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レンタルビデオで「ロードオブザリング 二つの塔」を観ました。その中で出てくるキャラクターの一人に「ゴラム」というのがいます。このストーリーはあまりにも有名なので、知っている方も多いと思いますが、ゴラムとスメアゴルという2つの人格をもつ、二重人格のキャラクターです。 http://www.lotr.jp/film/exclusives/editorial/gollumsmeagol.html上記のサイトに詳しいことが載っていたので、一部を紹介しますと、ゴラムとスメアゴルの関係とはどんなものですか?ゴラムはいつも自分自身と対話している。つまりゴラムとスメアゴルの間には尽きることのない葛藤がある。ゴラムは強情で、腐敗していて、乱暴な性格だけど、だからこそたった1人で霧降り山脈に生き長らえてきた。一方、追いやられてきたスメアゴルの性格は、うぶで人にこびへつらうところのある子供っぽいものだ。とのことです。このキャラクターはとても興味深かったです。彼の中には単純にいうと「善人と悪人」の心があって、その2つの人格が交互で出てきて、独り言で言い合うんです。「あんなやつ信じるな」「いや彼はいい人だ」とか。人間はどうして「邪悪」と呼ばれるものを必要とするのか、あるいは頼ってしまうのか、ここしばらく考えていたのですが、答えを教えてもらった感じです。幸福な人は、心から人の幸福を望みます。不幸な人は、心の底では人の不幸を望みます。28日の日記にそう書きましたが、私にとって、「邪悪」というのは、自分の中に「不幸感」があるために、意識的、あるいは無意識的に自分以外の人や存在の不幸を望んでしまう心の闇の部分です。当然そんなことをしていれば、さらに自分の「不幸感」を強めてしまうことになるので、悪循環が起き、さらに人の不幸を見聞きしたくなります。自分が不幸なのだともっと強く思うようになります。そして、「不幸」には中毒性があるので、さらに強い「不幸」が欲しくなる衝動にかられ無意識的に自分が不幸に感じる選択ばかりしてしまう可能性もあります。自分の中毒症状を自覚しない限りは、なかなか心のクセを変えることは難しいのです。私も含め、誰もがそういう心の闇の部分を体験したことはあると思います。「闇」は「闇」を呼び、「光」は「光」を呼びます。「光」は愛と真実を知る部分「闇」は愛の光が届かない無知におおわれた部分です愛を知るためには、どちらも体験する必要があります。不幸は内面的な体験です。自分の内面に光の届かない部分があると、恐怖感と苦痛を感じます。それを、自分が自由になる、あるいは幸福になるチャンスなのだと思える人は、その闇は不幸感へは繋がりません。そこには自分に対する愛があるからです。闇が光に照らされて消えてなくなるのも時間の問題です。心に穴があいている、空しい、生き生きした感覚がない、気分がすぐれないそれでも自分の今の状態を受け入れ、このままでも幸せだと思える人もいるのです。不幸感は自分に対する無力感、そして宇宙や運命に対する犠牲者意識や恨みと不平等感などが伴っているのではないでしょうか。世界の全てを自分のものにしても、自分を愛せずにいると不幸感を感じるでしょう。私は「ゴラム」と「スメアゴル」の葛藤を聞いていて、ああ、やっぱり人間には神が必要なのだと思いました。神への信仰以外に人間が暗闇から出られる道はないと。私にとっては、神=愛=宇宙=思いやり=法則=神仏=真実=平安信仰=信頼=信用なので、言葉を変えると人間は心が平安であるためには愛や思いやりを知ることが必要で、宇宙や自分に対する信頼がなければ心の「闇」とは戦えないということです。明日につづく
2004.01.31
私達は「信頼する」ということを、意外にかなりの部分、無意識的、自動的にやっています。でも、実際は何を信頼し、何を信頼しないのかは、毎瞬「選択」しているのです。毎日すべての事柄を改めて意識的に選択しなければならないとしたら、私達は最低限の生命維持と日常的な些細な事柄のためにほとんどのエネルギーと意識と時間を使わざるを得ないでしょう。それでは大変です。そのため、私達は自分が意識的に「信頼」を確認しなくても、自動的に昨日と同じ「信頼」を選択する仕組みを、身体と心にももっているのだと思います。一度「信頼」のONボタンが押されると、自分でOFFにしない限りは有効なのです。習慣性と呼ばれるものです。一度強烈な体験をしてしまったり、何度も繰り返されたりすると、それは自分に再び起こる、人生とはそういうものだという「信頼」のボタンがONになります。それは自分が幸福を感じる事柄に対しても、不幸を感じることがらに対しても起きます。あるいは幸福や不幸とは全く関係ない事柄でも。会社へ出社し、自宅へ帰宅するというのは、かなり無意識的であっても身体と意識の一部が自動的に機能し、成し遂げてしまいます。どんなに電車の乗り換えが複雑であっても、日常的にやっていることは、ほぼ無意識的にできます。信頼しているから無意識でいられるのです。身体は生命維持に欠かせない事柄、例えば呼吸し、消化し、血液が循環し、内臓がきちんと機能するというようなことは、毎日意識しなくてもできます。よっぽど、調子が悪くならない限り、意識することもありません。でも、体調が崩れ、苦痛を感じ、自分の身体の機能に対する信頼が損なわれれば、医者にかかるなどして、健康な状態に戻そうとします。つまり信頼をとりもどそうとします。そのためには、無意識的に選択してきたいくつかの生活習慣を変更する必要もあるかもしれません。こと精神的、霊的なことについては、私達は身体に対するより、かなりいい加減な扱いをしがちです。精神的な苦痛がある場合は、自分がうまくいくと信頼してきた方法や考え方が、うまくいかなくなっているのです。あるいは、自分が今まで当たり前に信頼していた事柄(信念)がゆらぎはじめたのかも。今まで信頼ボタンがONになっていたけど、それに対する疑問が湧き上がり、OFFになりかけることもあります。それは、意識的に「信頼する、しない」を選択しなおす時期なのです。信頼のボタンをONにしておくか、OFFにするか。あるいは今までOFFにしていたボタンをONにする方がうまくいくのか。それとも今までとは全く違う信念をONにする時期なのか。自分の心、あるいは感覚に敏感になると、「苦痛」になってしまう前に、何となく感じる「違和感」のうちに、ONとOFFの選択をしなおすことができます。そうなると、次第に人生の中で苦痛を感じるような状況は確実に減ってきます。
2004.01.30
金曜日なので、深夜からTVで「えぐら開運堂」見ました。今回から、構成が変わって相談する女性は2名、人数が少なくなった分、一人一人じっくりと話を聞き、その方に対して、江原さんがアドバイスをしてゆきますが、さらに、その方の守護霊から彼女にメッセージあると判断した場合は、全員メッセージを聞くチャンスがあります。ただし、その場合は、顔のモザイクをはずして放映されるという仕組みです。同じ仕事をさせていただいている立場なので、江原さんのアドバイスや話す内容から、とても多くのことを学ばせていただいています。最近、この番組を見て気づいたことは、自分の感覚をもっともっと信頼していいのだなということです。江原さんは、自分の直感や感覚をとても信頼していて、様々なことについて正確な情報を、霊的に得ることができます。一般的には、正確な情報が得られるから(当たるから)、あんな風に自分の感覚を信頼できるのだと思われがちですが、実際には順番が逆です。自分の感覚を信頼するので、沢山の正確な情報を得ることができるのです。まず、信頼する。すると信頼した事が起こる。という順番です。これは、どんなことについても、同じです。まず、そのことが起こると信頼するそうすると実際に起きて経験できる。私達はこういう仕組みで、世界を経験しています。自分が信頼したものを見ているのです。逆に自分が信頼していないことは、見えないしその人には起きません。起きたとしても、認識することができないので、本人にとっては、起きていないのと同じことです。えぐら開運堂の相談者の話を聞いてみても、どの人も自分の信じたことを経験しているのだなあと思います。恋愛運や男運の悪い人たちは、心の底には、男性に対する嫌悪感や恨みや不信感があり、表面的には、素晴らしい男性と恋愛し、結ばれたいと思っていても心の底にある「信念」がことごとく邪魔をし、信じた通りの裏切りにあってしまいます。自分の身に起こる事柄は、自分の中の「信念」を変えない限り変化しません。まず、信頼する。すると信頼した事が起こる。という順番だからです。でも、起きてもいないし、経験もしてないことをどうやって信頼することができるのでしょう。それは、日常的に小さなことで、少しずつ、信頼のボタンをONにしてゆくしかないのです。そのためには、自分が信じている思い込みに対して、出来る限り意識的になり、思い込みとは違うことが起こる可能性もあるのだという、心の空き地をつくっておく必要があります。そして、実際そのことを体験したら、その体験を新しい信頼を築く足がかりにしてゆく。親切で思いやりのある男性がいたら、男性でも、こういう人もいるのだと認めるということですね。本当は心の中ではいろいろ酷いことを考えているに違いないと思わずに。。。でも、すぐに信頼してはいけません。(笑)焦ると、そこには期待という別のものが入り込んでしまいます。期待感で目がくらみ、自分の嫌悪感が意識できなくなってしまいます。そんな時出会う人はやっぱり自分の嫌悪感を最終的には強化させてしまう人なのです。焦らず、自分の今までの信念をゆっくり自覚しながら、意識的に変えてゆく。時間がかかるように見えて、それが一番確実なのだと思います。明日につづく。
2004.01.29
