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『ロードスター』デザイナ俣野氏セミナ
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■『ユーノス・ロードスター(Miata)』クリエイター
俣野氏セミナ・レポート
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日時 : 2003.02.25(Tue) 19:20~20:30
場所 : Chinese restaurant『Ming’s』
参加者: JTPA(Japanese Technology Professionals Association)
セミナ参加有志 各位
概要 : JTPA主催ネットワーキングセミナー『Always Inspired』
MAZDAが世界に誇るオープン・スポーツ『Miata』(日本名
『ユーノス・ロードスター』)の設計者で、現在サンフランシス
コ「Academy of Art College」のIndustrial Design Department
のトップとして、後進のインダストリアル・デザイナの育成に
あたっておられる俣野氏を招いて、ネットワーキング・セミナ
が開催された。
俣野氏は、成蹊大学を中退後、ロサンゼルスの「Art Center
College of Design」で学位を修得され、その後 GM、ボルボ、
そしてBMWの各社で設計のプロとして経験を積まれた後、米国
MAZDAに招かれたというグローバルに活躍するプロフェッショ
ナル・デザイナ。
今回の企画は、自分の仕事の内容とは異なる分野であるもの
生来の車好きから 非常に楽しみにしていた企画。
『Miata』の設計にまつわる話を聞けただけでなく、質疑応答の
時間が十分用意され ざっくばらんな議論を楽しむことができ
た。 セミナ後にも個人的に話を伺いに行くことができる等、
俣野氏の飾らない人柄は非常に魅力的だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
■1. 俣野氏プレゼン内容
――――――――――――――――――――――――――――――――
▼ 俣野氏の略歴
―――――――――
・もともとは成蹊大学の応用数学科に在籍していたが、その後一時 建築
工学を目指すものの、車への興味が捨てきれず車のデザイナとなり、
渡米を果たす。
・LAの「Art Center College of Design」でキャデラック、フォードに
興味をもつが、1974年にデトロイトのGM(ジェネラル・モーターズ)に
入社。
折りしも高まったオイル・ショックの影響で、燃費向上のため 車体
サイズを次々に小さくする設計に従事することになる。
・GM勤務後、オーストラリアに移ったが、ヨーロッパの自動車会社に
興味をもつことになる。ポルシェも受かるが(後にビザの関係で頓挫)、
BMWとドイツ・フォードにも受かり、最終的にBMWに入社。
この頃から 業界にて車体設計に空力デザインが必要と騒がれ始める。
→ BMWに出した俣野氏の空力を意識した車体デザインは、2000年以降
の新しすぎるデザインと評される。。。
その後、BMWで1年間(現行からすると2代前の)当時最新車種である
「3シリーズ」を担当。
BMWの車は市場にリリースされてから10年は使用されると言われていた
ため、中途半端な設計はできないと覚悟する。
・続いて、カリフォルニアのMAZDAに招かれる。これに併せて米国社屋の
デザインも手がける。
カリフォルニアでは、開発本部では手がけない先進設計を主に担当。
初代『Miata』(日本名『ユーノス・ロードスター』)および2代目の他
「MS-6」、3代目「RX-7」等も手がける。
▼『Miata』(日本名『ユーノス・ロードスター』)開発時エピソード
――――――――――――――――――――――――――――――――
・俣野氏の基本スタンスは、「未来を予測する最善の方法は、自分自身で
そのデザインすること。」 というもの。
社会情勢や経済状況などを考慮してデザインに反映させる。
実際の設計段階では、15~20年先にはこうしたトレンドになるのでは
ないか?といったデザインを、より現実的な形で 次期モデルへ落とし
込む手法をとっている。
・『Miata』(日本名『ユーノス・ロードスター』)を設計する際に最初に
集まったモック・アップ・デザインは日米チームで全く異なっていた。
