○●絵空事●○

○●絵空事●○

ただいま


振り返ればそこに、三ヶ月前に死んだはずの彼女がいた。
「……さ、沙綾?」
「そうだよ?なぁに、変な顔しちゃって」
そう言って沙綾はくすりと笑った。僕は動くことも、喋ることも出来ず只呆然としていた。
「吉平のために、あたし戻ってきたんだよ?」
目の前にいる沙綾は後ろ手に組んで、可愛らしく僕にお辞儀して見せた。
「本当に、沙綾…?嘘じゃないよな…?」
鼻の奥がツンとして、徐々に視界がぼやけていった。瞬きをすれば零れ落ちそうなくらいの涙が僕の目に溜まる。
「本当の本当に、あたしだよ。きっぺー…」
沙綾が僕の名前を呼んだ。僕は弾けるようにその場から動き、沙綾を強く抱き締めた。
「沙綾、沙綾…さぁや……」
僕は何度も何度も彼女の名前を呼んだ。目からは大粒の涙が次から次へと流れ出ていたけど、そんなことを気にする余裕はなかった。
「き、吉平…、苦しいよ…」
僕の腕の中で沙綾が小さく呻き声を上げた。
あぁ、本当に沙綾なんだ。本当に僕の元に戻ってきてくれたんだ。

 「ねぇ、吉平。あたしが居なかった間ね、彼女とか…いた?」
沙綾が僕の腕に自分の腕を絡めながら訊ねてくる。
「沙綾が居なくなって、それどころじゃなかったよ。精神的に…キツかったし」
「そっか…、うん、何か安心したかも」
嬉しそうな笑顔を向けてくる沙綾を見て、僕は本当に沙綾が帰ってきたのだと実感した。
生前と全く変わらない笑顔の沙綾。それだけで僕の心は躍るようだった。
「ね、暫く吉平の家に泊まっていい?」
「いいよ、どうせ一人暮らしなんだし」
「やったぁ!なんかさ、同棲っぽくない?」
無邪気にはしゃぐ沙綾を見て、僕は目を細めた。

 僕の家に着くと、沙綾はベッドにちょこんと腰掛けて部屋をきょろきょろと見回していた。沙綾は枕元に置いていた自分と僕とが写った写真を手に取った。
「ねぇ、これって…」
「うん、付き合って一年目の時に海辺で撮った写真だよ」
キッチンでコーヒーを入れながら僕が答える。
沙綾は写真を愛しそうに撫でていた。
「取って置いてくれたんだね…」
「捨てるわけないだろ。大事な記念だからさ…」
沙綾はコクンと小さく頷いた。写真に、一粒涙の雫が零れ落ちた。
「ほら、コーヒー入ったよ」
机の上にコーヒーの入ったマグカップを二つ、コトリと置いた。
沙綾は甘党だから、砂糖は4つ入れて。
「ありがと…。吉平の入れるコーヒーっておいしいよね」
沙綾は両手でマグカップを包み込むようにして持ち、ゆっくりと口に含んだ。
「味…変わってないね」
「そりゃね、同じ豆使ってるし」
僕は片手でマグカップを持ち、ごくりと一口飲み込んだ。
「吉平も…変わってない」
「…三ヶ月じゃ、人は変わらないよ」
「うん…そうだね。変わらないんだよね」
沙綾は少し寂しそうに微笑んだ。

 「ところでさ、どうして沙綾は生き返れたんだろうな?」
シングルのベッドに二人で体を寄せ合って横になってから、僕が尋ねた。
「うーん…、あたしにも分かんないんだけどね?気付いたら、あそこに立ってたの」
沙綾は僕の腕を枕にして、此方を向いている。
「でもね、生き返れたのはきっと吉平の為だよ?だって…ちゃんとお別れもしないまま、あたし死んじゃったし…」
沙綾は学校の帰り道、僕と別れた後に車に轢かれてしまった。後で聞いた話によると、即死だったらしい。僕が病院に着いたときは既に息をしていなかった。
「沙綾…大好きだよ」
僕は沙綾を強く抱き締めた。沙綾は僕の腕の中で、小さく頷いた。
「ありがと、吉平。もう…あたし思い残すことないよ…」
「沙綾…?何言って…」
僕が驚いて沙綾を見ると、彼女は涙を流していた。
「やっぱりね、あたしはこっちの世界の人間じゃないの。だからね、もう…お別れだよ」
僕が抱き締めていた沙綾は、徐々に薄れて後ろの壁が透けて見えていた。
「そんな…っ、嫌だ!折角…折角戻って来れたのに…っ!」
僕は起き上がって沙綾を腕の中に収める。僕の涙が沙綾の頬に落ちた。
「ゴメンね、吉平。…泣かないで?あたしはずぅっと吉平の傍に居るよ?」
此処にね、と言って沙綾は僕の胸を押さえた。
「だからね、吉平は生きて?あたしの分まで、一生懸命生きて。そしたら、あたし嬉しいから…ね」
沙綾は僕の頬を伝う涙を手で優しく拭った。
「沙綾……愛してる…」
「うん、あたしも愛してるよ。吉平」
最期に沙綾は優しく微笑んで、そして消えた。
「沙綾!!さあやぁぁぁ!!」


   それから沙綾が僕の前に再び現れることはなかった。
   沙綾は最期、僕に生きろと言った。 
   僕は今日も生きる。
   沙綾の分まで、懸命に生きていこうと誓ったから。
   「いってきます、沙綾」








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