世界の平和と人々の幸福を実現する最も効果的で簡単な方法があります。「自分自身を平和に、そして幸福にすること」誰もがこれをすれば、一瞬のうちに地上天国は実現します。でも、本当は他の人はどうでもいいのです。あなたが、自分自身の内面で平和と幸福を保つこと。それ以外にあなたの責任はありませんから。あなたが自分の責任さえ果たせばよいのです。幸福な人は、心から人の幸福を望みます。不幸な人は、心の底では人の不幸を望みます。もし、あなたが幸福であるならば、あなたは生きているだけで、人を幸福にしています。だから、どうか幸せでいてください。今、この瞬間の自分の幸福に気付いてください。幸福でいるためには、何かをする必要はありません。何かを達成する必要も何かを実現する必要も何かを手に入れる必要もありません。今の、そのままの自分を抱きしめてあげてください。充分過ぎるほど、頑張っている自分を。充分過ぎるほど、一生懸命な自分を。充分過ぎるほど、我慢している自分を。そして、過去から自由にしてあげてください私はあなたを愛しています。だって、私は自分を愛しているから。そしてあなたは私の家族であり、親友であり、自分自身でもあるから。私が私を愛するようにあなたはあなたを愛してください私があなたを愛するようにあなたはあなたを愛してください宇宙があなたを愛するようにあなたはあなたを愛してください世界の平和と人々の幸福を実現する最も効果的で簡単な方法があります。「自分自身が平和で、そして幸福であること」
2004.01.28
今日は幸福感がずっと続いていました。今日一日、生きて過ごせることに感謝して。(笑)意識を地上にだけフォーカスしないで、同時に、霊界にも意識を残しておくと、ものの見方が変化する為に、まるで見える世界が違って見えるのです。実際、それまで、私が問題だと感じていた事柄も、周囲の人たちの言動も、自分を取り囲む状況も何一つ変化はありません。ところが、自分の内面的な経験が変化し、いままで見えなかったことが見えるようになり、分からなかったことが分かるようになったおかげで、宇宙(人生)に対する信頼感が高まり、一切の不安が消えました。今日の一番の収穫は、「自分が欲しいものは、すでに全て与えられていた」のだと気がついたことです。自分は充分過ぎるほど恵まれ、愛されて、与えられていたことに気がつき、今の自分に、もうこれ以上欲しいものは何にもないと思いました。それは、今日一日ずっと感じていた満足感です。それほどまでに自分の人生に満足している感覚に浸れるなんて、我ながら驚きです。人が生きる上で、本当に願い、求めているのは、「愛」や「平安」や「生きる喜び」や「心躍る冒険と驚き」などだと思います。どんなに物やお金や名誉や権力などを得たとしても、結局はそれらの内面的な満足を得ることなしには、心から満足はできないでしょう。私は、今日一日の何気ない日常の中で、「愛」や「平安」や「生きる喜び」や「心躍る冒険と驚き」など全て感じていました。大げさに感動してという感じではなく、ごく当たり前のこととして、ふと、気がついたら「満たされて」いたのです。それは、与えられた今を、より「深く」「繊細」に「生きる」ということ、つまり、より意識的に目覚めて「生きる」ことが出来たからだと思います。私達は地上と霊界の両方の住人です。そのために、2つの世界に同時に住み、2つの視点を同時にもつことができます。それによってどんなメリットがあるかというと、例えて言うなら、この人生を全て体験済みの自分が、霊界に行ったときに、もう一度やり直せるチャンスを与えてもらっている感じで生きることができるのです。あるいは、困難な状況であっても結局はうまく乗り越えることができたという記憶があるので、将来を楽観的に信頼しながら、その困難にもう一度チャレンジすることができます。恐れを感じているときは、苦しみも伴いますが、信頼(うまくいった記憶)があるときは恐れはきえ、ワクワクする感覚だけですみます。それは、霊界が「時」にしばられない次元だからでしょう。霊界の視点は、「時」を超えた視点です。だからその視点をもつことで、自分は過去も未来も知っていて、全ては完璧に動いているということが、直感的に分かるのです。地上だけの視点だと、それが分からなくなります。だからうまくいくのかどうか不安になり、自分が宇宙の中で迷子になっていると感じ、愛する人はだれも迎えにきてくれないと嘆いたりします。宇宙と自分の人生に対する信頼感を失ってしまうのです。今この瞬間、あなたが幸福を感じるために必要なものはすべて与えられています。「幸せの青い鳥」はいつでも私達の中に住んでいるということです。その人のその時に完璧にふさわしい「青い鳥」は宇宙がちゃんと用意してくれています。生きることと死ぬことに真剣に取り組むと、徐々に今この瞬間に意識の焦点が絞られてきます。生きることは地上に焦点を合わせること、死ぬことは、霊界に焦点を合わせることです。そしてその2つは今、この瞬間という考える余地のない永遠の時に出会います。
2004.01.27
ちょっと不思議な感覚は続いています。意識的に続けていると言った方が近いかも。朝起きて夜寝るまでの、そのひと区切りの時間の流れを自分の「一生」なのだと思うことにしました。「一日一生」なんて言葉があったな、そういえば。朝、目が覚めたときには、地上でまた時間を過ごすことができることに感謝し、今日一日、どんな一生を送るのも自由なのだという感覚にワクワクし、意識のあるときは、限られた自分の時間を大切に使い、楽しく過ごすこと周囲の人たちに感謝と愛を伝えることを心がけ、夜、寝る前に、どんな一生だったか振り返る時間をもちます。この人生で遣り残したことはないだろうか?もしまた地上で時間を過ごすチャンスが与えられたのなら、今度はどんな人生を送りたいのかを考え、全てに感謝して眠りにつきます。私達は、この人生、今日が最後かもしれません。明日の朝は目が覚めないかもしれないし、身近な愛する存在との別れがあるかもしれない。医者に不治の病で余命いくばくもないと宣告されていなくたって、私達は皆、100年以内にはこの人生を終えています。「地上で肉体をもって生きている」「人生のひとコマを体験している」このことが、どんなに刺激的で奇跡的で素晴らしい宇宙からの贈り物なのか、今は、感じることができます。「生きている時は魔法の時間」この言葉、最近観たSTEPSという劇団のミュージカル「boy be」の中でのセリフです。今の私がまさしく感じていることです。このミュージカルをこの時期に観たというのも、とても意味があるのでしょう。自分が寝ている間は、故郷である霊界へ戻っていて、目が覚めているときは、地上に遊びにきているのだという気がします。こうして地上にいるときは、故郷である霊界のことは詳細には思い出せなくなっているけど、霊界でのこともハッキリ覚えていられればいいのにね。霊界にいるときと、地上にいるときの意識があまりにも違うので、断絶してしまっているのでしょう。これから人類が進化するにつれて、私を含め多くの人が、眠りについているときの霊界での記憶も覚えていられるようになると思います。人が、自分の生きているこの地上での時間が、「魔法の時間」なのだと実感するためには、何かしらの形で「死」を実感する必要があるのだと思います。自分の地上での「死」を意識すること自分の地上での命が「有限」なのだと実感すること身近な人の「死」に直面し、自分も「死」ぬのだと思い出すことそして、「霊界」にいる自分を意識することも地上での「死」を意識することになります。生きている状態があまりにも当たり前になり、それ以外の視点をもてなくなるほど視野が狭まると、生きているというのはどんなことなのか、分からなくなってしまいます。「生きている」実感を得るためには、逆の「死んでいる」実感を得る必要があります。実際に肉体的に「死んで」しまったら、なかなか肉体へは戻ってこれません。臨死体験という手もありますが、意識的に体験を企てるのはあまりに無謀です。(笑)でも、意識だけ「死」を体験することは、そう難しいことではありません。私は、毎晩、意識的に「死ぬ」ことにしました。人生をすべてリセットするのです。「生きる」ことだけに視野狭めるのではなく、「死ぬ」ことも同時に視野に入れるだけで毎日が新鮮になりました。いかに死ぬかを考えることは、いかに生きるかを考えることそのことで、自分は永遠の生命をもつ存在なのだと、改めて実感することができます。
2004.01.26
今朝、目が覚めたとき、不思議な感覚がありました。昨日まで、当たり前だと思っていた全てのことが今日は、とても懐かしくいとおしく、映画の回想シーンの中にいるような気がしたのです。目が覚めて、この世界に「こんにちわ」と挨拶しました。自分の身体に触れて、今日一日「よろしく」と言いました。何故か、自分はこの人生を終了するまで一度は経験済みなのだと思いました。今日は、本来の住処である霊界からこの世界へ「小さな旅」をしに来たという感じです。この人生を振り返り、その中で今日という一日を選び、再体験したいと願ってここに意識をもってきた。そんな感じです。「ああ、この世界に戻ってきたんだなあ」と懐かしく思い、自分が今日一日どんなことが起こるのか忘れていることに感謝し、周囲には、両親や猫たちや友人がいて、愛する存在とともにこの地上で時間を過ごせる有難さに感謝しました。私は、将来の自分が、目の前の愛する存在たちが地上から去り、地上で一緒に暮らすことができなくなった時、どんなに寂しかったのか思い出しました。「未来の記憶」という感じです。だからこそ、今、一緒に地上でこうして触れ合えることが、どんなに有難く嬉しいことなのかを感じてしまうのです。私達は、時は連続していて、人生も連続しているように感じるような精神的な仕組みをもっています。毎日、寝て起きると、当たり前のように昨日の続きのドラマが始まる。。。でもそれはやっぱり「幻」なのです。存在するのは、今、この瞬間だけ。本当は何も連続していません。連続していると思い込んでいるだけです。常に過去にしばられずに新しい選択をすることは可能です。私達は望みさえすれば、一瞬にして他の人間になることが出来ます。実際、記憶喪失になった人は、過去の自己イメージを失ってしまうために、一瞬にして別人格になってしまうそうです。私達は「これが自分」という過去の記憶によって創り上げた「自己イメージ」を毎瞬、疑問もなく、引き続き採用しているのです。過去も未来も私達の頭の中で創り上げたものです。頭の中に蓄えられた記憶によって「過去」の幻は創られ、頭で考えるという行為によって「未来」の幻は創られます。なんらかの理由で「頭」が真っ白になり機能しなくなると、過去と未来という幻は消えます。それは強烈に今にいないといけなくなったとき。例えば火事の中、命の危険を感じたとき。余命いくばくもないと知らされ未来を失ったとき。事故で時間という感覚を保たせる脳の一部を失ったとき。深い感動に包まれたとき。私達は「時間」の外に出ます。いきなり見るもの聞くもの感じる感覚がとても鮮明で生き生きとしたものになります。私は、全てがいつもより、とてもいとおしく、ほんの一瞬の花火を見ているような感じがしています。今日、何故か私は時間という幻想を超え、瞬間に生きていました。人生というのは、どの瞬間も美しい芸術作品であり、創作そのものなのだと感じることができます。過去の後悔、未来の不安、そういうものの手の届かない所で寛ぎ楽しんでいます。