『Miata』は当初より米国で主に売ることを考えた車であった。
(俣野氏は勿論 米国チーム所属)
日本チーム案:FF (Front engine Front drive)
米国チーム案:Midship (前後輪間の重量中心にエンジンを設置)
日本チームは、当時の日本での市場動向からFFを押すものの、車を最
も自然にデザインするとFR(Front engine Rear drive)になる、という
観点から、最終的にはFRに落ち着く。
・『Miata』設計時は、当初から20年後にコレクターズ・ガイドができる
ことを想定して拡販資料等含めて戦略を立てた。
・初代『Miata』はごく普通の運動靴的な気軽なキャラクタ付けを行った
のに対し、2代目はより運動性能の高いNikeのシューズをデザインする
ようなスタンスで取組んだ。
・自動車をデザインする際は、その国の文化を反映して 様々な違いが
発生する。
例えば、ドイツでは実車の原寸をもって紙面デザインするのに対し、
日本のMAZDAでは最高でも1/2サイズの紙面をもってしかデザインしな
い。通常は1/10~1/4程度のサイズでデザイン。
後に、日本のMAZDAに行って分かったのは、その実車1/2サイズの机まで
しか持ち合わせていなかったこと。日本の土地の狭さが無意識に反映さ
れている。
一方、米国と日本では道路の幅も車線数も圧倒的に異なる。『Miata』
は当初より、米国市場を主なターゲットにしようと考えられていた
ため、米国の街並みに合うよう、また米国の生活体感にフィットする
よう米国の街並みを再現をしたドック内でデザインされた。
ここまで、ドックにこだわった例は これまでないという。
例えば、日本では駐車はバックから入れることが多い(狭い空間では
バックから駐車する方がきれいに入る)が、米国は駐車スペースが広い
ため、状況は全くの逆で 頭から入れる。
したがって、駐車場の車を見る歩行者から注目されるのは車のリア・
フェイスとなる。街中の運転においても後続の運転者から見えるのは、
対向車線のフロント・フェイスよりも 通常 前走のリア・フェイスで
あるため、『Miata』では魅力的なリア・フェイス造りにこだわった。
一方、フロント・フェイスは誰からも嫌がられることのないシンプル
なデザインを心がけた。丸い目(ライト)があって丸い口(ダクト)がある
ような優しいデザイン。誰からも嫌がられることがないという点では
『ローバー・ミニ』や『VWビートル』等と共に『Miata』は今でも健在
と考えている。
日米の生活習慣の違いや食べ物の違いも結局のところはデザインに影響
すると考えている。車の色目の基本色であるベージュを例にとっても、
そこから米国チームがイメージする色と、日本チームのイメージする色
では既に違っている。(日本の方が淡い薄い色をイメージしている。)
こうした習慣や趣向の違いは、一昔前までは各国の車のコンソールに
おけるステレオの位置に顕著であった。(具体的には ハンドル中心の
高さに対して、どの高さにステレオが位置するかは日米独それぞれ特徴
があった。)
更に、押しなべて見てみると、ドイツ車は一般にテクノロジーが発達し
ても自然を超越しない範囲で車を機械的に熟成させようとするのに対し、
日本車は、ドイツ車がまだやれていないことを 電気制御やコンピュー
タ制御で実現してしまおう、という傾向があった。(最近まで、ドイツ
車は例え日本車がそのようなスタンスに出ても自然を超越しない、とい
う自己規制のスタンスがはっきりしていた。。。)
一方の米国車は、生活を便利にするためなら何でもしてしまう傾向が
あり、却って機能を複雑化させてしまう傾向があった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
■2. 参加者との質疑応答
――――――――――――――――――――――――――――――――
・何故『Miata』という名前を付けることになったのか?
→ 4つあった車名案からカスタマ・リサーチで最終決定した。
当初から赤いスポーツカーをイメージさせる音ということで
『Miata』(ミアータ)が気に入っていたが、『Miata』には古い
ドイツ語で「報酬・贈り物」という意味がある。
北米地区でのこの名称使用に当たり、何故か日本チームが「ミヤタ
自転車」 に使用伺いを立てに行くということをしたため、言葉も
綴りも違うにも関わらずMAZDAは『Miata』を自動車以外には使用
できなくなる、というオチが付いてしまった。。。
・オープンカーを普及させようとしたのは誰?
