Marybow

曖昧に生きる

曖昧に生きる


私はよく曖昧な表現をするらしい。
小学校から仲良くしている友人と話すときに特に感じる。
彼女は結論の無い話をされるとどうも気持ち悪いらしく、よくはっきりとした答えを求められる。
「だからそれって、結局どういうことなの?」
「それってこういうこと?」
などとよく問い詰められる。

私は自分の考えをはっきりと人に示すことが出来ていないらしい。なんとなくイメージとしてはあるんだけれども、それはなんというかビジョンであって、言葉で表わすにはなかなか難しいものがあるのだ。
それをどういうことなのか、と、問い詰められても、どうしていいやらわからなくなるのだ。
過去のエッセイ を読んでくださっている方にはわかると思うが、私の表現には曖昧なものがやたらと存在する。
私自身、曖昧にしていることが山ほどあるので当然なのだ。
しかしだ。
曖昧にしていいことと、してはいけないことは当然あると思う。
それを見極めていかなければならない。
結論を出したほうがよいものと、そのまま曖昧にしていたほうが都合がよいものとあるが、それを見極めるのは非常に難しい。
私は未だにそれがわかっていない。
それゆえに、人生自体も曖昧なものになっているのかも知れない。

それでもいい。
それじゃいけない。

どっちも最もな意見で、どっちが正しいわけでもないが、自分なりの解決を見出さなければ、どうにもならないのではないかと思う。

実際、私のいまは一体どの方向に向かうのか、どう生きていくのか。迷いの中にいる。実に曖昧だ。

そろそろ考えなければいけない時期になっている。
「曖昧に、適当に」では、もう済まされないのだ。

それを乗り越えれば、きっと私の言葉の表現も変わってくるだろう。

 Nov.3/2004


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