2004.01.25
昨日の続きです。私達は、もし自分を取り囲んでいる状況をもっと高い視点で見ることができたなら、起きている人生ドラマは、この世の現実というTVのブラウン管に映し出された幻で、いくらドラマの主人公に感情移入していても、それは本当の自分ではなく俳優だと分かります。本当の自分は、リビングで腰掛け、TVを観て楽しんでいる。その家には他にも部屋があって、リビングだけでなく、その他の部屋にも家族や友人がいて、お互い必要があれば話しかけることもできる。TVのあるリビングは地上という物理次元ドラマは人生に起こる様々な出来事ドラマの主人公は肉体を持つあなたの自我(エゴ)他の部屋は他の次元、友人はまさしく別次元の友人であり、魂の家族でもあります。私達はこの物理次元にいながら、TVの中のドラマ(人生で起こる出来事)に意識の焦点を合わせ過ぎています。焦点を自在に動かすことが出来れば別の次元も同時に意識できます。そして、たやすく異次元の存在とコミュニケーションすることができるでしょう。その時、「肉体の死」は現在のような「永久の別れ」という認識とは全く違ったものになります。そして自分自身も簡単に他の部屋(異次元)を行ったり来たりすることもできるようになるはずです。愛する人が肉体を脱ぎ捨てても、より波動の高い身体(霊人体)をもっているので、生きていたときと同じように眼に見え(霊眼)生きているときと同じように会話をしたり(テレパシーでの会話)することは可能です。ただし、肉体を脱ぎ捨てると、意識が物理次元にしばられなくなるので、人間的な感情は薄れ強い愛着や執着や嫉妬などという感情は感じなくなってくると思います。それは、愛する気持ちがなくなるということではなく、愛情の質が変化するという意味で、魂の家族として、執着のない愛、より神的な愛。。。でも、肉体を脱ぎ捨てても地上に対する愛着や執着があまりに強い場合は、その感覚が消えるのに、すこし時間がかかるかもしれません。もっとも時間というのは物理次元の幻でしかないので、私達の次元から見ると時間がかかっているように見えるということですね。話を昨日の「えぐら開運堂」に戻しますが、その旦那様が亡くなった時期は、宇宙的に完璧なタイミングだったろうし、肉体を離れた後も、こういう関わりをもつということにもお互いあるいは皆で合意しているのです。このことによって、周囲の多くの人たちが、「人は死んでも形を変えて生きている」「あの世はあるのかも」と思い始めるキッカケになるでしょう。このことを前提に地上での人生を送るか否かは、大変な生き方の違いを生みます。「全ては完璧」愛する人を失う悲しみや喪失感に打ちひしがれている人に、この言葉が受け入れられるようになるには、かなりの意識変革が必要です。でも、本当に肉体を脱いだ魂が、愛する人に伝えたいことは、この言葉だと思うのです。なぜならこのことを理解し、信頼するようになるほど人生はスムーズに流れるようになり、苦痛が減り喜びが増し、そして心には失うことのない平安が訪れるからです。私なら、霊界からも愛する人たちにこう伝え続けるでしょう。「全ては完璧です。何も悲しむことはないし、心配することはありません。私の人生が全て完璧であったように、あなたの人生も完璧に導かれています。私達は永遠の命を与えられています。ただリラックスして束の間の地上の冒険を楽しんでください。私はいつもあなたの冒険を見守っているし、必要であればいつでも傍に来て力を貸します。あなたがこの人生でしたかったこと、味わいたかったこと全てやり尽したら、肉体を脱いで故郷へ戻ってきてください。その時は必ずあなたを迎えにいきますよ。」
2004.01.24
今週の金曜深夜の「えぐら開運堂」見ました。若くしてご主人を亡くして、この先どうしようか子供の為に再婚した方がいいのかしら?と迷っている女性の相談。江原さんは、亡くなった旦那さんを霊視して、彼女にこんな言葉を伝えていました。「まだ地上に時々来ていて、あなた方のことを心配しているし、あの世に行くにはまだあなた方に対する未練があって行けないでいる。あなたが再婚することも気持ちの上で受け入れられないようだ。近くで旦那さんが見守ってくれているし、もう少し、このまま今の状態でいた方がいい。」死んだ旦那が嫉妬しているから。。。私ならそういう言い方はしなかったと思うけど、彼女の未練や心の穴や傷を感じて、今は動かないほうがいいと、結果的には同じようにアドバイスしたかもしれません。「死んだ旦那の嫉妬」は彼女にとっては嬉しい言葉だったと思う。死んでもなお愛してくれている旦那の思いには勇気付けられるだろうし、自分が一人で頑張らなければと思う焦りの気持ちがあっても「旦那の嫉妬」という理由で、自分を追い詰めたり、罪悪感を感じることなく今は動かないでゆっくりすることを自分に納得させることができる。江原さんの世界観って、なんて人間的で人情的で下町的なんだろう。それって、彼自身の性格なんだよね。だから人から愛されて頼られるんだなあ。私は、ちっとも人情的でなく、浪花節的なところはなく、良くも悪くもクールな性質なので、そういう義理と人情に溢れた人を見ると、可愛いなあと思ってしまう。人間っていいいなあ、かな?アッタカイなあ、かな?ほのぼの、かな?とにかくそういう人好きなのです。占い師の溟さんもそういう人ですhttp://www.madammei.com/ だから可愛い。大好き(笑)彼女も人情に溢れてる。そのクセ自分は冷たいなんて悩んでる。本当に冷たい人は、自分が冷たいなんてことで悩まないよーー。(笑)多分、江原さんも人情家だから自分は冷たいんじゃないかって悩んだりするんだろうな。まあ、話を戻すと、私の理解しているスピリチュアルな観点からすると、私達はあまりに地上の物理次元に意識の焦点を合わせすぎているために、それ以外の次元とはコミュニケーションが取れなくなっているそうです。あまりにTVに熱中していると、それ以外の音や声が聞こえなくなる、認識できなくなるというのと同じです。つまり、私達は、TVで放映されている様々なドラマ「朝の連続ドラマ」とか「芸能人のゴシップ」とか「どうしたら健康でいられるか」「お昼のメロドラマ」「火曜サスペンスの殺人事件」「世界で起きている戦争や紛争」「ラブロマンス系ドラマ」「プロジェクトX」「スポーツ中継」などなど。。そういうTV番組の登場人物に感情没入して喜怒哀楽を感じているとき、それ以外で起きていることには意識はいきません。私達は、喜怒哀楽を感じさせてくれる様々な刺激的なドラマにあまりにも熱中しすぎて、誰かが別の部屋から、リビングでTVを観ているあなたに話しかけてもあなたには聞こえないし、注意を向けることもありません。ましてや自分から話かけることもないでしょう。これが、霊界とのコミュニケーションが断絶している最大の理由です。明日につづく
2004.01.23
どうもね、最近無理しないことが出来るようになってきたせいで、日記もペースが落ちてる(笑)でも自分では、これはとてもよい変化だと思ってます。書きたい時に書けばいいと思えるようになってきた。これも「夢がかなう10枚のカードの使い方」に書いてあった「自分を愛する小さなメニュー」を実行しているお陰だろうなあ。無理をしない選択ができるようになってきた。でも、不思議なことに、スケジュール表見ると、この習慣を始めてから2,3日後には、急に活動的に動けるようになってきました。いろんなことに対する、意欲や関心なども徐々に復活してきました。急速にバッテリーが充電された感じです。無理してたときは、エネルギー不足、つまり心の栄養失調状態になっていたので、今まで楽しめていたことが、単に負担にしか感じなくなってしまっていて、できるだけスケジュールを入れないようにしようと思っていました。でも、スケジュールを入れずに家でゴロゴロして身体を休めるだけでは、本当には心は開放され、リラックスして休めるようにはならないんですよね。どんなに身体を休めても、頭は考え続ける。今までの癖、惰性であれこれ考えたり悩んだりし続ける。するとやっぱり心は休めない。「下手な考え休むに似たり」というけど、「下手な考え疲れと仕事を増やす」っていうのが本当ね。でも「下手な考え」してしまうのは、ちょっとした癖なのです。人によってその癖がかなり根深い人もいるけれど、それが癖なのは確かです。「癖」は繰り返すことで、無意識的、自動的になってしまった習慣です。「下手な考え」をし続けて苦しむ習慣から「身体と心が喜ぶことをする」ことでリラックスする習慣へ人は、リラックスしているときに、最も能力を発揮できるのです。これほど、無理する必要もなく、簡単にできることはないでしょう。と思うのですが、リラックスすることが一番難しく、どうしたらいいのか分かりませんと言われてしまうこともあります。それは分からないですよ。頭で考えても(笑)でも身体と心は知ってますので、ただ実行あるのみです。頭の不信の声に耳を傾けずに無視して身体の赴くままに行動してみてください。忘れた頃にリラックスしている自分に気がつきます。自分を律し、押さえ込み、尻を叩いて努力させ、脅し、怖がらせ、ご褒美をちらつかせて買収したりして必要と思われる目標を達成させる。私達は一体どこでこんな、やり方を学んでしまったのでしょう。どうして自分に対してそんな扱いをしてしまうのでしょう。それを自分の子供にしたら、きっとその子は反抗的になるか卑屈になってしまうでしょう。不信と不誠実と思いやりのなさが根底となるやり方です。「信頼し大切にして喜ばせる」ということ。自分に対しても人に対しても。たったそれだけのことを心を込めてやるだけで、苦痛のある厳しい方法よりもよっぽど効率的に欲しいものを手にいれることができるのです。でも、プロセス自体が楽しければ、欲しいもの、つまり結果にはそれほどこだわらなくなります。もし、逆に結果にこだわっているなら、それはプロセスを楽しめていないから。リラックスしてもう一度、自分の行きたい方向確認してみてください。そして、無理しなければ手に入らないものは、決してあなたの幸福感には繋がりません。目的地には、あなたが途中で拾い続けたものが沢山用意されているだけなのです。途中で拾ったものが心に痛いものなら、宝も痛いもの。心が喜ぶ嬉しいものを拾って歩く先には、同じような嬉しい宝物があります。今現在の感情は常にその先にあるものを先取りして見せてくれています。今日、あなたはどんな宝に向かって歩きましたか?
