調子がいいようだね!」などと語りかけるというのも無駄ではないというのだ!(こりゃ面白いね!)村上先生いわく「私達は気づかないところで、自分自身と対話しているのです。「悩み」というのは、マイナス発想で作られた『脚本による自分との対話』であると言ってもいいかもしれません。 朝家を出て、天気がいいと思わず、『ああ!気持ちがいいなぁ』と自分に語りかけたりしますが、そうすると身体も爽やかになってきたりします。その時遺伝子は、ちゃんとそのようになっているのです」なるほど!「遺伝子に語りかける」これは面白いことに気がつきました。しかし、世の中の成功している人達は皆何がしかこのような、「考え方の習慣作り」をしているような気がする。しかし、現実の人生はいつもいつも元気ではつらつ、と言うわけには行きません。仕事がうまく行かなかったり、人間関係で不愉快な思いをしたり、そうなると気分が落ち込んできます。こういう時にどうやってそこから脱出するか。元気の出る遺伝子を「ON」にすればいいのです!その方法の一つは、「感動する」ことです。その時とても感動できる状態でなければ、以前に経験した感動を、心の中に呼び戻してみるだけでもいいのです。元気の遺伝子、感動の遺伝子と仲良くしましょう!\(^o^)/
Aug 3, 2005
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今から、五年ほど前、作家の田中澄江さんが亡くなりました。NHKの朝のテレビ小説『うず潮』や『虹』のシナリオ作家としても知られています。九十二歳で亡くなった田中さんは、こんな言葉を残しています。「私は熟年という言葉を使わない。 人間は死ぬまで、未成熟なものと思っている。 熟したときは、実がこぼれて地に落ちるとき、 花としては死ぬとき、 そのいのちを実にゆずるときである。 人間は一生の終わりの日まで、 花のときだと思うのである」人間死ぬまで「花」のとき、何もおそれることはないというわけです。日本人の平均寿命が男女とも世界でトップクラスになっています。反面少子化がいわれ、お年寄りは多いのに、子どもは少ない現象が、これからも続くと予想されます。これから、平均寿命がたとえ百歳になったとしても、必ず人間には死がやってきます。自ら考え決定し行動するという自立心もかげり始め、やがて依存心が強くなり、寄る年波が確実にやってきたとしても、人生は死ぬまでが花。学びつづけ、感謝の日々で前向きに生きることです。余談◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ちなみに、私の一番上の娘の名前は「花」道端に一生懸命咲く小さな花。一見誰にも知られていないようだが、小さな花は、時にコンクリートも押しのけ、一生懸命その命を全うし、咲いている。華やかな「花」でなくてもいい。時折出会う、道を歩く人、ご縁を得た人が、その「花」を見て「感動」するような、人に優しさと勇気を与えるような、そんな女性に育ってほしいと心から思う。
Aug 2, 2005
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先日、車をぶつけてしまった。(^_^;)駐車場から車をバックさせて出そうとしたところ、フロントの右側から「バリバリバリッ!」と凄い音!横にあった小さなコンクリートの生垣みたいなものに、車を引っ掛け、バンパーが「ベリッ」と音を立てて捲れた!バンパーというのは正面からの衝撃には強いが、「引っ張られる」衝撃には非常に弱い...しかし、常日頃から「考え方」のスイッチの切り替え方の訓練をしていたから良かった。「いやいや、これくらいですんで良かった」そう思うことにした。というより「そう思えた」カミさんにも素直に報告。「ごめん、車を壁にぶつけた」意外にもあまり文句を言われず、「それだけですんで良かったね」と言われた。色々と今の自分の考えや、本を読んでの感想を、話し、語り合っていたのが良かった!(^_^)vしかし、これは後日、「ぶつけて良かった」結果になった。車を買った日産の営業マンの大津君(弟の友人)に連絡して、引取りに来てもらったのだが、大津君いわく、「お兄さん、あの車の保険、あんまり良くないですよ」と言ってきたのだ。確かにそうである。何が良くないかと言うと、毎月高い車の保険料を払っているにもかかわらず、一番使用率の高い「車両保険」(自分の一人相撲の事故)に関しては、使えないような仕組みになっているのである。分かりやすく言うと、今私の「等級」が16等級で、年間の保険料が「60%減」これが、一度車両保険を使うと「12等級」ぐらいまで下がる。「等級が下がって、保険料が上がるから、 ちょっとした事故では使わないほうがいいですよ」このように保険屋は言うのである。しかし、こちらも「そうですね」と言ってしまうからしょうがない。10万円修理費がかかったとしたら、毎月の保険料が、5000円から5200円になって16年たたないと5000円に戻らないような仕組みなのである。じゃぁ「車両保険」ってなんなの!と言いたくなる。10万の車の修理費を、『保険でローンを組むか』『手出しするか』の違いである。だから、今回の件で他の保険にすることにした。9月で切り替えだったので、今の車両保険を使って、新しい保険に切り替えれば、一番良いタイミングで事故を起こしたことになる。(^_^)vいや、ほんと「ツイてる」ね!なんか、もっと良いことが起きそうな気がするよ。
Aug 1, 2005
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