→ 俣野氏本人の案による。LA時代の自分のオープンカー体験による。
一度乗ると病みつきとなる楽しさを、多くの人に気軽に知ってもら
おうと 俣野氏およびアメリカチームから提案した。
・最近、日産に中村史郎氏がチーフ・デザイナとして加わったことで、
日産のデザインが大きく向上したが、俣野氏が『Miata』プロジェクト
に加わった際もそのような状況だったのか?
→ 古くから芸術が栄えるときは、よいスポンサーがついてきたもので
あり、車のデザインもデザイナが良いだけでは決して良くならない。
斬新な発想やデザインを理解し、支援する会社側の理解がなければ
実現はままならない、ということ。
『Miata』のデザイン時にはそれを理解してくれる体制がMAZDA内に
あった、ということ。
・『Miata』(ユーノス・ロードスター)は、当時 最も安いモデルは日本
価格にして、180万強からスタートしていたが、その外装や内装の質感
車自体がもっている雰囲気等からして、とてもそのような価格で売ら
れる車ではないと思えたが、そうした価格にしたのは何故か?
【私の質問(1)】
→ そんな価格では売りたくなかったし、売らずに済むと、当時俣野氏
含む米国チームは主張したが、日本チームは未開拓のオープンカー
市場に非常に弱気で、ああした安価なスタート価格をつけた。
一方、初代での成功に気をよくして、特に好調だった北米市場では
2代目の値段を高く設定しすぎた、という失敗もある。
・初代から2世代目に移行する際、これまでの日本車にはない程 非常に
上手くキープコンセプトされていたが、何に最も気をつけたのか?
【私の質問(2)】
→ 日本チームはもっとドラスティックに印象を変えたいと言っていた。
しかし、米国では同じ車種が3代に渡って走っていることが ごく
一般的。すると、各世代すっかり変えてしまったのでは、新しい
モデルを覚えてもらうのに、またゼロから市場に訴えなくてはなら
ない。
そこで、100m離れて見れば先代と同じに見え、50mの近くに来た際
には何か少し違うと分かり、それでいて誰も嫌味を覚えない車作り
を2代目に目指した。
そうした条件を満たす車は、現在でも おそらく「ローバー・ミニ」
と「VWビートル」と『Miata』(ユーノス・ロードスター)位だと思う。
・(俣野氏からの自問・自答) どなたか『Miata』にニックネームや名前
をつけて乗っている人がいるのではないですか?
→ 初代の『Miata』は女性っぽく、2代目は男性っぽい印象というの
が市場の共通した認識。事実、設計する側もそうした方針を取った。
初代に関しては、米国人のオーナが ガレージに「お休み!」と言
いに行きたくなるような車を作ろうとした。
実際には、購入当初 車の中で寝た人がかなりいたというので驚く。
・日本のインダストリアル・デザインの優秀性も大したものだと思うが、
これについて俣野氏はどう思うか?
→ 日本人はアメリカのデザインはダサいとか、趣味が悪い等と言うが
米国からすると日本はデザインに対しては比較的敏感だが、色目に
関しては鈍感という感覚をもっている。
例えば、米国のキッチンペーパーやトイレットペーパーからして
既にカラフルであるが、日本の家事関係の用品・用具は色目に乏し
い。この辺は感覚の違いによるところが大きいので何とも難しい
ところ。
・日本の『ユーノス・ロードスター』(右ハンドル)の仕様に若干違和感を
感じるのは何故か?
また、初代でリトラクタブル・ライト(目が開くライトのタイプ)を廃止
して、2代目で固定楕円形ライトにした理由は?
