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昨日は雪が降り、今朝は氷点下。一度暖かさに慣れるとこの寒さはこたえます。今日は実家の椎茸の収穫を目的に、実家に一人行きました。10日前に見たときに、豆粒のような椎茸が出ていました。で、本日見に行くと手のひら大の巨大椎茸が一面に生えていました。しかも標高の高い山奥なので、石のように凍ってカチカチです。 最近夫に嫌気がさして、一人楽しいドライブをしようと出かけたのですが、夫を連れてこなかったことを後悔しました。ナイロン袋を持っていたのですがあっという間にいっぱいになり、水を含んだ巨大椎茸の重みで破れる始末。一旦山から実家に帰って、入れ物を探しました。今日は椎茸の収穫のほかに、実家の牡丹や芍薬を掘って持ち帰ろうと思っていました。実家の厳しい気候でだんだん花が咲かなくなってきたので、枯れてもともとと、我が家に持ち帰ろうという計画です。スコップで4か所の花を掘り起こし、庭の草をとり、椎茸を取りに再度山に行きました。山といっても来るもで2分、道から3分です。一人で重たい椎茸を持って車まで坂道を3往復してくたびれました。 山ほどの椎茸。水を含んでずっしり重いので、半分は干して、あとは息子や近所のお友達に5件ほどおすそ分けをしました。椎茸ステーキを作りましたが、大きいので夫と2個食べるのが精いっぱい。干しシイタケはあまりに大きくてうまく乾燥できるか心配です。さあ、明日はどうやって食べようか。 何故か、写真がアップできません。
2025.03.31
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父の日記をまとめて編集をすることにしました。そのために久しぶりに古いパソコンを使っています。ブログも久しぶりにパソコンから。このパソコンが古いだけではなく、起動が遅い。セカンドパソコンとして安いものを買ったものですが、職場で最新のノートパソコンを使っていたので、その軌道の遅さが嫌であまり使っていませんでした。でも、時間もあるので急がなくても良いと思えば、スマホと違って文章を打つのはとても早くて楽ですね。 最近は黄砂で目は痒いはくしゃみは止まらないわで、大変です。しかも急に暑くなって汗だらだら。体がついていけません。年を重ねると気候の変化も重く感じます。 さて、父の日記の編集を始めました。父は今更ながらとても几帳面で勤勉な人でした。日記は昭和22年父の18歳の時から残されていました。古く変色したノート。最後は亡くなった令和5年。書けなくなった父に代わって、私が父の日記を書き記し、父の長い日記を閉じました。 幼い時から父が毎日日記を書いていた姿を見ていましたが、興味もなく読んだことはありませんでした。長すぎる日記なので、父は昭和30年から平成30年まで年記索引というものを作成しており、1年間の主な重要な出来事をノート1ページ程度にまとめたものを2冊のノートにしていました。 年記索引をパソコンに打ち込みながら、疑問に思ったことや意味の分からないことを日記本文に戻り調べて、年記索引へ注釈を入れる作業をしています。昔の崩し文字や私の生まれる前の昔の風俗や風習、行事に関する言葉が難しい。聞いて確かめる相手もいません。おばさんたちはみんな認知症だし。文章の前後の文脈などを考慮して調べると思ったより時間がかかります。 10代の父の字は幼く、私の知っている父の筆跡とは違っていました。文章も若いなー、青いなー、と思わず笑みがこぼれます。どこまでできるかわかりませんが、眠れぬ夜の夜なべ仕事にしていくつもりです。若い時の日記はまた今の作業が済んでから見ていこうと思いますが、パラパラめくると、時には外国文学の引用や、詩、俳句など書かれており、びっくりです。昭和24年の日記。19歳の時の父の字です。
2025.03.26
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昨年亡くなった義兄の法要を終えました。とても良い人でした。でも、住宅ローン破綻で人生が狂ってしまったのかもしれません。旧家の一人息子(私の夫も、私の兄もそうですが)として大切に育てられ、仕事にまい進しておられました。住宅ローンなんて、どの家庭でも借りているし、焦げついているなんて知らず、私たちが知った時は大変なことになっていました。 明日家の競売がインターネットに載るという日に、持病の腸閉塞で亡くなり、大きなローンは無くなり義姉は家を失わずにすみました。残ったローンを返しながら義姉は頑張っています。 義兄の腸閉塞は、元々胃潰瘍のため、手術をしたのが原因で、入院や手術を繰り返していました。人生の最期に、自分のこだわりの家を命と引き換えに守ったと思うと切ない気持ちになります。 私も夫を通して、色々大変な思いをしましたが、今となっては静かな気持ちで義兄の冥福だけを祈って帰りました。 早い桜が咲いていました。今年の桜は遅れています。
