「ミナコの思考回廊」

第1章


『愛を乞うひと』 第1章


それに気付いたのは、いつの頃だったろうか。
初めは少しの違和感。次に訪れたのは疎外感だった。

私は他人が嬉しいと笑う姿や、悲しいと怒り涙を流す姿が不思議だった。
思えば物心ついた頃から、私のこころには劣等感が巣くっていた。
己を取り巻くすべてが、おとぎ話の幸福な家庭で。そして私は切り捨て朽ち果てていく悪役の魔法使いにすぎなかった。

それでもプライドだけは高く、他人に哀れまれるのだけは御免だった。

だから人前では気丈にふるまった。
私は幸福にも馬鹿ではなく、よくできた子供を演じることができた。
そうやって、己を守って生きていた。
吐き気がするほど完璧な自分の演技に、己も他人も所詮愚か者なのだと蔑むことで救われていた。

人間なんて死ぬために生まれてきたのだから。

母体からこの世界の大気に触れた瞬間、私に与えられたのは歓びの賛歌ではなく、生という名のしがらみだった。
生きることなど、いずれ死ぬまでのカウントダウンにすぎない。

この世に普遍など何ひとつ存在しないのだ。
ただ在るとすれば、人間は必ず死ぬ、ということ。
これだけは決して覆らない。私を裏切らない。

そう考えると、いずれくるその時への期待感にゾクゾクした。
性的な興奮すら感じた。



変化は突然おとずれた。

「プルルルル、プルルルル、プルルルル、、、」

私が5歳の頃だったと思う。
いつものように食卓に並べられた朝食。
私は自分専用の、小さな器に入ったご飯が食べきれず、生卵をぶっ掛けてどうにか胃に収めようと躍起になっていた。

そんないつもと同じ朝であったのに、突然次のページがめくられたように日常は変化した。

「プルルルル、プルルルル、プルルルル、、、」

合図のように鳴り響く電話の音に、出勤の支度をしていた母が運命の受話器を持ち上げた。

「こんな朝から何かしら、、、」

受話器が本体から離れ母の耳に届くまでの映像が、コマおくりのようにみえた。
のんきな母の顔が、険しい表情に変わっていく様はまるでスローモーションのようだった。


「今日は保育所はやすみなさい」

「どうして?」

「すぐにおばあちゃんのところに行くから、支度して」


母の対応は淡白だったが、幼い私にむける表情としてはあまりに真剣な瞳だった。

窓から見える空はきれいなコバルトブルーで。
この空に、母の底冷えのする表情はにあわないな、と思った。

こうして日常は打ち破られた。
表面が乾いてしまったたまごかけご飯は、なんのためらいもなく台所に打ち捨てられた。

朝食が生ごみに変わる瞬間は、あまりに呆気なくて。
破られた日常を代弁しているかのように、私の目に写った。



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