→ 前者については、『Miata』が本来 左ハンドルを基本コンセプトと
しているため。サイド・ブレーキ位置が日本仕様では少々違和感が
あるのだと思う。(どこまで全うに右ハンドル化したかの問題。)
後者については、初代から固定の異型レンズ・ライトにしたかった
のが本音。
ただ当時は 楕円形の異型レンズの中に 全照灯もスモール・ライト
もウインカーも組み込む安価な加工技術が確立しておらず、全照灯
をリトラクタブルにした。しかし、リトラクタブルの採用により、
故障の可能性や、モーター込みによるフロント部の重量増大等の
ディスアドバンテージがあった。
また、自分も所有した初代『Miata』のリトラクタブル・ライトが
故障して、修理に$160~$180もかかるのを実感してから、これは
もう決してリトラクタブルはやってはいけないな、と思った。
一方、現在開発推進中の3代目はこうした事情とは関係なく、ヨー
ロッパの安全基準上、リトラクタブルの通常使用が認められなく
なるため、リトラの復活はありえない。
・俣野氏が アメリカでやっていけると思った瞬間は?
→ 初めて降り立ったLAのデニーズでぬるいコーヒーを飲んで、猫舌の
自分にあうと思った。猫舌があうなら、英語もしゃべれるはず!と
確信した。。。(^-^;)(^-^;)(^-^;)
1974年にデトロイトに移った後も、今にして思えば、いくらかの嫌
がらせをさせられていたようだが、訳も分からず一緒になって楽し
んでいた。。。
例えば、日本では12/8、米国では12/7がパールハーバーの記念日と
なっているが、その際、仲間からマフラーとヘルメットを渡されて
パールハーバーの記念写真を撮られたりしたが、本人はパールハー
バーの日を記憶していなかったので、喜んで一緒に騒いでいた。
ドイツでは ちょっとした徒弟制度があり、デザインのプレゼン当日
にプレゼン資料の貼る場所を埋められてしまう意地悪をされたが、
次回のプレゼンの際に 真っ先に自分のプレゼン資料を貼りまくり
加害者を同じ目にあわせたら途端に周囲が親近感をもって仲良くし
てくれるようになった。
また、初めは英語が話せなかったが、渡米2年後の最終ゴールを
自分の作った自前ジョークで周囲の人を笑わせることに据えたとこ
ろ、上達も早まった。
要はあまりくよくよ気にせず楽しく捉えるのがよいと思う。
・機能と見栄えの両立は難しいように思うが、良い折り合いの付け方は?
→ 決して難しいことではない。シンプルなデザインであることが大切。
一方、使っていて 使いにくさがあるデザインは長くもたない。
例えば、ドイツには 元来 設計とスタイリストというカテゴリしか
なく、純粋なデザインという分野はないにも関わらず、大変に美し
い工業製品が出来上がってくる。
これはドイツの設計者がデザイン感覚を含めよく勉強しているため。
日本はデザインの専門家がいるのに、機能と見栄えの両立が下手。
俣野氏の場合、自分のデザインの実現の可能性を3、4人のエンジ
ニアに必ず質問をする。例え、反対意見が返ってきても、複数人に
対して できない理由を一通り聞いて回っていると、逆に可能な案
が客観性をもって浮き上がってくるもの。
・車は 世界に受ける1つのデザインで広めるべきなのか、それとも国や
地方に応じて仕様や外観を変えて広めるべきなのか?
→ これは その自動車メーカの規模や体力に依存してしまう。
MercedesやBMWは 秀逸な単一デザインを世界にばらまけるが、
TOYOTAやHONDAのように資産力があれば、現地専用デザインを作る
ことも可能。
一方、規模の小さいMAZDA等は、これらの折衷で行かざるを得ない。
・20年先というのはどういう世の中(車)になるのか?
