2003年06月30日
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90年代の広島カープはスピードとパワーを兼ね備えたすばらしい打線を持ったチームだったことは記憶に新しい。
ざっとメンバーをあげると、
1番野村謙二郎、2番正田、3番前田、4番江藤、5番金本、6番緒方・・・
外国人ブラウン、メディーナ、ロペスといったところが加わる。
(緒方の本格ブレイクは、前田のアキレス腱のケガのあとだったのが惜しかった)
高校卒で、ドラフト4位入団の前田、5位入団の江藤が中核に座ったことからも、
「育て上げた打線」 といえ、
ある意味、ファンの理想、指導者の理想といえた。

しかし、どうしてこういう打線が誕生しえたのか・・・


例えば緒方である。
緒方は江藤、前田より年上なのだが、ブレイクは初めて盗塁王をとった95年ぐらいからで、二人には先を越された格好だ。
入団からケガに泣かされた緒方だが、95年の時点で、9年め27歳だった。
盗塁王をとって脚光をあびた、つまり「俊足が売り」の選手だったわけで、
念願のレギュラー確保には、「こつこつ当てて、出塁重視」の打撃志向になっておかしくない。
しかし、96年から23本、17本、15本、36本と2けた本塁打を続け、打者としてのスケールアップに努めた。
(99年は3割5厘、36本、18盗塁)
実際、1番を打つことも多かった緒方に対して、「1番打者なのに振りが大きすぎる」と指摘する解説者も多かった。
つまり、緒方はチームから求められる役割よりも「自分がなりたい打者の理想」(おそらくトリプル・スリーをねらうような打者)の実現を優先させたといえるのではないだろうか。

その点は金本も同様だ。
91年ドラフト4位で入団した金本だが、大学では仙台6大学で23本塁打を打つなど、ある程度「即戦力」の期待もあったはずだ。

2軍で本塁打を打っても、「ホームランは狙わんでもええ」といわれたこともあるという。
いわば、「プロの壁」に当たっているわけで、コーチの言うことを聞いて、
ホームランを捨て、打率優先の打撃に走ることも可能だったはずだ。
しかし、金本は体をウエイトで鍛え、ホームランにこだわった。
そして、01年のトリプル・スリーにつながるのである。


しかし、選手にはそれにあらがう、強い意志、自分はどういう野球選手になりたいかというビジョンを持つべきだと思うのだ。
緒方や金本にはそれがあり、広島球団はそれを容認して、見守ったからこそ、ああいう選手が育ったといえる。

環境も大事だが、選手の「意思」が大事ということ。
監督・コーチのいわれるまま、バットを短く持ったり、スイッチに挑戦したり、いろいろ試行錯誤している選手がいる。
結果を出したい、数字を残したいという気持ちもわかるが、もっと「自分はこういう選手になりたいんだ!」という意思を大事にしてほしい。





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最終更新日  2003年07月01日 02時43分27秒
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