2004.01.22

「今に生きる」これが、私の最も意識している在り方です。心が平安でないときは、必ず意識の焦点が今ではなく、過去や未来という空想の世界へトリップしています。それは無意識的に生きるということで、あっという間に混乱に満ちた思考の渦の中に投げ込まれてしまいます。「平安」を感じることが出来なくなる度に、一体どうしてなんだろうと立ち止まって考え、心の中を観察し、自分の意識の焦点がずれていることに気づき、焦点を今この瞬間、そこでしか感じられない「平安」に戻します。その繰り返し、繰り返し。。。でも次第に、今この瞬間に在るということからはずれなくなってきます。コツが身についてきます。そして、いつか「今」という瞬間から、「平安」という意識から外れることがなくなる時がきます。それが「悟りをひらく」ということなのでしょう。「今、この瞬間に生きること」「悟りをひらくということ」(平安と至福で在り続けること)昨年、このことを、とても具体的に分かりやすく教えてくれる本との出合いがありました。「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」原題は(Power of Now )エックハルト トール (著), Eckhart Tolle (原著), あさり みちこ (翻訳), 飯田 史彦 私は10代の後半から、「心の平安」を得ることが唯一の望みだったという、ちょっと変わった子でした。家庭的には、むしろ恵まれていた環境だったのですが、何を考えているのか分からないとよく言われていました。他の人が楽しめる世俗的な楽しみというのが、殆ど楽しいと思えず、関心ももてず、妙に冷めている自分に悩んでもいたのですが、今から思えば、生まれながらに心は出家していたのでしょう(笑)一緒に仕事のパートナーとして活動している、占い師の溟さん(めいさん)に算命学で生年月日をみてもらい、鑑定してもらった時も、私は一生を通じて「天中殺」なのだと言われました。その意味は、この世的(世俗的)な幸福は一切得られないのだそうです。(笑)といっても、別に不幸な人生を歩むというわけではありません。そういう人は、世俗的な喜びは得られない替わりに、神仏の世界で喜びを得られるということで、神仏に仕えることに最も大きな喜びを見出すということです。全くその通りだと思いました。現在、特定の宗教団体に属していないし、これからも属することもないし、自分で宗教団体を設立するなんてことも有り得ませんが、自分の中には常に神がいて、神や宇宙や愛(私にとってはすべて同じものです)というものに対する信頼が私にとって最も大切で、生きる原点であり意味を与えてくれるものです。そして、今の時代、そういう人が増えてきたこと、同じ願いや思いを持つ先輩方が素晴らしい活躍をして下さっていることが何よりも嬉しく、心強いです。生まれながらに出家している自分だからこそ出来ること。この宇宙の中での私の役割。それは、やはり、人間の意識と神意識とをつなげるパイプをより太くしていくことなのだろうと思います。私自身が「さとりをひらく」こと。「神と繋がる意識を保ちつづけること」生涯、天中殺という運命の中で、精神的に出家している立場の私が、この地上で唯一できることであり、そして願い、望み、情熱を傾けられることです。私の「仕事」は、スピリチュアル・カウンセラーではなく、「神と繋がる意識を保ちつづけること」「仕事」という言葉を使うなら、こちらの方が感覚的に合っています。仕事とは「仕える事」なのですから、どうせ仕えるのなら永遠で普遍で愛に満ちているものに仕えたいと願っています。
2004.01.21

昨日あたりから、意識が大きく変化していています。で、なんだかだいぶ楽になりました。まだアウトプットできる状態ではないので、文章として説明できるようになるのは、もう少し後になりそうですが、今日は、この変化を加速させてくれた一冊の本を紹介します。夢がかなう「10枚のカード」の使い方室伏 順子 (著) 707朝食会で、佐藤ひとしさんから紹介していただきました。本の帯にはこんな言葉が書いてあります。たった3週間で、気づいたら幸せになっていた!「がんばりすぎる」のをやめてみると「自分の夢」が動き出す。まず、ペンを用意してください。心がフフッと喜ぶメニューを10個、本書についているカードにひとつづつ記入します。それを枕元に置いて眠り、朝起きたら1枚引いてください。カードの内容を、その日のうちに自分のために心を込めて行います。これを3週間続けると、自分に思いもかけない変化が訪れます。これは本の要約というかエッセンスです。実際の本の内容は、実際に著者がこのカードを使ってどんな風に変化したのかが、分かりやすく書いてあります。一見、題名だけ読んだときに、願望実現系かなと思い、その手の本には興味がなかったので、買うこともなく忘れていましたが、ふとした拍子に、やっぱり読んでみたくなって取り寄せました。この本は、HOW TO の本でもなく、自己啓発の本でもなく、願望実現系の本でもありません。私にとってはとてもスピリチュアルな内容の本でした。読んですぐに、自分にとって何かとても重要で必要なことが書いてあると感じました。直感です。それで、本についているカードではなく、わざわざ自分でお気に入りのカードまで自作してメニューを10個考え、毎朝カードを引き、実行しています。今日は3日目でした。たった3日間なのに、自分の意識がずいぶん変化しました。自分自身を愛し大切にするという実践を毎日少しづつやっていくことで、自分の意識のピントがずれていたのを調整することができ、自分のパワーを取り戻し、本来の宇宙の愛の波に乗ることができるようになるのです。逆に自分が頑張りすぎることで、どんなに意識がピンボケしていたのか分かりました(笑)3週間続けると・・・と書いてありますが、3日間でこの変化なので、確かに、3週間後には私の人生は一変しているだろうと思います。誰もが、今、この本を読み、書いてあることを実行すれば人生が変化するとは思いません。人それぞれタイミングもあります。でも、この本の内容が役に立つ人は、直感でわかるはずです。ピンと来た方は、本を読んでみて、実行してみることをお勧めします。実行すること自体、とにかく楽しいのです。ピンと来ない方には、逆にこの情報は役に立たないということなので、聞き流してください(笑)直感はいつだって、正確無比です。
2004.01.20
今、自分の中で「仕事」という言葉の意味が変化してきています。お仕事は何ですか?相手のことを知ろうとするとき、ほとんど必ずと言っていいほど投げかける質問です。私たちは自分が発する質問で、自分の世界を限定し、それに答えることでまた自分自身を限定しています。言葉自体が何かを限定する為の道具だからです。この言葉によって私たちは、自分の世界をより自由に拡大させ美しく色づかせることもできるし、逆に、より不自由に縮こまらせ、色のない暗闇だけの世界にさせてゆくこともできます。あなたの仕事は何ですか?今まで、こう聞かれたら私は「スピリチュアルカウンセラーです。」と答えていました。でもそう答えることで、自分自身をひとつの枠の中に閉じ込めているのではないかと感じはじめました。今までの私にとっては、「仕事」という言葉は、「お金を稼ぐための活動」を意味していました。もっと限定すると、「受け取る金銭の代価として会社などの組織で要求される業務や役割」です。ごく普通のサラリーマンとしての生活をしてきた人ならば、共通にもっている認識だと思います。今まで、ほとんど何の疑問も感じることなく、スピリチュアルカウンセリングの活動に対してもこのサラリーマンが使う「仕事」という言葉を使ってきました。でも、そういう風に答える度に、人に伝える度に、私はこの行為が「お金を稼ぐための活動」だと自分に言い聞かせていることになるのだと気がつきました。会社勤めの時の業務とは違い、有意義だと感じるかもしれないし、一時的ではなく一生続けていきたいと思う活動だと思えるかもしれない。でも、自分の中で「仕事」という言葉の意味が、「金銭を稼ぐ」それも「自分がこの社会で経済的に自立してゆくための収入を得る」ということであるなら、スピリチュアルカウンセリングという名前でやっている自分の行為は、会社勤めでお金や生活の為にやっていた行為と本質的には同じということなのです。すると、私はこの行為でお金を稼がなければいけないと思い始めます。当然です。「仕事」という言葉の意味がそれを私に要求するからです。私は自分の中に違和感が出てきました。今、やっているこのスピリチュアルカウンセリングという行為に「仕事」というレッテルを貼って限定するのは、もうヤメタイ。では、「仕事」ではなくて何なのだろう?まだ答えは出てません。今日、久しぶりに近所を散策して木々や猫たちと交流してきました。人間社会とは全く違う世界で生きている存在。今を生きている彼らには、金を稼ぐ必要はおろか、将来の心配をすることもなく、今以外の必要性を満たす行為も無意味です。じゃあ何をしているのだろう?「ただ生きているだけ。宇宙の中で、今回、自分に与えられた役割に満足して精一杯、心地よく生きる。それ以外にどんな在り方があるというのでしょう。」そんな声が返ってきました。一体人間は、自分に「ただ心地よく生きる」以外の何を課してきたのだろう?そのことで自分たちはより幸福になったんだろうか?そうすることで、本当に得たい何かを得ることができたんだろうか?そんなことを改めて考えています。
2004.01.19
ようやく調整期間が終えようとしてます。ワクワクする感覚が戻ってきました。今日からまた活動的に動けそうです。ふぅ~思ったより短期間で抜け出れてよかった。不思議なもので、抜け出てみるとどうして自分があの感情を味わっていたのか、自分がはまり込んでた状態が見えてくる。その最中にいるときはなかなか見えないんだよね。それに、よく思い返してみると、この期間、自分のネガティブな感情にはまっていて身動きがとれず、他の可能性を全く見つけられない状態の人たちとのご縁が多かったのです。いやーいくら学びだといっても辛いだろうに、かわいそうにと同情していたが、あれは私の姿だったか!私もちょっと身動きがとれずにいました。今気が付いた(笑)どこかで自分の選択を間違えたとも思えないのに、状況は思ったように動かず、打開策も見つからなくて、窮地に立たされる。ムクムクと頭をもたげる不安や不信感。。。ただ宇宙と自分を信頼して自分のやるべきことを(だと思える)ことをやりながらいつ来るかも分からない脱出の時を待つ。自分の人生に対して、今まで以上の深い信頼が求められるとき、つまり成長が求められているとき、大抵、人は出口の見えないトンネルの中で不安になり悶々とする。その時、自分が悶々として苦しんでいることでさえも今の自分にとっては、完璧で必要なことで避けられないことなんだと、そしてこの後には必ず、想像以上の素晴らしい世界が待っているんだと思えるかどうか、信じることが出来るかどうかで、その人の苦しみは全く違った質になると思う。人は苦しくても希望があるから耐えられる。肉体をもっている間は、どう考えても苦しいことばかりで何の希望もないと思えるときは、人は自分は死んだ後に、幸福になれる、天国に行くことができるのだと信じることで生き延びようとする。今は、まさしく「救い」の時代だと思う。肉体をもって生きていながら、死んで天国でしか味わうことができないと思っていた「至福感」を今、ここで、この瞬間に、自分の意識を変えるだけで得られるという考え方が広がってきている。これってスゴイことだと思います。私が知っているスピリチュアルな世界観はとことん楽観的で、とことんポジティブな世界で、希望と愛に満ち溢れている。どんなに苦しくても、この楽天的な世界観は私をしっかりと支えてくれている。これからも、ずっと支え続けてくれるのは間違いない。外側で何が起ころうと、自分の中では消えることのない「幸福」という炎。でも、逆に悲観的な世界観の中で生きている人たちのことを思うと胸がいたむ。どれほどの孤独と不安の中で一人ぼっちだと思い込んで格闘しているのだろう。また今日も、悲観と絶望の世界観の中で悲鳴をあげている。私もそういう世界観の中で生きていた時期があったのでその辛さはよく分かる。でもそれさえも、完璧、それさえも成長のプロセス。自分に対する信頼がない世界観の中で生きていると、どうしても不安や疑心暗鬼から不幸なのだと感じてしまう。でも、状況が全く変化しなくても、本当に自分次第で全く違う感覚ももつことができる。今、この瞬間、何にも外側のことが変わらなくても、幸福に満ち溢れる意識に達することはできる。それを理解するためには、やっぱり、自分自身でそれを体験して気づかないといけない。自分の意識を変えるだけで、私たちは天国にも地獄にも住むことができる。これって、スゴイ福音だと思いませんか?そして、天国ってこういう所だよ、あなたにも住めるんだよって自分たちの生き方を見せていくことで、多くの人にそれを伝えてゆくことができる。今回はそういう先輩たちにも沢山、勇気と元気をいただきました。私もそういう人でありたいと願っています。
