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オペラシティー ギャラリーで開催している「鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人」 http://www.operacity.jp/ag/exh108/は、ご都合がつく方は是非いってみて欲しいかなり面白い、深い。プロモーションムービーはこちらhttp://www.operacity.jp/ag/topics/090721.php残念ながら今週日曜日まであと2日間だけです。
2009.09.25
今日の気づきは「今、この瞬間」には、独特で一期一会で完璧な目に見えないエネルギーの動きと質があり、それは、音楽のように奏でられていて、私たちは、ただその音楽を感じ、一体になって、身体が自然に動いてゆく、行動してゆくのに任せ、それを喜びをもって、そのこと自体を楽しめばよい。それ以外のことを目的にせず、~の為という理屈を押し付けず、今この瞬間のエネルギーを感じてダンスを踊る踊り手であるだけでよい。ダンスを踊るというのは、生きるということ。それが出来るのは、目覚めた意識状態を直接的に求め、無思考状態をキープする努力をして到達する方法。もうひとつは、反動の力を利用する方法。目覚めた意識状態を直接求める方法を意識的に選べない時、無意識的に選択する。あまりに追い詰められたり、疲労困憊したり、お手上げ状態で、思考(=エゴ)が停止状態、つまり無思考状態に陥った時、結果、エゴの完全放棄が起こり、宇宙の調べとともに動くことができるようになる。のどちらか。いや、もうひとつありました。ただ、起きる。恩寵として神の世界を垣間見る瞬間が訪れる。これは、今日はおいておきます。目覚めた状態のときには、追い詰める、そして追い詰められる両方の意識(目覚めてない意識)がないので、苦痛なく努力なくただ行為が起き、至福がもたらされます。目覚めていない状態のときは、「自分で自分を追い詰める」という言葉があるように、追い詰める側、追い詰められる側、両方とも自分が作り上げた幻想の自己像をどんどん強化して、最終的にはすべてがイヤになって放り投げたり、諦めて祈るような気持ちになったとき、エゴは消滅し、宇宙の調べに乗って動かされる瞬間が訪れます。追い詰められ、苦痛が大きいほど、一瞬だけどよりクリアーな目覚めた状態が訪れる。それ以外に至福を感じる方法をしらないから、体力と気力が回復してエゴが強まってくるとまた同じ方法で目覚めをもたらそうとする。追い詰め型は、自己破滅型にもなりやすいのですが、精神力が強い人でないと、途中 責任転嫁して苦痛に直面することを避けてしまうので、目覚めの意識をなかなか感じられないまま、うつ状態で時がすぎていくことがあります。変容が起きるある臨界点を超えるまで、精神的に耐えることはかなり大変です。でも、見方を変えれば、自己破滅型の人は、実はとても強く魂の目覚めを切望している魂なのだと思います。素晴らしい芸術作品を世に生み出している人たち、素晴らしい発見を世にもたらしている人たちは、自分を極限まで追い詰めて、エゴを滅却することができる精神力のある人か、あるいは、目覚めた意識にアクセスするための何らかの方法を手にしている人(瞑想や熱中することなど)ということなのでしょう。今の時代は、「自分を追い詰める」以外の方法で「目覚めた意識」にアクセスすることが出来る(しやすくなった)とよく言われてます。それは、苦痛を利用するのではなく、自分の喜びに勇気をもって信頼して従い、この瞬間とダンスを踊るという方法です。だから、苦痛があるのは当たり前だと思わず、違う方法を見つる途中だったと気がつき、ただ執着という抵抗を手放し、今に感謝し、至福が訪れるのを期待感とともに静かに待ちましょう。そんなことを感じてます。
2009.09.19