2025.03.23
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昨日の寒さといったら、冗談抜きで体調を崩しかねない寒さでした。いったん春の気配を感じてからの寒さは、こたえます。 昨日はご近所さんの葬儀がありました。92歳の大往生でした。我が家は班長なので葬儀の段取りなどをしないといけないのですが、昔は大変でしたが今は簡単です。20年ほど前までは、葬儀をされる家のすべてのまかないを、班の人で作っていました。親族の朝ご飯から、お昼のお弁当。お墓の準備や葬儀に使う道具。葬儀の行列に使う飾りのも。買い物や家にある野菜の調達。 衛生面でも食事はすべて仕出しとなり、葬式の行列もなくなり、コロナからは家族葬や、身内だけで簡単にするようになり、お世話は楽になりました。葬儀が貧相だからと悪口を言う人もなくなりました。 班の人は、葬儀のスケジュールと香典の受付ぐらいです。 御赤飯とお団子をつくって墓参りをしましたが、家には人がいるのに、お供えどころが墓参りもされない家もあります。こんなご時世ですね。寂しさを感じてしまいます。まあ、私もね、実はおこわやお団子を作るのをすっかり忘れていて、昨夜あわてて準備しました。お花やお線香は準備したのに。23日だと思い込んでました。
2025.03.20
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父の膨大な日記が涙で読めませんでした。でも先日ブログに父への想いを吐き出して、ああ、自分は父の死を受け入れていないんだと気づきました。年を取って死ぬのは当たり前と、割り切って考えていたつもりでしたが、そうじゃないことがわかりました。退職して2年と、束縛されていた仕事から解放されて、その後父の死、義母の介護義兄の死、と自分と向き合えなかった多くの出来事。最近落ち着いたということでしょう。 先日も触れましたが、日記から父の足跡をたどる回顧録にとりかかりました。また、父と向き合うことが自分と向き合うことであり、私自身の発見や忘れていたこと、初めて知ったことなと、ブログに記録しようと思います。頭が悪いので重複したり、矛盾したりすることを書いてしまうかもしれませんが寛大な心でお願いします。 父の歴史研究の内容についてはまだ手つかずです。これは難しすぎて。いとこの大学の先生に預けてみたいけど、了解してくれるかなー。 花山堂は父の戒名の一部ですが、父のこだわりの戒名です。これでついてもまた機会があれば。おととい天気が良かったので実家に行き父の日記を持ち帰りました。まだ、3分の一は多すぎて持って帰れません。大山も黄砂で潤んでいましたが、綺麗でした。
2025.03.16
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いまだ米の値下がりはなく、期待しておられる消費者はがっかりでしょう。夫は15年ほど前から、退職を期に無農薬栽培でコメを作り始め、5キロ2000円で売っていました。それでも一部のマニアの人や親族しか購入してくれず、赤字ばかりの米作りでした。その頃はまだ国の補助金がありました。それで何とかしのげましたが、安倍政権のおり、補助金も無くなりコメ農家は国から見捨てられました。米は安いものだと消費者からも見くびられていました。 父の日記をたどってみるのに、戦後山奥の人は炭焼きと米作りで生活していました。それは決して貧乏生活ではありません。炭と米は需要が高かったからです。木材も高く売れました。 今や食べ物はすべて輸入すれば良い、燃料は石油。コメ農家はもう成り立ちません。選挙の票欲しさに自民党が農家を大切にしていた時代が終わり、農業も新たなフェーズに入っています。 我が家の倉庫にはモミのままで米が置いてあります。時々ねずみが出るようですが、これも時々ですがマロが退治してくれます。家にコメがあるからタダかというと、買ったほうが安いぐらい経費がかかります。夫が10キロやせるほど重労働な除草作業の人件費は出ません。まあ、金もうけでやっていないのでよいですが。本当に高いコメです。