2004.01.18
金曜日の深夜、というか土曜日0:09から江原さんの「えぐら開運堂」見ました。今日は、江原さんは一人の女性に憑依している霊を除霊していました。除霊かあ。。。実は私は昔、何度か除霊らしきことをやってもらったこともありますが、実感としては何も感じなかったです。また憑依されてると感じることは、今は少なくなりましたが、前は、しょっちゅうありました。とくにウツ状態は、非常に憑依されやすい精神状態なので、そんな時、お酒も飲まないのに、いきなりスイッチが入って別人格になってしまうのを感じてた。(繰り返しますが、今はないですよ(笑)。。めったに。。。)霊感が強いということもあるので、もともと体質的に憑依されやすいと思います。その度に他人を頼って除霊してもらっていたのでは大変です。なので、私は霊的な免疫力(抵抗力)を自分で高める努力をしました。憑依されているときは、どこかでこのまま、自滅的で破壊的になってもいいやと自分のネガティブな感情に負けてしまっているのです。そういう自分に甘えていても、いつまでたっても幸せになれないし、誰も助けてくれないことに気づき、結局は、自分でそういう感情に勝つしかないと悟り頑張りました。頑張っているときは、その頑張る気持ちを支えてくれる人とのご縁が沢山ありました。除霊というのは、もし出来るとしても、一時的な症状を抑えるだけしか効力がないと思います。本人が恒常的な霊的な免疫力をつけないと、またすぐ憑依されてしまいます。憑依霊は風邪のウィールスみたいなものです。そこらじゅうにいます。自分の身体に抵抗力がなくなっていれば風邪をひきやすくなるということです。というわけで、自分にとってあまり役に立った覚えがないので、私は、人に対しても除霊はすることないです。本人さえしっかりすれば必要ないと思っています。でも、しっかりするといっても、人は弱いもの。どうにもならないと弱気になっている人には、信じられるお守りが助けになったりします。除霊の儀式は一種のお守りになるかもしれない。「あの江原さんに除霊してもらったんだから、私はもう大丈夫」という自分に対する信頼につながるとは思う。占い師の溟さん(めいさん)も、気持ちの持ち方次第だと伝えてもどうしても弱気になっている相談者には「おまじない」や「お守り」や「儀式」を教えてあげるらしい。それが分かっていても、私はあまりお守り的なものは渡さないです。お守りが欲しいなら、私からではなく、お寺でもパワースポットでもなんでもいいから足を運び、自分で努力してお守りを得て欲しいと思う。その積極的な気持ちに宇宙は動く。自信もつくと思うから。霊には私たちを霊界から意識的にサポートしてくれている人たちもいるし、そうでない霊人たちもいる。一般に、地縛霊、浮遊霊、悪霊なんて呼ばれている人たち。でも、宇宙は完璧で、全ての存在にとって、より愛と気づきを深めるために必要なことが起きるという観点からすると、こういう地縛霊や悪霊などと言われている霊たちはどんな役割を果たしているんだろう。憑依された人というのは、果たして犠牲者なんだろうか?加害者、犠牲者という判断は人間的な価値判断で、より高い宇宙的な視点から見たら、そんな風には見えないはず。誰かが、人生の学びのプロセスの中で、他の誰かに対して憎しみをもったとします。すると同じように憎しみをもつ人と縁が出来てきます。目に見えない存在も、同じエネルギーをもつ存在に惹きつけられます。だから、憎しみをもつ霊が寄ってくる。憎しみをもった霊が近くにくると、あるいは自分のエネルギーの中に入ってくると、憎しみが何倍にも感じられます。その感情が強調されるという感じですね。その人が自分の憎しみに対して、全く意識を向けずに、取り組もうとせずに感情が暴走するままにさせておくと、どんどん憎しみが加速されていき、自分ではもうコントロール不能と感じるまでになってしまいます。でもそれは憑依霊の犠牲者になったということなんでしょうか?その人が自分の憎しみの感情にきちんと向かい合い、理解するよう取り組んでゆけば、憎しみは癒され消えてゆくし、同時にくっついている霊たちも癒されてゆきます。あるいは除霊しなくても離れていきます。全ては共同作業です。同じ感情や観念をもった存在が一緒に、新たな気づきを得て成長するための共同作業。私は、憑依霊も含めて、全ての存在との関わりはそんな風に考えてます。
2004.01.17
昨日のつづきです。「40は不惑の年」とは74歳まで生きた孔子が自分の人生を振り返っての言葉で「人生六節」と呼ばれている下記の言葉の一部です。吾十有五にして学に志し(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知る(知命)、六十にして耳順(したが)い(耳順)、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)詳細は下記のHPに書いてありました。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/bensiyoshu/sinseimondo_orifushi.htm 不惑までは、分かるような気がしますが、その後のことは自分で体験してないので、一体どういうことなのか実感としてはよく分かりません。50歳の「天命を知る」というのは、自分の延長上に見えかけているような気がしないでもない。。。とにかく、この孔子の人生観には、年齢を重ねるごとに、より不安感が増すとは少しも書いてないので、更に成熟し深い充実感と宇宙との一体感を感じながら生きることができるよ(そういう可能性があるんだよ)と孔子さんは励ましてくれてるのだと思います。私は、幸福だという実感としては、常に昨日より今日の方が強いです。人生の中で一番幸福だった時期を質問されたら、常に「今」です。過去には全く未練がありません。出来事を思い出すということも滅多にない気がします。だけど、過去、関わった人たちに愛され、支えられた体験は今の自分の心の中に感謝と暖かさになって生き続けています。それは過去幸せだったとういうことではなく、そのおかげで、今、幸せなのです。人生が長くなるにつれて、そういう暖かさが自分の中にどんどん積み重なってゆくので、周囲の人が、年を取ることについての様々なネガティブイメージを言っていても、自分の幸福感が増えてゆくことはあっても、減ってゆくとはなかなか想像できません。それより、昨日より今日、今日より明日の方が、より幸福を感じることが出来るようになるということの方のが、体験的に信じることができます。宇宙は完璧に機能しているので、私たちの成長に繋がらないことは起きません。ということは、加齢による変化というのは、私たちの成長を促してくれるから起こるのだということです。様々な変化と衰えは誰にでもありますが、それらをどう意味づけし、どのように自分の内面的な成長に役立てていくかは一人一人の責任です。地球では加齢による変化というのが、内面的な成長を促すのに役立つので、採用されているのでしょう。加齢するにつれて、自分が宇宙から借りてる肉体のメンテナンスも重要になってきますね。年齢が高くなるにつれて、同年代の人たちの中で年齢差のバラつきが大きくなるそうです。「四十になったら自分の顔に責任を持て」って言うけど、年齢が高くなるにつれて、生まれながらの顔の造作などより、その人の内面性が顔の前面に出てくる感じがします。私は生まれながら健康なので、健康に恵まれている人のことしか分かりませんが、そういう人たちにとっては、健康も顔も、その人の毎日の生き方、感じ方の積み重ねの結果なのだと思います。人生を愛して楽しんでいる人とそうでない人との差が日々広がっていくのは当然だと思います。でもいつからだって、気持ちの持ち方を変えるのは、遅くありません。変えた瞬間から身体が若返ったり別人のように顔が変わったりするというのもよく聞きます。そう思うと面白くもあり、身が引き締まる思いもあります。若年の時はどんなに無謀なことをしても、すぐにリセットできる初心者用のルールでしたが、歳を取るにつれて、否応なしに、人生はより高度で微妙で精神的な難易度の高いゲームとなっていくのでしょう。皆、順繰りに加齢してゆきます。上手にセンスよくこのゲームを楽しんでいる先輩たちはきっと沢山います。これからそういう先輩方に、楽しく歳を取るコツをいっぱい教えていただこうと思います。
2004.01.16
ちょっと前から年をとるということについて関心があるので、自分より年上の友人たちに、自分が年老いることについてどう考えているのか最近あちこちで聞いてみてます。いや、聞いてみるというか、私自身が自分の加齢実感について話すと誰もが、それはそれは、堰を切ったように自分の話をし始めます。年を取るということに、こんなにも多くの人が沢山の不安を抱えてる。話には聞いていたけど、今まで当然ながら、全く実感がありませんでした。人間というのは、本当に自分に関心のあることしか分からないんですね。「年を取るにつれて、体力と気力が落ち、病気がちになって痛い思いをし、社会的にも認めてもらえなくなり、気弱になり、不安感が増す。」これが、友人から聞いた年を取るということについての共通認識です。かなり、ネガティブです。せいぜいポジティブ思考な人がいたとしても、「仕方ないこと」として老いを受け入れているという感じです。あまり、希望的で明るい面は今のところ聞いてません。友人の中で唯一、年を取るということについてよいイメージを持っている人がいました。「佐藤ひとし」さんという「夢実現ナビゲーター」という面白い肩書きを持っている先輩です。(彼のHPは http://www.mandalaclub.jp/ )様々なアイディアを実現し、そしてそれをどんどん収入につなげてゆくことができる実業家であり、教育者でもあり、いろんな顔をもったユニークで素敵な先輩です。「40歳からが本当の人生。ようやく様々な悩みや迷いの雲の上に出ることができて、一気に視界が開け、本当の意味で自由になり動けるようになり人生が楽しくなるから、40歳になるのを楽しみにしていて下さい。」と言ってました。さすがひとしさん。パチパチッ!私も、今の自分の実感としては、ひとしさんの言ってることと全く同感です。今まで、あちこちぶつかりながら、自分が一体何をしているのか、本当は何がしたいのかよく見えずにがむしゃらに生きてきたけど、ここに来てようやく視界が開けていろんなことが見えてきた感じがするし、とりあえず、今は自分の目の前に行くべき一本の道がハッキリ見えます。他の道には全く関心がないし、今までの経験からそれらは自分の道ではないと分かります。佐藤ひとしさんも私もまだ40代なので、それ以上の年齢になったらどう感じるかは分かりませんが、ただ、年を取るにつれて益々不安感を増すというようにはならない気がします。歳を取るということに対する認識が、他の人とは根本的に違うような気がするのです。二人とも、最初から歳を取ることをとても楽しみにしているからです。明日につづく。。。
2004.01.15