朝、はやく目が覚めたとき、といっても6時~8時位なんだけど近所のデニーズ(ファミレス)に行き、フレンチトーストとコーヒーを飲みながら3時間ほど過ごします。ほとんどの時間は読書しているけど、たまには、合唱団の練習の録音を聞いて復習したり、書き物をしたりもする。手帳の整理もする。この日課は、「朝デニ」と呼んでます。一日をスタートさせるには、とても気持ちがよいやり方。今日も朝デニして、いつもの「ニュアース」を読んだのだけど、読み進むにつれて、とても意識が上がって、目が覚めてゆく感覚になりました。「至福感」をちょっとだけ垣間見た感じ。いつもいつもこうだといいけど、まだそこまでは安定してなくて、日によっては退屈になったり、つまらなく感じる時もある。でも気持ちがすっきり晴れた時の軽さと嬉しさは格別。本当は細かく、今日気づいたことを文章にしたかったけど、夜になっちゃったので、難しい。でも、ひとつはっきり分かったのは、意識が目覚めてくると、本当に朝起きた瞬間、嬉しさでいっぱいの気持ちになるみたい。なんで嬉しいか?人間の体験が出来るから。(自分は神でもあると分かっている状態)今日一日、出会った人や、周囲の知り合いや家族たちをどんな風に愛そうか。喜んでもらおうか、それを考えるだけで嬉しくてたまらない。って感じかな(笑)うーん、最近話題になってる薬物ハイと勘違いされそうだ。意識が上がったときのハイと薬物でハイになった時の至福感は全く違うのかな。薬物でハイになったことがほとんどないので、分からないけど。この嬉しさは、可能性に喜んでいる。ただ嬉しい。ただ感謝したくなる。ただ愛したくなる。それが出来るチャンスを与えらたこと自体が感謝しないではいられない。自分もこうやって人間の姿をして、地上で形をもらえて、この形で周囲の人や存在を愛せるのが楽しくて嬉しい。そんな気持ちになるんだよね。これ、文字だけみるとほとんど躁病に見えるね。でもね、やっぱり躁病とは違う。超ご機嫌ってことなんだよね。この状態はとてもハッピー。つまり意識が宇宙とつながって本来の自分を思い出しているとき、誰でも相当幸福感が伴うのだと思う。本にもそう書いてあるしね。これをできるだけキープするのがいまの自分の一番のトレーニング課題。
2009.09.18
ここしばらく、意識的にテーマとしていること「神と人間、両方であることを忘れずに生きる」「モチベーションに従って行動する」自分が知りたいと思ったことは、必ず宇宙が情報を与えてくれてそして気づきを得られるような状況を与えてくれる。私が最近バイブルにしている本はニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-エックハルト・トール (著), 吉田 利子 (翻訳) 出版社: サンマーク出版 (2008/10/17) ¥ 2,310この本から沢山の智恵を得られています。本当にありがたい。で、この本の中に、やはり私たちは「神と人間、両方であることを忘れずに生きる」ことが人生のコツなのだと書いてりました。自分の欲求「モチベーション」に従って生きるだけで本当にいいのか?という私の疑問については、欲求には2種類あり、それを見極めることが大切だと書いてありました。「人間」(=自意識、エゴ)の欲求と「神」の欲求です。「ニューアース」の本から文章を抜粋してみます。「エゴ」はこう問う。どうすればこの状況を使って自分の欲求を満たせるのか、あるいは自分の欲求を満たす別の情報に変えることができるか?「いまに在る」とき、あなたはこう問う。どうすれば自分はこの状況の、この瞬間の要求にこたえられるだろう?いや、実はそんなことは問う必要はない。あなたはいまに在るとき、状況に対して反応するのではなく、状況とひとつになる。すると解決策は自ずと現れる。実際には見て聞いているのはあなたという個人ではなく研ぎ澄まされた静寂そのものだ。すると行動が可能であるなら、あるいは必要であるなら、あなたは行動を起こすだろう。というか、行動があなたを通じて起こるだろう。さらに、、、正しい行動とは、全体にとって適切な行動だ。行動が完了したとき、研ぎ澄まされた広やかな意識(=神意識)はそのまま残る。誰もガッツポーズを取って「やったぞ!」と叫んだりしない。「見ろ、私がやったんだ」などと言う者は誰もいない。欲求には「エゴ」の欲求と「神」の欲求がある。エゴの欲求に従えば問題はますますネガティブな感情と共に大きくなるが、エゴをなくした意識で、判断をなくし、ただその瞬間に必要を感じて動くのであれば、問題は消える(問題と思うこと自体がエゴの判断だから)幸福感と充実感を保ったまま、愛のある行動と結果をもたらすことができるということだと思う。