thunderbolt!

thunderbolt!

それから

りきちゃんとすごした日々 その5





お葬式も終わり、次の日には、おじいちゃんおばあちゃんも大阪に帰った。
気が抜けた。
お通夜お葬式に来ていただいた方は、のべ200名ほどいた。
よく考えたらすごい人数だ。ほとんどの人がりきちゃんを見たことが無いのに・・・



りきちゃんがいなくなって、10日ほど経った。でも、いまだにいなくなった気がしない。
りきちゃんに会いたい。気が付けばりきちゃんのことを考えている。
はっきり言って、パパは全然立ち直っていない。



彼の生きた、1才3ヶ月という時間。日数にすると、441日だった。
そのうち、パパが面会することが出来た時間は、およそ、150時間ほどであった。
残した写真はおよそ1500枚。残したビデオは、およそDVD10枚分ぐらい。
この時間は、何を物語るのだろう。いまだもってわからない。


普通の子供ならばおよそ1週間ほどですごしてしまうこの時間は、パパにとって宝物である。
でも、もっとりきちゃんと一緒に過ごしたかった。
してあげたかったこともいっぱいある。でも何も出来なかった。後悔はいっぱいある。
りきちゃんのために、なんでもしてあげる覚悟だったけど、何にもしてあげられなかった。
けっきょく、助けることができなかったんじゃないか・・・

無力感が襲う。
パパは、完全に自信喪失状態に陥り、抜け殻だった。



いろんな瞬間に、りきちゃんのことを思い出す。
2時30分を指した時計。
夜景をみると、家族宿泊棟からみた夜景を思い出す。
テレビから聞こえる医療機器のアラーム音。
おもちゃや絵本、一度も使わなかったチャイルドシートなどのベビー用品。
全てのモノが、りきちゃんにつながっていってしまう。





ため息の数は減ってきている。お笑い番組を見ても、笑えるときがある。
りきちゃんのそばに飾ってあるお花も、ずいぶん痛んできた。そうして時間は過ぎていく。

ママは言った。このまま、どんどんりきちゃんのこと忘れていくのかな。
忘れはしないさ。これからも、りきちゃんといっしょだよ。ずっといっしょだよ。




時間は過ぎていく。1週間、10日、・・・

でもずっとへこんだまま、一向に回復できない。
これを男らしくないと思うのは勝手だし、そう思われても仕方ないところもあるが、それでも、やっぱりいつまでたっても回復できそうな感じではない。


そしてあっという間に2週間が過ぎてしまった。
祭壇に飾ってあるお花は全て新しいものに入れ替わり、お供え物も少しづつ入れ替わっている。
が、りきちゃんに会いたい症候群は日に日に悪化している。

食欲はすっかり衰えてしまった。
いつもの半分の量さえ食べるのがしんどい。
朝になると頭痛、吐き気、めまい、胸の痛みに襲われ、無気力感にさいなまれる。
解消することのできないストレスか。


仕事がなかなか手につかない。迷惑をかけていることも分かっている。
それでもなかなかやる気が起きない。仕事だけでなく、全てのことについてやる気が起きない。何もする気が起きない。


夕方になると、面会に行かなければならないような気がしてしまう。
実際、病院まで行ったことも何度かある。行っても意味が無いのは分かっている。
その後、余計に悲しくなることも分かっている。
それでも、気がつけば病院の方に向けてハンドルを切っている。



いつも前を向いて明るくしていれば、どんなことでも必ず救われるという
パパの信念はこなごなに崩れ去り、たとえようのない無力感に包まれていた。


何もする気が起きない。
どんなに頑張っても、運命には勝てないのか。

それ以前に、俺は頑張ったのだろうか。
けっきょく、何もしてあげられていないじゃないか・・・




週末になると、りきちゃんを尋ねてきてくれる人もいる。すごくありがたい。

位牌や仏壇も手配した。
今はいろんな形のものがあって、かわいらしい位牌にした。

今までは、りきちゃんにあえる週末がすごく楽しみだった。
りきちゃんのいない週末はつらい。でも、やっぱりどこかにいるような気がする。




気がつけば、2月になろうとしていた。りきちゃんがいなくなって、もう1ヶ月になろうとしていた。

少しづつ、本当に少しづつ、無気力感は薄らいできているような気がする。
自己分析が出来るようになってきた。自分を客観視することが出来るようになってきた。
相変わらず食欲は無いし、頭痛や吐き気は収まらないが、それもマシになってきている。

あれから、ロールケーキも作った。でも上手くできなかった。
パパは、これからりきちゃんにおいしいお菓子を作って、お供えしてあげられたらいいなと思う。
という訳で、お菓子作りにハマってみることにした。
趣味がひとつ増えた、ような気がする。





大雪が降ったあの大晦日、りきちゃんはずっと外に降る雪をせつなそうに見ていた。
りきちゃんはあの日、自分がパパと一緒に雪を見るのがこれで最後だと言うことを、分かっていたのだろうか。
パパの夢は叶えられないと言うことを分かっていて、あんなせつない顔をしていたのだろうか。

今年はまだ雪山に行っていないし、行く気にもならない。行ったら思い出しそうだから。




49日になった。
大阪から私の親父が来た。寒い日だった。
でもこのあたりから、少しずつ元気になって行ったような気はする。

普段の生活にバリエーションが出てきた。
今までの買い物・面会・家事といった休日の過ごし方は一変し、あちこちに出かけるようになった。
それも、ママのおなかの中の子供が大きくならないうちだけだろう。
いけるうちにいろいろ出かけるようにした。
気分は変わるものだ。




4月になった。もう3ヶ月がたつ。
徐々に回復してきている。元気がでてきた。お菓子作りは面白い。
手打ちパスタの趣味もできた。
いまだにいろいろ考えることはある。でも以前のような無気力感は少しづつ薄れてきた。

なによりも、ママのおなかの中の子供が大きくなってきたことがうれしい。
だんだんとスキーをしようという気になった。
スキー場も営業終了し始める頃になって、パパの04/05シーズンが始まった。
ぼろぼろだったウエアも買い換えた。
結局2回しかいけなかったが、満足だった。
何よりも滑れる自分がいたことがうれしかった。




久しぶりにママと二人で東京にお出かけした。
六本木ヒルズに今頃はじめて行った。
りきちゃんがいる間は全然お出かけなんて無かったから、本当に久しぶりだった。

他にも軽井沢とか、八ヶ岳とか、あちらこちらに出かけた。
八ヶ岳は独身の頃パパはよく行ったところで、すごく懐かしかった。
GWにバーベキューをしたり、楽天のblogをはじめたり。
だんだん生活が変わってきた。



そして菜々子の誕生。
またまた生活が一変した。



でもりきちゃんのことは忘れたことが無いし、菜々子が生まれたことでかえってりきちゃんのことを考えるようになった。
いまだに何でりきちゃんがいなくなったのかという理由は分からない。
でも以前と違った観点で考えるようになった。





これからどうなるのだろうか。
自分でも分からない。


でも、りきちゃんのことを忘れることはない。





























© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: