○●絵空事●○

○●絵空事●○

守りたい者


私は幼い頃に出した高熱が原因で、聴力を失っている。
でも
其れを辛いと思ったことはなかった。
だって、いつも傍にいてくれる人が居たから…。

不意に、トントンと二回肩を叩かれる。
振り返れば眩しいくらいの笑顔を向けてくれる人。
「おはよ、栞」
勿論私には彼が何と言っているかは分からない。
彼は私以外の人にも話が分かるようにいつも話しながら手話をしてくれる。
『おはよう、凪』
私が手話で返すと、凪はにっこりと微笑み、私の手を捕まえる。
「今日は何処に行こうか?昨日は水族館に行ったし…どうする?」
『私、今日は海に行きたいな』
「海?いいけど、まだ6月だから水は冷たいぞ?」
『ううん、いいの。海が見たいだけ』
凪は笑って私の頭を撫でる。
他の人に触れられるのは少し怖いけど、凪に撫でてもらうのは好き。
私の髪に触れる凪の手は大きくて、とても優しかった。
「じゃあ、行こうか」
凪は私の手をしっかり捕まえたまま歩き出す。
私の歩くスピードは遅くて、凪の歩くスピードは本当は速い。
でも、凪は私に合わせてゆっくりゆっくり歩いてくれる。
凪が優しくしてくれるとすごく嬉しくて、ちょっと悲しくなる。
なんでかな…。

海に着くと、私はミュールを脱ぎ捨てて波打ち際まで走り寄る。
海の水は冷たかったけれど、歩いて火照った足には丁度良かった。
「栞、あんまり冷えすぎるなよ?お前は体が弱いんだから」
何時の間にか凪が隣に来て、そう言った。
『大丈夫、平気』
私はにっこりと微笑んで見せる。
凪が苦笑して自分の上着を私の肩に被せてくれた。
「これ着といて。そうじゃないと俺が心配」
『うん、ありがとう』
私は笑ったつもりだったのに、凪の顔が急に曇る。
『凪?どうしたの?』
いつもならすぐに返事をする筈の凪が、少しの間黙り込んだ。
ねぇ、どうしたの?
あなたの笑顔を曇らせたくはないのに…。
凪が、私の体を包み込むようにして抱き締めた。
「栞…好きだよ」
手話じゃなく、凪の言葉。
私には聞こえなかったけれど、なんとなく分かったような気がして。
「俺さ、不安なんだ。俺の力でお前を守っていけるのか、とか…お前に辛い思いをさせてないか、とか…」
今にも崩れそうな凪の表情に、私の胸がつきんと痛んだ。
そっか
分かったよ、凪
私が凪に優しくしてもらうと悲しくなっちゃう理由
私ね
守って貰うばかりじゃなくて
私も凪を守りたいんだよ
凪と同じ場所にいたいから
私も凪が大好きだから…

『凪、私ね守ってもらうばっかりはイヤ』
「栞…?」
『私もね、凪が大好き。凪のこと守りたい。だからね、不安になんてならないで…?』
私の言葉で、凪の瞳から涙が溢れてきた。
「ごめん、有り難う…」
私の体を包み込むようにして回された凪の腕に、ぎゅっと力が入った。
ちょっと苦しいけれど、でも今はこうしていたい。
私も凪を守るって決めたから。





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