だから、エゴにつかまっているとき、(エゴとは形にとらわれること、特定の結果に執着している状態、恐怖のある意識状態)こういうときに出てくる欲求には従ってはいけない。まず自分が神とつながっている状態に戻ることが先決。そっかあ、そういえばそうだった。と改めて思い出した感じ。『神の道具になる』という言葉がまさしくそれを一言で表しています。神もわたし(大我)道具もわたし(小我)そのバランスってことだと思う。うまく連携をとる。だけど、主導権はあくまで神(大我)が握ってないと痛い目にあう。でも、魂は人間の形をしている限り完璧な神の意識にはなれないからね。はめをはずして、エゴの欲求で暴走する体験も楽しいものそこから学べばいい。それがこの物質界にきた目的のひとつだもの。
2009.09.16
最近、ちょっと興味をもったことがあり、ネットサーフィンにはまってしまっている・・・・寝不足するので、ちょっと困る。でも、なんでも、新しいもの、新しい体験には飽きるまでとことんある時期熱中しないと気がすまないところがあるので、そのパターンを繰り返してるのよね。少しずつ分かってきたし、同時に飽きてきたので、卒業するのももう少しかな。その瞬間の、「あ、これやりたい」という内側の欲求。私はそれを「モチベーション」と呼んでいるんだけど、毎瞬、とにかくそれに従うというのをしばらくやってみようかと思ってる。これは、実はかなり勇気がいるということが分かってきた。意識的には、この時までにこれと、これと、これをやらなきゃと思ってる。だけど、モチベーションはそんなに計画的にやろうとしない。この瞬間に出てくる欲求は、予想外のことだったりする。明日テストで、どうしても今日勉強をしなければならないと思っているのに、全く別のことをして時間をつぶしてしまう、他のことがやりたくなってしまうということがよくあるけど、自分の欲求にしたがうと、そういうことになりそうな気がして、それがちょっと怖い。自分の感情にのみ従って行動したら、人生はろくなことにならない。だから計画をたて、目標を立て、それに向かって自分のお尻をたたき、道からはずれないように、十分に自己管理(監視)して、継続は力なり を座右の銘にして、途中でやめる事なく、努力し続ければ、人に抜きん出て何者かになれるかもしれない。少なくとも、こうなりたくないと思っている何かにはならずにすむかもしれない。こういう社会通念があるように思うけど、私はこの社会通念や信念を超えたところに、別の生き方があると思ってる。それをはっきり自分の体験を通して理解したいというのが今の私の欲求のひとつ。今の自分の発見の鍵が「モチベーション」。理性の「~べき」という理由で自分を規制したくない。「モチベーション」って、宇宙の波にのるためのガイド役だと思う。今、この瞬間、これがしたいという直感、恐怖感のない欲求。それは、完璧な宇宙の中で最も自分がやるべきことを教えてくれてるはず。そして、それをやったときに感じるワクワク感は何よりも大切。今、この瞬間の自分の状態が、やる気に満ちているかどうか。ワクワクしているか、満足しているか、幸せを感じているか。それだけが大切なのだとこの頃思うようになってきました。「今、ここ、あるがまま」ってそういうことなのかな?もっと違うことなのかな?・・・まだまだ気づきは深めてゆきたいけど、とりあえず、気づいたことを実行にうつしたいと思います。
2009.09.14
しばらく、モチベーションがとても高く、好奇心が強い状態なので、様々なことを自分に体験させてあげてる。自分の子供の部分を自由に遊ばせてる感じ。カウンセリングを申し込んでくれるクライエントの方たちは、いつも自分に気づきを与えてくれてる。本当に有難い。宇宙の波にのるコツを私なりの言葉にしてみると・・・「考えない」「内側からわいてくるモチベーションに従う」「今起きてることを受け入れる」「親切でいる」「誰かを愛する機会を逃さない」などです。モチベーションが高まる、イコール ワクワク感が高まる なので、今、いい感じの波に乗っている気がします。このまま先に進んで、またご報告します
2009.09.08