ここしばらく、モヤモヤしている思いが少しずつ整理する方向に向かっています私は今年にはいって、急に老いを感じ始めました。(笑)目の下にほんの少し皺が増えました。たったそれだけのことですが、自分のこの人生での残り時間のことを考えるようになりました。20代の頃、感情的には安定していないので辛いことも多く、人生は気が遠くなるほど長いような気がしていて、平均寿命なんて待たずになるべく早く霊界に戻りたいと思っていました。そして40代の今になると、たとえ平均寿命まで生きたとしても、人生というのは本当にあっという間なんだなと、実感をもって感じ始めました。この人生での短い残り時間で、一体どんなことができるのだろうと考え始めてます。「人生は何かを成すには短すぎるが、何にもしないでいるには長すぎる」昔聞いたそんな格言を思い出します。私は20代の頃からずっと、将来、何か分からないけど、自分の全てを賭けるような仕事をすることになるだろうと思っていました。一体自分の「使命」は何なのだろう、自分が生まれてきた「目的」は何だろうと捜し求めていました。今まで私と同じように考えていた人は1人か2人しか出会ってないので、かなり珍しい人間だったのだと思います。つい最近、捜し求めて20年たってようやく、その答えが見つかりました。日記でも何度か書きましたが、言葉にすると、「この地球の進化に貢献する」ってことです。そしてそれは別に大それた特別な「使命」なんてものではなくて、私を含め、誰もが当たり前にやっていることでした。「生きる」=「地球の進化に貢献」=「生まれてきた目的」=「使命」誰もが生きて様々なことを経験し気づきを深め成長しています。そして、一人一人の成長は、全体としてこの星の成長や進化に貢献しているってことです。別に隠されていた真実でも何でもなく、本当に当たり前のことで、当たり前過ぎるから、改めてそんなこと意識することもないという感じです。でも「青い鳥」の童話にあるように、結局は自分の家の中にいた「青い鳥」もその存在と価値が分かるには、一旦外に捜し求める努力をしないと分からないものです。自分が今までの人生を通じて、「何故生きるのか」という疑問をどうして捨てきれずに、悶々と考えて、彷徨って、捜し求めてきたその努力によって得たものは、単に「今、こうして生きている」ということ、地球の人間として「生きている」ということ、それがどれほどの価値があって、そのことで、一体どんな素晴らしい役割を担っているのかそれに気づくことができたということです。失って初めてその価値を知るというのは、誰にだってできるけど、それでは悲しすぎます。でもまだ失う前からその価値を知ることで、その価値を大切に味わい、さらにその価値を高めることができたら、それは幸せなことではないでしょうか。「臨死体験」をしたことのある人は、自分の肉体的な「死」を体験することによって、初めて肉体をもって「生きている」ことの価値に気づき、その体験以降、全く今までとは違う生き方をするようになると聞きます。そしてその価値に気づいた人は、他の人にも生きていることの幸せや素晴らしさを伝えることができるようになるはずです。「生きる意味」を捜し求めてきた私だからこそ出来ることがあるとしたら、最初から、あなたの中に住んでいる「青い鳥」の存在を教えてあげることかもしれません。それは、確かに自分が想像していたように「自分の全てを賭ける」に価する仕事です。
2004.01.14
落ちこんでいるみたいだけど大丈夫?心配した友人からメールが来ました。有難いことです。「落ち込む」というのは、一般的にはネガティブな状況だと思われていますが、私にとっては「落ち込む」のは、変化と進化の兆しなので、ネガティブな意味づけはしていません。では、ポジティブかというと、特にそういう意識もないかな。ただ起きることが起きてる。完璧なタイミングで。その中で、ワクワクしたり、不安に怯えたり揺れ動いている自分がいる。自分の気合でどうにかなる以上の大きな波が押し寄せたとき、その波の中で溺れない為のひとつの手段は、じたばたしてる私=自我をそのままにして、スッと意識をひき離して鳥のように上から自分を眺めるってことです。一種の開き直りとも言うし、諦め、絶望とも言うし、宇宙に全てお任せでまな板の鯉状態になるということかもしれない。その意識が保てるようになると、自分の感情から離れて、不安や恐怖と一緒にいることができます。それまではやっぱりジタバタしてますけど。ネガティブかポジティブという価値判断は「私という意識=自我」がするものです。起きていること自体には、別に何の意味もありませんよね。人間の存在しない地球を想像してみてください。誰も価値判断する人がいない場所で、一体どの出来事がポジティブで、どれがネガティブなんでしょう。ただ大きな進化の流れの中で、物事は起きてるだけです。いいも悪いもありません。でも私たちは何がよくて何が悪いかそれを自分自身で判断して、選択して、行動して、その結果いろんな感情を味わい経験を積み重ねてゆきますよね。それが地上で人間として生きるってことなんだと思います。でも、それとは別に、実はもう一人の自分、価値判断をしないで冷静に全てを眺めている自分もいます。超越している自分という存在。誰もが2つの視点を持ってます。自我の自分と、宇宙的な達観している自分。後者の自分はいろんな言い方があります。ハイヤーセルフ、大いなる自我、魂、宇宙意識、神意識、など。人が肉体を持って生きて、様々なことを体験して学ぶためには両方の意識(視点)が必要なのだと思います。自我だけだと感情に振り回されて辛すぎます。宇宙意識だけだと十分に体験して感情を味わうことができなくなります。バランスが大切なのでしょう。今回のこの「落ち込み」の為にいろんなこと整理できてます。苦痛もあるので、ちょっと避難するために、意識も上に飛んでってます。(笑)もう暫くすると整理し終わって、意識が地上に戻ってこれます。そうすると、身体が動くようになるでしょう。今は本当に何にもする気が起きないんですよね。といってもこうやって楽天日記かいてますけどね。まあ、「その時」をゆっくり待つことにします。
2004.01.13
どうも最近、苦しんでます。(笑)体調も心も風邪をひいた状態が2週間近く続いています。最初は、気力で立ち直ろうとしてたんですが、今日あたり、自分の中で変な笑いが出てきました。苦しんでいるのに不気味です。どうやら開き直ったみたいです。落ち込みもいろいろあって、自分の努力とか気持ちの持ち方とかそういうことで持ち直せることもあるし、そうでないときもあります。大きな変化の前には、心身共に、一見病んでしまったような状態になることがあります。でも、いつもそれは次への準備が始まっているのだと私は解釈してます。大抵、苦しんだ分だけ、その後は元気になったり、気分が軽くなったりしてるので、私にとっては、避けられない波なんでしょう。今回は結構、大きな変化が起きるらしく、このシンドさは久しぶりのヒットです。まあ、いくとこまで行ってやろうじゃないの。っていう腹くくった笑いです。不思議なことにカウンセリングの仕事には全くこの不調は影響がないのですが、仕事以外のプライベートに関することはボロボロです。仕事に集中しなさいってことなのかもね。日本人にはユーモアのセンスがなさすぎる「ドン底で落ちるとこまで落ちた・・・」と言っている友人に対して、日本人は、せいぜい「まあ、底まで行ったのなら、あとは上るしかないんだから」という慰めの言葉。外人は、「底までいったら、もっと掘れ!」って言うらしい。正月の真面目な知識人の対談で(養老さんが出演してた)そんな話を聞きました。日本人はすぐ頑張ろうとする。状況が安定していて問題のない場面なら、頑張ることはうまくいく。だけど、難民の救助やら戦争やら、様々な緊迫して何が起こるか分からない状況では、頑張ることは百害あって一利なし。視野が狭くなるし、パニックになりやすいし、深刻な状況にも柔軟に対応できなくなってしまう。そういう意味で日本人は、緊迫した深刻な状況ではあまり頼りにならないらしい。その点、外人(白人か?)は、日本人とは違うユーモアのセンスをもっていて、緊急時にそのユーモアでパニックにならないで対応できる。日本人は国際社会で本当に役に立つためには、もっとユーモアのセンスを磨くことが必要だ。ということでした。なるほどーーそうかもしれない。日本人は頑張るのが好きだし、それはよい面でもあるけど、柔軟性に欠ける部分もあるし、深刻になりやすいのは確かだと思う。私も今回のこの谷を、ユーモアもちながら、地球の裏側まで掘り進んでみましょ。
2004.01.12
NHKの大河ドラマ「新選組!」を観ました。主人公の新選組組長 近藤勇はSMAPの香取慎吾くん。彼は本当にいい役者だなと思う。同年代の人たちに共感してもらうにはうってつけの配役歴史もののドラマではよくこの明治維新あたりのことが取り上げられる。私は実は歴史には疎いので、詳しいことは分からないけど、本当にすごい激動の時代だったのだと思う。今日は、主人公が黒船を初めて見てショックをうけた話そういうのを見ると、私もどうも血がたぎってしまう(笑)今も負けず劣らず激動の時代。黒船ならぬUFOや宇宙人との出会いがあり、それらの存在を皆が信じはじめる時代がくる!と、私は信じてる。(笑)その為に準備しなければいけないことは山ほどあります。人が自分の認識できる世界を、ここ何百年でどれだけ広げてきたか最初は自分が動ける範囲しか知らなかっただろうし、その後は地球、そして太陽や月、銀河系、太陽系そして無限に広がる宇宙。。。世界に飛び出したい!というより宇宙に飛び出したい!いますぐ宇宙はでっかいぞーそして本当にそれが出来る時代が今世紀その変化を体験できる時代にわざわざ生まれてきたんだから、その最前線で自分がショック受けたり、動揺したり、驚愕したり、そういう刺激的な体験や意識の変化を体験したい!なんてことをあれこれ想像し、夢見たりしてる。でも、もしその話が全部、つくり話だとしたら?地球は丸くもなく平面で、宇宙は本当はとってもちっぽけでこの宇宙にはこの地球上にいる人間達しか知的生命体と言われるものがいないとしたら。というより生きているということ自体、ただ夢の中の出来事だったら?それでもいいじゃない。そのファンタジーで自分が楽しくなるんなら。私は、神や霊界が存在するとか、宇宙人やUFOがいるとか、生まれ変わりがあるとか、そういうこと、確かに信じているけど真実かどうかなんて最終的には誰にも分からないことだし、嘘でも全然かまわないと思ってます。今、私たちが信じ込んでいるほとんどのこと、千年後には嘘だったと分かるでしょう。自分が信じるファンタジー(信念・世界観)選択する基準は、それを信じたら、今この瞬間、自分の感情が安心と喜びに満たされるかどうか。私にとっては、究極はそれだけね。本当にそれだけ。自分でないものや執着など全部捨たら、最後に残るのは、今感じている「感情」だけ。生きるなら、今のこの「感情」をより心地いいものにしたい。あるいはその努力あきらめて自殺したい。そういえばその究極の2者択一で悩んでいた時期ありました。結局選択したのは前者だったから、こうやってこんなこと書いているんだけどね。だから、今でも自分が望んでいるのはそれだけです。心地よくいたいでも、経験上、全くその利己的な欲望で十分うまくいく。より心地よくなるためには、ある時点から自分だけでなく周囲の人が心地よくいてくれるほうが自分が心地よいと感じるように出来てるらしいから。まあ、やっぱり「全てはひとつ」そういうことなのかな。もし、あなたに世界の中での役割分担があるとしたら、「自分を幸せに心地良くさせること!」ってことです。
2004.01.11
昨日のつづきです。占いやスピリチュアルカウンセリングは、まさしく霊界から霊媒(霊界と地上界の中継ぎをする人)そして相談者への伝言ゲームです。霊感で受け取ったイメージやメッセージの解釈の仕方や相手に対する伝え方はその人となりを忠実に反映しています。全く同じイメージを受け取っても、それぞれ異なる解釈をして、異なる言い方で相手に伝えるでしょう。細木さん、溟さん、江原さん、私。皆、それぞれの世界観や人生観をもって自分の世界を信じて生きています。どれが正しいとか間違っているというのではなく、どれも正しいのです。そして、自分の世界観というフィルターを通して、相手の人にメッセージを伝えます。どの世界観を共有したいかは、あなた自身の選択です。だから、人間的な部分での相性も大切です。相性がよいかどうかの、一番頼りになる判断基準は、やっぱりあなたが、その人を見聞きして直感で受け取る感覚です。あなたが、その人の話を聞いたり相談をして、心の荷が軽くなり、すっきりしたり、相手に対する信頼感がもてたのなら、その人が言っていることを信じてもOKですが、自分が納得できなかったり、キツイ言い方や思いやりのない言動で傷ついたり、(そのズバズバとキツイことをいうところがイイという人もいるのですけど)むやみに不安をかきたてらるような感覚があったり、あるいは返ってくる言葉がまるでピンとこなかったりすることもあります。その場合は、あまり相手の言葉や解釈を信用しないでください。それはあくまでも相手の考えです。そして、占い師(カウンセラー)や霊媒との相性が悪かったのでしょう。その場合、ちゃんと霊界が伝えたかったことが伝わっていない可能性があります。いわゆる守護霊や指導霊など言われる霊界のサポーターは、決してあなたを意味もなく不安にさせるようなことは言いませんし、伝える時期が早すぎる場合は教えてくれません。ただし、あなたがものすごく執着しているものがあって、その為に不幸になっているのなら、不安でもそれを手放しなさいと進言してくれることはあります。でも、しがみついている手の指の一本一本を力ずくで引き剥がされている恐怖感があるのなら、ちょっと問題です。やっぱりその霊媒の強引さとの相性が悪いのかもしれません。自分が本当に答えを求めていたならば、霊界はちゃんとその答え、解決策をアドバイスしてくれる人と出会わせてくれます。それは、友人、知り合い、家族、見ず知らずの人かもしれないし、占い師やスピリチュアルカウンセラーというようなプロの相談業をしている人かもしれません。本当は、あなた自身が答えを知っています。その答えを相手が鏡になって映し出してくれるだけです。だから、その答えが本当かどうかはあなたの本心に聞いてみれば一番よく分かります。もし、その相手の人が信頼できそうな人だと感じたならその人の言うことを信じて、ちょっと勇気をもって冒険してみてください。きっと、いい方向に行きます。だって、霊界は確実に磐石な守りの体制を整えて私たちを導いててくれているんですから。