→ 先ほど、15~20年先を睨んでデザインを次期モデルに落とし込むと
言っていたが、実際25年先はリタイヤするから自分には責任ないよ
と言い逃れたいところ。。。(笑)
先行デザインを、現在のデザインの次に落とし込むのは誰かがやっ
てくれる仕事であり、その所要時間は それを必要とするニーズに
よって決まる。
現状 鉄はリサイクルに適していて強度も落ちない。一方、アルミ
は リサイクルで4割程度まで強度が落ちてしまうことからも、20
年先もそうそう車の基本構成材料は変わらないのでは?と思う。
駆動系ではハイブリッド(ガソリンと電気による折衷駆動)が現実的
な線ではないかと思う。
・グローバルに活躍する秘訣は? 個人ブランドをもつ戦略とは?
→ 幼稚園、小学校、高校、大学含めて、常に3年くらいの周期で引越
しやら、周囲の環境が変わることに慣れてきた。
そうした経験が、どこに行っても通用するという下地になっている
のではないか。
個人ブランドの戦略といったことは特になく、あまり周囲の人の
ことを気にせずに、自分の好きなことを好きなようにやっていたら
それが確立されてきた、というだけのこと。
国や人種といったことを気にせずやるのがよかったのだと思う。
・グローバリゼーションによって車の個性がなくなることはないか?
→ 確かに一理あるかもしれない。
グローバリゼーションによって、シトロエンは売れなくなり、アル
ファロメオがアルファらしくなくなるとか。。。
例えば、Lexus(TOYOTAの海外向けアッパーブランド名)のセルシオ
がドアの鋼板の厚みを2mmにするのは、ドイツ勢にとっては迷惑な
過剰仕様だったが、もはや今はそれが高級車のスタンダードとなっ
てしまったように、メーカ間の違いがなくなっていくことがある。
・俣野氏がメール等の最後に決まって書く『Always inspired』のフレー
ズの由来とは?
→『Miata』のデザインの際、「ときめきのストーリー」ということを
常に念頭に置いており、それを本にする際『Inspires sensation』
という訳を当てた。
それが、今の『Always inspired』というフレーズに繋がっている。
なんとなく、そうしたフレーズを使い始めたら、周囲の皆さんが
そのまま馴染んでくれているようなので こちらもそのまま使い続
けているだけ。
――――――――――――――――――――――――――――――――
■3. 解散後の個人的な質疑応答
――――――――――――――――――――――――――――――――
・2代目『Miata』のキープコンセプトは、代替わりすると全く別の車
になってしまう日本車市場では貴重だと思った。
リトラクタブル・ライトは廃止しながらも、固定の異型ライトで先代
のイメージを上手く引き継ぎ、洗練されたデザインが実現されていた。
我々の世代では、車種毎の特徴をキープしながら モデルチェンジする
とか、(MercedesやBMWまでとはいかないまでも)同一メーカ内のデザイ
ンにある程度の統一性を持たせるような、少し大人の感覚をもった取
り組みの方が好ましいと思う傾向が最近強くなってきていると思う。
そうした意識からか、最近 MAZDAは全車種に五角形グリルを採用する
方向を見せているが、ああした傾向は2代目の『Miata』のキープコン
セプトと照らしてどう思うか?
→ 2代目のキープコンセプトは もっと端的に言えば ボディーカバー
をかけていても中に入っている車が『Miata』と分かるようなデザ
インにしたかった、という思いがあった。
ただし、個々の運動性能等 中身は大幅に良くなっている。
一方、キープコンセプトに関して、個人的には今のMAZDAの五角形
グリルのような安易な方向性は取りたくないと思っている。
もっと本質的なキープコンセプトや統一性によるアイデンティティ
の示し方があるのではないかと思っている。
・『Miata』は空力特性に優れていると思うが、初代のリトラクタブル・
ライトが開いた場合、空力上ディスアドバンテージになるのは時速
どの位になってからか?
→ 実用上は殆ど問題ないと考えているが、160km/h以上で影響が出始
めると聞いている。
――――――――――――――――――――――――――――――――
2003.02.28 記
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