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斎藤環
の 「イルカと否定神学 対話ごときでなぜ回復が起こるのか」
(医学書院)
を偶然手に取って、そこから始まったのが 2025年
の 1月の読書
の 波
です。活況を呈したバフチン・ブームが一段落した二一世紀にあって、あらためて見なおされているのが、バフチン特有の対話論です。もともと、この対話論を実践的に応用しようという動きは分野によっては早くから見られましたが、昨今ではさらに広がりを見せ、教育や精神医療、介護、異文化交流、第二言語習得、その他、多様な場で活かされるようになってきています。以前は主として作品解読のための理論としてつかわれていたものが、今日では現場での実践でもって評価されるようになってきたわけです。(P4「はじめに」) 小説の構造 について、70年代から、80年代、 「カーニヴァル論」、「ポリフォニー論」 という、当時としては画期的な論考として翻訳された バフチン ですが、今、 「対話論」 へと読み手の関心が移ってきたというわけです。斎藤環の関心もそのあたりでした。
バフチンの思考、あるいは、思想の出発点に置いた! ことですね。 「カーニヴァル」→「ポリフォニー」→対話 という バフチン受容の流れ を、 対話→ポリフォニー→カーニヴァル とひっくり返していることだと感じました。
「沈黙」って何? なぜ、「沈黙」を話題にする必要があるの?まあ、そういう疑問が浮かびますね。それに対してこの引用から始まって、桑野さんの結論へ展開します。
静寂と音。音の知覚。静寂と沈黙。間と言葉の始まり。音でもって静寂を破ることは機械的で生理的である。これはまったくべつの世界なのである。静寂においてはなにひとつひびかないが、沈黙においてはだれひとり話していない。沈黙は、人間世界においてのみ可能なのである(バフチン) で、 桑野さん はこの引用をこうまとめます。
〈静寂〉とは違って〈沈黙〉には、〈声〉を発する可能性、話しはじめる可能性があることを強調しています。 「沈黙は、人間世界においてのみ可能なのである」 というくだりからしても、人間にとっての〈沈黙〉がもつ意義が重視されています。この点では、〈静寂〉と〈沈黙〉をひとくくりのものとして論じる立場とは好対照をなしています。(P151) で、続けておっしゃっているのが、あっと声をあげそうになった具体例でした。
わたしには、 「苦界浄土」 三部作をはじめとする一連の著作で水俣の受難によりそった 石牟礼道子 がうかんできます。 「苦界浄土」はその全体が、まさに沈黙を余儀なくされた人びとの〈心に染み入る対話〉 となっています。中略 たとえば 小説 を読んでいるとします。騒がしくおしゃべりを続けている登場人物たちのことばの意味を読み取ろうするのであれば、彼らの内的対話に耳を澄ませる、するとその奥に 「沈黙」 があるのだということでしょうか。
対話を問題にする以上、「沈黙と向き合う」べきなのです。 (P154)
言葉の始まりにある、あの、「間」ですよね。 で、桑野さんは、そこから言葉にたどりついて話し出す人もいれば、どうしても言葉が見つからない人もいることを示唆していました。チュッと、ドキドキしましたね。この年になって小説や映画がやめられないのは、多分、そこのところの 「ほんとうのこと」 を期待しているのでしょうね。
はじめに
Ⅰ 対話的人間(~P52)
1 「わたしはひとりで生きている」という幻想
2 ひとは永遠に未完であり、決定づけられない
3 ポリフォニー 自立した人格どうしの対等な対話
4 気をゆるめることなくむすびつきながらも、距離を保つ
5 応答がないことほど、おそろしいことはない
Ⅱ 内なる対話(~118)
6 モノローグが対話的なこともある
7 意識は対話の過程で生まれる
8 真理も対話のなかから生まれる
9 他者がいて、わたしがいる
10 相互が変化し豊饒化する闘争
Ⅲ 相互作用のなかのことば(~P148)
11 言外の意味
12 言語のなかでは、さまざまなことばが対話をしている
補 沈黙(~P157)
おわりに
注・主要文献
追記
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