2004.01.10
夜7時からTBSで「細木数子の占いショー」みたいなやつ(笑)日を改めて0:09分からはテレビ東京で、江原啓之さんの「えぐら開運堂」を見ました。二人とも私の同業者。。。正確に言うと、溟(メイ)さんが細木さんの同業者江原さんが私の同業者って感じでしょうか。細木さんと溟さんは、主に生年月日から、その人の運勢を見ますが、2人ともほぼ同じ占いを使っています。詳しくは溟さんのHPへ(http://www.madammei.com/ )どんな占いを使おうと、最後はその占い師の霊感による判断になりますが、溟さんも、今日の細木さんのように当たり前によく当てます。「占い師は当たるのは当たり前。その占いの結果を使ってどう相手にアドバイスして、幸福へと導いていくのか、自分や人のことを理解してもらうのかが占い師の本当の仕事であり実力。ただ、自分の言うことが本当なのだと信じてもらうためには、時には当てるということが必要なんだと思ってる。」とは、常日頃、溟さんが言っている口癖です。スピリチュアル・カウンセラーの江原さんもTVで同じこと言ってました。「自分の言うことが当たるとか当たらないとか、本当は私にとってはどうでもいいことなんです。ただ、私が何かを言い当てたことで、相手の方がハッとして、自分の言うことをちゃんと聞いてくれるようになる。それが大切なのでそういうことも言う必要があって言っているのです。」スバラシイ!! 私も溟さんや江原さんと同感です。このスピリチュアル カウンセラーという仕事を始めた当初は、自分の見たり感じたりしていることが、本当に正しいのかどうか自信がもてない時期がありました。今は、自分が受け取る情報自体に疑いをもつことはありません。ただそのイメージやメッセージが一体どういうことを言わんとしているのかということは、自分が類推、判断しないといけないのです。それは占い師が占いの結果をどう解釈するのか任せられているというのと同じです。そして自分が霊界からあるいは、占いの結果から受け取ったものを、相手がしっかり受けとめ理解できるように伝えること。相手のこれからの人生で、十分役立ち、支えや励みや癒しになっていくような言葉やイメージにして渡してあげること。それが一番、気をつかうところでもあり、うまくいけばとても面白い創造性に満ちた作業なのです。私は昔から難しいことや相手が理解できない抽象的な概念を、たとえ話や相手の経験に照らし合わせて説明して、理解してもらうのが得意でした。その才能はこの仕事には欠かせないものです。それで自分で準備して地上にもってきたのでしょう。また、私は溟さんと同様(溟さんの方がずっとスゴイですが)、様々な珍しい、職業や人間関係や感情を経験してきました。それも結局はこの仕事の為に必要なことだったのだなと今になると分かります。やっぱり、宇宙はいつも完璧に導いてくれているんだと、この仕事しているとつくづく感じるんですよね。また長文になっちゃった。続きは明日に。。。
2004.01.09
地球より進化した文明をもつ星の宇宙人が、この21世紀の地球を見たときにどう思うだろうと想像することがあります。進化しているので、争いもなく、人間同士だけでなく、すべての存在が調和を保って平和と愛に満ちて楽しく創造的に暮らしている文明です。もし、そういう人たちが21世紀の地球という星を見たら、きっとショックを受けると思います。起こっていることがあまりにも悲惨なので、辛すぎて直視することができないかもしれません。でも、それを了解した上で、「この星の進化をサポートしたい、それはとても刺激的でスリリングな仕事だから」だと喜んで志願してくれる人もいるでしょう。一方「やっぱり、そういう状況を見るのは辛いので、発展途上文明に関わらないやり方で宇宙に貢献したい」と思う人もいるでしょう。どちらがいいということではなく、それぞれの役割の違いなのだと思います。どう考えても溟さんは前者のタイプで、私は後者のタイプです。(笑)溟さんは、人情溢れる浪花節派で、「さあ、あなたそんな顔してないで元気だしなさい。私も一緒に頑張るから、私の言った事信じてあなたも頑張るのよ!」と時に叱ったり励ましたりしながら相手の立場になって親身になって相談にのってくれます。まさに熱血占い師です。(笑) だから相手に頼りにされるのです。頼りにされ過ぎて、依存されてときに困ってしまうこともあるくらいカリスマ的です。私は、宇宙や人生に対する信頼を大切にしているので、どの人も自分の人生を完璧に選択し、実際には何の問題もなく計画通りに歩んでいると思っています。私の仕事は、相手の人に、より高い観点からの情報を判断材料として提供すること。そして、自分の直感と選択を信じて自分の人生を選択していってくださいと励ますだけです。信頼ゆえに相手の判断に任せてそれ以上踏み込んだりもちろん指示したりしません。そしてその距離感がとても心地よいと相手から言われたりするのです。溟さんと私が力になれる相手は違うようです。でも、溟さんと私はとても似ている部分もあり、とても相性がよくて仲良しです。私は溟さんのような「逞しさ」はもっていませんが、彼女から見ると私は、「ありのままの自分で正直にまっすぐに生きる」という別の「逞しさ」をもっていると言ってくれます。人それぞれ、みんな自分にしかない「逞しさ」を持っているのでしょう。今の若い世代は戦争にも行かず、苦労もしてないから「逞しさに欠ける」なんてよく言われるけど、今の時代にしかない苦労も大変さもあります。きっとどんな人でも、独自の経験を通じてその人らしい「逞しさ」は着実に育っているのです。
2004.01.08
昨日の逞しさについての続きです。私には、ビタミンウェーブ(http://www.vitamin-wave.com/ )というグループで一緒に活動しているマダム溟(めい)さん(http://www.madammei.com/ )という友人がいます。彼女の人生は、本当に波乱万丈で転んでも転んでも何度でも立ち上がってきた人です。普通の人が体験しないようなことばかり経験してます。毎回話しをするたびに、そんな経験して来たの!?と新しい驚きがあります。そして、私から見ると、彼女はとても逞しいのです。彼女は占い師といっても、マニュアルどおりのことを伝えるのではなく、経験から人生カウンセラーとしてとても具体的で思いやりに満ちたアドバイスができる人です。そして、自分がこの仕事を通じて、周囲の人がよりよく生きるお手伝いができることにとても誇りと遣り甲斐をもっています。彼女に言わせると占い師といっても、この仕事に情熱をもってやっている人はほんの一握りで、あとはほとんどお金を稼ぐための単なる手段の一つとしてやっているのだそうです。また、占いに行く側も、わざわざお金を払ってまで相談しに行くのだから、困難なのが当然だと思う方もいらっしゃると思いますが、実際はそれほど大変な状況ではない場合もあります。でも、溟さんの所に来る人たちはどうも、かなり悲惨だったり困難な状況にいる人たちが多いのです。そして、彼女は、相談者が大変であればあるほど、遣り甲斐を感じてとても生き生きとエネルギッシュになるのです。なんとかしてあげたいという気持ちが、自分の気持ちを発奮させるそうです。いやー逞しいなあと思います。どうも、溟さんは困難な状況に立ち向かう時ほど、ワクワクするらしいのです。私はそういう人と会って話しをすると、発奮するどころか相手の辛さや悲しみに同情するだけで、それ以外何にもできない無力感を感じてしまうことも多々あります。自分の感情にどっぷり首まで浸かってしまっている人は、自分への信頼を失ってしまっている場合が多く、無気力だったり、依存的な状態からなかなか抜け出れなくなっています。自分への信頼を大前提とする私の言葉はそういう人にはなかなか受け取ってもらえません。神という自分を超えた存在からの「命令」や「お叱り」や「約束」を聞きたいと思っている人もいます。そういう場合は溟さんのように一喝して目を覚まさせてくれる人も必要なのでしょう。私はどちらかというと割と幸福な人と縁があります。幸福といってもいろんな課題をかかえ、悩んではいますが、そんな困難な状況であってもかなりしっかりしていて、できることなら自分の力でなんとかしてゆきたいという意欲を失わずにいてくれてます。自分がさらに生きがいのある人生を手にいれるにはどうしたらよいのか?今の状況から抜け出すには、どう考えどう行動したらいいのか?自分自身で判断する材料のひとつとして意見を聞いてみたいという相談が多いのです。私は、そういう人にもっとも役に立てる気がします。
2004.01.07
今日は外出する用事もなかったので、丸一日家の中で過ごしました。暖かい家と、豊富な食べ物と、有り余るほどの娯楽、居心地のよい人間関係そして、可愛らしい猫たち。本当に幸福だなと思います。同居している母は、近所に住んでいる野良猫たちに毎日餌を運んでいます。近所には当然、猫嫌いの人たちもいるし、しかも我が家はマンションの為、動物を飼ってはいけないことになっています。当然敷地内で動物に餌をあげることも規則違反になってしまうでしょう。そんな中、毎日身を潜め、隠れながら餌を運んでいるので大変な苦労です。母の他にもほんの数名、猫好きというか、放っておけないから野良猫の面倒を見ている人たちがいるようです。母は、寒い日や雨が降っている日は、外の猫たちが寒くて可哀想だと心を痛めながら心配しています。気持ちのとても優しい人です。動物好きや世話好きという点では私も負けないのですが、「逞しさ」は負けます。私は、餌を運ぶことどころか、様子を見にいくことさえ避けています。見たら可愛いと思うし、情がうつってしまい、母と同じように心配し、世話をしはじめるのは目に見えています。けれど、その野良猫たちは自然も少ない都会のど真ん中で、車が猛スピードで走り抜ける道路が網の目のように走っているし、人間の心も田舎とは違って殺伐として余裕がない、とても危険で不遇と思えるような境遇で生きている猫たちなのです。生きるのに精一杯で必死で、本当に死と隣り合わせのその動物たちを、私は辛くて心配で直視できないのです。そんな状態の猫たちに情がうつってしまったら自分が耐えられません。交通事故に遭ったりしないだろうか、今日はちゃんとご飯が食べられただろうか、今日姿が見えなかったのは、何かあったのだろうか。。。毎日そんなことを心配していたら今の私は何も手につかなくなってしまうでしょう。不慮の事故死や餓死している猫の死体を見てしまったならば、もうしばらくは普通の状態ではいられなくなってしまいます。「肉体の死は、霊界という故郷へ戻るというだけで本当には死ぬことではない。」それは動物でも同じでしょうが、だからといって死んでも気にならないという訳ではありません。やはり相当なショックを受けます。動物病院で事故に遭ったり、病気で死にそうになったりしている動物たちを見ただけで、可哀想でショックでしばらく頭から離れなくなってしまいます。だから私は、家の中にいて、今の私と同様に暖かい部屋、豊富な食べ物、人間同士も猫同士も皆仲がよく十分な安全と愛情に恵まれているという状況の中にいる猫たちしか目にしたくないのです。母もそうだし、そういう所で働ける人たちは本当に逞しいなあと感心してしまいます。
2004.01.06
