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お年取り


 父の大好きな「すき焼き」が我が家の定番だった。
 紅白を見ながら家族4人で鍋を囲む。
 そして除夜の鐘を聞きながら年越しそばをすすった。
 一夜明けた新年、最初の食卓に並ぶのはもちろんおせち料理とお雑煮。
 普段は殆どお酒を飲まない両親もこの時だけはワイン等を開けて乾杯をしていた。
 私が高校を卒業する頃から崩れつつあったけれど、これが我が家定番「年越し&新年の迎え方」である。
 そんな私が縁あって長野県出身の人と結婚。
 5ヶ月後に長男の嫁として初めて年末の帰省をした。
 そこでこの我が家の定番が世の中の定番ではないことを知る。
 なんと大晦日の夕食の時点で次々といわゆるおせち料理が食卓に並ぶのだ。
 これが「お年取り」。
 元旦の朝の食事を上回るメインイベントだった。
 昔はその一年に食べた美味しいものを全て食卓に並べ、来年も食べるものに困りませんようにという願いを込めていたそうだ。
 お年取りの食卓をおせち料理とともに飾っていたのはブリのお刺身だった。
 義父が市場で一尾を丸ごと買ってきてさばいたものだ。
 ただ、これは父の得意技を活かしたY家の定番だと私は思っていた。
 それが5年ほどたったある日覆された。
 長野県出身のタレントが「長野県の年取り魚はブリなんですよ。」と言っていたのを聞いたからだ。
 年取りにブリを食べるのはY家ではなく長野県の定番だったのだ。
 同じ番組を見ていた夫はブリを食べるのが地方独特の風習だと知り、別の意味で驚いたようだ、
 調べてみるとこの風習は戦国時代の京都・大阪で年末の晴れの食として北陸地方産の寒ブリを用いるようになったことが始まりのようだ。
 出世魚のブリにあやかった習慣である。
 そのブリが寄り道をするようになり、江戸時代中期から長野県でもこの風習が定着したらしい。
 富山から飛騨を経て長野県に至る道は今でも鰤街道と呼ばれているようだ。
 当時はかなり高価で一尾が米一俵と交換されていたなんて記述もあったから、まさにお年取りの席にふさわしい晴れの食材だったのだろう。

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