2025.03.13
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3月が来てまる2年。仕事をやめて何をしようか希望いっぱいだったあの日。何もしていない自分に呆れます。仕事のプレッシャーが無くなり毎日どんなに嬉しいかと想像していましたが、実際は淡々と。夫と義母に3度のご飯を食べさせ、時間に追われることなく家事をして、夏は畑仕事、あとは介護。 本当は父の死のショックが尾を引いています。朝、目が覚めて父を思い、父の好物や父の言葉、折に触れて脳裏に浮かびます。父は私にとって最後の砦で、唯一無償の愛をくれた人でした。夫も義母も一緒に暮らしてますが、今や全く愛を感じす。同居している人であり、私が世話をしている人。父の死を乗り越えるためにもう少し時間と、いまちょっとした作業を考えています。それは父の昭和22年から死に至るまでの日記の解読と整理です。父の字を見ると涙で読めなくて、置いたままにしてあります。いよいよ父の人生と向き合おうと思います。 継続している趣味は、エクササイズ。これは週4回継続しています。スポーツクラブではプールも強化。若い人は身体を鍛えるヒマがないのかおられません。シニアのお姉様方と気楽に交流できます。 あとはディスクワーク。パソコン使用で衰えた指と脳の共同作業をしようかと。書く作業。 もう一つは韓国語の初級講座を申し込んでみました。義母も落ち着いたので退職して3年目はもう少し根性を入れて変化と楽しみを増やせたらと決意しました。さあ、どうなることやら。もう少しブログも、自分の記録として力を入れよう。父のような日記は残せなかったけどブログは私の人生の記録だと、最近気が付きました。大事にしたいです。
2025.03.11
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先日大量大人買いしすぎたでっかいフジリンゴ。全部で40個ありました。息子と、お嫁ちゃんの実家に30個位プレゼントしてヤレヤレ。息子一家は5人、お嫁ちゃんの実家は8人家族なのですぐに消費されるでしょう。 我が家もサラダやジャムを作って楽しでいますが、そのままが一番!と油断していたら、ご近所さんからリンゴのお裾分けを頂きました。たぶん同じとこから買ったと思われる大振りなフジリンゴ。しかも8個。でもこのリンゴを持ってこられたのには理由があり、いらないとは言えず、ありがたく頂きました。 これは何か工夫が必要とレシピを検索。で簡単にできるバラのアップルパイ。冷凍パイ生地で失敗知らず。初めてにしてはまずまずでした。日曜日のご近所のアダルティな女子会に作って持っていくつもりです。
2025.03.07
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トランプ政権になり、不安が増えました。アメリカの利益だけを追求する態度で、あらゆる国に圧力をかけてきます。他国の関税を上げることでアメリカ国民は豊かになるのでしょうか。アメリカのお金持ちには恩恵があるかもしれませんが。 私ごときが政治や経済に言及することはないのですが、いま世界中で見たことのない災害や戦争が勃発して、平和ボケしている私たちに苦難の時代が迫っているように感じます。米や野菜が高いとか、高校の学費がどうとか、そんなレベルではなく、食料危機でも起きるのではないかと心配です。今まで経験したことのない米騒動も何かの発端では? テレビにトランプ大統領の暴言が報道されるたびに、気分が悪くなります。本当に戦争を停止できるのでしょうか。反対の方向に行っているように見えます。平和だからこそ自由や権利が主張できます。何も経験のない若者がこれからの世の中をどう生き抜くのか心配です。単なる老婆心でしょうか?
2025.03.04
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野菜の高騰、いつまでたっても止まりません。我が家の冬野菜、収穫できたのは大根、春菊位で高くても買うかないねーと。 そんななか、キャベツ農家さんから新鮮なブロッコリーとキャベツを頂きました。出荷するのに半端な物が出たとのことでした。夏の間我が家のズッキーニをたくさんいただいたお礼とのこと。ラッキーでした。 野菜があるとホッとします。
2025.03.01
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