少し前に「起業セミナー」に関心をもって、あちこち情報を集めたり参加したりしてみた。動いてすぐに、自分は一般的な「起業」には向かないらしいと分かり、それ以降「起業」関係には一切興味をもたなくなった。何でも興味のあることは、とりあえず手をだしてみると、向き不向きも含め、自分の次の方向性がはっきりするのが早い最近、とにかく人と会って交流することにしてる。人の役に立ちたい、元気と希望を与えたいと思って人と関わると、私自身が元気を希望をもらえて、やる気が出てくる。人に与えるものが、自分にかえってくるというのは、文字通り真実なのだと改めて実感。これは本当に素晴らしい法則。だって、欲しいものは自分次第で何でも手にはいるってことだもの。これが分かっていれば自分の人生を上手くコントロールしてゆける。神と人間、両方であることを忘れずに生きるこれは最近の私のテーマ前回のブログ「エゴと気づき」に書いたようなこと。それが分かってから、とても楽になったというか、内面的なバランスがとりやすくなった。そのせいかモチベーションが上がってきた。テンションあがってきたアクティブになってきた上手く波に乗り始めた感じ・・・がしてる。私たち人間として生きている者は、人間の姿をした神神を生命エネルギーと呼ぶとしたら、いのちが私という人間を体験してる。これが神的な視点。人間的な意識が強い人、私はどうも好んでそういう人たちと関わっている。何故かというと、感情的に惹かれる、魅力的に見える、応援したくなるから。自分にはない人間の視点と感覚をもっている人たちは様々な気付きを与えてくれる。で、懸命に生きる友人たちを愛し応援すれば私も元気になる。それは宇宙、地球、人間、を探求する旅いかんいかん、意識が混沌の世界に入っていったので、言葉が抽象的になってきた。今日はここまで
2009.09.06
1★ エゴ(思考)を使ってこの世界で体験したいものを選ぶ2★ 気づきを深めることによって、思考という形を超えたところにいる本当の自分(生命そのもの)を常に感じそれを楽しむ両方必要な気がする。少なくとも私の場合は。エゴ(思考)がないと、欲求もないので苦痛はないけどこの世での生活が楽しめない。気づきがないと、世間的な幻想を信じてしまうので、不足感や恐怖感を感じるようになり、自由に選択することが不可能になってしまう。だから、エゴ(思考)は遊び道具だと分かった上で、のめりこまず、執着せず、何かを楽しめるときは心から楽しむ。でも、何もしなくても、何かを所有してないくても、人生は安全で楽しいし無限の可能性に満ち溢れてることを理解したうえで何も欲求がないときは、何もしないで、ただ存在していること、今こうして生かされているよろこびを味わい、寛ぐ。それが理想だなあと思っています。今の私は、両方のバランスをうまくとることを自分の課題にしています。
2009.09.03
一日一回はブログを更新しようと思っています。毎日、何かしら気づきはあるし、書くためにも、気づきを得られるような意識をもって生活したい。私は今、真剣に意識を変化させたいと願っています。現象を変化させるためには、自分の中のイメージを変えるしかないというところまでは気づいています。自分が望む状態のイメージを、うれしい感情、ワクワク感を感じながら、想像すること。そして、そのためには、自分が感じている感情に敏感になり、ワクワクする感情から、自分の感情を外さないでいることが条件。そういう取り組みをしながら、生活してゆくとそこから外そうとする働きかけやら落とし穴が四六時中目の前に訪れる。TVや特に身近なネガティブな想像をしている人たちとの関わりの中で影響を受けることもある。ほとんどの人たちは自分の想念に別の選択肢があると思っていないし、自分の見えている世界が唯一の世界だと信じているので、自分自身で他の感じ方に切り替えることが難しい。でも、目の前の人は自分の鏡。周囲のネガティブな想念に影響を受けるのは、自分の中にも共通するものがあるということ。またそれも自分の一部だと理解し、抵抗せず受け入れ、そしてただ別のイメージを選んでゆく。その練習をくり返し、くり返し。ひたすらやり続けるまだ現象界には結果が現れてない今が一番信念が必要なとき。あともうちょっとだあ。頑張ろう。
2009.09.02
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