昨日の続きですが、声楽の先生のお宅へ新年のご挨拶をしに伺ったときの話です。最近あったこれらのことで、ショックを受けてるという話を先生にしたら、彼女は大声で初笑いしてました。(~_~;)(あの、本当に落ち込んで自信喪失しているんですけど・・・)「いやーあなたも成長したわね。音楽のことで落ち込めるなんてタイシタもんだわ」(なんか、褒められちゃいました?)「ようやく自分の実力がわかってきたってことよ。それはようやく上手と下手の区別がつくようになってきたということで、ものすごい進歩なのよ。最初はそれさえ全く分からない状態からスタートしたんだから。あなたが真剣に一生懸命、練習してきたからこそ分かってきたことなのよ。落ち込む気持ちはとてもよく分かるけど、実際は落ち込む必要は全くないわ。」と、言われました。その後も彼女の音楽学校の同級生の話やら、音楽にまつわる経済的な話とか、誰もが自分にしかできない音楽との関わり、音楽を通じての社会貢献というのができるのだという話をしてくれました。先生とは毎回レッスン後に、音楽について、演奏家についてなどなど、女同士ということもあって、様々なことについて話をして、レッスンの時間よりも、レッスン後のおしゃべりの時間の方がずっと長いのです。とてもよい先輩に恵まれたと思います。そして、今日、何気なくTVをつけてみたら、「新春皇室スペシャル2004」という番組が放映されていました。普段はあまり「皇室」関係の番組は見ないのですが、この番組は美智子様と音楽の関わりについての番組だったので、目に止まりました。美智子様がこの半生、想像を絶するご苦労をされ、孤独を抱えながらも、なおかつ凛としてご自分の運命をまっとうされているお姿はそれだけで、涙なしには見ることができませんでしたが、どんなご苦労も、そのことについては決して人に言うことは許されず、自分の心の中だけにしまっておかなければならない運命を背負っている美智子様の唯一の慰めは、ご家族とそして音楽だったのだと知りました。美智子様は皇太子さまに小さい頃から熱心に音楽教育をされ、皇太子さまは学生時代は学習院大学のオーケストラでヴィオラを弾かれていたそうです。私はそんなことも、この番組で初めて知りました。そして、美智子様は、皇太子様に音楽教育をされた理由を「この子は将来、天皇になります。苦しい事も大変な事もあるでしょう。そんな時 音楽 がこの子の孤独を癒してくれるかもしれません。」というような事をおっしゃっていたのです。(ビデオを撮っていなかったのでうろ覚えです。言葉が違っていると思いますがご了承ください。)「音楽は心の癒しとなるから」私は、この言葉を話された背景にある、美智子様の半生を思って、胸がつまってしまいました。
2004.01.05
先日、いつもと違う先生の声楽のレッスンを受けるチャンスがありました。片道約2時間の道のり。午前中に家を出て、帰宅したのは5時。一日がかりでしたが、そんなことちっとも惜しくない、とても素晴らしいレッスンだったのですが、落ち込みました。。。。(T_T)あまりに素晴らしい演奏家のプロの実力を間近にみて、自分の現在のレベルがいかに低いのかを思い知りました。自分が1年も声楽のレッスンに通っているのに全く、本当に全く何の進歩もしてなかった気がして、今までやってきたことは一体何だったんだろうと。。。実はその前に私はすでに同じようなことでダメージを受けてました。3日に友人宅で新年会をしたのですが、その際に、昨年12/7日にあったソロで歌った舞台を録画したビデオを観ました。唖然としました。。。(*_*;そこには、確かにニコニコして楽しそうに映っている私がいたのですが、クラシックのイタリア歌曲をうたっているハズなのに、演歌のノリで身体を揺らして、聞いていられないほど音程もリズムも音楽的な表現もまるでなってない歌声が聴こえてきました。。。歌ったときの自分の中のイメージ録画はいいとこどりで、失敗したところは自分でカットするか、勝手に修正してましたが、ビデオはまさしくバカ正直者で、等身大のその時の私を忠実に再現してくれていました。こんな歌を人に聴かせていたんだー (-_-;)半分苦笑いのつもりだったのですが、実のところは相当、ダメージが大きかったらしく、体調を崩して、喉が腫れて歌えなくなってしまいました。私の身体も性格に準じ、かなり正直者です。後日、いつもの声楽の先生のレッスン日が来たのですが、喉も腫れてて、とてもレッスンできる状態ではなかったし、気分も落ち込んでいたので、キャンセルの電話をいれました。すると、私が来るのをとても楽しみにしていてくれたらしく、あまりにがっかりした反応をして下さり、(有難いですねえ)レッスンは無理だけど、新年のご挨拶にだけ伺うことにしました。明日につづく
2004.01.04
今日はお昼から夜まで友人宅で新年会でした。ここ1,2ヶ月で知り合った音楽関係の友人ばかりです。しかも多分このHPへは、一度も来たことがないだろうし、これからも来ることがないと思われる友人たち。。。「仕事何してるの?」「スピリチュアルカウンセラーです」「心理カウンセラー?」「ちょっと違う、霊感使って人の相談にのるの」「・・・・」こういうやりとりは人が集まる場だとよく交わされます。大抵は「それって一体どんなことするの?」と聞かれるので、ちょっと説明すると、さらに興味を持って「面白いねー」と言う人もいるし、抵抗を示して「私はそういうの一切関心ないし、信じてないから!」って言われることもあります。別に関心もったり、信じて欲しいとは言ってないんですけどね(笑)私は、人から聞かれれば自分の仕事についてよほどの事がなければ正直に説明します。昨年の年末に書いたように隠し事をする必要を感じていないからです。最近はスピリチュアルカウンセラーという肩書きを使って「江原啓之」さんが、著書やTV番組などでとても活躍して下さっているので、隠れ江原ファンの方も多く、「スピリチュアルカウンセラーの江原さんご存知ですか?あの方と同じようなことをしています」と言うとすぐに理解してくださる人もいます。いやーなんてスゴイ時代になったんでしょうと思います。中世ヨーロッパの暗黒時代に私がいるなら魔女として「火あぶり」の刑にされてます。ギョエー!そういえば、昨年の10月まで働いていた会社では、課長に個人の仕事のことを聞かれたので説明したら、「君ね、そういうこと他の人に言うと友達いなくなるから言わないほうがいいよ」ととても心配そうな顔して言ってくれました。本当に優しくていい人だったんですよ。あなたの一番やりたいことは?と質問されて「人類の進化に貢献したいと思ってます」って答えることもあります。あなたが一番望んでいることは?と質問されて「世界平和」と答えて嘘つき呼ばわりされたこともあるなあ(笑)私を良く知る友人たちは、他の人にはギャグにしかなり得ない答えであっても、彼女なら本気でそう思っているんだろうと信じてくれているし、いかにも音ちゃんらしいと思ってくれてるはずなんですけどね。私が想像するに、私を好いてくれる人は多分皆、正直者なんだと思います。あるいは正直に生きたいと願っている人なのかな?嘘がある人ほど、自分の本音を知られることを恐れますから。正直者のお友達の皆さん、これからもよろしくお願いいたします。でもこういうのが人から見ると過激な生き方、あるいは変人的な生き方に見えるのよね。私もようやくその位は理解できるようになりました。ハイ
2004.01.03
実は昨年末から、心身共に不調です。正月には気分一新と思ったけど、持ち越してしまいました。理由をあれこれ探ってみたのですが、ようやくわかったことは、つまりは自我が怯えているのです。今、自分が認識している状況は、今までの自分から見たらどう見ても怪我をしそうな高い崖から宇宙を信頼して飛び降りて見なさいと言われています。自我は怖いので、頭であれこれ飛び込まずにすむ方法を考えたり本当に今、飛び降りる必要があるのか?なんていうことを考えて現状を直視することを避けようとしています。だから頭の中で「考え」がグルグルとまわってます。どっちにしても考えて答えがでるものではないことはわかっています。でも自我は簡単には諦めません。自我は今までの自分を守ることが仕事です。バンジージャンプの飛び込み台の淵に立ち、飛ぶか飛ばないかの選択をするときには一体どんなことが頭をよぎるのでしょうか?本当に足の紐が切れないなんていう保障はあるんでしょうか?もし紐が長すぎたら頭を打って死んでしまうかも。そもそも一体どうしてこんなことしようとしているのでしょうか?誰かがそれを経験すると楽しいからと言ったからといって、自分も楽しめるという保障はありません。様々なリスクを冒してまでやる価値があるんでしょうか?こんなことを自問自答するときに頭で考えたときには、全く答えがでてきません。頭は今までの自分が経験したことしか分からないからです。今回、この挑戦がうまくいくかどうかなんて「考える」ことで一体どうやって答えがでるというのでしょうか。「頭」っていうのは、未知のものに対しては全く無力で無知です。過去の経験を蓄積させておくプールなんですから。でも、もし、同じ質問を自分の頭ではなく、魂に問いかけてみるとすぐにでも答えが返ってくるのがわかります。本当に足の紐が切れないなんていう保障はあるんでしょうか?「私が保証しましょう」もし紐が長すぎたら頭を打って死んでしまうかも。「紐の長さはあなたを守るのに完璧です」そもそも一体どうしてこんなことしようとしているのでしょうか?「あなたが、自分で求めたからです。よりダイナミックに自由に大空を飛ぶために」誰かがそれを経験すると楽しいからと言ったからといって、自分も楽しめるという保障はありません。「あなたは、絶対楽しめます。だからあなたは求めたのです。」様々なリスクを冒してまでやる価値があるんでしょうか?「その価値の高さは誰よりもあなた自身がよく分かっているでしょう。」全く理屈に合いません。(笑)こんな答え頭で理解できる訳ありません。それなのに、これが真実なのだと自分の心の深いところで分かるのです。魂は常に答えとあなたの未来を知っています。まったくやっかいです。頭と魂の間で私は揺れ動いています。でもこの揺れ動いている自分って一体何なんでしょう???人生は不思議だらけです。とりあえず、今はこの人をこのまま落ち込んだままにさせておきましょう。どっちかの自分が諦めるまで。。。いや、どう考えても(これは自我が考えているんですが)頭に勝ち目はなさそうです。でも、時間を引き延ばすこと位ならできるでしょう。
2004.01.02
あけましておめでとうございます!一気に陽気ムードの新年に突入です。今日からの366日(うるう年ですね)また新たな一区切りとして冒険と挑戦をして遊んでゆきたいと思います。よろしくお願いいたします。今日は元旦ということもあり、自分のこの世界の中での役割について考えていました。で、やっぱりこれなんだろうと自分で思ったのは、「自分の願ったことを実現し、豊かになってゆくのをスピリチュアルな観点からサポートしてゆく」ということだと思います。人をサポートしてゆくと同時に、私自身も様々な気づきを得て成長して自分自身の中にある限りない豊かさを引き出してゆきたいです。昨年、自分のワクワクすることを、本当に熱中してやってきたお陰で、自分らしさがクリアーになり、これが自分の役割だと思えるようになりました。私たちは心の豊かさと同時に、物質的な豊かさも手に入れることができます。どちらも根っこは同じものですから。でも、私は現在、自分で十分だと思える物質的な豊かさを手に入れてはいません。今まであまり関心がなかったし、そこそこ満たされていました。でも、今は、もっともっと欲張ってより大きな夢を実現してゆくためにも豊かになりたいと思っています。自分が豊かになるほど、世界は豊かになるからです。自分がその豊かさの入り口になればいいのです。自分が豊かになれば、周囲の人が豊かになる最大のサポートができます。だから経済的にも豊かになることは、今とても願っています。そしてそのコツを学ぶのに最も効果的なのは、人に教えることです。英語でも何でもそうですよね。人に教えると本当に身につきます。単なる知識ではなく、自分が応用できる本当の技術となります。「常に、今、この瞬間にもっともワクワクすることを選択して実行しつづけてください。ただし、何の期待もなしに。。。」これが今、一番自分にピンとくる「バシャール」のメッセージです。自分がその瞬間最もワクワクすることをやることで、他の人にも最も役立っている。確かに宇宙はそうなっているのだと直感的に信じています。「瞬間に生きる」いつも、目覚めていたいと思います。この瞬間、そして永遠の今に乾杯!
2004.01.01
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